12.思い出と共に(sideナサド)
日はとうに暮れ、辺りは閑散としている。
ゆらゆらと揺れる灯りすら草花に隠れ真っ暗な中庭で、ナサドは小さく息を吐いた。
思い出すのは、己が主の笑顔と言葉。
肌寒い外の空気に触れ、少し冷えた頭で考えてみても彼女の放った言葉の意味をナサドは理解しきれていない。
しかし、自分でも驚くほど珍しく動揺していることを彼は自覚していた。
だからこそ少しでもそれを静めようとここまで足を運んだわけだが、どうやらあまり効果は出ていないらしい。
はあ、と、今度は長い溜息がこぼれる。
「ずいぶん振り回されているようだな」
どれほどの時間をそうして過ごしていたのか分からない。
不意に声がかかって後ろを振り向けば、そこには2つの影があった。
一瞬顔の強張ったナサドだが、その影がよく見知ったものだと認識するとほっと息を吐き出す。
「これは……イェラン様にユーリ様」
「やめろ、他に誰もいねえから。遮音膜も張ってるしな」
「本当本当、止めて下さいよ先生。まだ先生にそうされるの私慣れてないんですから」
臣下の礼を取ろうとすれば心底嫌そうにして制するこの夫婦にナサドは思い切り脱力した。
呆れ顔になったナサドはここでようやく力を抜き本来の口調へと戻す。
「相変わらずだな、本当。というかこんな時間に出歩くな、危ないだろ」
「人のこと言えんのかよ、お前は」
「そうですよ。それにこうでもしないと松木先生素の状態になってくれないでしょ? 私が居たたまれないんです」
「野村……、お前もいい加減慣れろ。何年経ったと思ってるんだ」
「そ、れは! というか、先生のギャップがありすぎるのがいけないんでしょー!?」
「へえ。それならば、普段から臣として接した方がよろしいでしょうかユーリ様」
「やめて下さいって! 鳥肌立つんですって!」
「……相変わらず性質悪いな、ナサド」
相変わらず公私でギャップの激しい2人だとナサドは内心思う。
もっともそんなことを口に出そうものなら「お前が言うな」と速攻で返されるだろうが。
この世界で鉄仮面とも呼ばれるナサドの内側を知る唯一の夫婦。
イェランとは50年以上、ユーリともすでに20年以上の付き合いになっていた。
長い付き合いだ、お互いある程度気心も知れている。
軽口を叩き合って数分後、イェランから問われたのはやはりナサドの想像通りの内容だ。
「メイリアーデと何かあったか、お前」
「何って、別に」
「嘘つけ」
「……本当に大したことじゃない」
直球な問いに逃げを許さない真っすぐな視線。
人によってはきついと言われ畏怖されるイェランの言動も、ナサドにとってみれば苦笑の種になる。
何故ここまでイェランが行動を起こしているのか、やはり長い付き合いで分かっていた。
イェランは心配しているのだ。
彼が自分を臣下としてなどまるで見ていなくて、友として接してくれていることをナサドは知っている。
はっきりと言葉で示されたこともあるほどだ。
ナサドがイェランからメイリアーデ付きの専属従者に自身を付けると告げられたのは、実を言うとメイリアーデとほぼ同時期だった。いつも何かにつけてナサドに相談し確認していたイェランが珍しく何の話もなく独断で決めた異動。
その真意にナサドははっきりと思い当たるものがある。
だが、それを踏まえてもかなり強引に事が進んだのは事実だった。
それがイェランはずっと気にかかっていたのだろう。
だからこそ小さな変化も見逃さず、こうして細かに様子を見に来る。
ユーリまでもやって来たことを見るに、どうやら夫婦揃って相当気を揉んだらしい。
本当にこのお人好し夫婦がと、半ば暴言にも思える言葉を体の内に吐き出すナサド。
相変わらずその表情には苦笑が浮かんでいて、その中にはいつまで経っても青臭い自分への照れも混ざっていた。
そして、こんな2人だからこそナサドの鉄仮面は壊されるのだ。
「……あの方は、不思議だ」
2人相手でなければ零れてこないような本音を、ナサドは零す。
心配し真正面からぶつかってくるイェラン達を前に、取り繕うことは出来そうになかった。
ナサドにとっては誰よりも信頼できずっと心の支えとなってくれた友人達。
その思いが不敬であることは重々承知だからこそ、そんなことはやはり口には出せないが。
「女性龍の役目をお聞きになられたらしい。その上で、……それを全て理解したうえで、俺のことを教えて欲しいと」
「……母上か」
何か吹っ切れたように綺麗に笑ったメイリアーデの顔が、まだナサドの脳裏にしっかりと残っている。
龍の役割を知り、家族の複雑な位置関係を察し、臣下達の微妙な力関係を理解し、しかしそれでもメイリアーデはそのことに関する不安をほとんど口にしない。
年相応な言動をするこの国の末姫は、しかし、驚くほどに敏感で聡い。
自身が置かれた立場も、自身が発する言葉の影響力も、分かっていなければ出来ないことだ。
その証拠に、彼女の口から出てくるのは家族を純粋に慕い臣下を気遣い頑張ると前を向く言葉ばかり。
そのことに実はナサドが誰よりも驚いていた。
姫はまだ15歳だが、すでに考え方は龍貴族達の同年代よりもはるかに大人びている。
ナサドが専属になった3年前から変わらないのだからなおのこと普通ではない。
……我々が強いてしまったのだろうか。
ナサドは、それがずっと気にかかっていた。
龍はこの国の要だ。
絶対的な影響力を持つ龍人がいるからこそ、この国は他国からの干渉も受けず平和を享受できる。
敵に回すと勝てない龍人の存在を前に人間は跪くことを選択した。
世界の絶対的な覇者だと認め、傅き敬うことで衝突を避けたのだ。
おかげで龍の住まう龍国は聖域として認識され、土地は一度だって荒らされたことがない。
常に豊かな作物が実り、綺麗な水が流れ、世界随一の富裕国となっている。
全ては龍人の存在あってこそだ。
そして、そのような環境下におかれても龍人は驕ることがなかった。
無用の争いを避け、常に人と共にあろうとし、国民を気遣い守りながら生きている。
好き勝手生きようとすれば出来る立場にあってもなお、龍人達の矜持は高い。
多くの重荷を背負い、不満を呑み込み、人々に平和を与えてくれている存在だ。
その崇高な思いに報いたい。
真に忠誠を誓う大事な存在。
多くの龍貴族達と同じように、ナサドもまた龍人に対してそのような感情を抱いている。
そしてメイリアーデはそんな龍人の中でも特に珍しい女性龍だった。
龍たちがこぞって愛し慈しむ彼女にはなおのこと誰よりも幸せに生きて欲しい。
それがナサドの根底にある思いだ。
メイリアーデが生まれた時から変わらない。
龍も人も笑顔にさせるような彼女の明るく朗らかな笑みが、下らない諍いで曇ることなどあってはならないと。
しかしそんな思いとは裏腹に現実は醜かった。
龍への忠誠よりも、己の力を誇示せんとばかりに未だ争い続ける人間達の何と多いことか。
……イェランやオルフェルを巻き込むだけではまだ足りないのだろうか。
あの無邪気で優しいメイリアーデまで巻き込むつもりなのだろうか。
それだけは、ナサドには堪えられそうになかった。
だから姫の従者になると決まった時、心に誓ったのだ。
メイリアーデが幸せな生を全うできるよう、全力で守っていこうと。
それなのに。
「あの方は、ご自身よりも俺のことを守ろうとしているように感じる」
そう、メイリアーデは誰よりもナサドを大事にした。
常にナサドを気遣い、ナサドが作る壁を優しく超えようとする。
無理やりにではなく、ナサドが傷つかないようにと柔らかく。
大人しく守られてなどくれない。全て察したうえでナサドを守ろうと動くのだ。
その真っすぐな優しさと向けられる温かな情に、実はどれほど動揺しているのかメイリアーデは気付いていないだろう。
鉄仮面と呼ばれるその仮面が何度剥がれそうになったことだか、知らないに違いない。
赤子の頃から知っている親子以上に歳の離れたメイリアーデ。
しかしこの数年共に過ごしてみて、ナサドはどうにもメイリアーデのことを子供とは思えなくなっていた。
なぜメイリアーデはあそこまで自分を気にかけるのだろうか。
他の龍貴族に比べ特別に扱われていることはわかっているが、その理由に思い付くものは何一つない。
ただ、どうにもメイリアーデと接しているとナサドは調子が狂うのだ。
人前では完璧な鉄仮面だったはずの自分なのに、メイリアーデの前ではどうしても少し緩んでしまう。
……メイリアーデと接していると、なぜかよく思い出すのだ。
昔、同じようにしてナサドの心に深く入り込んできた少女のことを。
「……あの方は、どこか……似ている」
誰に、とは流石に口には出せなかった。
今更言ってもどうしようもないことを他の誰でもないナサドが分かっているからだ。
「……芽衣」
代わりにその名を呼んだのは、ユーリだ。
ナサドはその響きを噛み締めるように目を閉ざし思い返す。
昔、自分の心を救い、最後の最後まで自分を揺らしたその存在を。
『先生』
今でも鮮明に蘇る、その声。
思い返すだけで心が震える。
「ナサド。お前やはり」
「……言わないでくれ、イェラン」
イェランの言葉を切ったナサドは苦笑する。
その顔がどこか泣きそうなものになっていることなど、夜目の効く龍が気付かないわけはないだろう。
しかし必死に首を振るナサド。
「悪いな。お前が心配してくれているのは分かる。本心から俺を守ろうとしてくれているのも分かるんだ」
「ナサド」
「だが、きっと俺はお前の望みには応えられない。いくらメイリアーデ様が俺を大事に思って下さっていても、俺自身がこんなんじゃ不幸になるだけだ」
「……メイリアーデの番になるつもりは、ないと?」
「…………ああ。それは、俺にはあまりに恐れ多い」
「ナサド」
「なあ、イェラン。俺はあと何年、龍人様の側で生きていけるだろうか。……メイリアーデ様が番を見付けられるまでは、いられなさそうだな」
あまりに寂し気に呟いたナサドの言葉に、イェランもユーリも何も返すことは出来なかった。




