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龍の約束  作者: 雪見桜
本編
28/74

27.事件


メイリアーデ初めての単独公務は、予定を違えることなくやって来た。

いつも家族の後を付いていく時と同様に、メイリアーデ付きの護衛は百名ほど、侍女も数名付けられる。

ナサドはメイリアーデ付きの従者達を取りまとめながら、メイリアーデの数歩後ろに控えていた。

道中多くの住民達が押し寄せるため、異様に広い馬車の窓は締め切って視界を遮られたままだ。

王宮の外へ出るにも毎回このような大事なので、その度改めてメイリアーデは自分の身分というものを自覚する。


そして心配性の家族に見送られながら公務先の校舎へとたどり着けば、生徒も教師も一様に揃い深々と頭を下げる。ほどなくして案内された控室は学校とはとても思えない調度品に溢れ、照明も心なしか多めに付けられている。今回の担当者だという中年の女性は終始緊張した様子で時折声を裏返させながら必死に世話を焼いてくれた。


「なんだか申し訳ない気もしてくるわ……」


「メイリアーデ様」


「あ、ごめんなさい声に出ていた?」


思わず呟いてしまった言葉はすぐにナサドによって制され、メイリアーデは気を引き締める。

龍人として、一人前になるための第一歩。

今までと違い成果も評価も全て自分に跳ね返ってくる。

フォローしてくれる兄や父は、ここにはいない。

そんなメイリアーデに小さく笑いスッとティーカップを差し出してくれたのは、メイリアーデにいつも仕えてくれている侍女の1人だった。



「どうぞこちらお召し上がり下さい、メイリアーデ様。気が安らぎますよ」


「ありがとう。うん、今日も美味しい」


「勿体ないお言葉です、嬉しゅうございます」


にこりと微笑む侍女につられて笑顔を見せたメイリアーデは、カップに視線を落とし香りを楽しむ。

その際カップの縁に飾られた黄色の花が目に入った。前世ではタンポポと呼ばれていた花によく似ている。

記憶にあるタンポポよりは全体的に少し小ぶりで、花びらは少し大きく、色はやや淡い。

おそらくこれはスワルゼ家から献上されたお茶だろう。すぐに気付いて苦笑するメイリアーデ。

相変わらずメイリアーデ好みの味だ。

ついつい飲みすぎてしまいそうになるのを抑える。

やんわりのぼる湯気に、ふわりと香る茶と花。優しく甘いそれに、メイリアーデの気がほぐれていくのが分かる。

うっかりほぐれすぎてフワフワと頭がぼんやりするほどだ。


「メイリアーデ様、……メイリアーデ様?」


「え、あ、ご、ごめんなさい! 何かな?」


「そろそろご準備をされた方がよろしいかと存じますが」


「あ、本当。教えてくれてありがとう、ナサド」


「……」


メイリアーデのわずかな異変にこの時気付いたのはナサドだった。

いつもよりわずかに鈍い反応に顔をしかめメイリアーデが口にしたティーカップを凝視しているが、気付く者はいない。

衣装を直したり読み聞かせるエナ姫の内容を確認したり最後の打ち合わせをしたりと慌ただしく時間が過ぎていたためだ。

そうしてその時はやってきた。


「こんにちは。今日は皆さんにとあるお姫様のお話を聞いてもらいたくてここまで来ました。私達龍人の遠いご先祖様で、この龍国を作り上げた強く優しいお姫様のお話です」


そんな語り口から始まる読み聞かせ。

龍国ではあまりに有名な話。何の話を読み聞かせるかまでは知らなかった保護者達はただ一言メイリアーデが説明しただけでその中身を理解しざわめく。

存在自体が希少な女性龍から語られる初代龍女王、エナ。メイリアーデ初の単独公務ということもあり、それは一層心に響いたらしい。中には感極まって泣いてしまう人もいるほどだ。

……どうか子供達がこの国を少しでも好きになってくれますように。

メイリアーデはそんなことを思いながら、静かに息を吸い込んだ。


「昔むかし、まだ龍と人とが別れていた時代。あるところに――」


子供達に語りかけるよう、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

どこからどこまで真実でどこからどこまでが作り話なのか分からない、けれど愛と優しさを希望に満ちた龍国の建国物語。

真剣な様子で、目をキラキラと輝かせこちらを向いてくれる子供達はどこまでも純粋だ。

笑い返しながらメイリアーデは必死に覚えてきた内容を、身振り手振りを混ぜながら伝えた。



「――……めでたし、めでたし」


時間は、メイリアーデが驚くほどあっという間に過ぎ去る。

物語の世界に入り込み、エナ姫たちが駆け抜けた時代を追いかければ細かな記憶すら飛んでいくのだ。最後の一言までの間メイリアーデは自分がどのように読み聞かせていたのかまるで記憶がない。

しかし評価は上々だろうと思う。会場内に響き渡る拍手は大きく人々の表情は明るい。何より子供達が満面の笑顔を見せ隣同士エナ姫の話で盛り上がっているのがメイリアーデには嬉しい。龍国や龍人について興味と好意を持ってもらえたら、今回の公務でメイリアーデが密かに思っていたのはそんなことだったから。



「お疲れ様にございました、メイリアーデ様。大変素晴らしい読み聞かせでございました」


「ありがとう、ナサド」


大役を無事終え、控室へと戻ってきたメイリアーデ。

扉が閉まると同時にナサドに声をかけられ、メイリアーデは笑顔で礼を言う。

そうして顔をナサドに向けた時、ふとその顔色がやや青白くなっていることに気付いた。



「ナサド、もしかしてまだ本調子ではない?」


「は……いえ、そのような。ご心配いただきましてありがとうございます。私はいつも通りにございます」


「そう? ならば良いのだけど」


思わず心配になって訊ねてもナサドは相変わらず表情一つ変えずに淡々としている。

メイリアーデの気のせいだろうか? いつもと違う照明のせい? そんなことを考えながらジッとメイリアーデはナサドを見つめる。


「メイリアーデ様、迎えが来るまでもう少々ございます。よろしければこちらお召し上がりになってお待ちください」


ナサドの様子がどうにも気になる。

しかし問おうとしたタイミングで侍女達がメイリアーデを癒そうとお茶の準備をしてくれたためそちらに意識が持っていかれた。

「ありがとう」と侍女達に一言かければ、嬉しそうにほほ笑み焼き菓子を差し出してくれる。

淹れたてのお茶を口に含めば、すっきり爽やかな香りが鼻から抜けていく。

先ほど出されたお茶とはまた別のもののようだ。


「美味しいわ。さっきのお茶も良いけれど、こちらも良いね」


「ありがとうございます、こちらはリガルド家のロンガ様よりご献上の品にございます」


なるほどと、メイリアーデは相槌を打つ。

確かにこのすっきりした感じはリガルド家らしいなと妙に納得してしまったのだ。

茶葉の違いにまでそれぞれの家の特徴が表れるのは何だか面白い。

そう思いながらメイリアーデはナサドを見上げる。

やはり彼の顔は青白く感じられた。


「ナサド、本当に大丈夫なの? 無理はしないでね、私とても心配よ」


侍女達が下がった後、部屋に2人きりになったタイミングでメイリアーデはそう告げる。

2人きりと言えど部屋の扉は空いているし、すぐ声の届く場所に衛兵達もいる。

だからナサドは意地でも弱音を言わないだろうとメイリアーデは分かっていた。しかしそれでもなお言わずにはいられないほどナサドの様子はおかしい。

ナサドはそんなメイリアーデの心情を正しく察したのだろう、苦笑して小さく頷くと「ありがとうございます」と口にして綺麗に頭を下げた。そうして顔を上げると、今度は何やら思い悩むように視線を彷徨わせる。

やはりナサドの様子はいつもと違っていて、そしてどことなく緊迫しているように思う。

怪訝な顔をしたメイリアーデは、「ナサド?」と再び声をかけた。ハッと弾かれたようにメイリアーデを見つめるナサドはやがて小さく観念したように声を上げる。



「……メイリアーデ様、どうか本日は私の傍より離れないで下さいますか」


「え?」


「嫌な予感が致します」


ナサドも言うべきかまだ判断に迷った中での言葉だったのだろう。

揺れに揺れた小さなかすれ声は、なおのことメイリアーデの眉に皺を生む。

ナサドのこの緊張した様子は、メイリアーデにとってあまり見慣れない姿だった。視線をあちこちに向け、何かを警戒しているようにも見える。青い顔をしながらメイリアーデにそんなことまで言う状況はすでに普通じゃない。


「ナサド。もしかして貴方の体調不良にそれは関連しているの?」


前後の会話内容からメイリアーデにはそうとしか思えなかった。

身体が丈夫でめったに風邪すら引かないナサド。しかし先日体調を崩してから、こうしてどこか体調に異常をきたす機会が増えている気がする。

ナサド自身はそのような素振りを見せはしないが、何年もナサドを見続けてきたメイリアーデにはすぐ分かるのだ。

もし……もし、ナサドの身に何か危険が迫っているのだとしたら。

そして、それがメイリアーデにも関わることなのだとしたら。

そう思えばメイリアーデの顔が強張るのもまた自然な話だ。

しかしナサドは、そんなメイリアーデを安心させるように首を横に振ってその場に跪く。

メイリアーデの目の前で膝を付き見上げてきたナサドのその表情は穏やかそのものだ。



「メイリアーデ様にご心配いただくようなことは何もございません。大丈夫ですよ」


「でも」


「メイリアーデ様のことは、命に代えてでも私がお守り致します。これでも私は武門の出、ご心配には及びません」


「……命に代えられると私が困るわ。私は、ナサドが死んでしまうのは嫌よ絶対」


「……ありがたき幸せ。尽力致します」


儚げな笑みを見せるナサドが怖くなって、メイリアーデは座り込みナサドの手を握る。

その指先は冷たく、彼が何かを警戒し緊張しているのだとすぐ分かった。

それでも彼の笑顔は変わらない。昔の、鉄壁だった無表情から今の優しい笑みを引き出すまでにだって多くの時間を費やしたが、そこからさらにナサドの素を引き出すには壁があるらしい。

ナサドを本当の意味で守れるようになるにはどれほどかかるのだろうか。いつになれば、彼にこのような顔をさせずに済む自分になれる?

メイリアーデは奥歯を噛んで、くやしさを紛らわした。


裏で何かが起こっている。

少なからずナサドの言動からそれははっきりとした。

そしてそこに自分の危険も関わっているのだと分かれば、いつまでも呆けているわけにはいかない。

自分が下手を打てば、従者達にも危険がいく。メイリアーデは直感的にそのことを悟っていた。



「メイリアーデ様、迎えの準備が整いました。馬車の方へとご案内致します」


「ええ、ありがとう」


メイリアーデにとって初めての単独公務。

学校の皆に盛大に見送られながら、メイリアーデはその場を後にする。

広々とした馬車、取り囲む多くの従者達、そしてメイリアーデのすぐ後ろに仕えるナサド。

別段変な様子は無く、予定通りメイリアーデを乗せた馬車は歩き出す。


しかしナサドの懸念通り事が起こったのは王宮までの道のりのちょうど中間地点でのことだった。

王都から王宮へ向かう途中、ほんの僅かだが人気の少ない道がある。

一般街と貴族街、そして王宮を隔てるわずかな林だ。

林と言えど王都だけあり道は整備され、警備も行き届いているはずのその場所で騒ぎ声がメイリアーデの耳に届いたのは突然だった。

先ほどのナサドとのやり取りもあって、体を強張らせ耳をそばだてるメイリアーデ。



「メイリアーデ様!」


荒い音と共にナサドの声が聞こえたのはすぐ後だ。

「ナサド!」と咄嗟に声を上げたメイリアーデは、ナサドの表情が先ほどよりもさらに青白く汗が全身から吹き出ていることに気付く。


「ナサド、大丈夫なの!? 顔色がっ」


「ご心配には及びません。それよりも、ここは危険です。安全なところへとご案内致します」


「けれど」


「メイリアーデ様!」


「っ」


声を荒げ強い口調でメイリアーデに迫るナサドを見るのは初めてのことだった。

これはただ事ではない。そうすぐに理解するメイリアーデ。

ナサドの気迫に押されるように差し出された手に手を重ねたその時、メイリアーデの視界に何かが映る。

高速で動くそれが人の影だと気付くのに時間がかかったのは、それだけメイリアーデが混乱していた証だろう。



「ナサド!!」


勝手に体が動いてくれたのは、幸運だった。

力の限り繋がれた手を引っ張り、ナサドを抱え込む。

驚いた様子のナサドは、しかしそれで背後の気配を察知したのだろう。すぐさま体勢を反転させ、振り上げられた武器ごと襲ってきた男を殴り飛ばした。


「グッ!!」


「失せろ。この方に触れるな」


激しい音と低い呻き声。

見たこともないほどに冷たい表情を浮かべたナサドは、底冷えするような声色で男に吐き捨てる。

武門一家リガルド家の元嫡男。ナサドの一面をメイリアーデは初めて強く意識する。

外見からはとても想像つかないが、ナサドは大の男1人くらい素手で難なく相手できるほど強いのだ。

その事実にメイリアーデは驚いた。

が、そのようなことを考えている余裕すら、メイリアーデには無くなる。



「チッ」


ナサドらしからぬ舌打ちが聞こえたのが最初だった。

どうしたのかと既に混乱しかけの脳内を叱咤しながらナサドを向いたメイリアーデは、すぐにその表情を険しいものへと変える。

ナサドの額から落ちる汗の量が尋常ではなかったのだ。その体に何か異常が起きていると一目で分かるほどに青白く汗にまみれた姿。


「ナサド!」


「メイリ、アーデ様……お逃げ、下さい。ここは、危険だ……っ」


「ナサド? ナサド! しっかりして!!」


咄嗟に握ったナサドの手から力が抜けていくのはあっと言う間だった。

意識が朦朧としていて、焦点もあっていない。

……毒だ。メイリアーデはやっとここで、ナサドの異常の原因を察知する。

いったいどこで、どうやって? そう考えを巡らせナサドの今の言動を省みて、もしかするとこの場でまさに毒素のある何かが撒かれているのかもしれないと推察する。


とにかくこの場から離れなければ……っ!

頭は完全パニック状態だったが、メイリアーデはナサドを抱え込み必死に馬車から脱出しようと試みた。

……が、メイリアーデ自身気付いていなかったのだ。

興奮状態に陥り、自分の体にも異常が現れていたことを。


「あ、れ……?」


足に力が入らない。

目の前がうっすらと白くもやがかって見える。

自分で上げた声が、フィルター越しのようにどこか遠くに聞こえる。


……おかしい、龍人は人間の何倍も強い。

いくら龍の姿になれないとは言え、その体の丈夫さは人間とは比べ物にならないほどだ。

毒などと言う概念は、龍人には存在しないはず。

毒草と呼ばれているものは何一つ、龍人には効かない。それは実証済みのはずだったのだ。

それなのに、明らかに毒だと分かるこの症状は一体何だ。

意識が遠のいていく。苦しさはないが、起きているのもひどく億劫だ。

手の感覚が、ナサドを抱えているはずの腕の感覚が分からなくなっていく。



「だ、め……」


それが、メイリアーデが意識を失う前発した最後の言葉だった。

















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