40.思い出と幸せと
ナサドに宣戦布告をしたのは良いものの、やはりというか当然のごとくナサドは簡単には靡いてくれなかった。
そもそもナサドの体調は万全ではない。
万全ではないどころか未だ寝台から出ることすらままならない。
順調に回復すれば元通りの生活に戻れるだろうとは聞いたが、それまでかなりの時間を要し筋力も衰えるだろうから歩行訓練なども必要となるらしい。
治療期間が延びれば延びるほどメイリアーデの猶予も延びる。
それは好機なのかもしれないが、ナサドの辛そうな顔を見る方が辛いのでメイリアーデの心中はやはり複雑だ。
ナサドの体調が穏やかな時を見ながら、メイリアーデはこまめにナサドの元へと通った。
「ナサド、おはよう」
「おはようございます、メイリアーデ様。何度もわざわざお越しいただき申し訳ございません」
「やだ、謝らないで。私が来たくて来ているのだから」
「恐れ入ります」
いつも拒絶されることは無いが、困ったように笑って迎え入れてくれるナサド。
挨拶のたびに温度差を感じてしまい寂しい気持ちになったりもする。
だが落ち込んでいる暇すら惜しく感じるから、メイリアーデはにこりと笑んでナサドの近くに腰を下ろすのだ。
あまりに頻繁にナサドの元へと訪れるため、寝台の傍には場違いなほど高価な椅子が常備されている。
「メイリアーデ様、お体の具合はいかがですか?」
「お陰様で、私の方はもうすっかり。明日お医者様が診て問題ないようなら完治みたい」
「そうですか。それは良かったです」
「ありがとう」
ナサドの傍にいられるだけでメイリアーデは幸せだったが、ナサドは気遣いの人で場の空気が重くならないようメイリアーデによく話題を提供してくれた。
体の調子はどうか。従者達はメイリアーデによく仕えてくれているか。何か不自由はないか。
主に、というよりほとんどがメイリアーデの心配だ。
自分が津村芽衣の記憶を継いでいると打ち明けてから多少は肩の力が抜けたのか、ナサドは松木時代のようにメイリアーデをよく気遣い声をかけてくれた。
ナサドに話かけられると嬉しくなってメイリアーデも嬉々として色々話してしまう。
ナサドはそれをまた丁寧に聞いてくれるものだから、ついついナサドの部屋で過ごす時間はほとんど自分の話になるのだ。
これでは何のためにここを訪れているのか分からない。
そうは思うものの、ナサドと共に過ごすこの穏やかな時間は幸せで中々に捨てがたいのだ。
「……なんか、ナサドの術中にいる気がする」
「はい?」
「私はナサドを落としに来たのに、結局楽しく自分の話だけして帰っている気がするわ」
「……メイリアーデ様がお楽しみいただけているならば、これ以上ない光栄です」
「うー、私はナサドのことを知りたいのに」
「恐れながら私のことでメイリアーデ様がお楽しみいただけるようなお話は持ち合わせておりませんので、お気持ちだけいただきます。ぜひメイリアーデ様のお話をお聞かせ下さい」
「……そうやってすぐはぐらかす。良いけれど、無理して聞きだす気はないから」
結局ナサドと過ごして痛感するのは自分の子供っぽさだけだ。
昔から自分はまるで成長していない気すらする。
もうすぐメイリアーデは18歳。
津村芽衣の記憶に追い付く。
それでもどうにも自分の想像した18歳と現状には大きな差があるように思えてならない。
これが甘やかされ育った弊害か……などと、えらく自分勝手な理由を立ち上げ小さく息を付いた。
「私、大人になれる日が来るのかしら」
「メイリアーデ様は立派な大人でいらっしゃいます。覚醒も無事果たされましたし」
「うっ、そ、そういう大人じゃないもの。心の大人だもの」
「そちらも十分だと思いますが」
「ナサド、貴方ちょっと私を甘やかしすぎよ? だから私が付け上がるの」
ナサドは以前より少しだけ饒舌だ。
メイリアーデの話をよく聞き、よく褒め、笑う。
本来のナサド、素のナサドはどちらかというとこちらの方なのだろう。
あの昔のような仮面を被った無表情とは似ても似つかないナサドの一面。
ここまで見せてくれるようになるまで、ずいぶんと時間がかかった気がする。
そして今では躊躇いなく笑みを見せてくれることが、メイリアーデは嬉しかった。
しかし、この状況はいただけない。
主従というだけで大きな壁だというのに、大人と子供といったこの構図は笑えない。
いや、実際親子ほどの歳の差があるのだから初めから笑えない状況なのだが。
メイリアーデの消沈ぶりが分かりやすかっただからだろうか、ナサドは苦笑しながら少し考える素振りを見せメイリアーデに問いかける。
「……ならば、少しだけ我儘をお許しいただけますか?」
静かに告げられたその言葉に目をぱちりと瞬かせたメイリアーデは、次の瞬間勢いよく頷いた。
「ええ、勿論!」と即答したメイリアーデにナサドはやはり苦笑する。
「もしよろしければ、お話しいただけませんか? 貴女様の前世……津村の記憶を」
目を細め、柔くナサドは告げる。
遠い日本で過ごした日々を愛おしむように。
懐かしい記憶を手繰り寄せるように。
メイリアーデの胸が少し苦しくなった。
しかしそれは嫌なものでは決してなく、せいぜいあっても少しの寂しさ程度だろう。
「覚えていることは、本当にあまりないのよ?」
「ええ、それでも是非。どのようなことでも覚えていらっしゃることがありましたら」
「そうね。ならば松木先生について思い出せる一番古い記憶から。あれは保健室に運ばれた時のことなのだけど」
「ありがとうございます。それにしても保健室……津村は常連でしたからね、いつのことやら」
「それなのよね……ほぼ毎日お世話になっていた気がするわ」
ナサドと共に思い返す日本の記憶。
あの頃は保健室で先生と生徒という関係性で会うのが日常だった。
それが当たり前で、そんな日々がずっと続くと信じて疑わなかった。
あの時から随分と時間は経ち、きっとそのまま生きていたところでその日常の細かなところはボロボロと抜け落ちていただろう。
それだけ時は流れた。
先生と津村と呼び合っていたあの頃。
懐かしくて優しくて、そして少し切ない思い出。
ナサドは嬉しそうにメイリアーデの話を聞いてくれる。
まるで津村芽衣と過ごした日々を愛おしんでくれるように優しそうな顔で、メイリアーデの話を聞いてくれる。
“この上なく幸せでした”
かつてナサドは日本で過ごした日々をそう言ってくれた。
その幸せの中に、津村芽衣の存在は少しでもあるかもしれない。
そう思えば、メイリアーデは嬉しかった。
もう津村芽衣には戻れない。
津村芽衣として生きる機会は失い、自分もメイリアーデとしての生を望んでいる。
それでも、嬉しいのだ。
津村芽衣に対する嫉妬心や今の自分を見て欲しいと思う気持ちがないわけではない。
しかしそれを上回り、自分が辿ってきた道が決して意味のないものではなかったとそう思えることがとても嬉しい。ナサドの中に確かに存在する津村芽衣の存在に心が震えた。
「……幸せだったよ、津村芽衣の人生は。この上なく」
そう、思わずそう声に出してしまうほど。
避けては通れない自分の過去。
たとえ短い生だったとしても、報われないことが多い人生だったとしても、津村芽衣として生きた自分は紛れもなく幸せだった。
はっきりと初めて口に出した前世の自分。
「そう、ですか。良かった、本当に……良かった」
メイリアーデの言葉をナサドは肯定してくれる。
その顔を見れば、ナサドは今にも泣きそうな顔で笑っていた。
「ありがとう、ナサド。いえ、ここでは松木先生かな? ……本当に、ありがとう。松木先生のおかげで、私は幸せな生を全うできたと胸をはって言えます」
「……津、村」
「短かったかもしれないけれど、私の人生は意味のあるものだった。今はそう思えるんです」
感情の変化をはっきりと顔に出すことはそう多くないナサド。
恐ろしく強固であろう理性のままに、彼は滅多に感情的になどならない。
その彼が、今は笑顔を見せたり苦し気な表情を見せたり様々な感情を見せていた。
音もなく声も上げず、涙を流すナサド。
……思った以上に、ナサドにとって津村芽衣の存在は大きかったのかもしれない。
グッと握られたその拳にパタパタと涙が落ちて止まらない。
拳の上にそっと手を添えれば、ナサドはハッと我に返ったのかメイリアーデを見上げる。
「申し訳、ございません。お見苦しいところを」
「謝らないで。私は嬉しいのだから」
ナサドに微笑めば、途端に彼は苦し気にくしゃりと顔を歪める。
頑なな人はやはり頑なで、少しだけ大きく息を整えた後ナサドはすぐに表情を引き締めた。
目元の赤さが無ければ、つい先ほどまで涙を流していたことなどまるで分からないだろう。
理性が強く、感情の変化を滅多に表に出さないナサド。
心の内を誰よりも自分の奥底に秘めて、1人で抱え込む。
それでもきっとナサドは人一倍情が深いのだ。
改めてメイリアーデはそう思う。
そしてだからこそ問わずにはいられない。
「ねえ、ナサド。貴方をこの龍国から遠ざけているものは何?」
「……そのようなものは」
「言いたくなければ勿論言わなくて良いわ。前も言ったけれど何かを強制したくはない。それでも、もし貴方を苦しめる何かがあるのならば、私は無視しない。決して」
「メイリアーデ様」
「つけ込むから、覚悟しておいてね?」
龍国の名を出した途端にわずかながらに強張るナサドの顔。
言葉を積んでナサドの心を重くしたいわけではなかったため、最後は冗談交じりに笑う。
無理にでも聞き出して知りたいと思わないわけではない。
しかしそれでは意味がないことをメイリアーデは知っている。
だからグッとナサドに添えた手に力を込めてから、そっと距離を取る。
メイリアーデの心を見通しているかは定かではないが、ナサドは小さく笑い頭を下げた。
ありがとうなのかごめんなさいなのか、声に上がらないからメイリアーデは判断しきれない。
それでも笑い返しメイリアーデは部屋を後にした。
“君が約束を果たすためには、君の愛する従者についてもう少し知る必要があるようだ。彼の抱える秘密はこの国の根幹にも関わる”
……知らなければならない。
ナサドのこと。龍国のこと。
ナサドの秘密に思いつくものは情けない話だがない。
それでも神の防人がそこまで言うのだ、この国の秘密にナサドもまた関わっている。
では国の秘密にはどんなものがあるのか。龍毒草のように、まだまだこの国には王族でさえ知らないような情報が隠れているのだろうか。
“知識は身を助けるのです、次の一歩を踏み出す力となることもありましょう。特に姫様におかれましては、この先何か迷った際の導となり得るものがここにはございます”
誰かが言っていた言葉が耳の奥でこだまする。
誰だっただろうかと思い返して脳内に溢れてきたのは、背の高い棚が所狭しと並ぶ図書館だ。
「何から調べれば良いのか、分からないけれど」
メイリアーデは呟く。
小さく頷き、足を動かした。




