31.秘密を知る者
「津村、息吸えるか? ゆっくりで良いから」
「せん、せい……?」
「大丈夫だ。大丈夫だからゆっくり息吸え。俺も一緒にやるから、な」
先生は、いつだって私に寄り添ってくれた。
発作を起こして苦しい時は、一緒に呼吸をしてくれた。
将来に絶望して落ち込んだ時は、世界の広さと教え希望を与えてくれた。
病に侵された体を、未熟すぎる心を、全力で守ってくれた大事な人。
いつか私がそんな先生を守れる日は来るのだろうか?
いや、来るように努力するんだ。
私は先生を守れるようになりたい。
たまに曇る先生の表情を包み込んで、心から笑わせられるようなそんな人になりたい。
先生が私の心を震わせてくれたように。
今度は私が。
「先生」
そんな言葉と共にメイリアーデは目覚める。
ナサドのことをたくさん考えたからだろうか、津村芽衣時代の強い感情が流れだして目から涙が溢れている。
しかしぼんやりとした意識から覚醒するのはすぐのことだ。
ハッと我に返り起き上がる。眠りに落ちる前の記憶を取り戻すのに時間はかからなかった。
「よう、目覚めたか」
唐突に声が響いて、メイリアーデの肩が大げさに揺れる。
慌てて視線を声の方に向ければ、そこにいたのは見知らぬ大柄の男だった。
龍国ではあまり馴染みのないデザインの、しかし見るからに高価な服。
腰にささるサーベルは落ち着いた光沢を放ち、持ち主に馴染んでいるようにも見える。
とそこまで観察して、メイリアーデはやっと自分の視力が回復していることに気付いた。
頭のだるさも残ってはいるものの臥せなければならないほどではない。
その事実に安心しながら、しかしこの部屋にいる彼にすぐ視線を戻す。
どこか普通とは違うそんな空気をその男からは感じた。
「貴方は」
「なに、ただの傍観者さ。ま、傍観者でもいられなくなったもんでこうして横やり入れに来たんだがな」
現在の状況が状況なだけにメイリアーデは後ずさって警戒を強める。
しかし目の前の男は、そんなメイリアーデの様子をさして気に留める風でもなく近場の椅子にどかりと腰を下ろした。
「俺の名はザキ。フィレス山脈の奥深くから来たと言えば分かるか?」
「フィレス、山脈……っ、あの神子様方がいらっしゃる」
さらりと告げられた言葉にメイリアーデの目が見開く。
ザキというその名をメイリアーデは知っていた。
フィレス山脈という言葉もだ。それはこの世界で最も有名な奥深く標高のある聖なる山々。
その中のどこかにこの世界において最上位である神子と女神が住んでいる。
種族として、人々を統べる者としての最上位種は龍人族だ。しかしその龍人族よりもさらに上位に位置する存在、それがこの世界の創造主たる神の子供達である。
どちらもこの世界の創造神が直接生み出した存在であり、先に生まれた兄が神子、後に生まれた妹が女神と呼ばれ古くから崇められてきた。神子には神の力が、女神には気を浄化する力が宿っている。また人と同じように老いるが肉体が死すれば魂を引き継いだまま生まれ変わることでも有名で、その記憶は龍国よりもはるか1万年前からあるとさえ言われていた。
神話や伝承の中にいるような存在。そんな兄妹には、2人の防人がいる。
神子、女神に気に入られ、彼らと同様記憶を持ったまま幾度も転生を繰り返す人間。
その一人がザキという名なのだ。もう一人は確かヨキと言ったか。
とにかく神子と女神、そして防人の4人については龍人ほどではないにしても数多くの文献が残っていた。
当然世界の常識としてメイリアーデもその存在を知っている。
「防人様が、どうして」
「言っただろうが、ただの傍観者じゃいられなくなったってよ」
「それは」
「お前に死なれちゃ困るんだ、こっちは。別にお前の身を案じてじゃねえぞ、こっちの事情でだ」
心底面倒そうにメイリアーデの訳の分からないことを告げるザキ。
意味を理解しかねてメイリアーデの眉には皺が寄ったままだ。
なぜ自分が死ぬと彼らが困るのか。今まで一切関わったことのない自分がなぜ。
答えを知っているはずのザキは、しかしそれ以上明言を避け大きくため息をつく。
「ったく、どうして国っていうのはすぐに腐っていくんだろうな。人間は本当醜くてかなわない」
独り言のようにつぶやくその言葉は、メイリアーデにとってグッと胸に詰まる厳しいものだった。
メイリアーデが生まれ育っている龍国、父が治めるこの国を腐っていると言い切る防人。
人間を醜いと言いながら、彼はそんな人間達の頂点に位置する龍人のことも責めているように感じる。
実際、そうなのだろう。メイリアーデを真っすぐ見つめ視線を外さないザキから続いたのは、強い言葉だ。
「言っとくがお前らの責任だぞ。人間を統べるってことを甘く見すぎだ。綺麗事だけで成立するほど人間達は優しくねえ」
「それは……」
「お前ら龍人の怠慢が今回の事件を起こした。と言っても所詮はぬるま湯で生きてきた人間共の計画だから杜撰にも程があるがな。それでも恩恵に授かりながらここまでお前ら龍人を軽視するような状況を生み出したのは、お前達自身だ」
龍人相手にここまではっきりと言葉を残す者はいない。
それは龍人よりも身分の高い者などいなかったからだ。
しかし目の前の男は、龍人と同等かそれより上の存在。
初めて耳にする龍人への責めの言葉は、容赦がなかった。
「不信の種を蒔いたのはお前の父親で、強引な手段で表面化させたのが次男坊。抑止力になるはずの長男は綺麗事ばかりで役に立たねえ。三男は物は見えているがそれこそ傍観者だしな。おまけに鍵となるお前は甘ったれときた」
「なっ」
「良いか、立場なんていうのは上になればなるほど期待値も上がる。民衆なんていうのは自分達では出来もしないことを平然と上に求め、出来なきゃ勝手に失望して反旗を翻す勝手な連中だ。そんなのを上手く操り掌握できて初めて平穏は手に入んだよ。泥臭くねえとやってられねえ世界だ」
一切の遠慮なしに龍人を全員非難したザキに、メイリアーデはグッと唇をかむ。
反論したい気持ちと現状を見て反論できない気持ちとが混ざり合って言葉は出てこない。
自分の大事な家族をそのように言われて何も思わないはずがないが、だからといって怒ろうにも決してザキの言葉が間違いではないとも思ってしまうのだから悔しさだけが積まれていく。
メイリアーデにとって父も兄達も皆尊敬の対象だ。
必死に国を守り生きている姿を幾度も目にしてきた。
たとえ足りないところがあったとしても、そこまで言われるような人達ではないと断言できるほど。
それでもザキは敢えて言う。メイリアーデが不快になるような言葉を、躊躇いもせず。
「王族が、ましてや世界で最も高貴とされるお前らが中途半端なことを許されると思うな。お前らが是と言えば是、否と言えば否。そう言わしめるだけの存在感と覚悟を持て」
「……そうして国民達の言論の自由を奪っても、ですか?」
「身分によって国が成り立つ以上は、時にはそうだ。良いか、それが出来なきゃお前らを守ろうと動く忠臣が真っ先に犠牲になるんだ。お前らが受けるべき謗りを受け、剣を受ける。現に今、お前の大事な奴はどうなっていると思う」
「っ、それ、は」
「賢帝と崇められるか愚帝と憎まれるかは、その先だ。答えも志も無い奴はそもそも上に立つ資格など無い」
ザキの言葉は重く、メイリアーデにとって耳心地の良いものでもない。
しかし初めは苦くしか感じていなかったザキの言葉の中にどこか心を感じた。
これはメイリアーデ達龍人を貶すためのものではない、叱るためのものだ。
このままでは取り返しがつかなくなると、だから敢えて厳しい言葉を告げているのだと、そうともとれる。
勿論それはメイリアーデの自惚れかもしれない。
しかし実際メイリアーデは、ザキの言葉を暴言だとは思わなかった。
龍人を責めながら、彼の口から出てくるのは助言だ。
人間を醜いと言いながら、人間をきちんと統べることが出来ていないのは龍人の責任だときっぱり言う。
ザキにとって、おそらくはどちらも本音なのだろう。
そして確かに言葉は容赦ないが、彼が彼なりにこの国の現状を憂いているのもまた伝わった。
だからだろうか、メイリアーデはザキを真っすぐに見返して強く声をあげる。
「……私は確かにぬるま湯の中で育ってきた甘ったれです。けれど、それでもプライドはあるわ」
「ほう?」
「たとえ綺麗事と言われようとも、自分の信じるものは貫きます。貴方とやり方も考え方も違うかもしれない、それでもこの国を思う気持ちはちゃんとあるの。お父様や兄様達が苦しみながら守ろうとしたものを私も守りたい」
「ならば、お前はこれからどう動く?」
「とにかく今は全力でここを出ます。こんな場所にいたところで何も変わらないことは間違いないから」
「どうやって。外の警備は頑丈だったがな」
「どうにでもするわ。ここで私が諦めて挫けたら成るものもならないもの」
寝台からメイリアーデは起き上がる。
しばらくぶりに使った足は感覚を忘れかけていて、ぐらぐらと安定しない。
筋力も落ちているのだろう、立っていることがこれほど体力を使うこととは思わなかった。
しかし、それでも気合を入れて立ち続けるメイリアーデ。
グッと目を閉ざし表に出したのは、自分のもう一つの姿だ。
「私にはまだ一部の人しか知らないもう一つの姿がある。試す価値はあると思いますが」
「……本気で逃げられると思うのか、そんなんで」
「……無理、でしょうね。普通は」
ザキに言われるまでもない。
先ほど自分自身でも無謀だと判断したばかりだ。
あの時よりも体調は良くなったと言えど、走り回れるほど回復しているわけでもない。
しかし、ただこのまま助けが来るのを待ち続けることが果たして正しいことなのだろうか。
そう自分に問えばそれは違うと明確な答えが出てくるのだ。
今もまさにメイリアーデの大事な人達は傷ついているかもしれない。
メイリアーデをこうして閉じ込めたように、四方を囲って追い込んでいるかもしれない。
そう思えば、何もしないという選択肢はないのだ。
現実的に今すぐどうにかできる問題ではなかったとしても、諦めて待つというのは違う。
「本当にお前は甘ったれのガキだな」
ザキから呆れたような声があがったのは、どれほど経ってからだったか。
「一応聞いてやるが、ここで俺を頼るという選択肢はねえのかよ」
「……助けていただけるんですか?」
「素で聞くな。お前な、俺を信じるのか敵視するのかはっきり決めておけよさっさと。さっき中途半端は許されないって話したばかりだろうが」
「ですが貴方は本来この国の事情には関係のない方です。そもそも神の眷属と称されている防人様の手を煩わせるわけには」
「話聞いてたか? お前に死なれちゃ困るって言ってんだよ、関係大有りだ。利害が一致してんだから誰相手でも利用しろよ。お前の守りたいものは何だ、あ?」
「……ナサドと家族と、国」
「ったく、ぼんぼん育ちの甘ったれはこれだから」
ぶつぶつと文句を述べながら、心底呆れた様子で言葉を吐き続けるザキ。
メイリアーデの想像していた神の防人とザキは正直大きくかけ離れていた。
もっと崇高で清廉な性格をしているとばかり思っていたのだ。
しかしこの遠慮なくメイリアーデを叱りつけ呆れため息をつくザキの空気は、メイリアーデを不快にはしない。
遠い世界、メイリアーデになる前の自分が覚えているのだろうか。
どことなく懐かしく、温かな気持ちにすらなるのだ。
「……ま、何でお前に絆されたのか、何となく分かったがな」
「はい?」
「どうしようもない甘ったれで現実も見えてねえ上に綺麗事しか言わないむかつく奴だが、その根性は認めてやる。そこまで言うなら示してもらおうか、お前の意志を」
ザキはそう言って立ち上がる。
メイリアーデの目の前に立ち、どこから取り出したのかローブを差し出してきた。
着ろということなのだと察しそのローブを羽織ってボタンをとめる。
「神の力に触れたお前が何を考えどう答えを導くのか、俺達は見極めなければならない」
その言葉と共にザキはメイリアーデの腕を強く掴む。
あまりの強さに思わず顔を歪めるメイリアーデは、唐突なザキの言葉の意味をはかりかねてぐっと無言で見上げた。
返って来たのは射殺されるのではないかと思うほどに強い視線だ。
「ここからお前を出してやる。ただし、ひとつ条件を与える」
「条件、ですか……?」
「お前はその姿のまま、会いに行くんだ。お前が最も大事に思う従者の元へ」
「っそれ、は」
「人間時代の自分を取るのか龍人として生きる今の自分を取るのか。お前が出した答えによって結末は大きく変わる」
メイリアーデは目を見開き固まった。
はっきりと明確な言葉として告げられたわけではない。
しかしザキが何を言いたいのか、何をメイリアーデにやらせようとしているのか分かったのだ。
「貴方は、まさか、私のことを」
「一度でも疑問に感じたことはないか、どうして自分にだけ前世の記憶なんてものがあるのかと。転生を繰り返す俺達の存在を本当にお前は一度も気にしたことがないのか?」
「……っ」
「お前が今こうしてここにいることと、お前んとこの次男、従者。日本という異界の国で起きた出来事の全ては繋がっている。そこに神の介入があったのだと、そう言えばお前は納得するか」
唐突に告げられた核心をつく真実。
衝撃が強くメイリアーデからは上手く言葉が出てきてくれない。
ザキの方もメイリアーデの言葉を期待しているわけではないのだろう、頭が飽和状態のメイリアーデを置いて続ける。
「神族側にも責はある。元はといえばうちの馬鹿親がお前ら可愛さに力を使ったことで混乱したんだ。あいつらはずっと気にしていた、過ぎた力が及ぼす影響を嫌というほど知っているからな。だからお前らが最も納得のいく形に収まることを望んでいる。俺達はそれを叶えるために来た駒だ」
「ま、待ってください。貴方は一体何を」
「まあ、その脳みそにこれ以上詰め込んだって無意味そうだな。この話は後だ」
ザキの言うことの意味はほぼほぼ分からない。
ただどうしたって見過ごせないであろう言葉達に、メイリアーデは先を促したくなる。
どういうことなのか全て話してくれと詰め寄りたくなるのは自然だろう。
自分がずっと疑問に思い生きてきた謎を、きっとこの男は全て知っているのだ。
けれどそんなメイリアーデの歯止めになったのもまたザキだった。
「選べ。その姿を晒してでも従者に会いにいくか、ここで秘密を守ったまま助けを待つか。どちらに転ぼうがお前に死なれちゃ困ることに変わりはない。命は保障してやるよ」
話の軸を修正するかのように、はっきりとザキはメイリアーデに告げる。
強く腕は握られたまま、視線も鋭いまま。
試されているのかもしれないと、心のどこかでそう思う。
しかし色々と難しい話をした後にでもメイリアーデの脳内に浮かんできたのは、ただ一人の顔だった。
……こうでもされないと決意できない自分は、やはりザキの言う通り甘ったれなのだろう。
正直何故かはわからないが、ナサドにこの姿を見られることが怖いと思う。
津村芽衣とメイリアーデが同じ魂なのだと明かすのにはおそろしく勇気がいる。
想像しただけで手が震えるほどだ。
しかしそれでもメイリアーデにとって何が大事なのかを考えれば、そんな恐怖など小さく思える。
そのことにはっきりと気付いた。
「行きます、会いに。ずっと隠し通せることではないもの。それよりも早くナサドを助けたい」
「……ここで待機してもそのナサドとやらは助けてやると言ってもか?」
いささか意地悪なザキの問いにメイリアーデは苦笑する。
試されているかもしれないのではない。
実際、試されているのだ。
そう思えば清々しく思った。
久しぶりに浮かんだ笑みに頬はギシギシと音を鳴らしそうなほどで、どうにもメイリアーデの表情はぎこちない。
複雑な心情も全て混ざっているのだから当然だ。
しかしそんな自分を隠そうとは思わない。
今ここでザキに伝えるべきは、偽らざる自分の意志なのだから。
「それでも、私は行きます。今私がナサドを守れなければ、一体何のために私がここにいるのか分からない。私が望むのは、ナサドの笑顔を守れる自分よ」
「……そうか」
国のためではなくナサドのためにが第一の自分。
人の上に立つ資格があるかと問われれば、正直自信とてない。
しかし、そんなメイリアーデをザキは「甘ったれ」と怒ることはなかった。




