14.大人への準備
1度萎えてしまった勇気は、中々戻らない。
龍の覚醒を果たし津村芽衣の姿を手に入れて10日。
その間メイリアーデが変化したことは1度もなかった。
何度も何度もナサドやイェランに打ち明けようと思ったが、どうしても知られる恐怖が上回ってしまい体が動かなかったのだ。
何がそこまでメイリアーデを怖がらせるのか、分からない。
ずっと隠し続けてきた後ろめたさか、幼少期を知られている恥ずかしさか。
何度も自答するものの、答えは出てこない。
「上手く変化できない?」
「はい、感覚が分からなくて。……ごめんなさい」
「……そうか」
結局、メイリアーデは両親や兄達にそう説明して逃げることを選択した。
イェランは眉を寄せて怪訝そうにこちらを眺めてきたが、完全に気を落としているメイリアーデにそれ以上の追及はしなかった。
実際は上手く変化出来ないから落ち込んでいるのではなく、嘘を重ね続ける自分に自己嫌悪で落ち込んでいるメイリアーデ。
「ごめんなさい」
「いや、良い。そういうこともある」
様々な意味を込めた謝罪は優しい言葉になって返り、それが尚更メイリアーデの罪悪感を増幅させた。
……いつまでも隠し通せる嘘ではない。
1年も経てば大抵の龍が変化能力を使いこなせると言われている。
どんなに遅くとも能力制御に2年以上かかった龍はいない。
今はまだ覚醒したてで誤魔化せるだろう。
その少し先も女性龍という稀有な存在で勝手が違うと言えば何とかなるかもしれない。
しかしいつまでたっても変化を見せられなければ、騒ぎになることは目に見えていた。
いらぬ騒動を引き起こす気はない。
……覚悟を決めなくては。
そう思うと同時にどうしてそこまで気が重いのか、やはり自分自身でも理解しかねていた。
「メイリアーデ、覚醒したことには間違いないのだ。私がこの目でしっかりと見た、胸を張って良いぞ」
「オル兄様……、ありがとうございます」
「初めは皆戸惑うものだからな。深刻にならずとも良い。それよりも、先のことを考えねばな」
悶々と悩むメイリアーデにオルフェルは励ますようそう言って笑う。
日向のように温かく穏やかな長兄に心から感謝し、メイリアーデは頷いた。
「社交界、ですね」
「うむ、そうだ。そなたも大人の仲間入りだからな。多くの者と接するのは刺激があって楽しいぞ」
何ともオルフェルらしい言葉に、メイリアーデからようやく笑みが戻る。
社交界。
大人の龍人、龍貴族が集まる夜会だ。
月に1、2度程度開かれるそれは、大事な情報収集の場であると共に、伴侶を見付ける場でもある。
覚醒を果たしたことでメイリアーデも本格的にその世界へと踏み入れることが決まった。
メイリアーデは希少な女性龍で、番に選んだ者を完全な龍に変えさせる力を持つ。
龍国にとってどの縁談よりも注目されることは分かりきっていた。
そしてそれを自覚しているメイリアーデとしても、正直な気持ちは「面倒そう」という後ろ向きなもの。
しかしオルフェルはそうではなく前向きな言葉を言う。
人との関わりは楽しいぞ、と本心から笑って言っている。
そんな器の広いオルフェルの一面をメイリアーデは尊敬していた。
だから、色々と複雑に思いながらもその口から否定的な言葉は漏れないのだ。
「メイ、でも気を付けなね。君はけっこう天然な子だから。社交辞令を全部真に受けちゃ駄目だよ?」
「そ、そんなこと心配いりません。大丈夫ですよ、ムト兄様」
「本当? なーんか、知らず知らずのうちに相手をその気にさせちゃって困ったことになりそうな未来が見えるんだけどなあ」
アラムトは相変わらずメイリアーデを少しからかいながらも、メイリアーデを諭し頭を撫でる。
アラムトはアラムトなりに妹の社交デビューが心配らしく、しきりに「あれも危ない」「これも駄目だ」と口に出してメイリアーデに忠告していた。
「……信用無いな、お前」
「言わないで、ラン兄様」
端的なイェランの言葉にぐっさりと傷つきながら、しかしそれが変化できないメイリアーデへの気遣いだと知っていたからメイリアーデは苦笑する。
謝罪と感謝の混ざった感情を持て余しながら、とりあえずは社交マナーの復習をしっかりこなそうと心に決めた。
「……それにしても、どうしよう」
そうしてデビューに備え着々と準備を進めるメイリアーデ。
しかし別の悩みで頭を抱えるのはすぐのことだった。
ある程度のマナーは問題ない程度に身についていたが、たったひとつだけ不安要素を抱えていた。
「いかがなさいましたか、メイリアーデ様」
どうしようかと悩みその場に立ち尽くしていたメイリアーデ。
当日のドレスを試着後、侍女達と入れ替わるように部屋へ入ってきたナサドに尋ねられる。
メイリアーデは顔を引きつらせながら、ナサドを見つめた。
「ナサド……、私ダンス踊れるかな」
「は……ダンス、ですか?」
「う、うん。社交界ってダンス踊れないと駄目だよね? 私踊れる自信が」
「基礎的なステップは習得されていると伺っておりますが」
「……実はそれ合格もらえたのつい最近なの。本番で踊れる気が全くしないのだけど」
そう、メイリアーデは壊滅的に運動神経が悪かったのだ。
こんな所まで前世から引き継がなくていいのにと思いながら、何度ダンスの授業で泣きそうになったことか分からない。
社交界の嗜みとして簡単なダンスは誰もがある程度は踊れる世界だ。
しかし、その簡単なダンスすらメイリアーデの足はもつれる。
ダンスの先生が密かに頭を抱えていたことは知っている。
つまりそれほどまでにメイリアーデには素養がないということで。
それを皆の目があり緊張した中で1曲丸々、踊れる気がしない。
いや、社交の場で1曲だけなどあり得ない。
残念ながら基礎ステップを覚えることすら苦戦したメイリアーデに、バリエーションなどあるはずもないのだ。
「……どうして社交界にダンスなんて必要なんだろう。本当にいらないのに。いじめだよ……」
ついにはそんな言葉まで吐き出してしまうメイリアーデ。
ナサドの方から小さく息をつく音が聞こえたのは少しの間の後だった。
……絶対呆れられた。
そう思ってしゅんと肩を落とすメイリアーデ。
しかし目の前にすっと手が差し出されるのは、その直後のことだ。
「もしよろしければ、私をお役立て下さい」
「……え?」
「私も多少は心得があります。ご不安がおありならば、お相手致しますが」
深々と頭を下げ差し出されている手。
まじまじと眺めていたメイリアーデは、やがて言われた言葉をのみこんで顔を赤くした。
「い、良いの?」
「はい。メイリアーデ様がよろしければですが」
一切表情の変わらないナサドのその言葉は優しい。
あくまでメイリアーデの意思を尊重しながら動いてくれる。
その気持ちが嬉しかったのと同時に、ナサドと踊れるという事実に胸が高鳴った。
「それじゃあ、よろしくお願いします」
そう言いながら恐る恐る手を重ねるメイリアーデ。
次の瞬間差し出した手は優しく包み込まれ、目の前の従者との距離が縮まった。
ふわりと香るのは、松木と変わらない優しい匂い。
「……っ」
思わず息が止まる。
緊張で体は硬く、感覚が鈍い。
……本番よりこっちの方が緊張する!
メイリアーデはやっとそんなことに気付いた。
メイリアーデの手を取ったナサドの反対側の手がメイリアーデの背へと回る。
ダンスを踊る上ではスタンダードな型だ。
しかし、メイリアーデにはやや刺激が強かったらしい。
「えっと、あ、あれ? わっ、ごめんなさい!」
結果、最初のステップから間違え思いきりナサドの足を踏んでしまった。
気を張れと自分を叱咤するものの、どうしても意識してしまい何度も同じことを繰り返すメイリアーデ。
「メイリアーデ様、焦らず踊れば大丈夫です。ステップは出来ています」
しかしナサドは淡々としながらも根気強くメイリアーデを励まし続けてくれた。嫌な顔ひとつせず。いや、嫌な顔も、良い顔も、通常も全てほとんど変わらないが。
優しく握られた手は少し汗ばみ、背に添えられた手は電気が走っているようにも感じる。
ただ、真面目に相手をしてくれるナサドを見てメイリアーデも徐々に意識をダンスに向けていった。
ナサドの教えは中々的確で、数回踊るうちに足が絡まる回数は明らかに減っていく。
「……ナサドって本当何もかもそつなくこなすね」
「そのようなことは」
「あるよ! おかげで私はとても助かってます、ありがとう」
「勿体無きお言葉です」
どんな言葉を告げてもナサドはにこりとも笑わないし、堅苦しいほどの言葉も変わらない。
それが何ともナサドらしく感じ、メイリアーデの顔から思わず笑みがこぼれる。
「よし、もう少し頑張る! よろしくお願いします、“先生”?」
「……っ、かしこまりましたメイリアーデ様」
つい無意識のうちに出てきた単語。
ナサドのわずかに表へ出てきた動揺に、メイリアーデは気付かなかった。




