54.父の思い
父と母に面会の許可を得たのは、イェランに報告してから3日ほど後のことだった。
国王として多忙な父を知っているため、メイリアーデが父に時間を割かせてまで面会の許可を求めることはそうそうない。3人の兄がメイリアーデの面倒を見る機会も多いため、父や母と1対2で話すと言うのは実はかなり珍しいことだ。
その上今回父たちに話す内容が内容のためメイリアーデはとても緊張していた。
「おはようございます、メイリアーデ様。本日もよろしくお願いいたします」
「……清々しいくらいいつも通りね、ナサド」
一方のナサドはと言えば、涼しい顔で従者として綺麗な礼を見せているわけだが。
この男に緊張という言葉はないのだろうか……そんなことまで考えてしまうほど変わりない姿でナサドは現れた。
緊張で手足を冷たくさせて強張った表情を見せるメイリアーデにナサドは苦笑する。
そのナサドの顔にさえ余裕が感じられて、何となく面白くない気持ちになるのは心が狭いのだろうか。
自分ばかりいっぱいいっぱいになっているように思えるのだ。
だから少し驚かせてやろうと冷え切った手を唐突にナサドの首元へとそえる。
ほんの軽いいたずらのつもりでビクッと振るわせてやろうとした。
……のだが。
「え、えっと……ナサド? その、反応してくれないと私も困るのだけど」
ナサドは一切の動作を停止させ無言になる。
途端にそこまで気の大きくないメイリアーデは不安になって問いかけるも、無反応。
慌てて距離をとってその顔をのぞきこもうとしたメイリアーデにやっとナサドが口を開いた。
「メイリアーデ様?」
「な、なあに?」
「先日も貴女様が少々無防備すぎるとお話したと思いますが、覚えていらっしゃいますか?」
「え、ええ……それが、何?」
「なぜそう可愛らしいことをなさるのですか、私の理性を試していらっしゃいますか?」
「え、ええ!? ど、どうして!?」
「まあ無自覚でしょうね、無意識なのは分かっていますがお覚悟なさるようあれだけはっきり申し上げたのにこうも無邪気に抱き付かれますと私の方も衝動を抑えるのが大変だということくらいはご理解いただきたいのですが」
「……ごめんなさい、何を言われているのか全く理解できないのだけど何か貴方に悪いことをしたというのは分かったわ」
おかしい、なぜ自分は説教をされているのだろうか。
メイリアーデは正直全く理解ができなくて、しかし目の据わった笑みがあまりに大迫力だったため謝罪を繰り返す。
一体何がナサドの説教スイッチを入れてしまったのか理解できないメイリアーデ。
これから共に過ごす時間が増えれば分かるようになるだろうか?
そんなことを考えていると、今度は急に頭上から何かが迫ってきた。
気付いて見上げれば、すぐそこにナサドの顔。
「……え」
思わず声が漏れてそのまま固まっていると、額に何か柔らかな感触を感じる。
目に映るのはナサドの首筋から肩にかけてのラインで、やっとそこでおでこにキスをされたのだと気付く。
「な、ななななっ」
バッと感触の残るその場所を手で押さえて後ずさるメイリアーデ。
視界の先でナサドはやはり大迫力の笑みのまま首を傾げた。
「ご理解いただけましたか、メイリアーデ様? 意中の相手に不意打ちで触れられて何も思わないはずがないのです」
「わ、分かった、分かったわ! もう不用意に触らない! ちゃんと許可を取りますっ」
「そこまではしていただかなくて結構ですよ。が、ご自身の影響力をお考え下さい。私の理性はかなり限界状態にございますので」
諭すようにナサドに言われ、もはやコクコクと頷くしかメイリアーデは出来ない。
先ほどまで緊張のあまり体中冷えていたはずなのに、今は暑くて仕方なかった。
そしてそんなメイリアーデの反応にナサドは満足そうに笑って「では、参りましょうか」と姿勢を直すのだ。
……やはりナサドばかり余裕で悔しい。
そう思ってしまうのはおかしなことではないだろう。
じっとり見つめメイリアーデは呟く。
「……なんかナサド性格違うわ、こんなに意地悪だったかしら」
「意地悪な私はお嫌いですか?」
「……ずるい。嫌いになんてなるわけないわよ、大好きよっ。もう、良いんだから、いつかナサドを骨抜きにして私が振り回してやるんだから!」
すでに今ナサドの心を散々振り回していることなど全く気付かず、そして、この意地悪こそがナサドの不器用な甘え方なのだとも知らずメイリアーデはぷりぷりと怒って部屋を後にする。
後ろに付き従うナサドがメイリアーデの言葉にどれほど歓喜し、動揺し、必死に表情を取り繕っている事かメイリアーデは知らないだろう。
王達が待つ応接室に2人は歩を進める。
緊張もほぐれた様子のメイリアーデに対し、後ろで小さく誰にも気づかれぬよう深呼吸を繰り返すナサド。
番として夫婦になるための第一歩は、このような調子で始まった。
「おお、来たかメイリアーデ。時間通りだな」
「お父様、お母様、お時間を取っていただきありがとうございます」
同じ王族の部屋でも、龍王が使う部屋と他の王族が使う部屋では当然格式が違う。
王女として暮らすメイリアーデでさえ、この荘厳な雰囲気には緊張する。
王を取り囲む護衛も精鋭揃いのベテランだらけ、それがなおのこと気の張った空気を生んでいた。
ナサドはメイリアーデの後ろで最上級の礼を取ったまま動かない。
メイリアーデは小さく息をついて、声を上げた。
「人払いをしていただけますか? そして、ナサドの同席を許可していただきたいのです」
そう告げた瞬間、周囲から息をのむ声が聞こえる。
人払いに対してではない、ナサドの同席に反応しているのだ。
ナサドは姿勢を崩さぬまま、周囲の刺さるような視線を受け続ける。
メイリアーデは王と王妃の顔を交互に見ながら、「お願いいたします」と言葉を重ねた。
「……よかろう」
その返事が届くまでかなり長く感じる。
王が視線で護衛達に促すと、部屋にいる従者達は続々と部屋を後にした。
ナサドへの訝し気な視線を向けながら。
……やはりまだ乗り越えなければならない壁は多くありそうだ。
そう感じながら、その様子をメイリアーデは見守るのだった。
「して、話とは?」
王と王妃、そしてメイリアーデとナサドの4人のみになった部屋で王はメイリアーデに問う。
ナサドは椅子に座ることなく後ろで立ったまま控えていた。
いくら同席を許されたからと言ってナサドはあくまで従者の立場だ、座ることも発言も許されてはいない。
じれったいが、これが主と従者、メイリアーデとナサドの今の正式な関係性だ。
この先対等な立場になるには、一つずつ越えていかねばならない。
自然とメイリアーデは深く息を吸い込み姿勢を伸ばす。
目線は鋭いものへと変化し、その様子に王達夫婦は軽く目を瞠らせた。
「私はナサドを番として選びます。ナサドと夫婦になり共にこの龍国を支えていきたい、本日はそのお許しをいただきたくて参りました」
近頃の王宮内に流れていた噂、事件の顛末、そして今回ナサドを同席させたことによりある程度察しはついていたのだろう。
王は特に驚いた様子を見せることなくじっとメイリアーデを見つめ返し、そうしてナサドへと視線を移す。
その声は落ち着き払った声そのものだった。
「ナサド、そなたの意志はメイリアーデと同じか。メイリアーデの番となることを、そなたも望んでいるのか」
「はい。この身に余るお話ではございますが、恐れながら私も姫のお傍で生きるお許しをいただきたく思います」
「……そうか」
ナサドのきっぱりとした返答に頷き王は考え込む。
部屋を包む沈黙に物音ひとつ立てる者はいない。
父は龍王として一体どういう判断を下すのか、メイリアーデは強く主張する心臓の音を何とか抑えようと浅く呼吸を繰り返しその時を待つ。
やがて2人の顔を交互に見て、王は言った。
「私が反対すると言えば、そなた達はどうする」
……反対。
覚悟していなかったわけではない。
ナサドの過去を考え、最近の事件を考えれば、国のために許可できないという答えがくる可能性はメイリアーデも理解していた。
しかし実際に言葉としてあがれば、思わず表情が強張ってしまうのは仕方のないことだ。
ここで王の許可が得られなければ夫婦になることはできない。
番として認めてもらわなければ、自分たちの距離感はずっとこのまま。
いや、ナサドの事情があるためずっととはいかない。
「……発言の許可をいただけますでしょうか」
そんなメイリアーデを見つめ、ナサドは声をあげる。
王は主よりも先に発言するナサドの様子に些か驚いた後、「許す」と許可を与える。
礼を述べてナサドは言った。
「私の過去を消すことは出来ません。私は罪人、姫と添い遂げることが叶えば多くの不信を撒くことも考えられます。王家の皆様にも多大なご迷惑をおかけするでしょう。私の努力でどうにか出来るならば何でも致しますが、おそらくそれだけではどうにもならない事が多くございます」
「……そうだ。だから私も安易には良しとは言えぬ。そなたはそれでどうするのだ」
「……お許しをいただけるまで、ひとつずつでもこの身で示していくしかございません。姫のこの先を考えれば身を引くべきと分かってはいても、どうしてもそれが出来ぬのです。姫のお傍を許される限り、私はどれほど時間をかけようともどのような困難があろうとも一つずつ向き合っていきたいと思います。それしか現在出来ないのが大変心苦しく思いますが」
「そなたのメイリアーデへの想いは本物だと? メイリアーデの番という身分に惹かれたのではなくか?」
「お父様!」
未だかつて自分の意志をここまではっきり口にしたナサドを見たことがあっただろうか。
少なくとも王からしてみれば初めてなのだろう。
先ほどからナサドの言葉に驚いた顔を多く見せていることからもそれが分かる。
しかしそれでも揺らがぬ口調で淡々とナサドに言葉を返す。
そして最後に問いかけた言葉に思わず反応してしまったのはメイリアーデだった。
ナサドがメイリアーデの身分に惹かれたという言葉だけはどうしても受け入れられず、たまらず声をあげる。
しかしそれを制したのは他ならぬナサドだ。「メイリアーデ様」と静かに名を呼び小さく笑んだまま首を横に振る。そして王を見つめ返しナサドはきっぱり告げた。
「大変恐れ多いこととは存じております。しかし、私は姫を……メイリアーデ様を愛しております。それだけは陛下にどのようなお言葉をいただきましても曲げることはできません」
「……そなたがここまで強く言うとはな。メイリアーデ、そなたはどうだ」
「私の答えはずっと決まっています。この先何があろうとも私はナサドを愛している、そう確信が持てるからこうしてここにいる。ナサドの全てを、私は受け入れます。だから、何度反対されようともまたお許しをいただきに何度でもお父様のもとに来ますよ」
「何年かかろうとも、か?」
「はい。何年かかろうとも。……できれば、早い方が嬉しくはありますが」
ナサドの言葉を聞き、メイリアーデの言葉を聞き、王は何を思っただろうか。
大きく息を吐き出し椅子の背もたれに体を預け何やら天を見上げ思案する。
その様子を隣で王妃はただ静かに見守り、王の手に自らの手をそっと添えた。
そこで考えをまとめたようだ。
「正式な婚約を許す前に、ひとつ段階を設けるぞ。メイリアーデの番候補としてナサドを認めると」
「……っ、お父様それって」
「事件が起きたばかりで国民達も混乱しておる、それ以上の擁護は出来ん。ナサドの龍貴族位を戻すことも無理であろう。それでもナサドがメイリアーデの番に相応しいと判断できたならば、その時そなた達の婚約を公に発するものとする。どうすれば私を納得させられるか、方法は自分達で考えるのだ」
王の提示した課題は曖昧だ。
しかし王がナサドを認めるということは、国がナサドを公に認めるということも同義。
つまり求められているのは王の信頼だけではなく従者や国民達に対しても同様だということが分かる。
ならばこの課題はかなり難度の高いものとなるだろう。
それでも道が開けた。
王として出来る限りの譲歩をしてくれたのだと、そう思う。
「ありがとうございます、お父様! 私、頑張ります」
「寛大なご判断に心より感謝申し上げます。陛下にまたこうしてお許しの場を与えていただけますよう、精進してまいります」
メイリアーデはそれぞれ礼を言って笑みを見せる。
王はそんな2人に苦い顔をして、小さく呟いた。
「……すまぬな、重荷を背負わせて」
しかしそれはあまりに小さな声で、隣にいる王妃にしか届かない。
王妃は王を慰めるよう手を添え微笑んだ。
それに王は笑い返し過去を思い返す。
今回スワルゼ家の反逆ともいえるこの事件に最も衝撃を受けたのは他ならぬ王だった。
そして同時に自分を最も責めたのもこの王だろう。
かつて王は龍国の在り方を変えようと、少々強引な手を使ったことがある。
数千と変わらぬ龍国の日常、生まれた時から全てが決まる強い身分制度。
その現実に違和感すら抱かなかった昔。
龍王となり国外を出る機会も増えるにつれ、危機感を抱いたのだ。
変わることの強さと、変わらぬことの恐ろしさ。
変わることの醜さと、変わらぬことの尊さ。
良い面も悪い面も含め、人間達だけの世界は王に多くのことを教えた。
龍にとってはただの100年が、人間にとっては1人分の人生と同義。
いや、100年も生きられる人間だってそもそも数える程しかいない。
そして時の流れが速い人間達は、それゆえ時間を大事にして必死に生きた。
たった100年の間に人間達の技術は飛躍的に進歩し、考え方も価値観もどんどん変わっていく。
……龍をも凌駕する力を人間達が得るのは時間の問題かもしれない。
王にそう思わせる程、人間達の持つ底力は強かった。
多様な考えと、変化。
それを受け入れられなければ、龍国の存続が危ぶまれる事態になるかもしれない。
そんな思いから少しずつでも変えていこうと動いたのだ。
その中のひとつが、固定化されている龍貴族の均衡を少しずつ変化させること。
しかし世界の上位種族として恵まれた環境しか経験のなかった王では、それを“上手に”こなすことができなかった。
変化させることで生じる問題に、想定外の出来事に、対処ができなかったのだ。
その影響が子供達の世代にまで及んでいるのは、言うまでもない。
勢力争いの激化、王位継承問題、その被害者の一人にナサドは間違いなく入っている。
多くのものを奪い、やっと見出してくれたその願いすらも即決で許可できない。
責められるべきは本当は……王はその思いを立場上言うことができなかった。
「お父様。お父様にも負担をおかけすることになって申し訳ありません。けど私、きっとナサドと一緒にお父様の誇りに思える龍になりますから!」
それでも娘は文句のひとつも言わず自分を父と慕ってくれる。
娘の選んだ青年は、多くを失ってなお忠義を示し龍を敬い頭を下げる。
……落ち込んでいる場合ではない。
王として、父として、出来ることをやり続けるのだ。
ここまで多くを犠牲にしておきながら見て見ぬふりは許されない。
自分の信じた道を進み続けるしかない。
そう信じ顔を上げた龍王は、隣で自分をずっと支え続けてくれる妃を見つめる。
王を信じ影となり自分を丸ごと受け入れてくれた番。
その存在にどれほど支えられたか、分からない。
今こうして歪ながらも笑えるのは、番として共に長い生を生きてくれる存在に出会えたからだ。
願わくば、愛する娘とその従者にもそのような絆が生まれるよう。
そう祈りながら王は息を吐き出す。
その顔は王のそれから父のそれへと変化した。
「……しかし18で番を選ぶとは、少々早すぎではないか? 人間達の間では若い娘は一度でも“お父様と結婚する”と言うらしいが」
出ていた言葉はそれまで考えていた内容に比べればあまりに下らなく、私情のこもった言葉。
それでも娘を愛する父の本音だ。
難しい表情を見せていたかと思えばそんなことを告げてきた龍王に、その場にいた他の3人は1人残らず苦笑した。




