11.大事だと思う心
「ナサドを口説くのは大変よ? 努力なさいな」
王妃はお茶会の最後にそう言って笑った。
基本的にはメイリアーデの意志を尊重しながら、しかし決して娘が相手に無理強いをさせないようにとも目を配らせているようだ。
今回も、王妃はメイリアーデに知識を与えるだけに留まった。
つまりその先は自らで考えて動きなさい、ということだ。
母らしいとメイリアーデは思う。
静観することがほとんどで、公の場では滅多に自らの意見を述べない。
王妃はとにかく陰に徹する人だ。
しかし必要な場面ではいつも裏からそっと動いてくれる。
ナサドの事情やメイリアーデの置かれた状況については、おそらく臣下達からも男からも言いにくい内容だっただろう。だからこそこうして動いた。
このような母がいることに感謝しなければいけないと、そう思った。
王妃は穏やかで優しい人柄だが、厳しさもまた持ち合わせている。
手助けはしつつも、過度には甘やかさない。
自分の為すことには、しっかりと責任を持たせようとする。
おそらく今件に関しても、これ以上王妃から手を差し伸べられることはないだろう。
それが王妃なりの娘への愛情だ。
メイリアーデもそう察したから、母に向かって真剣に頷く。
「私ちゃんと考えてみます、お母様」
そう言葉にすると、王妃はやはり綺麗に笑って頷いた。
ナサドへ言ってしまった言葉に後悔し落ち込んでいたメイリアーデは、やっとここで頭を切り替える。
言ってしまったものはどうしようもない。
今まで全く役に立たなかったことも、もう変えることはできない。
それならば前を向いて、これからの自分で示していくしかない、と。
ナサドへの想いは未だメイリアーデにとって混沌としている。
松木へ対する気持ちとナサドに対する気持ちが今もなお綺麗に混ざり合って上手く言葉にできないのだ。
だからこそ松木を思い出してから歳を重ねるごとにメイリアーデはますます混乱していった。
自分の立ち位置に迷い、ナサドとの距離感に悩み、この先どうしていきたいのかどんどん見えなくなる。
しかし大事だと思う心は今も昔も同じ。
これが前世の想いを引きずってなのか、メイリアーデには分からない。
ここまで気になって仕方ないのは、ナサドが前世のメイリアーデにとって愛しい存在だったからなのか、心を救ってくれた恩人だったからなのか、それとも今生で接していくうちにそうなったのか、それも分からない。
ただ歳を重ね彼との思い出が増えるごとに出来ることならばナサドの心を守りたいともメイリアーデは思ったのだ。
王妃の話を聞いてメイリアーデはナサドの態度がなぜああも頑ななのか少しではあるが推測した。
もちろん無遠慮にナサドの事情に首を突っ込もうとしたメイリアーデに問題はあっただろう。
不快な思いはさせてしまったと思う。
しかしその他にももしかするとメイリアーデへの気遣いがあったのかもしれない。
メイリアーデがふと思い出すのは母から言われた言葉。
『貴女が番を選ぶのは、王子達が番を選ぶのとは大きく意味が異なるわ。多くの可能性と危険性をはらんでいる。だからこそ、貴女にはおそらく誰よりも人を見極める目と、貴女自身の強い覚悟が必要となるでしょう』
……その考え方がもしもナサドの中に少しでもあるのだとしたら。
そしてだからこそメイリアーデ自身が全て理解したうえで番を選べるように、わざと一定以上の距離から踏み込んでこないのだとしたら。
自分の立場を考えてあえてメイリアーデから距離を取っているのだとしたら。
それは彼“らしい”とメイリアーデは感じたのだ。
それは津村芽衣の知る松木とどこか通じるものがあるから。
あくまで推測、全てメイリアーデの考え。
自惚れの可能性だって全然あるだろう。
しかし一度考えてしまった可能性はメイリアーデの中に確かに広がり残る。
津村芽衣が知る、津村芽衣が大好きだった松木という先生はそういう人だ。
自分のことよりも人のことを思って躊躇うことなく動いてしまえるようなそんな人。
……ナサドが松木と同一人物だという証拠はどこにもない。
自分の記憶が本当に実在したものなのかすら証明できない。
けれどメイリアーデははっきりと信じることができるのだ。
津村芽衣が信じていたものをやはりメイリアーデも信じている。
それはナサドと共に過ごす時間を重ねたからこそ、重みを増したもの。
ちゃんと進まなければ。
メイリアーデはだからこそそう思った。
そして心に決めたメイリアーデの行動は早かった。
「ナサド」
「はい、メイリアーデ様」
「お母様から聞いたの、女龍の役目」
1日の政務が終わった頃を見計らってそう告げる。
軽く見開かれたナサドの目。
予想通りの反応にメイリアーデはにこりと笑って言葉を続けた。
「私、貴方がずっとどこか私との間に一線を引いてること、正直ねとても寂しかったの。だからどうにか貴方との距離を詰めようと焦っていた。本来の距離を無視してナサドを困らせたと思う」
「それは」
「ごめんなさい。私は貴方のことをろくに知ろうともせずに無神経なことを言ったわ。もしかしたら貴方は私を思って動いてくれていたかもしれないのに、ただ落ち込むだけで考えることをどこかで放棄していた」
「メイリアーデ様、それは違います。貴女様が謝られるようなことなど何も」
無表情で淡々としていて、しかしナサドは間髪入れずメイリアーデを庇う言葉を発する。
それは芽衣が好いていた松木の一面と変わらない。
だからなのか自然とメイリアーデの顔には苦笑が浮かびそのままメイリアーデは首を横に振る。
「私、頑張るからね。ナサドにとって頼りになる主になれるように」
「メイリアーデ様」
「ラン兄様には程遠いけれど、少しでも近付けるように頑張る」
そう宣言しメイリアーデはナサドの目の前に立った。
咄嗟にその場に跪こうとするナサドを制してメイリアーデは笑う。
「だから話しても良いと思ってくれたなら、ナサドのことも少しずつ教えてね。貴方は私の大事なパートナーだから」
きっと今、自分が言えることはこれが限度だろう。
そうメイリアーデは判断してまっすぐナサドを見上げる。
ナサドは相変わらずの無表情で、涼しい顔で。
しかしほんの少し複雑そうに眉を寄せている。
「……どうして、そこまで」
思わずと言った風にこぼれたナサドの言葉。
しかしすぐにハッと我に返り頭を下げる。
ああ、とメイリアーデはその一連の流れで気付いてしまった。
メイリアーデがナサドを特別気にかけていることにナサド本人もずっと気付いていたのだと。
そのことをずっと疑問に思いながら自分に接していたことにも。
……何だ、一人残らずバレバレじゃん。
途端にとてつもなく恥ずかしくなって顔が赤くなるメイリアーデ。
しかしここで照れて何も言わずいるのは良くない。
それでは何のためにナサドに宣言したのか分からない。
そう気持ちを持ち直して下がりかけた顔を再び上げた。
「ナサドが気付いていないだけで、私はナサドのこといっぱい知っているよ。ナサドが私に与えてくれたものに心から感謝している」
「は……」
「ナサドが大事だってことです」
前世の思いと今生の思いを混ぜながらメイリアーデは笑ってそう告げた。
それでもまだ怪訝そうにこちらを見つめるナサドにメイリアーデは破顔する。
この人は無表情に近いけれど決して感情を持たないわけではない。
分かりにくいだけできちんとこちらの声に耳を傾け反応してくれている。
そんな彼の心がメイリアーデは嬉しく心を温かくしてくれるのだ。
ならばもうそれでいいじゃないかと、メイリアーデはそんなことを思った。
前世とか今生とか、無理に割り切る必要はないのかもしれない。
メイリアーデにとっては松木もナサドも大事な存在で、今ここにいる彼を大事にしたい。
やっとメイリアーデはそう気持ちを吹っ切ることができた。




