10.女龍の力
母とのお茶会は2人のみで行われた。
いつも側に置く侍女すらも遠ざけ、完全2人きりだ。
いつも穏やかで側付きの侍女達とも仲の良い母がここまで徹底するのは珍しい。
女同士の話と言っていたが一体どのような内容なのか、密かにメイリアーデは緊張する。
王妃はそんなメイリアーデの様子を察しているようにくすりと笑った。
「そのように硬くならずとも大丈夫よ、メイリアーデ。ここには私達しかいないのだから」
「……だから緊張するのですが、お母様」
「ふふ、貴女もそういったことが分かる歳になったのですね。母としてこれほど嬉しいことはありません」
明らかに娘の動揺を感じ取っているはずなのに、余裕たっぷりに笑う母。
敵う気がしないと早くも白旗をあげそうになる。
いや、白旗を上げるも何も勝負など端からしていないわけだが。
王妃は未だ硬い表情のメイリアーデを見て、いつものその鉄壁の笑みを少し崩し苦笑した。
「貴女は本当に聡い子ね。よく人の機微を読み取れる。アラムトもそうだけれど、下の子というのはそういうものなのかしら」
「……聡く、ないですよ? だってお母様が何を考えているのか分からないです」
「あら、それは光栄ね」
「うう」
「でも本当に硬くならず大丈夫よ。大事な話には変わりないけれど、私は基本的には貴女の味方。貴女の助けになりたいと思っただけなのですから」
ゆったりと王妃はカップに口付ける。
優雅に、綺麗な笑顔でお茶を口にするその姿は流石と言うしかない。
上品なその所作の中に母の強さが見えるようで、いつも母といるときには背筋が伸びるような気持ちだ。
「それで、お母様。お話というのは」
だから、すっと姿勢を正してメイリアーデはそう尋ねた。
途端に王妃は満足そうに笑みを深めてカップを置く。
「陛下や王子達はまだ早いと考えているようだけれど、そろそろ貴女も知るべき時だと判断したの」
「何を、ですか?」
「女性龍の役目よ」
告げられた言葉にメイリアーデの目は見開かれる。
「貴女も気付いているでしょう? 自分が、どこか特別に扱われていること」
「そ、れは」
「貴女が他の王子よりも注目されているのは、単に貴女が末姫だからというだけではありません。より大きな理由があります」
と、そこまで話した王妃はそっと自身の指にはまる乳白色の指輪を外した。
番の龍から渡される、龍と同じ色をした宝石の指輪。
それは王妃だけではなくセイラやユーリもまた同じだ。
龍の番に選ばれた女性達は、皆その証として身に着けているものだった。
唐突に差し出された意味が分からず首を傾げたまま受け取るメイリアーデ。
これが何? と問おうとする前に王妃はメイリアーデの手元を指さす。
指輪を見ていなさいというばかりのそのしぐさにメイリアーデが従うと、変化はすぐ訪れた。
白い宝石が、少しずつ黄色に変化してきたのだ。
黄色。それはメイリアーデの色。
クリーム色に近い、淡い淡い色だ。
「その宝石は龍玉石と言って、龍人の意志によって色が変わる特殊な石なの。龍は番を見付けると、その者への想いを龍玉石に込める。そうして自分色に染まった石を指輪にして番に贈るの。昔から続く習わしよ」
「は、初めて知りました……! この指輪にそんな経緯が」
「ええ。龍人は人間よりも想いが強く一途な種族。だからこそ番への強い想いが石の色を決定付ける。他の龍人の影響すら受けぬほどに強い気持ちが色となって表れるの」
「……え」
説明を受けてメイリアーデはぎくりと固まった。
つまりこの指輪は龍から番への想いの証で、誰よりも番を愛しているという証明だ。
他の龍人が触れたところで色など変わりようがないほど強い想いが形となったもの。
そう解釈したメイリアーデは再び母から受け取った指輪に目を落とす。理解が正しければ、この指輪は父の強い想いを受けて白く染まっているはずだ。龍王と王妃の仲の良さは娘であるメイリアーデがよく知っている。
しかし、視線の先にある指輪は綺麗なクリーム色に染まっていた。
それってつまり。
そうあからさまに焦った顔をするメイリアーデに、王妃は面白そうに笑う。
「ただし、女性龍は例外」
固まったまま視線を移すメイリアーデに、王妃はくすくす笑いながら言葉を続けた。
「龍の世界は男性よりも女性の方が色濃く強い血を持つのだそうよ。だからこそ、どれほど玉に力を注いだところで女性龍が触れればたちまちその力に影響を受けてしまう。現に今、貴女の手に渡ったその指輪は貴女の影響を受け黄色く色を変えたでしょう?」
ゆっくりとメイリアーデから再び指輪を受け取った王妃は、大事そうにそれを薬指に収める。
その色はゆっくりとまた白く、父の色へと戻っていった。
男よりも女の方が龍の力が強い。
今目の前で起きた出来事を思えば、王妃の言うことは正しいのだろう。しかし、メイリアーデはいまいちピンとこない。
龍型を取れるのは男だけで、女にその力はない。
なのに龍の力としては女の方が強いというのは、矛盾しているように感じたのだ。
しかし、王妃はそんなメイリアーデの考えを見透かしたように、小さく首を横に振る。
「女性龍は、龍国に変革をもたらすほどに強い力を有しています」
「へ、変革?」
唐突に大きくなった話にメイリアーデは驚いた。
大げさではないかと思って口に出そうとするが、王妃の目は真剣だ。
「え、あの、でも女の私は、龍になれない、ですし」
しどろもどろになりながらそう告げれば、王妃はにこりと笑って頷く。
「ええ。貴女は、ね」
その妙にもったいぶった言い方に違和感を覚えて、メイリアーデは眉を寄せた。
自分は、龍になれない。
その言い方は、まるで自分以外ならば龍になれるとも言える言い方だ。
それでは、何が龍になれるのか。
答えがくるのは、すぐのことだ。
「女性龍は、番を龍にする力を持っています」
「え……、それって」
「男性龍に番として選ばれた女性は半龍となり寿命が延びるわ。ただ、それは龍の番であるというだけで不老長寿になる以外の力を持つわけではない。それは知っていますね?」
「は、はい」
「けれど女性龍は、番に選んだ男性を完全な龍に変えてしまう。生粋の龍人と何ら変わりのない……いえ、下手をすればそれ以上に強力な龍に」
決定的な言葉にメイリアーデは絶句した。
初めて聞くことだったのだ。
男龍と女龍で性質が違うことは知っていたが、そこまで大きな違いがあるなどとは知らずにいた。
「この国は龍人の存在が絶対よ。龍人の意志が何よりも重要視され、誰もが皆龍人に畏敬の念をもって仕えることで成り立つ国。その中で人間を龍人に変える力を持った貴女の存在がどれほどのものか、分かるかしら」
「……っ、それ、は」
「貴女が誰を番に選ぶか、どの家、どの派閥の者を龍へと変えるのか……それはともすれば国を揺らがしかねない一大事にもなります」
王妃の言葉は端的で、そして真っすぐだ。
目の色は真剣で、彼女の言う言葉が嘘ではないのだということを何よりも物語っている。
自分の存在の意味と影響力のあまりの大きさに、メイリアーデは言葉を失い固まった。
龍人というだけですでに特別というのに、さらに女という要素が加わるとその何倍も意味が重くなる。
国を揺るがしかねない。
それはどこか大げさにも感じるが、しかし決して過言ではないとメイリアーデ自身理解していた。
龍人の立ち位置はこの世界の規模で言っても非常に稀有で特殊だ。
人間社会の誰よりも龍人は高い身分とされ、跪かれるのが当然の存在で、絶対的な地位にいる。
他国の王でさえも龍人の前では膝を付く。
まだ生まれて十数年のメイリアーデの前ですら、どこの国の王も跪くのだ。
今のメイリアーデは、そういう地位にいる。
世界規模でそうなのだからこの国がそうじゃないというのはあり得ない。
むしろ龍の威光により不可侵領域となっているこの国は、どこよりも龍への信仰が深いのだ。
女性龍が番に選んだ人間は、完全な龍になる。
つまりそれは元人間の龍人が誕生するということ。
人間が誰も逆らう事の出来ない地位に足を踏み入れる男がこの先1人現れる。
その人物が誰なのか、それ次第によっては国の在り方もまた大きく変わりかねない。
そういうことだ。
「メイリアーデ。貴女が番を選ぶのは、王子達が番を選ぶのとは大きく意味が異なるわ。多くの可能性と危険性をはらんでいる。だからこそ、貴女にはおそらく誰よりも人を見極める目と、貴女自身の強い覚悟が必要となるでしょう。だから私はそれを伝えたくて貴女をこの場に呼んだのです」
母からの真っすぐな視線を、メイリアーデは見つめ返すことしかできなかった。
番。
そう心に唱えて咄嗟に浮かんだのはナサドの顔。
しかし、そういったことまで考えられるほどの余裕は全くない。
ただただ前世とあまりに変わってしまったナサドの様子が気になって、どうか笑ってほしいと願って、それで精一杯なのだ。
「……ナサドは、私の遠い親族なのよ」
ぐるぐると思考を回すメイリアーデに、そんな声が響いた。
ハッと顔を上げると、王妃が懐かしそうに目を細めながら言葉を続ける。
「龍国3大貴族の1つ、リガルド家。私の生家で、ナサドは私の弟のひ孫ね。……まあ、今はナサドもリガルド家から離れているけれど」
「え……、離れて、いる?」
「ええ。貴女が生まれる少し前に龍王家では少しもめ事があってね、イェランが国を飛び出したことがあったのよ。イェランはただ一人ナサドだけを連れて国を去った。イェランを止めるどころか逃走を手伝い危険に晒したという責めを受けてナサドはリガルド家から除籍されたわ。今の彼は龍に仕える立場なれど、龍貴族と名乗ることを許されていない。イェランの言葉によって特例でここに留まることを許されただけの立場にいるの」
「な……っ、そ、そんな! 私、何も知らな」
「言えなかったのよ、誰も。貴族達にとってみればイェランが国を捨てるような事態になったことは汚点でしかないし、イェランは貴女にオルフェルとの確執を悟らせたくなかった」
「それ、は……」
何かを問おうとして、しかしメイリアーデの口からはそれ以上の言葉は出てこなかった。
ナサドのこともイェランのことも情報量が多すぎて、しかもいずれも重すぎて安易に口に出せない。
イェラン派、オルフェル派という言葉が存在していることやその意味を知ってはいたが、それほどまでに深刻な事態になっていたとは知らなかったのだ。
ナサドの事情など尚更知るはずがない。
龍貴族ではない。
それは、この身分社会において恐ろしく不安定なことだ。
龍や龍との繋がりを重んじる龍国において、龍貴族でなければできないことが多いのだ。
社交界や龍貴族家、上流階級向けのお店、龍貴族街、それらの出入りも大幅に制限される。
当然人脈は薄くなり情報も入りにくい。家の後ろ盾を持たない立場では発言権だってほぼ無いに等しいだろう。
龍貴族街に出入りできないだけではなく、龍貴族でないということは王宮の仕官寮にすら住む資格を持たない。王宮に部屋を借りられるのは龍貴族だけだからだ。つまりナサドが居住できるのは龍王宮から距離のある平民街のみということになる。龍に仕える者としては公私ともに大きな支障が出るはずだ。
元は三大貴族の次期後継者。
その彼が貴族位をはく奪され、龍貴族として生きることを許されない。
それはメイリアーデが初めて知るナサドの立場だった。
物を知らないメイリアーデですら分かるほどおそろしく厳しい現実。
王妃は絶句したメイリアーデを見つめながら小さく息を吐き、何かを思い出すよう視線を逸らす。
ナサドのことについて、きっと何も思わないわけではないのだろう。
「ナサドにも事情があったのでしょう。そしてその中には間違いなくイェランへの深い忠誠がある。あの者は龍国内における自身の評価を地に落としてでもイェランの心を守ろうとしてくれたのだと私は思っているわ。それほどにあの時のイェランは追いつめられていたのだと」
静かに王妃の口から告げられたのは、おそらくは、王妃自身がずっと感じていたナサドへの素直な気持ちだ。何かを悔いるように唇を噛むその表情はメイリアーデも滅多に見ない母の姿だ。
現状を完全に受け入れているわけではないのだと、そう分かった。そしてこれはあくまでも憶測にすぎないが、もしかすると王妃もまたナサドを救おうと動いたのかもしれない。
イェランを思い動いたナサドに対して王妃からの信頼はおそらく厚い。
決して軽くナサドの存在を見ているわけではないのだと感じた。
「だからこそ私は貴女に問わねばならないわ。貴女にとって、ナサドは一体何かしら」
鋭い視線でこちらを見つめてきた王妃にメイリアーデは息を飲む。
おそらくこれが一番の本題なのだろうと察するに時間はかからなかった。
少しなりともナサドの事情を話し、メイリアーデが番を選ぶことの重大さを説き、その上で王妃はメイリアーデにこの問いをぶつけている。
メイリアーデがナサドへ普通とは違う思いを抱いていることにおそらく王妃は気付いている。
これだけ重い内容の話の後でメイリアーデが答えにくくなることも当然承知の上だ。
それでも口にするだけの覚悟が今のメイリアーデにあるのか、王妃は確かめようとしているのだろう。
もしくは、事の重要性をメイリアーデが理解しているのか確認するために。
ナサドを特別に扱うというのならば、生半可な覚悟ではいられない。
メイリアーデ自身の自覚と覚悟がなければ上手く立ち行かないと。
目を閉ざし、メイリアーデは頭を整理する。
王妃がメイリアーデだけではなくナサドのこともまた心配しているのだということは分かった。
そして、だからこそメイリアーデの心を正確に見極めようとしていることも。
ならば、メイリアーデが伝えるべきことは何か。
おそらくそれは嘘も脚色もない、今のメイリアーデの素直な心。
そう思ったから、メイリアーデは出来るだけ誤解のない言葉になるよう細心の注意を払って言葉にした。
「番については正直まだ考えられません。けれどナサドは私にとって特別で大事です。彼が笑わない理由を、私は知りたい。できることならば彼が自然に笑える場所に私がなりたい」
ナサドの為などではなく、自分の為の欲にまみれた気持ち。
本人の願いがどうなのか、メイリアーデには分からない。
無理に笑えと言いたいわけでもない。
けれど、彼は顔を皺くちゃにして笑えるような、そんな人なのだ。
お節介すぎる程お節介で、心配性で、人が苦しんでいたら思わず手を差し伸べてしまうような、そんな人。
昔は間違いなくそうだったし、今だって根は変わらない。
それだけは、メイリアーデも信じることができる。
だから。
「ナサドにどのような事情があろうと、彼が大事だと思う気持ちに変わりはありません。私は私を大事に守り支えてくれるナサドに見合える自分になれるよう精進したいと、今はそう思っています」
そうきっぱりと告げる。
そうすれば、「そう」と王妃はそれだけ言って緩く微笑んだ。
その表情には、どこか安堵の色が混ざっていた。




