20.リガルド家
リガルド家。
ナサドや王妃の生家であり、龍国の三大貴族のひとつ。
主に龍国内の防衛に大きく関わり、龍人の警護はもちろん貴族街から平民街に至るまで治安を守る中枢として広く知られている。
大きな武力を保持するリガルド家はその武力が私利私欲により悪用されぬよう律する役割も担っていた。
必然的に家内には厳しい規律が存在すると有名だ。
それを象徴するかのように、現当主のイグニルは厳格な人物との評を受けている。
事前に理解していたことではあったが、いざ目の前にイグニルを認めるとその凄まじい威圧感に思わず足を止めてしまう。
「す、すごく……立派な人、ですね、ラン兄様」
「……腰が引けてるぞ、しっかりしろ」
「は、はい……」
すぐ近くで呆れたようにメイリアーデを見つめるのは、本日の公務の主役であるイェランだ。
オルフェルがスワルゼ家と比較的仲が良いように、イェランはリガルド家との相性が良いらしい。
今回は来年の龍誕祭に向けた警護についての話し合いで、主に祭事の警護を任されることの多いイェランがここまで来ていた。
メイリアーデは例のごとく社会勉強で付いてきた、いわゆるおまけだ。
「イェラン殿下、メイリアーデ姫。お待ちしておりました」
イグニルは表情ひとつ変えずきびきびとした動きで礼をする。
何とも軍人といった雰囲気全開で、メイリアーデの背筋もしゃきんと伸びた。
「お久しぶりにございます、メイリアーデ姫様。ようこそおいで下さいました」
「ロンガ! 久しぶりね、元気だった?」
「はい、こちらは変わりなく。姫様もお変わりなくお元気なご様子で何よりでございます」
「ありがとう」
ぴんと張った空気の中、メイリアーデの緊張を和らげたのはロンガの存在だ。
ナサドの実弟で、社交界デビューの際最も多く濃い会話を交わした男性。
イグニルに比べ随分柔らかい印象のロンガは、知った顔なこともあってメイリアーデを安心させる。
思わずパッと笑顔を見せたメイリアーデにロンガは何故だか苦笑し、イェランとイグニルはじっとメイリアーデを見つめたまま表情を変えない。
妙な沈黙は数分にも及んだ。
何かおかしなことをしてしまったのだろうかと内心不安を抱えるメイリアーデ。
会話の全く途切れなかったスワルゼ家と比べ、ここの人達は皆口数が少なくて沈黙が長い。
「早速ではございますが、部屋へご案内致しましょう。どうぞ、こちらへ」
結局フォローも何もないままに、イグニルがそう告げてきた。
話少なく本題に入るあたりも軍人らしい気がメイリアーデにはする。
イェランが頷くのと同時に、屋敷の中へと招き入れられた。
リガルド家の中は、予想に違わず無駄なものが一切取り払われた空間である。
色で言うなら灰色一色、形でいうなら直線的、そして言葉で表すなら荘厳だ。
もちろん貴族家らしく花が飾られていたり窓からの光が差し込んで明るかったりもするのだが、それらの陽の要素も最低限といった雰囲気。
同じ三大貴族家でも様々なのだと、そんなことをメイリアーデは思った。
案内された部屋はそんなリガルド家内でもかなり陽の光が多く入り明るい部屋だ。
全く言葉には出されないが、これはイグニルなりの配慮なのかもしれない。
入口や廊下に比べ鮮やかな色の花が多く飾られているのを見て、そう感じた。
「ご多忙な殿下にお時間を取らせるわけには参りません。殿下さえよろしければ早速本題に入りたく思いますが、いかがでしょうか」
「構わん」
「ありがとうございます。メイリアーデ姫もよろしゅうございますか」
「え? ええ、勿論。というより、私も参加して良いのかしら」
「勿論にございます。せっかくお越しいただいたからには、是非話だけでもお聞き下さい。今後何らかのお役には立ちましょう」
真っすぐこちらを射抜くように見つめるイグニル。
大事な会議にメイリアーデも参加して良いとの言葉に、目を丸くした。
年若い女性に聞かせるような話ではないと言われ続け、そういった場に居合わせることなどほとんどなかったからだ。
どうやらイグニルは、そういった考えではないらしい。
何事も経験、そう言われているように思った。
そしてそれはメイリアーデもまた望むところ。
だから「ありがとう、よろしくお願いします」と声を上げれば、ほんの少し、気持ち程度ではあったがイグニルの目が和らいだ気がした。
「……これより先は龍王家とリガルド家のみの重要事項。従者殿は外で待機願いたい」
そうして次の瞬間、イグニルは表情を元の険しいものに戻しそう告げる。
ナサドと、イェランの専属従者ギークへ向けたものだ。
2人はイグニルの言葉を受けて揃って「は」と声をあげ、深々頭を下げた。
……イグニルとナサドは実の親子で、顔もどことなく似ている。
それでも、もうナサドはリガルド家とは認められていない。
親子らしい会話もやり取りも一切ない無機質な会話だ。
ちらりとナサドを見つめれば、ナサドはメイリアーデの視線を受けて真っすぐに見返してくる。
それだけでナサドが何を言いたいのか分かってしまい、メイリアーデはただただ頷いてナサドを見送った。
その光景を、全員が見つめていたことに気付かずに。
「……何も仰られないのですか、姫様」
耐えきれず声を上げたのはロンガだ。
傍でイグニルが「ロンガ」とたしなめる様な声を上げるのはそのすぐ後のこと。
我に返り「申し訳ございません」と頭を下げるロンガからは、やはりナサドに対する情が感じられた。
彼にメイリアーデを責めるつもりはないのだろう。
それでも、複雑な表情を見せながらもこの光景を受け入れるメイリアーデに何も言わずにはいられなかったらしい。
そしてメイリアーデはそんなロンガの心も何となくではあったが察することができたため、ゆるく苦笑しながら首を振る。
「ナサドと貴方達の問題に私が口を挟むべきではないわ。ナサドもこの状況を受け入れている以上、私が何かを言うものではないと思う」
「あにう……ナサド殿が、姫様にそう言ったのですか」
「私が聞いたら似たようなことを答えてくれた。だから、私から貴方達の関係を聞くことはこの先も無いよ。ナサドや貴方達が望まない限りは」
メイリアーデの言葉に驚いた様子を見せたのはロンガだけではなかった。
イェランもまたなぜかは分からないが目を見開きメイリアーデを見つめている。
イグニルだけが全く変わらない表情でその場にいた。
「……ご無礼を承知の上で姫にご忠告申し上げます。あれは罪人、情をかける価値などありませぬ」
淡々と、何の温度もない声でイグニルは言う。
実の息子に対する言葉とはとても思えない酷な言葉だ。
頑なにナサドを否定し表情ひとつ変えないイグニル。
イェランが苦虫を潰したような顔でその姿を見つめているあたり、イグニルはずっと一貫してナサドを罪人として扱っているのだろう。
イグニルをそこまで強固にさせるのはナサドに対する嫌悪からなのかリガルド家当主としての矜持からなのか、メイリアーデには判断が付かない。
それでもメイリアーデはまっすぐイグニルを見つめ返した。
「ありがとう。けれど、どうか私から知ろうと思う機会を奪わないで欲しい。人も物も出来事も、自分の目で見極め判断できる器が私には必要よ。だから、どんな過去でも蓋で閉じることはしないでいたいの」
ナサドの置かれた立場はやはり厳しい。
そう感じながらも、メイリアーデは必死に言葉を探してそう伝える。
守ると言える程の力などメイリアーデにはまだない。
それでもこうして思いを伝えることは出来るはずだ。
たとえ返って来る言葉が厳しいものであったとしても、それを恐れていては始まらない。
それはつい最近やっと学んだことだった。
「……左様でございますか。差し出がましいことを申しました、誠に申し訳ございません」
深々と頭を下げ謝罪するイグニルの表情は読めない。
何かまだ言いたいのか時折眉が動いている。
しかし、それでもメイリアーデは「ありがとう」ともう一度礼を告げてにこりと笑った。
「貴方達のことも、どうか教えてね。私、一生懸命勉強するから」
この話題はここまでと伝えるようにわざと明るく声を上げて、イグニルとロンガを見つめる。
実際メイリアーデもこれ以上空気を重くしたくはなかった。
ナサドを取り巻く問題から逃げるつもりはないが、必要以上に事を大きくする気も今はないのだ。
メイリアーデにはまだまだ知らなければならないことが山ほどある。
王族としても、女龍としても、主人としても。
そのために、少しでも貴族達と円滑な関係を繋げていかなければならない。
内心でどれほど気にかかっていようと、それを悟らせない。
自分の役割は、笑顔で人を和ませること。
それは今のメイリアーデができる精一杯の武装だから。
目をそらさずメイリアーデはその場にいる全員を見渡した。
「まずは今日の話し合い、しっかり勉強させてください。よろしくお願いします」
ペコリと軽く頭を下げてメイリアーデは笑う。
負の感情を決して引きずらないように。
17歳のメイリアーデに対して、相手はロンガ以外100歳越え。
おそらくメイリアーデの心情など見抜かれているだろうし、まともに張り合えるわけもないだろう。
それでも努力だけは怠ってはいけないはずだ。
そう自分を信じてメイリアーデはイグニル達を見つめ続けた。
「……仕事するか。イグニル、報告を」
「……は。かしこまりました、殿下。姫、どうぞこちらに」
「ええ、ありがとう」
「何か分からない事がありましたら私に仰って下さい。出来る範囲でご説明いたしますゆえ」
「ロンガもありがとう」
メイリアーデの見え見えの努力が効き目のあるものになっているかは分からない。
しかし、イェランの言葉を合図に本題の話し合いが始まる。
イグニルもロンガも殊更丁寧に説明をしながら、話を進めてくれた。
「……メイリアーデ」
「ラン兄様?」
公務が終わり、龍王宮へと戻ってきたメイリアーデにイェランは声をかける。
振り返れば、イェランは黙ったまま顎をくいっと動かしイェランの部屋へとメイリアーデを呼んだ。
首を傾げながらもそれに従うメイリアーデは、何故だかその後に専属従者達が付いてこないことに気が付かない。
2人きりだと気付いたのは、部屋に入りイェランが戸を閉めた瞬間辺りに妙な膜が張られた直後だった。
透明だが七色にも見えるシャボン玉のような膜だ。
「これ……」
「遮音膜だ。ここでの会話はどれほど大声を出そうと、一切膜外に漏れない」
「遮音、膜」
「才の龍が持つ能力の一つだ。才の龍が何か、お前はもう知っているな」
メイリアーデはゆっくり首を縦に振る。
才の龍。何代かに1人生まれる、特殊な能力を持った龍。
前世の言葉を借りるのならば、超能力を持った龍人を指す言葉だ。
イェランがその才の龍であることは当然メイリアーデも知っている。
だが、いざ目の前でその能力を見せられると上手く言葉が出てこなかった。
知識として知っているのと体験して理解しているのではまるで違う。
メイリアーデの言葉を失わせたのは驚きからなのか感動からなのか、メイリアーデ自身よく分かっていない。
「お前、一体どこまで知っている」
そうしてそんな中で告げられたのは、おそらくイェランがずっと気にかかっていたであろう問いだった。
真っすぐ射抜くイェランの目は、他の兄達に比べいつだって力強い。
ともすれば威嚇されているかのようにも感じる眼光だ。
しかし、それはメイリアーデを不審に思っての視線ではない。
イェランがこの顔をするときは、決まって家族や大事な誰かを想っている時だ。
そう分かったから、メイリアーデの口からやっと言葉はこぼれた。
「ラン兄様が思うほどにはきっと知りません。ナサドがどうして今の立場にいるのかを知っている程度です」
「……俺と兄上のこともか」
「派閥が出来ているという程度ならば。けれど、本当にその程度です」
聞かれたことに正直に答えれば、途端にイェランの顔が歪む。
メイリアーデに兄弟の確執を悟らせたくなかった。
かつて母がそう推察したのは、どうやら間違いないことだったらしい。
「お前はそれを知っていながら、俺に言わないのか」
「何をですか?」
「ナサドが今の立場に追いやられたのは元を正せば俺が要因だ。もう、分かっているんだろう」
しかし、どうやらイェランが1人抱え込んでいたものはそれだけではないようだ。
俺を責めないのかと言外に伝えてくるイェランの声は、今まで聞いたどの声よりも苦し気に響く。
はたから聞けば大した変化はないのかもしれないが、少なからずメイリアーデには彼の声が絞り出すように発せられたと感じた。
……そう、イェランが何も思っていないわけがないのだ。
ナサドが罪人と言われ続けているのは、イェランの国外逃亡をそそのかしたから。
龍国で傅かれ生きているべき龍人をそそのかし、危険な地へと誘い、その身を危険に晒した。
そうして責められ続けているナサドの現状を何とも思わず見ていられるほど、イェランは情のない性格ではない。特にナサドとの間にはメイリアーデにだって入り込めない絆があるのだから、なおさらだ。
初めてメイリアーデはイェランの苦悩に触れた気がした。
どうして見せてくれたのか分からない。
しかし無視など当然できるはずもない。
その思いは言葉となって表れる。
「ラン兄様もナサドも、理由なく他者を傷つけるような人ではないわ。事情があったということもナサドから聞いている。ならば事情も何も知らない私が簡単に口を挟める問題ではありません」
「……ナサドが認めたのか? 事情があったと」
イェランの表情が驚いたようなものに変わった。
ナサド程ではないが普段からあまり表情の変化がないイェランだ。
これだけ分かりやすく反応するのは珍しい。
そしてその変化にメイリアーデは内心嬉しくも思ってしまうのだ。
ナサドを最も良く知るであろうイェランからしてみても、ナサドのメイリアーデに対する言動は多少なりとも他とは違うのだと分かったから。少しは絆を結べたのかもしれないとそう自惚れてしまうくらいには。
だが今は喜んでいる場合ではないのだろう。
そう心を切り替えてメイリアーデはイェランを見上げる。
「ねえ、ラン兄様。私はオル兄様もラン兄様もとても尊敬しているわ。ナサドのことも信じている。そんな人達が苦しんででも一生懸命出した答えが今なのだとしたら、それを信じ受け入れることが私のするべきことなのだと思っています」
その考え方を出来るようになってきたのは本当につい最近だ。
これで良いのか自問自答する日々は正直まだ続いている。
それでもこれが今のメイリアーデに言える精一杯のことで、やっと見つけ出せた方向性なのだ。
実践できなければ意味がない。
そう思いながら、メイリアーデはこの場にいた。
その言葉を、思いを、イェランはどう思ったのだろうか。
軽く目を見張り、しかしその表情は長く続かない。
再びその顔に影が落ちる。
「……違う、俺のせいだ」
「ラン、兄様……?」
「……俺がもっと、強かったら」
メイリアーデの目の前で強く握られた兄のこぶしは、その後もしばらく解かれることがなかった。




