17.思惑
番を龍へと変化させる女龍。
600年ぶりに生まれたその姫が誰を番に選ぶのか、早くも社交界では噂が立っていた。
「リガルドのロンガ様と随分長く話されていたらしい」
「いや、ロンガ様とは歳が離れすぎているだろう」
「スワルゼのルイ様とも親しそうにされていたぞ。そちらの方が歳は近い」
「スワルゼとリガルドか……派閥争いはまだまだ続きそうだな」
全てでは勿論ないが、おおよその噂はメイリアーデの耳にも入っている。
自分の行動は全て細かく観察され何をしても権力争いの種になると理解していたことではあったが、あまりに早く流れた噂にメイリアーデはぐったりしてしまう。
「社交界って怖い……」
思わず呟けば、目の前に控えていたナサドがぴくりと反応した。
表情は相変わらずの鉄仮面だが、ほんのわずかに揺れたその目をメイリアーデは見逃さない。
ナサドはその表情とは裏腹にとても心配性だ。
だから、メイリアーデはしまったと内心思いながら苦笑して首を横に振る。
それに、ナサドに聞かせるには少々嫌な話題だった。
番候補の話、有力な候補としてナサドの実弟が挙がっていること。
それをナサドがどう思っているのか気にならないわけではないのだ。むしろものすごく気になっている。
しかし、どちらもそう簡単に踏み込めるような話でない。また無遠慮につっこんで拒絶されたら……考えるだけで恐ろしい。だから誤魔化すように笑って話を切るしかできなかった。
「……頑張らなきゃなあ」
ため息と共に小さく吐き出された言葉。
まだまだメイリアーデには出来ないことが多すぎる。
避けて通れない大事な課題はメイリアーデの中で積み上がり続けて今にも体からこぼれてしまいそうな程だと言うのに、何一つ消化できない現状。
それは一重にメイリアーデ自身の未熟さ故だと思ってしまうのだ。
「精進します」
それでも、悩んでばかりはいられなかった。
ぐだぐだと落ち込んでいたって何も変わらない。
早く自立したいのならば、時間は一分一秒でも惜しいのだ。
だから気持ちを切り替えるようにひと伸びして、メイリアーデはニッと笑った。
人々を笑顔にさせるのが自分に課せられた今の役目。
緊張を解し、和ませ、円滑に話が進むよう手助けするのがメイリアーデの仕事だ。
だからこそ笑顔はメイリアーデにとって基本中の基本で、自分が持つ数少ない武器はいつだって磨いておきたい。
「今日もよろしくね、ナサド」
気合を入れて笑顔を見せるメイリアーデに、ナサドは幾分安堵したように目を緩めて深々頭を下げた。
いつもと同じ角度で、騎士のようにきびきびとしていて、当然のことながらその背は真っすぐだ。
「こちらこそ、本日もよろしくお願い致します」
毎日一言一句変わらない言葉に、声色。
やはりメイリアーデもいつも通り笑って頷いて、部屋を後にした。
「いつ来てもここの庭は美しいな」
「お褒めに与り光栄でございます、オルフェル殿下。庭師も喜びましょう」
そうしてメイリアーデは本日、オルフェルと共にスワルゼ家へ来ている。
スワルゼ家。
昔から龍人を医学の面から支える龍国三大貴族のひとつだ。
薬草の栽培に通じ、様々な花の育て方も熟知している。
スワルゼ本家には巨大な庭園があり、国中の花が咲き乱れていると有名だ。
そしてそのため龍国一華やかな一族とも言われていた。
もっともメイリアーデにとってスワルゼ家というものは、ルドの家という感覚の方が強いが。
しかしそれでも庭園に案内された時は、そのあまりの華やかさにメイリアーデも目を瞬かせた。
目の前いっぱいに広がる色とりどりの花、これほど一度に多くの花が咲き乱れている光景は龍王宮でも見られない。
あたりを包む香りは柔らかく、上品だ。
「うわあ、綺麗……!」
感嘆の声をメイリアーデがあげる。
現在のスワルゼ家当主であるリンゼルは、満足気にほほ笑んだ。
「この度はおめでとうございます、メイリアーデ姫。当家自慢の庭にこざいます、お楽しみいただけましたら嬉しく思います」
「ありがとう、リンゼル。とても素敵ね、私こんなに綺麗で華やかな庭は初めて見たわ」
「ありがとうございます」
深々と頭を下げるリンゼルはあのルドの父なだけあり、美麗だった。
既に130歳を越えたリンゼルはまだまだ若々しく、孫がいるようにはとても見えない。
龍国の、いや龍に関わる者の外見はつくづく常識離れしていて神秘だとメイリアーデは思う。
日本ではまるで考えられないような常識が龍の世界ではまかり通っている。
改めて今いる世界はファンタジーなのだと実感しながら、メイリアーデはふと最近学んだ龍貴族達の寿命について思い出していた。
龍貴族は龍との関わりの強さによって寿命が大きく変わると言われている。
何でも龍に親しく近い位置にいる者は長寿で老けにくく、龍との関わりが薄いほど人間に近い寿命や歳の取り方をするのだとか。
50ほど存在する龍貴族の平均寿命は150歳前後。
それを踏まえれば130歳越えでなお若く見えるリンゼルは、流石は三大貴族の当主といったところか。
そういえば三大貴族は特に龍人との関わりが深く、200歳まで生きる者もいると聞いたような気がする。
言われてみれば、メイリアーデと関わりのある龍貴族達も皆青年にしか見えないが相当の経験を積んでいる者が多い。ナサドも例外ではなかった。
つい最近ナサドの年齢を聞いたが彼もすでに80近いと聞き驚いたものだ。
龍貴族でいう80歳は、人間社会に置き換えると30代後半~40代前半。
龍貴族は先述の通り寿命差が激しいため一概に感覚でものを言えないが、少なくとも若者と呼ばれる歳からは脱していた。
しかし目の前にいるナサドは、メイリアーデの記憶の片隅に残る松木先生と全く変わらない外見をしている。つまり外見年齢は30代どころか20代。
実際ナサドの外見的な若さは有名で、たまにメイリアーデの耳にも入ってくるほどだ。ルドと同年代、しかもルドの方がやや年下だというのに、誰がどう見てもナサドはルドより若く見えた。
つまりそれだけナサドは色濃く龍の影響を受けた存在ということだろう。おそらく寿命も相当長い。
と、そこまで考えたところでふとメイリアーデは心で呟いてしまった。
(しかし60歳差か……)
それは、何とも悲しい現実だ。
龍貴族における60歳は、子供がいても全くおかしくない年齢だった。
早い者は30代前半で、遅いと言われていても大抵60代までには子を授かっている龍貴族が大半の世界である。
つまりナサドにとってメイリアーデは妹を通り越して娘といった方が正しいような歳の差なのだ。
実際ナサドよりも年下のルドには、すでに14歳にもなる息子がいる。
これだけの差があってナサドと……などと話が進めばどういう反応が返ってくるかなど想像に難くない。
龍人としての感覚ならば60歳差はさしたる差ではない。人間社会における10歳差程度の感覚だ。だから兄達はナサドとメイリアーデの年齢差をまるで気にしていないが、人間時代の感覚を持つメイリアーデにとって60歳という歳の差は中々に笑えない。いかに龍に連なる者の年齢感覚が人間とかけ離れていると言えど、さすがに60歳は大きい。目の前にそびえる高い壁にさらに何かが積み上げられた気がするのだ。
「姫? いかがなさいましたか」
「え、あ、ごめんなさい。ついつい花に見とれてしまって」
と、そこでリンゼルに声をかけられ慌ててメイリアーデは首を振った。
今考えることではないと我に返る。
何せ今は公務中。手を抜いて良い時間ではない。
心で自分に喝を入れて、リンゼルに向き合った。
リンゼルは笑顔を見せるメイリアーデに頷いて屋敷の中へと案内してくれる。
今日の公務は、公務と言いながらも普段のようにかしこまった雰囲気はない。
主な要件があるのはオルフェルの方で、定期的に行っている龍国内の医療に関する話し合いだった。
何か問題があるが故の話し合いではないため、取り囲む人々も皆穏やかそのもの。
しかし医療に関わる国内情勢把握という仕事は、決して軽くはない。
いざという時に真っ先に必要となるものの一つで、常に状況を理解し密なやり取りが必要なもの。
そういった重要な案件をオルフェルはすでに任されていた。
そのような大事な会議に、実のところメイリアーデは参加しない。
さすがにまだ10代のメイリアーデには難しすぎるだろうというのが大半の考えだ。
では何故ここにメイリアーデがいるのか。
それは、メイリアーデが国内の有力貴族達をしっかりと知り覚えるため。
そう、まだまだ研修期間の始まりの始まりといったところか。
つまりどちらかと言えば仕事をしているというよりも、仕事をしに来た兄に付いて回って社会勉強をさせてもらっている立場だ。
(本当、頑張らないと……)
そんなことを強く思ったメイリアーデだった。
リンゼルによるスワルゼ家の案内は続く。
屋敷に通されると、そこで待っていたのはリンゼルの妻であるナナキだ。
龍貴族の出身だというが自身はあまり龍の影響を受けなかったようで、リンゼルと比べると明らかに寿命が短いだろうと分かる。
元々病弱なこともあるそうで、体は細く青白かった。
大丈夫だろうかと思わず心配してジッと見つめてしまうメイリアーデに、ナナキは笑みを浮かべて頭を下げる。どうやら心根の優しい女性のようだと感じるメイリアーデ。
その横でナナキに付きそう様に立っていたのはルイだった。
「姫。私達がオルフェル殿下にご報告申し上げている間は、ルイが姫をご案内致します」
「先日はありがとうございました、姫様。ようこそスワルゼ家へ」
「お心遣いどうもありがとう。よろしくね、ルイ」
「は」
ルイは相変わらず明るく笑う青年だった。
そのすぐ隣にはルドの息子レイもいて、やはりルドやルイそっくりなその顔立ちに驚けばスワルゼ家の面々が上品に笑う。
明るく穏やかな雰囲気の中、メイリアーデの肩の力も幾分ほぐれた。
そうして何気なくルイに視線を向けたメイリアーデは、ふと気づく。
それはほんのわずかな、瞬間とも言えるほどの時間。
ルイの目が、その雰囲気とは裏腹に攻撃的なものになったのだ。
その視線が向いた先は、メイの斜め後ろ。
こちらから振り返ることはしないが、その位置はいつもナサドがいる場所だ。
瞬きした次の瞬間にはいつもの笑みに戻るが、ちらちらとたまに向けられるその視線はどうにもメイリアーデの気にかかる。
「姫様? いかがされましたか」
「え? あ、いえ何でもないの。ごめんなさい」
しかしすぐにこちらに気付き笑顔で尋ねてくるルイに、メイリアーデは何も聞けずじまいだった。
気のせいかと思う程に、ルイの表情は朗らかそのものに戻っていたから。
「久しいな、ナナキ。わざわざ挨拶にまで来てくれてありがとう、体調の方はどうだ」
「オルフェル殿下、お久しぶりにございます。お陰様で静かに養生しております。先日はお心遣いのお手紙、本当にありがとうございました」
「なに、礼を言われるようなことではないだろう。それよりも、無理せずゆっくり休んでくれ。私達のことは気にせず良いから」
「ありがとうございます」
メイリアーデの横ではオルフェルとナナキが随分と親しそうに話をしている。
何でもリンゼルはルドが成人する前までオルフェルの専属従者を務めており、その際にナナキとも親しくしていたらしい。言うなれば、幼馴染のような感覚なのだろう。考えてみると3人は確かに年齢的にも近い。見た目年齢が3人それぞれあまりに違うため完全に抜けていた思考だった。
龍貴族と龍人、近い様で案外遠いものだ。
そんな事実に少し切ない思いになる。
しかしそれ以上に、種族の差や主従の関係を越えても強い友情関係を築けるオルフェルに器の大きさを感じた。
……邪魔をしない方が良いだろう。
そんなことを思って、メイリアーデはルイの方を向く。
「ねえ、ルイ。まだ少し時間よりは早いけれどお話でもしない? この家で咲いているお花について色々と教えて欲しいわ」
そう告げれば、おそらくメイリアーデの意図を正確に察したのだろう。
音もたてず笑みを浮かべたルイがゆるりと頷いて「喜んで」と返してくれた。
「ご歓談中申し訳ございません、オルフェル殿下。メイリアーデ姫を中庭までお誘いしてもよろしいでしょうか。当家の花々をお見せできればと」
「おお、すまぬなルイ。よろしく頼む。では、メイリアーデまた後でな」
「はい、オルフェルお兄様。ご公務、頑張って下さい」
「はは、ありがとう」
「ルイ、くれぐれも姫にご無礼なきように」
「心得ております、父上」
そんな会話を交わして、メイリアーデ達はその場を後にした。
「……しっかりと、姫を落とすのだぞルイ」
「ん? 何か言ったか、リンゼル」
「いえいえ、何でもございません殿下」
リンゼルによって吐き出された小さな言葉。
その言葉に気付いた者は、ただひとり。
ぴくりと眉を揺らしたナナキに誰も気付かない。
この場でもすでに権力争いは始まっていた。




