30.怒りと取引
「随分なお言葉ですな、姫様。このリンゼル、悲しゅうございます」
にたりと、そう言った表現が正しいのだろうか。
リンゼルの表情は笑顔なのにどこかほの暗い。異様と、そんな言葉が浮かんでくるほどに不気味だ。
しかし目がまともに機能していない今のメイリアーデにその表情は分からない。
ただただ歪な空気だけが肌をさす。
ドクドクと心臓の音は大きく、恐怖なのか緊張なのか分からないが体がはっきりと強張っていることを感じた。
「先にその随分なお言葉を述べたのは貴方の方よ。なぜこのようなことするの」
「これはまた驚きましたな。あれほどの龍毒草を体に入れてもなお正常とは。女性龍の強さは我々の想像をはるかに超える」
ぐらぐらと世界が揺れている。
視界はやはりぼやけてリンゼルの位置すらぼんやりとしか分からない。
どこか普通ではない声色に恐怖で手足が震える。
本調子ではない体に毅然として立ち向かえない弱虫な自分。
歯がゆさにグッと強く歯を噛み締める。
それでも震えも怯えも表には決して出さぬよう、メイリアーデは顔を上げたままリンゼルがいるであろう場を睨みつけた。
下らないかもしれないが、メイリアーデの王女としてのプライドだ。
「質問に答えなさい。貴方、一体何をしたいの」
「何をとは、これはまた。私は常日頃より龍国のためを思い心血を注いでおります」
「ナサドに罪を被せルイを洗脳し、私に薬を嗅がせることが龍国の為? そのようなことを認められると本当に思っているの」
「なんとルイのことまで察しておいでか。どうやら私の想像を越え、貴女様は聡明な姫君でいらっしゃるようだ。龍の下僕としてこれほど嬉しいことはございませんぞ」
「ふざけないで」
話せば話すほど、リンゼルの異様さは際立った。
ナサドに罪をかぶせたこと。
ルイを薬で洗脳していること。
そしてメイリアーデを寝台に縛り付けていること。
リンゼルは何一つとして否定しない。それどころか追及するメイリアーデを聡明だと褒めさえする。
ここまで相手の意図が伝わらない経験などメイリアーデは初めてだった。
一体リンゼルが何を考えているのか分からない。
不気味さだけが場を支配する。
「ふざけてなどおりません。龍国をあるべき姿に戻すには多少の犠牲は付き物にございますれば」
「……その犠牲を私達に支払えと?」
「何を仰います、貴女様は気高く慈悲深き我らが姫君。これは貴女様をお守りするためでもあるのですよ」
「このようなことをしておいて何をっ」
「こうでもしなければ、姫は気付かれない。この国の平穏を壊す者達の悪意に」
「平穏を壊す者?」
「長きに渡り守られし龍国の歴史はこの百年で大きく崩れています。才の龍などという忌まわしき力に国は惑わされている」
リンゼルの声が暗さを増す。
メイリアーデの言葉を全て無視し持論を述べる彼は、そうして最後にやっと憎悪の対象となるであろう特定の人物を口にした。
才の龍。それはメイリアーデの次兄イェランをさす言葉。
「この国を、次代を背負うのは長兄たるオルフェル殿下だけだ。しかし才の龍が現れたことにより長く続いた伝統は揺らいでいる。ただ、稀有な力を有しているというだけで。国を乱し、あまつさえ一度国を捨てたあの男が何故未だにのうのうと玉座の近くにいるのだ」
独り言のようにリンゼルは吐き捨てた。
メイリアーデがここにいることを覚えているのだろうか。
そう思える程に明け透けな言葉達。
思わずメイリアーデが絶句する。
兄達の継承争いは解決しているはずだ。
オルフェルもイェランも傷を抱えながら、それでも次代に国を繋げるため尽力している。
2人とも苦しみもがきながら、それでも国を想って生きてきたのだとメイリアーデは知ったのだ。
なのに、伝わっていない。
オルフェルの葛藤も、イェランの思いも、ナサドの願いすら。
「姫、貴女様には分からぬことかもしれません。が、貴女様が最も敬い愛するべきはオルフェル殿下なのです。どうにも貴女様は、力に引き寄せられ国の本来の姿を見失っているように感じられて私は案じているのですよ」
「……イェラン兄様を悪く言わないで。もしかしてナサドに罪を被せようとしているのも」
「ああ、リガルドの元嫡子ですか。分を弁え大人しく落ちぶれていれば良かったものを、傲慢に欲をかくからこのようなことになる」
あまりの言い様にカッとメイリアーデの顔が熱くなった。
龍王家として冷静に考えなければいけないことなのかもしれない。
いくら家族内で継承争いが解決しているとはいえ従者達に伝わっていないのならば意味がない。
そのための努力をもしかしたら自分達は怠ってしまったのかもしれない。
しかしそう思う気持ちをはるかに上回る怒りがメイリアーデを支配する。
どうして、ここまで言われなければいけないのだ。
兄達が継承争いで苦しんでいた時、メイリアーデはまだ生まれていない。
自分に何かを言う資格はないのかもしれないが、それでもメイリアーデは分かったのだ。
オルフェルもイェランもナサドだって何も考えず今を迎えたわけではないと。
ちゃんと目を開き耳を傾ければ、彼らが国を壊そうなどとしていないことは分かるのに。
「オルフェル殿下は心優しき王子ですが、優しすぎるのです。オルフェル殿下をお守りするには筆頭貴族たる我らが動かねば。ここで才の龍の元従者を落とし姫がルイを選べばスワルゼ家が堂々と龍王家をお守りできましょう。オルフェル殿下の地位も安定します。聡明な姫ならばご理解いただけるかと存じますが」
もっともらしいことを言ってリンゼルは正統性を訴える。
イェランによって歪められた龍国をあるべき姿に戻すのだと。
しかしもうメイリアーデはそれ以上リンゼルの言葉を聞きたくはなかった。
我慢ならなかったのだ、これ以上の暴言は。
「なぜ信じられないの、オル兄様を」
「何を仰います、私はオルフェル殿下を」
「信じていないわ。オル兄様は、事実を歪め強引に事を進めなければ玉座に座れないようなそんな人ではないもの。このようなことせずともオル兄様は龍王に相応しい方よ!」
そう、結局のところリンゼルは誰も信じていないのだ。
オルフェルを王に相応しいと言いながら、オルフェルが最も悲しむであろうことをやってのけている。
何故気付かないのだろうか、オルフェルはこのようなことなど望んでいないと。
このようなことをせずともオルフェルを認め敬う者がどれほど多いか分からないのだろうか。
「姫のように聡明な者ばかりではございません。力に惑わされ愚かな願いを抱く者は未だ多い、地位は盤石であればそれに越したことはないのですよ」
「そのためにオル兄様もラン兄様も不用意に傷つけて良い理由にはならないわ。ましてや罪なき者に被せて良いものでもない」
「姫……まだお分かりになっていらっしゃらないようだ。あの男は、ナサドはすでに罪人なのです。今まで姫の専属であったことがそもそも厚かましく大変傲慢なことだ。姫に相応しい者ではございません。国のため、姫のため、ルイは貴女様に最適です」
「違う。貴方は国の為になど動いていない。自分の為よ、自分がそうであって欲しいからそれを私達に押し付けている。傲慢なのは貴方の方よ」
先ほどまであれだけ体を支配していた恐怖はすっかり消えとんでいた。
怒りが、やるせなさが、メイリアーデの中に渦巻いている。
事実はどうあれ、リンゼルのように考えてしまう人間もおそらくは一定数いるのだろう。
メイリアーデを襲いナサドに罪を被せ、そうしてオルフェルの地位を上げようとそんな滅茶苦茶な計画に乗る人間が少なからずいたのだから。
襲撃を受けた時のことはほとんど覚えていない。しかし実際にメイリアーデの誘拐は成功し、いまだ龍王家に見つかっていない。少なくともそうできるだけ今回の計画は大規模で関わった人数も多いはずだ。
それは龍王家が王家として人々の信頼を得られなかった結果なのかもしれない。
国が揺らいでいるとするならば、龍人達にはその責任が間違いなくあるのだろう。
国を治めるということは、人々の上に立つということはそういうことだ。
そこに種族間の身分など関係ない。
しかし、そうだったとしても許容できない。
大事なものをこうも踏みにじられて黙っていられるほど、メイリアーデは大人ではないのだ。
事実と違うのだと分かっているからなおさら。
「リンゼル。今すぐに私を解放しなさい、そしてナサドの無実を証言するの。貴方のやり方は何の解決にもならない。龍国を歪めるだけよ」
「……お労しい。貴女様まで才の龍に毒されておいでか」
しかし、リンゼルが自分の主張を曲げることはなかった。
「姫、ならば取引と致しましょうか」
あまつさえそのようなことを言う。
怪訝そうに眉を寄せるメイリアーデ。
リンゼルは笑い声をあげながら、言葉を続ける。
「貴女様が慈悲深い姫であることは重々承知致しました。なれば専属の名誉はお守り致しましょう」
「何を」
「簡単な事です。姫には証言していただければ良いだけのこと、貴女様をお助けしお守りした者の名にルイを。そしてルイを貴女様の番にお選びいただきましたら、あの者を名誉の死とし秘密裏に国外へと逃しましょう」
リンゼルの言葉にメイリアーデは絶句する。
一体この男はどこまで龍王家とナサドを侮辱するつもりなのか。
いや、侮辱するつもりなど本人にはないのかもしれない。
狂っているのだ、何もかも。
メイリアーデが震えあがるほどに。
これほどリンゼルを歪ませたものは何なのだろうか。
しかしそれ以上に、初めてナサドの安否に関わる情報が流れた。
思わずメイリアーデは口を開く。
「貴方、ナサドの安否を知っているの!? ナサドはどこ、無事なの!?」
今件の首謀者だろうリンゼルに言ったところで意味のない問い。
意味のないどころか、メイリアーデにとっての弱点なのだと晒しているようなものだ。
しかし耐えられなかった。
ナサドの無事が今のメイリアーデにとって一番の優先順位なのだ。
自分の安全よりも、ナサドの方が大事だとすら思っている。
「姫、取引にございます。あの者の命、我が手のひらにあるものをお考え下さい。ご英断を」
グッとメイリアーデの言葉が詰まる。
ナサドの身柄はリンゼルの手元にある。
そう理解した途端、メイリアーデの中に沸き上がるのは恐怖だ。
ナサドを失うかもしれない。
そう思うといてもたってもいられない程だ。
龍の本能。長兄に教えてもらった、龍としての感情。
その中で、リンゼルは「姫」とメイリアーデに先を促す。
ただの脅しだろうか?
そうではなかったら?
そんな思いがメイリアーデの手足を震わせる。
“メイリアーデ様”
ナサドの声が頭をよぎって泣きそうになった。
龍の本能は強く、どうあがいたってメイリアーデはナサドを切り捨てることなどできない。
王女としての矜持と、兄達の想いと、ナサドの命と、心。
様々なものがぐるぐると回り、混乱する。
しかし最後にメイリアーデを留めたのは、ナサドに対する想いだった。
「……少し、時間をちょうだい」
「出来ますれば早くお願いしたいものですが、まあ良いでしょう。姫、どうぞこの香を」
「これ、は」
「姫はまだお休みいただいた方がよろしいご様子。また目覚めます頃、参りましょう。その際は色よいお返事をお待ちしております」
差し出された甘い香。
メイリアーデの体の自由を奪った、毒。
逃げるなとのリンゼルの脅しに、抗う方が良いのだろうか。
そう思ったのは一瞬だ。
ナサドの命が握られている以上、下手に刺激して良いものではない。
大人しく嗅げば、たちまちぐらぐらと意識が混濁していく。
傾いでいく体を感じながら、メイリアーデは決意した。
何があろうともナサドのことは必ず守ると。




