八話 カレーは剣に通ずると我は思うわけよ
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夕ご飯を魔界の皆さんが食べ始める時間の一時間前、つまり夕方。ライラは案内された客室で悶々とした気分で過ごしていた。魔王との決闘という人生最大の覚悟が肩透かしになったのだ。無理もない。
(暇だ……)
無意識に手が愛剣に伸びる。身体が鍛錬を欲していた。彼女は基本的に一日十八時間の鍛錬をこなしている。よって睡眠以外でこのような部屋に留まることはほぼない。
(しかし……)
彼女は鍛錬をするわけにはいかなかった。それは去り際にリーシャが残していった言葉に起因する。
リーシャは言った。「魔王様が体調を崩し、鍛錬ができないこの期間に貴方だけが鍛錬するのは不公平では?」と。
そういうものか? とライラは頭を悩ませる。彼女は今まで体調を崩したことは一度だってない。しかしライラは超がつくほどに真面目だった。
(少しでも決闘にケチをつけるわけにはいかないか)
だから渋々ではあるが、魔王が復調するその時まで鍛錬はしないとその場で誓った。誓った以上、絶対にそれを破ることをライラはしない。脳内でも、しない。
(暇だ……)
そこまで回想し、ライラの思考はまた同じ場所に流れ着いた。
(鍛錬をしてはいけない時、何をして過ごすべきなのだろうか……?)
鍛錬しかしてこなかったライラにはわからない。
ガチャ。急に扉が開き、リーシャが中に入ってくる。
「お、おい。ノックとかないのか?」
「貴方にはいらないでしょう?」
メイドは戸惑うライラにシレッと返す。言われてライラは考える。確かに、ノックをする意味をライラは分かっていなかった。何故入る前に扉を叩かなくてはいけないのか? 寧ろせっかちな彼女として無い方がすっきりする。
「確かにその通りだ。それで、なんの用だ? 魔王はもう治ったか? 決闘か?」
「そんなわけないでしょう。数日はかかるといったはずです。夕ご飯の時間ですよ、私に付いてきてください」
その後ライラはこの部屋でいいとごねたが、リーシャになんのかんのと説得されてしまい、結局ついていくことになる。
5
「もうすぐ、あの怖い女が来る。ペト、準備は出来ているか?」
「はい、魔王様。えっと、ニンジン、ジャガイモ、豚肉、カレー粉。全部揃ってます」
魔王とその側近は現在、魔王城のキッチンにいる。元々いた炊事係のゴブリン、ことゴブ山は追い出された。今から行われるのは極秘ミッションなのだ、部外者がいては困ってしまう。
二人は普段の装いとは異なり、それぞれがエプロンを装着している。ペトラルカは普段の軍服よりもこっちの装いの方がしっくりくる。反対に、暴力の化身たる魔王には全く似合わない。そもそも、合うサイズもないためにピチピチだ。
しかし形から入るタイプの魔王にとっては料理の際にエプロンを着るのは当たり前だった。
「待って。今ニンジンって言った?」
「言いましたけど……?」
魔王が鋭い眼光で卓上のニンジンを睨む。
「カレーにニンジンは要らないよ。カレーにニンジンが入っていていい事があるかい? いや無い。他の具材は文句なしのスタメンだけどね。でもニンジン、お前は駄目だ」
「す、すためん? そうおっしゃられましても……。カレー? にはニンジンが必要だとリーシャさんが」
側近は困ったようにニンジンと魔王を交互に見る。そもそも彼女はカレーを知らなかった。この世界でカレーは魔界に広まっていない。人間界で最近流行りだしたばかりの珍味というポジションである。
しかし元々人間界でメイド修行していたリーシャはカレーを知っている。貴重なカレー粉を急遽用意したのも彼女だ。
「リーシャか。まだまだ不勉強のようだな」
そんなリーシャの苦労を知らず、魔王は肩を竦めた。魔界に人間界のモノを取り寄せるのは簡単ではない。二つを分かつ結界のせいである。並みの人間ならば、少し入るだけで死んでしまうような危険な場所に物を運んでくれる商人は少ない。
その商人との伝手を持っているリーシャの価値を魔王はまだ理解してはいなかった。原因は、リーシャが黙って簡単そうに用意してしまうからではあるのだが。
「えっと、魔王様。本当にこの作戦で大丈夫でしょうか?」
ペトは不安そうに魔王を見る。
「いいか? 相手を篭絡するにはまず胃袋。奴は明らかにそれが通用しそうなタイプだ」
ナチュラルにライラを馬鹿にする魔王。悪意はない。きっとない。
「それに共同作業というのも大事だ。作業を通して仲良くなること間違いなしよ」
(だったらいいなー……)
作戦を立案した立場上、自信満々に言ったが魔王にはそこまで自信がなかった。他人を篭絡? それも女性? できるわけがない。しかし諦めるわけにもいかない。諦めたらそこで人生終了なのだ。
そこで魔王は少ない知恵を絞り、幾つかの作戦を思いつくままに立案した。プランCもその内の一つである。
「共同作業ですか。私も頑張ります!」
「いや。今回は二人だけでやった方が効果的だろう。申し訳ないけどペトはここまでだ」
「そんなぁ……。魔王様との共同作業……」
うなだれる側近。慰めの言葉を探してオロオロする魔王。
「魔王様。ライラを連れてきました」
やがてライラを連れたリーシャが到着。それは魔王にとってありがたいタイミングだった。
「う、うむ。ご苦労。リーシャ、ペト。下がっていいぞ」
「仰せのままに。ほら、ペト。行きますよ」
名残おしそうなペトを引っ張って二人がキッチンから出ていく。残ったのは魔王と、魔王を殺しにきた戦士のみ。
「どういうつもりだ? 食事と聞いて来たのに、何もないではないか」
怪訝な表情で、ライラは周囲に視線を巡らせる。鍋はあれども、その全てが空だ。
「ライラ。お前は我の特別な客人だ。故にこれはお前の為の特別なもてなしなのだ。今から我とお前でカレーを作る。自分で飯を作ったことは? 美味いぞ」
(怒らないよね?)
なるべく自信たっぷりに見えるよう、気を付ける。リーシャ曰く、それがライラ攻略のポイントらしい。
「肉を焼く位しかやったことはない。料理など戦士のすることではないからな」
ライラは眉根を寄せる。やったー! レッツクッキング! という雰囲気では勿論ない。
「……見損なったぞ、ライラ」
心底がっかりした、という風に魔王は大げさにため息を吐く。
「どういう意味だ、魔王!」
場の空気が更に重くなっていく。ライラの発するプレッシャーで空気が振動する。
(ひえー! マジで怖いからやめてくれ!)
魔王は内心で冷汗をかきまくるが、表には出さない。今の魔王なら余程の圧迫面接も涼しい顔で受けることができるだろう。
「お前が小さい、ということさ。料理は戦士のすることではない、だと? 馬鹿が。それでは戦士は剣を振るだけなのか?」
「……そうだ。戦士は剣を振り、己すらも剣になることを目指す! それ以外は不要!」
魔王とライラの視線がぶつかり、火花を散らす。
(あー! 怖すぎぃ!)
「……それでは限界は近いな」
「なんだと!?」
「日常のあらゆる営み、料理、洗濯、遊び。その中にこそ、新たな発見があり、それが剣をより鋭くする。狭い世界でただ剣を振るお前には限界があるという事だ!」
目をそらさずに言葉を叩きこむ。しかしこのセリフ、魔王にも意味が分からない。ライラを丸め込むために、それっぽい事を咄嗟に考えたのだ。それっぽいだけなので、突っ込まれたら詰む。
一体日常のどんな発見が戦いで役立つというのか? 言った魔王本人も頭をひねる。
しかし――。
「……その通りかもしれん。分かった、そのかれー? とやらを作ろう。私に料理を教えてくれ」
ライラは至極真面目な表情で少し考えた後、そう言った。魔王は内心で胸を撫で下ろす。
◇
そこからはライラは魔王の言葉に不自然な程、真剣に耳を傾けた。その姿は師匠に教えを乞う弟子のようでもあった。
魔王は別に料理が得意という訳ではないが、それでも一人暮らしだったので基本は出来ている。今回はカレーなので尚更簡単だ。具材を切って鍋にぶち込み、煮込めば完成なのだから。
魔王は急に態度が変わったライラにビビりつつも、包丁の持ち方や、具材の切り方を教えていく。途中で玉ねぎの繊維に逆らって切ったせいで二人揃って涙を流したが、それ以外はスムーズに進んでいった。全ての具材を切り終え、鍋に入れて火にかける。後は三十分放置で完成だ。二人は側にある椅子に腰かけた。
「ご苦労。ここまでいけば殆ど完成だ」
「……そうか」
魔王の言葉に、ライラはホッとしたのか表情を少し緩める。
「どうだ料理は? 初めてなら色々大変だったろう?」
魔王は焦っていた。ここから煮込む三十分はライラと話さなければならない。気まずくならないように話すのは魔王にとっては難題である。結局、魔王になってもコミュ力は必要なことに魔王は絶望した。
「そうだな……。私の知らないことばかりだった。魔王、お前は芋を綺麗にむけるのだな。私は全然できなかった。皮むきの繊細な動作は剣の修行になるかもしれん」
「気づいたか……。その通りだ」
(んなわけないだろ!)
ライラが真剣に言うので魔王は笑いを必死にこらえる。
「魔王。私はまだ全然料理がわからない。教えてくれ」
「えーと。沢山あるぞ。包丁の技術でも素早く刻んだり、綺麗に切ったりとか。効率的に作業するには丁寧な段取りも必要だな。何かを火にかけてる間に他の作業をしたりとか」
「効率か。訓練計画を組み立てるには大事な要素だ」
納得したようにライラは頷く。そしてまた尋ねる。
「あとは?」
「そもそも、具材の組み合わせ、調理方法次第でほぼ無限なんだよ。その組み合わせの中で優れていると皆が知っているのが今知られているレシピだな。俺たちが知らないだけで、きっと他にもいい組み合わせは大量にあるに違いない。そう考えると料理って中々深いよな」
魔王は一々感心してくれるライラに気を良くして饒舌になっていく。
「……俺?」
だからつい、素がでてしまった。ライラの訝し気な視線が魔王に刺さる。
「わ、我は我だし! 俺とか言ってないし!」
露骨に慌てる魔王を暫し、黙ってライラは観察していたが、急にふっと力を抜いた。
「まぁ些細なことだな。それよりも、もっと色々教えてくれ」
「あ、ああ。いや、うむ。良かろう!」
(せ、セーフだよね?)
魔王はその後慎重にライラの様子を窺ったが、その内心まで覗き込むことはできなかった。
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