16.番候補たち
ナサドのことを兄上と、ロンガはそう呼んだ。
どこか懐かしそうに。
それでも次の瞬間には驚くほど冷淡な表情で、その兄を切り捨てる。
名前すらも禁忌かのように。
「姫様の御前で不快な話をお聞かせし申し訳ございません」
そうして謝罪すらしてくる姿に、メイリアーデはグッと手を握りしめた。
過去、イェランをそそのかしその身を危険に晒した。
それが龍国で広く知られているナサドの罪だ。
評価は当然低く、彼と交流を持とうとする貴族もいない。
龍人を軽んじる危険人物とまで言われている。
……違うのに。
そう思わず言葉に出そうになって、メイリアーデは息を止めた。
感情的に反論したところで、事態が良くなるわけではない。
すでにナサドの立ち位置は崖っぷちだ。
その崖っぷちを何年もすれすれのところで生きてきて、あと一押しでもしてしまえば底へと落ちてしまいそうな、そんな雰囲気がナサドにはある。
そしてナサドはその時おそらく抵抗もしないだろう。
何よりも龍人の意志を重んじ、そのために自身を投げ出すようなそんな人だから。
それはもはや確信だった。
そして龍人を至高とするこの国の中枢で、自分が下手を打てばその責めは間違いなくナサドへいく。
そうなればどうなるか分からない程メイリアーデはもう子供ではなくなっていた。
ナサドを大事に思う気持ちに嘘などない。
それだけは、昔も今も一度だって揺らがない。
だからこそ、メイリアーデは細く息を吐き出して頭を冷やす。
「ロンガ、謝らないで。私に過去のことは分からないわ」
必死に取り繕った顔でメイリアーデは笑った。
おそらくは引きつっているだろう。
しかし今はこれが精いっぱいだ。
ロンガはメイリアーデの言葉を受け取り一瞬だけ複雑そうに眉を寄せ、再び「重ね重ね申し訳ございません」と声をあげる。
ナサドに比べ随分と分かりやすい表情の変化。
おかげで、ところどころナサドへ情を向けているのが分かる。
そしてそれは決して嫌悪や憎悪には見えなかった。
そこでやっとメイリアーデの表情は無理のない笑みへと移る。
苦いものを混ぜた、そんな笑みではあったが。
「……貴方は彼によく似ているわ」
「は……」
「情に厚いところ、優しいところ」
綺麗な笑みは浮かばない。
しかし、本心から漏れるような柔らかい声にはなってくれた。
目の前の男は、そんなメイリアーデに目を見開き固まっている。
しかし不快そうな空気は感じない。
……やはり、彼はきっと。
その先は心に留め、メイリアーデは小さく頷く。
ロンガの心が嬉しいと、そう思った。
兄弟の絆は切れていないのだと、彼の中には確かに兄を慕う気持ちが残っているのだとそう思うと温かい気持ちになったのだ。
だから、メイリアーデはロンガの目をまっすぐと見つめて告げる。
「これからもよろしくね、ロンガ。良かったらまたお話相手になって下さい」
「……有難きお言葉感謝いたします。こちらこそ何卒よろしくお願い申し上げます」
「ええ、ありがとう」
我に返ったロンガはきっちりと言葉を返し、恭しく礼をしてくれた。
主に対する臣の姿勢。
優雅というよりは厳格な、きびきびとした動きだ。
そんなところも何だかナサドと似ていた。
「……ありがとうございます、メイリアーデ姫様」
ぼそりと、本当に小さく呟かれたその言葉。
その意味を読み取って、やっとメイリアーデは破顔する。
……多くのことを知らなければいけない。
ナサドを真に大事にしたいと思うのならば。
辛いことも嫌なことも、知ることになるだろう。
けれど、きっとそれだけではないはずだ。
少なからず、メイリアーデはそう思うことができた。
「私なりのやり方で」
ナサドのいない社交界で、自分には一体何ができるだろうか。
いや、社交界だけではない。
ナサドのことだけでもない。
自分が龍国の姫として、1人の龍人として、どう生きて何を大事に生きていくのか。
全てにおいていまだに答えは出ていない。
しかし、気持ちが前を向くのが分かった。
「メイリアーデ姫、この度はおめでとうございます。ご挨拶をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「ええ、ありがとう」
そうしてメイリアーデは、素の笑顔を取り戻し社交界の雰囲気に少しずつ順応していく。
気付けば憂鬱な気分も緊張も、華やかな空気の中にすっと溶けていった。
メイリアーデの元へ訪れ会話を広げたのは、多くが年若く未婚の男性だ。
次いで同じ年頃かそれよりも少し上の女性達。
彼らの父母にあたる当主や夫人は一言挨拶をした程度で早々に立ち去っていく。
社交界は情報交換の場であると同時に自らの地位を築きのし上がる場所。
そういう側面があることは重々承知していたが、ここまであからさまに分かりやすいとは思わなかった。
さすがにメイリアーデも苦笑してしまう。
上位階級の集まりだから、もう少しオブラートに包まれて接触されるとばかり思っていたのだ。
案外皆積極的だ。
メイリアーデと親しい関係を築こうとかなりグイグイくる。
容姿やドレスを褒め称え、好みを探り、少し色を混ぜる。
未だ龍貴族で特別親しい人物がいないというのは彼らからしてみると絶好のチャンスなのだろう。
家を背負い意気込んでいる者、自身の栄誉のために張り切る者、純粋に希少な女龍に興味深々な者、龍への憧れを抱く者。
思惑は様々だろうが、とにかくかなりの数がメイリアーデの元へと訪れ少しでも長く留まろうとしていることには変わりなかった。
自分を姫と受け入れ歓迎してくれる気持ちはメイリアーデとしても嬉しい。
しかしさすがにここまでひっきりなしだと、少々疲れも見えてくるもの。
大変な世界だと思わず苦笑がこぼれてしまう。
アラムトのすごさをやはり実感するメイリアーデ。
よしっ、と心で気合を入れなおした。
そうして顔をスッと上げた時、ふとある人物と視線が合う。
彼はメイリアーデが知る数少ない龍貴族だ。
メイリアーデの視線を受けて、すぐに彼の足はこちらを向いた。
ナサドやロンガとはまた別のゆったりとした優雅な足取り。
相変わらず華やかな人だと、そんなことを思いながらメイリアーデはその場で待つ。
「ご挨拶が遅れまして大変申し訳ございません、姫。改めまして、この度はおめでとうございます」
「ありがとう。……ルド」
そう、その人物とはメイリアーデの長兄であるオルフェルの専属従者だった。
唯一メイリアーデのもう一つの姿を知る人物。
綺麗な顔立ちに華やかな雰囲気を持つ彼は、それでもその見た目に驕らず真面目に職務をこなす人だったと記憶している。
兄がお世話になっている龍貴族だから、メイリアーデにとってもよく見知った顔。
しかし、夜会用の正装を身に纏った姿は初めて目にする。
いつもとはまた違った姿に思わず目を瞬かせた。
「知ってはいたけれど、貴方本当に華があるのね」
「そのようなことは……私には勿体ないお言葉でございます」
「本当よ、優雅で綺麗。いつもとはまた別の雰囲気でかっこいいね」
素直に思ったままを告げたのだが、ルドはと言えばその言葉の意味を理解しきれていないらしく怪訝そうに眉を寄せる。
どうやら自分が美形であることに自覚がないようだ。
だが流石は三大貴族の次期後継者といったところか、彼はすぐにその表情を優雅な笑みに変化させて言葉を返してきた。
「お褒めに与り恐悦至極にございます。しかし、誰にでもそのようなことを仰ると誤解する方もいらっしゃいましょう。これでも妻子ある身、私が惑わされませぬ様すこしお手を緩めていただけますと幸いです」
何ともルドらしい言葉。礼と褒め混ぜた軽口の中にも、メイリアーデを心配しての助言がちらほらと見えた。
どうやら彼の気質はオルフェルに近いものがあるらしい。オルフェルと相性が良さそうなのも頷けると思いながらメイリアーデは苦笑する。
「それはごめんなさい。ルドは愛妻家と評判だものね、美人と噂の奥様に申し訳ないことを言ってしまったかしら」
「いえ、そのようなことは。いただきましたお言葉は大変光栄に思います」
「助言もありがとう。貴方のような人がオル兄様に付いていてくれて本当に心強いわ」
思ったままを告げるメイリアーデに、ルドからも似たような苦笑が見えた。
「貴女様は本当に素直なお方だ。オルフェル殿下が姫を慈しみ止まない理由がよく分かります」
その表情はメイリアーデがいつも慣れ親しんでいるルドの顔そのもの。
オルフェルを見るときのような優しく温かな笑みで、メイリアーデもほっと力を抜いた。
変な探り合いのない会話は気が楽だ。
と、素に戻ったのもつかの間。すぐにまた新たな影が現れる。
どうやらその人物はルドと顔見知りのようで、ルドと何やら頷き合ってからこちらへとやってきた。
「姫、もしよろしければここで弟を紹介させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
「え? ええ、勿論」
「ありがとうございます」
弟。
そうか、ルドにも弟がいるのか。
と、そこまで思ってメイリアーデは視線をその人物に向けた。
「お初にお目にかかります、メイリアーデ姫様。スワルゼ家次男、ルイにございます。この度はおめでとうございます」
「ありがとう。初めまして、ルイ。龍国第一王女、メイリアーデです」
ルドよりも幾分若く見えるルイは、ルドとは正反対にさっぱりと髪が短くやや陽気そうな雰囲気を纏っていた。
しかしすっときれたその目や、長身で細身の体格、上品な所作など所々がルドと同じで流石は兄弟と、そんなことを思う。
「何と言うか……貴方達ってとても綺麗な兄弟ね。キラキラしているわ」
思わずといった言葉に目の前の兄弟がそろって目を丸め苦笑する。
照れ臭そうに頭を下げるその姿すらぴったりと揃っていた。
「お褒めに与り光栄でございますが、それを姫様に仰られますと不思議な感じがいたします。姫様達ご兄妹こそとてもお綺麗ですので」
にこりと笑ってルイがそんなことを言う。
花のような笑み……男性に使うのはいささか失礼な気もするが、まさにそんなルイの表情にメイリアーデも思わず苦笑した。
これは世の女性達が黙っていないな、とそんなどうでも良いことを考える。
と、1人思考にふけっていると、ルドとルイは仲良さげに会話を始めた。
「しかし、ここにレイも連れて来たかったですね兄上。この貴重な機会をレイにも与えてやりたかった」
「……まだ早いだろう。あれは今年やっと14になったばかりだ。姫にご迷惑がかかる」
話の流れからしておそらくレイというのはルドの息子だろう。
ルドには1人息子がいると、いつだかオルフェルからメイリアーデも聞いてはいた。
が。
「え!? 貴方のご子息、そんなに大きいの!?」
思わず声があがる。
しまったと慌てて口を塞いで声を抑えれば、目の前できょとんとした顔のルドはニコリと微笑み頷いた。
「私ももう73。同年代の親としては、まだ子は幼いほどでございます」
「え、ええ……? というより、貴方がもう73歳ということにも驚きだわ。もしかしてルイも近い年齢だったり」
「いえ、私は兄上とは歳の離れた弟ですので。今年40になるまだまだ若輩者にございます。兄上とよりも甥との方が年は近くあります」
「そ、そうなの……私本当によくものを分かっていないのね」
様々なカルチャーショックを受け、固まるメイリアーデ。
人間時代の記憶を引きずるメイリアーデには、その年齢感覚がいまいちピンとこない。
自分がえらく常識離れしたことを口にしているのだろうとは思うが、驚きショックを受ける顔を隠すことができなかった。
こんな経験をあと何度重ねることになるのだろうか。
龍の世界の常識と日本で暮らした時の常識のギャップに戸惑わなくなる日はいつのなるのか
そんなことを思いながら、しばらくショック状態を引きずり固まっていたメイリアーデがやっと我に返る。
じっと待っていてくれた兄弟に一言「ごめんなさい」と謝りを入れて笑みを作った。
「どうやら、私まだまだ勉強をしていかなくてはいけないみたい。思い込みの力ってすごいわ……もし良ければ私が何かおかしなことを言った時教えてくれる? 兄様達は、私に甘いから」
取り繕うようにぺらぺらとそんなことを口にすれば、途端に吹き出すよう笑みをこぼしたのはルイの方だ。
「兄上にお聞きした通りだ、姫様は本当に素直で可愛らしいお方でいらっしゃいます。殿下方がこぞって姫様を慈しむ理由がよく分かりました」
「……何だかそれルドにも言われたわ。私、そんなに分かりやすい?」
「お気になさっておられましたら申し訳ございません。しかし、姫様はとても魅力的なお方にございます。どうかその笑みをお忘れになられませぬよう。それだけで、心が温かくなります故」
ルイの歯の浮くような言葉に思わずメイリアーデは固まる。
美形の男性に極上の笑みでそんなことを言われて全く照れない女性などいないだろう。
ましてやそれが男性慣れしていないメイリアーデならなおのこと。
「……貴方、恐ろしい才能を持っているわね。世の女性達が黙っていないと思う」
「は……」
「な、何でもない。ありがとうルイ、貴方の気持ち有難く胸に刻んでおくね」
「勿体ないお言葉にございます」
出会いと衝撃。
メイリアーデの社交界デビューは、多くのものをメイリアーデにもたらし終了した。
振る舞い等至らないところはあれど、兄達からも「まあ初めてにしては上々だ」との評を受ける。
が、自分に大甘な兄達なのでそれで満足してはいけないだろうとメイリアーデは気を引き締めた。
自分の無知さを知ったし、誰からどう見ても分かりやすい性格なのだと自分のことも少し分かった。
大人の社交界の場でみっともなく驚いて声をあげてしまったこともある。
課題は課題として乗り越えようとそんなことを思うメイリアーデ。
一方、程なくして龍貴族の中からはこのような噂が流れ始める。
メイリアーデ姫が親しく会話を交わした人物は、リガルド家次期後継者ロンガとスワルゼ家次男ルイ。
彼らが現時点での有力な番候補だと。




