42.アラムトの助言
龍国初代女王エナ。
エナ姫に仕え、後に番となり龍となったフレイ。
そしてフレイの兄であり世界中に龍への親近感を沸かせたフレディー。
龍国において、龍人において、すべての始まりとなった3人。
彼らが歩んだ道をメイリアーデは物語を読んだだけで分かった気になっていたのかもしれない。
メイリアーデが現在手に取る分厚い研究書。
その中に書かれたエナ姫の“現実”に、メイリアーデはいかに自分が無知であったのかを思い知らされる。
「時に慈悲深く、時に苛烈な女王」
それが当時の、建国したてのエナ女王に対する評価だ。
物語の中ではとにかく優しく慈悲深く完璧だと評されていたエナ像。
しかし現実はそうではないらしい。
龍人族の数少ない生き残りとされたエナ。
実際のところ、数少ないどころか当時確認されていた龍人は彼女しかいなかったという。
その他の龍人は人の醜悪に絶望し命を絶ったか、人に狩られたか、人との共存を諦め人間のいない場へと隠れたか、そのいずれかだ。
元来龍人という種族には怒りや欲といったいわゆる“負”と称されるような感情が薄く、己が力を誇示し他種族を跪かせようなどという意志を持つ者は皆無に等しかった。
むしろ人間達への親愛の情が深く、無用な争いを避けたがり人間達が困っていたならば無償で手を貸したがる者の方が多かったのだとか。龍人の本能的な部分で彼らは人間を好いていた。
それ故、人間達の大半が反龍派となってしまった現実に絶望し数を減らしたのは間違いのない事実だと研究書には記されている。
その中で人間達と争いをしてでも人間界の中に龍の治める国を興したのがエナだ。
反龍派が多数である人間界の中、自身を慕う人間達を率いて龍人が公に認められる社会を生み出そうとした人物。
人間との共存を目指したわけではなく、龍人の存続を公に承認させるため彼女は行動を起こした。
彼女の行動理念の念頭にあったのは、「人間のため」ではなく「龍人のため」だ。
そこからして物語とは事実が異なる。
「対龍人戦争……、昔は本当に戦争があったんだ」
物語の中では暴言罵声口論といった言葉での描写がほとんどであった人間対龍人の構図。
実際のところは違う。
エナが「龍人は脅威ではない」と説得して回ったのは、嘘ではないが真実でもない。
説得だけで人の心が動くような簡単な世界ではなかったのだ。
そこに記されていたのは生々しい戦争の記録。
はっきりと殺し合いがあったのだと明記してある。
どれほどの死者が出たのか、どれほどの国が巻き込まれたのか、そして攻撃の命令を下したのが誰だったのか。全てにおいてエナは関わっている。
決して少なくない血が流れ、エナは多くの人間達に恨まれるほどの強硬策を行い、そうして国は出来上がっていったのだ。
物語の通り、エナには親しい従者の兄弟がいた。
弟のフレイは武術の天才だった。数少ない親龍派の人間達をまとめ上げ率い前線を駆けて何度も生還を果たす。
兄弟の生まれた村は元々が各国から秘密裏の仕事を請け負うことで生計を立てていた隠れ里。
皆生まれた時から武人として育てられ、強くなることが絶対の正義という価値観だった。
芸術に秀でていた兄とて、その例外ではない。
彼が得意としていたのは主に戦略部分であり、彼の立場はいわゆる軍師や諜報員のそれに近い。
表面上は芸術家として振る舞い、人間達へ龍人の良い噂を物語や歌に乗せて流しては味方に引き込めそうな国を探す。そうして戦力を増やし交渉を裏で交わしてエナを支えていたのだ。
なぜエナがそのような隠れ里に保護されていたのかには諸説ある。
しかし兄弟の生まれ育ったその里がエナを守り支え続けたというのは事実で、里で最も実力のあった兄弟が常に傍にいたというのも紛れもない真実。
エナが台頭したことがきっかけで隠れ里は公の存在となり、そして彼らの血筋が今日における龍貴族だ。
泥臭く、人間同士の争いと変わりなく、龍国は築かれていった。
人間との共存を望んだ多くの龍人に対し、人間達と争ってでも龍を認めさせたエナ。
国を興して龍人の居場所を確保するという意志は頑なだった。
当時確認されていた龍人はエナしかいない。
それでもエナは龍を認めさせるために争いを続け龍の治める国を作ろうとした。
隠れてしまった龍を呼び寄せたかったのかもしれない。
龍人族と平穏に暮らす場所が欲しかったのかもしれない。
そういった推測はあったが、実際のところがどうかまでは当然分からない。
とにかくエナは龍を敵視する国と徹底的に戦った。
人間達に龍との共存を説いたわけではなく、人間達に龍との共存を強いたという方が正しい。
本人の意志がどこにあったかは別としてもだ。
だが結局龍国建国後に彼女の元を訪れた龍はたったの2人だけ。
語り継がれる物語とは裏腹に孤独な人生だったのではないかとその本はそこで締められている。
メイリアーデがユイガ家の図書館から借りてきた本は全部で6冊。
現在3冊ほど読んできたが、エナに対する記述は概ね以上のような内容だった。
そしてエナが公正で優しく愛に溢れた姫だという今日の認識は、その後のフレディーの功績が大きいのではないかと推察されている。
フレディーが国を離れ国中を回って龍人の物語や歌を広めたのは、戦争で評価が落ちたエナの印象を向上させるためだったのだろうと。
しかし、それにしてもとメイリアーデは思う。
「ここにも、フレディーという名前は……ない」
そう、これだけ詳しくエナについて調べてあるのに、フレディーの名は今まで読んだ3冊の中に書かれていなかったのだ。
いずれも“フレイの兄”という記述か、“軍師”“諜報員”“芸術家”といった記述ばかりで、中にはフレディーではなく別の名前で紹介すらされている。
ここまで徹底的に秘匿していると不自然な気すらしてくる。
目の前の研究書を閉じてメイリアーデが視線を向けるのは最後に借りた一冊の本。
フレディーの日記。
メイリアーデの手が伸びてその表紙に触れた時、部屋のノックは鳴った。
「邪魔するよ、メイ」
「……ムト兄様?」
「うん、調子はどうかと思って」
部屋に入って来たのはアラムトだ。
にこりといつも通りの笑顔を見せてこちらに歩いて来る。
完治した後もアラムトは小まめにメイリアーデを気遣いこうして様子を窺ってくれてくれた。
だからメイリアーデも笑顔を向けながら「お陰様で元気です」と返事をする。
アラムトは笑顔のまま頷いた。
「しかしずいぶんと分厚い本を読んだねえ、君は。これ、文章が堅苦しくて読むの大変だったんじゃない?」
「ムト兄様も読んだことがあるのですか? さすがユイガ家と仲が良いだけありますね」
「僕が出来るのは知識をため込むことと見守ることと仲裁程度だからねえ」
「……十分すぎると思いますが」
「あはは、そう言ってくれる君は優しいね。地味な役割だよ、まったく」
冗談交じりにアラムトは愚痴を吐いて、メイリアーデが格闘した本を持ち上げる。
「僕もこれを読むのは苦労したよ」などと言いながら懐かしそうにパラパラとページをまくるアラムト。
見た目華やかで社交界でも最も人気のあるこの兄が、一度気になったことを徹底的に調べ上げないと気がすまない性格であることを知るのはわずかな者のみだ。
おそらくこの様子を見るに、その徹底的に調べ上げられたものの中にはエナ女王も含まれるのだろう。
そしてハッと気づいたメイリアーデは勢いよく立ち上がる。
「ムト兄様、エナ姫について知っていますね!?」
「びっくりした、君は本当いきなりだね。まあ知っているけれど、それがどうしたの?」
「兄様は、フレディーという名を知っていますか?」
「フレディー? ああ、フレイ公の兄君だろう? それが何かな」
今まさにメイリアーデの頭を悩ませていたその名前を、アラムトはすらりと答えた。
今まで読んだどの本にも記載のなかった名前だ。
しかしイェランにしてもアラムトにしても常識のようにその名を口にする。
その情報が一体どこから来るのか、メイリアーデは知りたいと思った。
「どうして、フレディーの名はどこの本にも記述がないのですか? 不自然に彼の名前だけ出て来ません」
「その問いに答える前に君に聞きたい。どうしてどの本にも書かれていないその名を君が知っているのかな?」
「前にラン兄様が教えてくれました」
「なるほど、さすがラン兄上。どこまで意図していたか分からないけれど、種は蒔いていたんだね」
「え?」
「ううん。何でもない」
アラムトの言葉は意味深で、メイリアーデはその意図が分からない。
しかしアラムトはそれ以上その言葉の意味を説明することなく、メイリアーデの当初の質問に答えてくれた。
「フレディーの名は意図的に消されたんだよ。彼を詳しく調べられることはあまりに危険だから」
初めて聞いた事実にメイリアーデは目を見開く。
意図的に消された。危険。
想像していた以上に彼から得た答えの中身が不穏だったからだ。
「君が知りたいことはおそらく、その日記を読めば理解できるだろう」
「フレディーの日記……ここに全てが」
「けれど先にこの本を読むことをお勧めしようかな。ここまで読み進められたならば、きっと理解できるだろう」
そう言ってアラムトが差し出してくれたのは、今読んでいた本よりもさらに分厚い一冊のボロボロになった学術書。龍国史とだけ書かれたその本にメイリアーデは首を傾げる。
その本をユイガ家の図書館では見たことが無かったからだ。
「ユイガ家の家宝であり一般には公開されていない禁書といったところかな。フレディー公について知る前に、もう少しだけその背景を知っておくと良い」
「ユイガ家の禁書をどうして兄様が」
「テイラードとは仲が良くてね、彼から君がもし興味を失わず核心に迫る覚悟と意志があるのならばと頼まれたんだよ。ちなみにこれは僕も先ほど初めて目にした内容だ。やっと色々と謎に思っていた部分が解決した」
にこりと笑ってアラムトはメイリアーデに本を預ける。
思わずメイリアーデはアラムトを見返し、そしてその後ろで静かに控えるガイアを見つめた。
ガイアもユイガ家の人間、このことを知っているのだろうかと気になったのだ。
しかしガイアは沈黙を貫き無表情を続ける。
メイリアーデの視線を受けて一言だけ告げた。
「我々ユイガ家は龍人様のご意思に従うのみ。無暗に情報を分け与えることは時に刃となります」
そうして再び口を閉ざし視線を逸らす。
思い出せば確かにユイガ家は今までも自分が何かを求めない限り、沈黙を守ってきたように思う。
情報を、真実を、積極的に教えてくれたのはただの一度きりだ。
エナ姫は才の龍。それだけ。
ユイガ家にとっての信念なのだろう。
メイリアーデはそう感じて、それ以上ガイアに問うことはやめる。
受け取った本を見つめて、「ありがとうございます」と礼を言った。
「話は変わるけれど、メイ」
そうして短い沈黙が訪れた後、メイリアーデの耳に届いたのはアラムトの声。
視線をアラムトに戻せば、笑みから一転真剣な顔つきでメイリアーデを見つめる兄が見えた。
「はい」と返事をするその声がわずかに強張る。
ピリッとした緊張感をアラムトから感じたのだ。
「スワルゼ家への裁定が下るよ、近く」
それを知らせるため今日はここへ来たと、声が続く。
10日後、彼等への処分が言い渡される。
そう告げたアラムトにメイリアーデは一度だけ目を閉ざす。
自分が為すべきこと。
知らなければならないこと。
再び言い聞かせ、メイリアーデは目を開いてアラムトを見つめ返した。
「……はい」
小さく、それでもはっきりと返事をしたメイリアーデ。
アラムトが視線を逸らすことなく口を開く。
「君はどうする? どうしたいのかな」
「その場に立ち会います。そして出来ることならば、その前に一度彼らと話したい。リンゼルと、ルイに」
「彼らはきっと、君を傷付ける言葉しか言わないよ。それでも?」
「知ることを放棄するわけにはいかない。どのようなことでも知って、自分自身でちゃんと判断できる器が私には必要です。私は無力かもしれないけれど、逃げることだけはしたくないから」
「……そう、分かった」
アラムトは、メイリアーデの言葉を否定することはなかった。




