18.小さな覚悟
ルイに案内され辿り着いた中庭には、外の庭園に比べ落ち着いた色合いの花々が多かった。
圧倒されるような迫力ある感じではなく、そばにいてほっと安らぐようなそんな印象。
「こちらは母がよく訪れる庭なのです。母は淡く優しい香りの花を好みますから、ここだけ少々雰囲気が異なりますね」
「そうなの。確かにナナキの雰囲気によく合う優しい庭ね」
「そう仰っていただけますと母も喜びます」
ルイの言葉に耳を傾けながら、大きく息を吸い込む。
草花が擦れる音、水のせせらぎ、小さな鳥のさえずり、柔らかな光。
ひたすら華やかな印象の強いスワルゼ家だが、この場所は優しさと安らぎに満ちていた。
「さあ、姫様こちらへ。中央にお茶を用意しております」
「ありがとう、ルイ」
メイリアーデが躓かぬよう、何ともスマートにルイはエスコートしてくれる。
さすがにルドの弟だなと密かに感心しながら、メイリアーデはそれに従った。
そうして少し歩き木製の上品なテーブルが目に入った頃、不意にルイが立ち止まりメイリアーデの手をそっと離す。
優雅に一礼して笑顔を見せたかと思えば、そのすぐ後彼が移動するのはメイリアーデの少し後ろ。
ずっとメイリアーデに付き従い側で控えていたナサドの元だ。
「従者殿は、こちらで」
メイリアーデの位置からルイの表情は見えない。
しかしそのあまりに硬い声色に驚いた。
メイリアーデに対する時とはまるで正反対の、冷たく無機質なルイの声。
美しく優し気なその見た目からは全く想像もつかないような、そんな空気をメイリアーデは感じる。
思わず目を見張ってナサドを見つめるメイリアーデ。
ルイとナサドではナサドの方が頭一つ分背が高いから、その表情はメイリアーデにもはっきりと見える。
相変わらず涼し気で眉一つ動かない鉄壁の顔だった。
メイリアーデの部屋ではほんのわずかに見せてくれる表情の変化も、ここでは全く無い。
ナサドはルイの言葉に驚きもせず、ただルイを見つめて「は」と短く返事をしたかと思えば深々と頭を下げた。
現在龍貴族と名乗ることを許されないナサドは龍人に仕える誰よりも身分が低く、たとえかつては対等とされていた間柄だったとしても今は天地ほどの身分差が存在する。
ましてやナサドは罪人と言われている身の上だ、歓迎はされにくい。
頭で分かっていたはずのことだった。
しかしいざ目の前でその光景を見てしまうと、固まってしまう。
ナサドの落ち着き払った様子を見るに、きっとこれは当たり前のように繰り返されたことなのだろう。
思わずグッと唇を噛むメイリアーデ。
口出ししてこんな扱いを止めるようにするのは簡単だ。なにせメイリアーデは龍人、この国で逆らえる者は同じ龍人以外いない。
しかしそうしたところで何かが変わるわけではない。ナサドの評価がさらに下がるだけだ。
結果黙って見ることしかできない無力な自分が情けなかった。
「メイリアーデ姫様、どうぞこちらへ」
「……ええ」
優しく綺麗な声色で笑顔を浮かべるルイ。
何てことないようにナサドから視線をこちらに戻して手を差し出してくる。
……当たり前なのだ、彼にとってこの光景は。
気にかけることもないような、そんな常識として認識している。
今まで話してみてルイが悪い人ではないことだってメイリアーデは承知していた。
それでもこうした対応になるということは、普段ナサドはどのような扱いを受けているのだろうか。
背筋に何かが走り、目の前の綺麗な風景が一気にぼやけてしまう。
それでもこのまま固まったままでいるわけにはいかず、メイリアーデはルイに手を引かれるまま歩を進めた。
その場で頭を下げ続けるナサドを置いて。
「当家には食用の花も数多くございます。こちらはその中でも人気のあるミアリアを使った飴です。スワルゼ家へお越しいただいた記念によろしければお持ち下さい」
「素敵ね、ありがとう」
ルイは、メイリアーデに対し実に丁寧にもてなした。
若い女性が好みそうな焼き菓子を差し出し、温かな香り良いお茶を入れ、庭に咲く花々を分かりやすく説明してくれる。
お土産に渡された飴もまた透明なガラス玉の中に小ぶりの花が咲くとても綺麗で可愛らしいもの。
普段のメイリアーデならば少し大げさなくらいに喜んでお礼を言っただろう。
そして本来ならば、何でもないように普段と変わりなく喜び笑顔を見せて接するのが正解なのだとメイリアーデ自身分かっていた。
しかし、どうしても笑顔は引きつり声は少し硬くなる。
それではいけないと思いながらも、全てを綺麗に包み隠すことはできそうになかった。
雰囲気を壊さぬよう、もらった言葉に笑顔で返すのがやっとだ。
少しでも気を緩めれば意識はすぐにナサドがいるであろう方向へと向いてしまう。
そしてそんなメイリアーデの様子にルイも気付いたのだろう。
初めは饒舌に花々の紹介をしてくれていた口が、やがて少しずつ閉じていきその表情には苦笑が浮かんだ。
「……気になりますか、ナサド殿が」
ぽつりとそう問われ、思わずメイリアーデはパッと顔を上げる。
その反応こそがルイに対してとても失礼なことをしているのだと気付いたのは直後。
バツが悪そうに謝罪の言葉を入れるのはその後だ。
ルイは苦笑のままメイリアーデの謝罪に首を振り小さく息を吐いた。
「彼が罪を犯したのは姫様がお生まれになるより以前のこと、姫様が私達の態度に違和感を持たれるのも無理のないことかと存じます」
そうやってメイリアーデの心情に理解を示すルイはやはり悪い人ではないのだろう。
メイリアーデの態度に対して一切責める空気を出さない彼に罪悪感は募る。
結果どういう表情をすれば良いのか分からなくなり、視線が自然と下を向いた。
「彼が姫様にどのように接しているのか、私は存じ上げません。姫様がそうしてナサド殿を気にかけるのは、姫様の優しさ故か彼の努力ゆえか、それも存じ上げない。しかし、彼が罪を犯したということには変わりなく、私はそう簡単に彼を信用出来ぬのです」
躊躇しながら、それでもルイはきっぱりと厳しい言葉を残す。
思わず視線がルイに合えば、彼はやはり苦く笑ったまま真っすぐに見つめ返してきた。
「ナサド殿が犯した罪は、イェラン殿下を唆しその御身を危険に晒した事とされておりますが、実はそれだけではないだろうとの噂がございます」
「……噂?」
「はい。誘拐、もしくは洗脳によってイェラン殿下を好きに操っているのではないかと」
「なっ、そんなわけ……っ」
「あくまでも噂にございます。しかし、そういった声があることもまた事実。そしてもしそれが本当ならば、ナサド殿に対する警戒を緩めるわけには参りません。我らが宝であらせられる龍人様を害するということは、万に一つもあってはならぬのです」
姫様も何卒お気を付けください。
ルイは、メイリアーデの目をしっかりと見つめて強く告げてきた。
メイリアーデが強い視線で否定しようとしても、首を振って。
メイリアーデがナサドを気にかけていると知っていながらも強くナサドを否定するルイ。
あくまで噂と言いながらも言った通りナサドを警戒している様子だ。
そしてそれを見て、メイリアーデははっきりと気付いてしまった。
これが、世間一般的なナサドに対する認識なのだと。
いくらナサドはそんなことをする人物などではないと主張したところで、誰もその声には賛同してくれないだろう。
ナサドがここまでの扱いをされるのは、今もまだ警戒されているから。
イェランを唆し意のまま操っている。そしてもしかするとそれはメイリアーデに対しても起きうるかもしれない。
だから彼の罪を許してはならず、信じてもならない。
そんな思いをルイの言葉の節々から感じ取ってしまった。
「……申し訳ございません。本来ならば姫様をもてなしお楽しみいただかなければならぬところ、ご不快な話をお聞かせ致しました」
「いいえ、ルイ。こちらこそごめんなさい。そしてありがとう、言いにくかったでしょうにしっかり言ってくれて」
ルイはメイリアーデの言葉に「恐縮でございます」と告げ深々と頭を下げる。
その言葉、姿勢に、メイリアーデはそれ以上何も言えなかった。
ルイの言葉や認識を責めることなど出来やしない。
ルイにはルイなりの考えがあって、メイリアーデが決して良い気分にならないだろうことを悟りながらそれでも忠告してきたその意味をメイリアーデも理解してしまえる。
少なからずただ単純にナサドを蔑み嫌っているわけではないのだ。根はもっと深いのだと分かってしまえば、当時のナサドを知らないメイリアーデに口出しする権利はないと思った。
メイリアーデがナサドのことを何も知らない。
それは、悲しいことに疑いようのない事実だったから。
メイリアーデはナサドを信じている。
今ルイから話を聞いたところでその部分が揺らぐわけではなかった。
しかし、それでも周囲の認識を変えることはそう簡単なことでは無いということもよく分かってしまったのだ。
だから、今のメイリアーデが告げることのできる言葉など限られていた。
「ルイ。私はまだ未熟だし世間をよく知りもしない。けれどね、きちんと自分の目で確かめて信じるものを見極められる自分でありたいとそう思っている。そのためにも知るという事を拒絶はしたくないわ」
「姫様」
「貴方が私に言ってくれた言葉も、ナサドのことも、もちろん龍国に関わる様々なことだって目を背けずしっかり見つめていきたいと思う。だから、どうかそれだけは許してもらえないかな」
「許すなどと……姫様は龍国の宝で私達の存在理由そのものにございます。どうか姫様の思うがままお過ごし下さい、それをお支えするのが我ら龍貴族の使命なのですから」
「……ありがとう」
その言葉に一切の嘘はない。
まず自分がしなければいけないことは知るということで、偏った考えにならないようにだって気を付けなければいけないとそう思う。
しかしメイリアーデは正直、そうとしか言う事のできない自分が悔しかった。
そして、散々頑張ると誓ってきた自分が、その実誰よりも大事なことから目を背け続けてきたのだと気付いて情けなかった。
その資格がないと、まだ何も知らないからと、そう言っていつまでも逃げ続けていい問題ではない。
覚悟を決めるならしっかりと決めて時には踏み込まなければいけない。
現状を変えたいと、ナサドを本当に守りたいと思うのならば、恐れてばかりではいけないのだ。
傷つけることを恐れ、無神経な問いを繰り出すことで距離が開くことを恐れ、そうして結局準備が整ってからと言っているようではどんどん守れる自分には遠のく。
一番いけないのは勇気も覚悟もないのに生半可な気持ちで問う事。
以前メイリアーデがナサドに対して行ったのはきっとこれだった。
同じ轍は踏まない。
ルイは言いにくいだろうに、それがメイリアーデを不快にさせるかもしれないと分かっているだろうに、それでもはっきりと告げてくれた。ショックは受けたし反論したいことも正直あったが、それでもメイリアーデが言葉を呑み込んでそれ以上返せなかったのは、ルイから強い意志を感じたから。
おそらく勇気や覚悟というのはそういうことなのだろうと、メイリアーデは少しではあったが理解した。
だから、メイリアーデは目を閉ざし大きく息を吸いこむ。
花の香りが体に入り、小鳥たちの声が耳に届いて、息を吐き出した。
「私もまだまだね。立派な姫になれるよう、精進しなければ。気付かせてくれてありがとう、ルイ。貴方は優しい男性ね」
表に出てきた顔は、ちゃんといつもの笑みになれているだろうか。
声は少しでも柔くなってくれているだろうか。
そう思いながら、メイリアーデはルイに笑って見せる。
「勿体ないお言葉でございます、姫様。……それに、姫様は十分立派なお方にございます」
そしてルイはやはり苦く笑ったまま、そう告げてくれた。
おそらく今日一番に柔いその声色に、少しはこちらの思いも伝わってくれたのかもしれないとメイリアーデは思う。
だからメイリアーデは笑みを深めて、「ありがとう」ともう一度告げた。
そして、そこからは本来の話に戻ろうと頭を切り替えルイの言葉に耳を傾ける。
先ほどは右から入って左に抜けた花々の説明も、今度はきちんと耳に入った。
スワルゼ家が大事に育ててきた花の名前、薬草としても使える可愛らしい草花、話題としてはごくごく雑学に近い内容だ。それでもその知識の一つ一つは昔から少しずつ積み上げられて来たもの。
相手を知るということは、そういった小さなことからの積み重ねなのかもしれない。
そんなことを、メイリアーデはまた一つ学んだ。
「お疲れ様でございました、メイリアーデ様」
「うん、今日もありがとうナサド」
スワルゼ家から帰ってきて自室に入れば、いつもと変わらずナサドが言葉をかける。
やはりいつもと同じ言葉を返したメイリアーデは、そのままナサドに振り返りまっすぐと見上げた。
「ねえ、ナサド。今日はもう少し、私に時間をくれないかな」
「は。何かございましたか」
「ええ、大事な話をしたくて」
わずかに眉を動かしたナサドをメイリアーデはただひたすらに見つめる。
そうして小さくではあるが覚悟を決めた。




