十一話 魔王の変貌
四章 入れ替わり魔王の決断
1
ライラが魔王城にやって来てから、既に一週間が過ぎていた。
その間に、ライラは魔王と様々な時間を共有している。
魔王は多くの事、ライラの知らなかった様々な知識を与えていた。
料理。掃除。自然。人間の事。遊び。
それはどれもこれもライラには新鮮で、面白い。
ライラはこれまで、周囲が、父が望むように力だけを求め続けた。それは父が死んだ後にも変わる事はない。
けれど、彼女は決して力以外の事柄に完全に興味がなかったわけではない。
ある時、彼女が森で鍛錬をしているとそれに気づかずに、同じような年頃の魔物がじゃれあって遊んでいるのを見つけた。
最初、ライラはそれを気にも留めなかった。別段、それで彼女の集中力がそがれる訳ではない。ライラはただ黙って、剣を振りつづけた。
そして休憩の間は暇つぶしに、邪魔をしないようにこっそりと彼らを見ていた。
彼らは仲良く寄り添って、それは楽しそうに話をしている。そんな彼らを見ているとモヤモヤしてきて、それを振り払うために彼女はその日、普段の二倍素振りをした。
次の日も、彼らはその森にいた。この場所が気に入ったのか、その次の日もいた。
いつしかライラは彼らを見るたびにモヤモヤとして、集中をそがれた。彼らに声をかけてみたいという気持ちも生まれてくる。
結局、ライラは訓練の場所を変える事でその気持ちを捨てる事ができたのだ。
先日、ライラはその話を魔王にしてみた。
すると魔王は「ライラも仲間にいれて欲しかったんじゃないか?」などと言う。
その場ではありえないと一蹴したが、すんなりと、その言葉は彼女の中に入ってくる。
ライラは自分でも気づいていなかったが、力以外にも興味を持っていたのだ。
しかし今までは、その感情は不要であり剣を鈍らせる要因になると考え、浮かぶ度に捨ててきた。
だが魔王は、そんな彼女に大義名分を与える。
「日常の新しい発見で強くなれる」などと適当を言った魔王だったが、それが彼女を今まで縛り付けていた考えから解き放った。
この言葉をライラにかけたのが、もしも魔王でなかったら彼女は今までの考えを曲げる事がなかっただろう。ライラは自分より格下の、弱い者の意見を聞くことはない。少なくとも、鍛錬においては。
こうして魔王は、図らずもライラを大きく変えてしまったのだ。
そしてライラは今、自室で日記を読んでいた。
「今夜は、魔王に新しいゲームを教えてもらった。トランプを使った遊びの一種である大富豪。このゲームには他にも人数が必要なので、リーシャの奴とペトも一緒に遊んだ。面白かった。早く明日になって欲しい。また魔王と遊びたい……。ん?」
声に出しながら、日記を読んでいたライラ。
途中でおかしな事に気づいた。
「って私は魔王と戦いにきたんじゃないか! なんで明日も遊ぶ前提になってるんだ!?」
あまりのショックに思わず、誰もいない部屋で大声をだしてしまう。
ここの所のライラは毎日、日記を書いていた。
そして書いた後、前の日の部分を読み直し、楽しかった記憶を思い返して表情を緩める。
日記の書いた部分が増えるにつれて、その時間は増えていった。
そこまでは無意識の行動だ。
しかしその後は、いつも自己矛盾で苦しんでいた。
(魔王は敵――なのに)
魔王に一緒にいるのを許すのは、彼女が新しい事を学ぶためだ。それは強くなる為でもある。
しかし敵であるはずの魔王と過ごすその時間を大事だと、貴重であると、考えてしまうのは彼女にとって許してはいけない事だった。
今は、魔王の体調が良くなるまでの停戦期間。
将来確実に戦う事になる魔王と仲良くなるなんて、本来あってはいけなかったのだ。
だが魔王と過ごす時間が増えていくに連れ、ライラはそれを楽しみにしている自分を自覚し始めていた。その自覚は、厳格である彼女を苦しめることになる。
「魔王が悪い。何故奴は、敵である私に――」
親切に接するのだろうか?
その疑問は、初日からライラは持っていた。
しかし魔王がどう思っていようと、彼がライラに知恵を与えるならば、それを拒む必要はない。強くなることに、ライラは貪欲だった。彼女にとっては、強くなることが最優先事項であり、魔王の気持ちなんてどうでもよい事だった。
だがここ数日のライラは、どうでもいいはずの魔王の気持ちが気になって仕方ない。
「魔王、お前は何を考えている……」
愁いを帯びた表情で、ライラはベッドにうつ伏せに倒れた。
なんとなく側にあった枕を引き寄せ、胸に抱く。
「しかし、魔王アルタイルはあんな奴だったか?」
ライラには他にも疑問がある。
そもそもライラが魔王を打倒しに来た要因の一つに、魔界の救済という名目がある。
勿論、彼女の第一の目的は最強になること、その過程での魔王だ。
だが先代魔王の娘としては、魔王になってから魔界を荒れさせ続ける魔王アルタイルの蛮行を許すわけにはいかない。
噂では、というか事実なのだが魔王アルタイルは屑だ。屑なはずだった。
やる事と言えば、お気に入りの女で周囲を囲い、淫行に耽る毎日。
魔王としての責務を一切果たさず、現在の魔界は大魔獣がその数をどんどん増や続けている。戦士長バルギウスは各地を回り、その数を減らしているらしいが、それでも増えるペースの方が多い。
たまに外出したかと思えば、お気に入りの女を見つける旅だとか。
そして気に入った女がいれば、強引に性交渉を迫るというのがもっぱらの噂だ。
というか実話だ。沢山の目撃者、証言がある。
こっちは噂なのだが、魔王に恋人を奪われた男たちの被害者の会があるとかないとか。
完全にふざけた魔王であるはずのアルタイル。
(だが、今まで奴がやってきた事と今の魔王。その両者はかみ合わない)
ライラは一週間の時間を魔王と過ごしてきた。その時間は決して長くはない。
しかしその人となりを判断するには充分な時間だ。
「あいつは優しくて、部下に慕われている。確かに側近のペトラルカと馬鹿メイドは女だが、節度を持って接しているようだ。噂に聞くアルタイルとは……やっぱり違いすぎる」
ライラの脳裏に、魔王が側近と微笑み合う姿が浮かぶ。それは、昨夜に大富豪をしている最中の風景だった。
「う」
ズキリ。胸が締め付けられた。
魔王の事を考えていると、たまにこうして胸が痛む。
数々の戦場、修羅場を実際に潜り抜けてきたライラにとって、痛みなど日常茶飯事。ライラは例え片腕がもげようと、もう片方の腕で敵と戦う覚悟と意志がある。
しかし――。
この胸の痛みは、ライラにとって耐えがたい痛みだった。
(なんだ! なんなのだこの痛みは!)
ライラは枕をより強く、抱きしめた。
「ぬがー! わからん! なんなのだあいつは! 敵なのに親切! 噂とは別人! そしてこの謎の痛み! 全部あいつのせいではないか!」
ライラは不意に身を起こし、枕を壁に投げつけた。
ポスン。気の抜けた音を出して、枕は床に落ちる。
「よし、決めた。魔王に全部問い詰めてやる! このままモヤモヤとしているのは、私らしくない!」
ライラは愛剣を腰に吊るすと、足早に部屋を出て行った。
吹っ切れたのか、その表情は明るかった。その表情は見る人によっては――恋する乙女のモノに見えたかもしれない。
ライラは実直で、取り繕わない。
その足で魔王の元に向かうと、話があると真っすぐに伝える。
魔王は側近と何やら勉強をしていたようだったが、ライラの用件を聞くと頷いて彼女を城の庭に連れ出した。
庭にあるテラスに、二人は向かい合って腰を下ろした。
花が咲き誇る庭園で、いい香りが周囲を満たしている。
そして、側近も子供メイドもいない。
魔王は大抵そのどちらかを側に置いていたが、今回はいないようだ。
ライラはそれを嬉しく思った。初日以降、ライラが魔王と二人きりになったことは少ない。
(って何故二人になると嬉しいのだ!?)
ライラは内心で勝手に混乱していた。
「それでライラよ。我に話とはなんなのだ?」
「あー。それは、だな」
ライラはまだ混乱していた。真っすぐに魔王を見る事が出来ない。
「ふむ。まぁいきなり本題というのもなんだな。ライラ、お前がいたというヴァンパイアの集落での話を聞かせてくれないか? 我はそれが少し、気になっていたのだ」
「集落の話? それならば構わない、話そう」
ライラは魔王に話題を振られ、少し落ちついた。
「ありがとう。まずは、そうだな。ライラは集落ではどんな風に暮らしていたのだ?」
「私の話ではないか。いいけど。私は、鍛錬をして暮らしていたぞ」
「ほう、鍛錬。流石ライラだ。あとは何をしていた?」
「あ、あと? あとはだな……。そう、狩猟だな! 近辺の動物や魔獣を狩るのだ。逃げる獲物を追い詰め、山の中を走るのは良い鍛錬になるぞ」
「結局、それも鍛錬ではないか……」
「そうか。私としては、息抜きのつもりだったのだが……」
「鍛錬以外にはないのか?」
「以外、なのか。鍛錬の事なら沢山思い浮かぶぞ」
魔王は少し、苦笑していた。
「そうだな。他の住民と接する機会はなかったか?」
「殆どないと思うが……。そうだ、あいつらは私に長になるように言ってきたな。どうせ、面倒な仕事を押し付けるつもりだったのだろう。鍛錬の時間を減らすわけにはいかない、私は断ってやったのだ」
「面倒ね。本当にそう思うか?」
魔王の言葉に、ライラは首を傾げた。
「なんだ、他に真意があったかのような言い回しだな」
「ああ。これは我の予想なのだが、集落の彼らはライラを慕っていたのではないか? だから責任ある長という役職に就いて欲しかったのではないか?」
魔王が、ライラを真っすぐに見据えて言う。
「……。私はそうは思わないな。集落の連中と私が関りを持ったことなんて殆どない。私はそもそも、集落の外周部、側に誰もいない場所で暮らしていたんだ。慕われてなんかいない。適当を言うな」
「さっき、魔獣を狩っていたと言っていたよな。そのお蔭で、ライラの集落は安全だったんじゃないか?」
「そう、かもしれない」
思い返してみる。確かに、彼女の集落は魔獣の被害者がいなかった。ライラが移り住んでから、ずっと。
「それだけで、ライラを慕う理由になると我は思うが」
「ふん。そんな訳あるか。魔獣を狩っていたのは鍛錬の一環だ。別に奴らの為にやっていたわけではない」
だが突き放すような言葉とは裏腹に、ライラの心は暖かくなっていく。
(本当にそうだったとしたら嬉しい、な)
ライラは、村の為に何もしない自分は疎まれていると思っていた。
魔王の言葉で、その認識が少しだけ修正される。
「まあ全部、我の憶測だがな」
「その通り。おかしな妄想をするな」
魔王は口の端をニヤリと吊り上げる。
ライラもつられて、笑みを浮かべた。
「さて、じゃあ世間話はこの位にしておくとしよう。ライラ、我に話とはなんだ?」
今度はライラも落ち着いていた。
「魔王。お前は何故、私に親切にするのだ? 何故、噂のお前と実物のお前はかけ離れているんだ?」
ライラには、もう一つ聞きたいことがある。
それは、魔王の事を考えると発生する痛みについて。
しかし何故か言い出しにくく、それは一旦保留にすることにした。
質問に対する返答は直ぐには帰って来ない。見ると魔王は腕を組み、深く考え込んでいるようだった。
「うむ。尤もな、質問だな」
ただ一言、魔王はそれだけ言う。
それだけだが、その声音は暗く、重い。場の雰囲気は一気に張り詰めたように感じる。
ライラはなんとなく、嫌な予感がした。直感的に生きる彼女の予感の的中率は高い。
魔王の双眸が、ライラを強く見据える。その瞳の色は暗く、深い。
「我がお前に、優しくする理由か。……フッ。ガハハハハッ!」
急に、魔王は笑い出した。ライラはその笑いの意味がわからず、困惑する。
「一週間。一週間も経ってから、ようやく疑問を持つようになったのかお前は! なんとも愚か! 筋金入りの愚か者だぞ! ライラよ!」
魔王は嘲笑交じりに、言葉を紡ぐ。
「ま、魔王。どういう事だ?」
ライラは急変した魔王に、ただ戸惑っていた。
「まだわからんのかお前は! 本当に残念な奴だな貴様は。いいか? 我はお前で遊んでいたのだ。先代魔王の娘が意気揚々と乗り込んで来ると聞いてな。我は思いついたのだ。ただ戦えば、我は直ぐに貴様を殺してしまう。それだけでは面白くなかろう? だからゲームだ。男を知らんお前をどこまで誑し込めるかというな」
「な、え……?」
言葉が、理解できない。
ライラは何か言おうとしたが、うまく発声できなかった。
心臓の音が、体の震えが――ライラを支配する。
「実に面白かったぞ! お前の反応はな! 敵であり、父の仇であるはずの我に対して無邪気に笑うお前は実に滑稽だった! そもそも、魔王たる我が体調を崩すはずもなかろうが!」
「……!」
もう、ライラは邪悪にほほ笑む魔王を直視できなかった。
視線を、自分の膝に落とす。もう何も見たくない。何も聞きたくなかった。
「どうした? 落ち込んでいるのか、ライラ? 馬鹿で、愚かな娘よ」
「――どこまでだ?」
ライラは俯きながらも、必死に声を絞りだした。
「なんのことだ?」
「どこまでだ! どこまでが嘘だったのだ、魔王!」
(私といた時に話していた事。教えてくれた事。ほほ笑んでいた事。全部が嘘であるはずがない!)
ライラは、まだ魔王の事を完全に憎めていなかった。どこかで、信じていた。
「ガハハハハッ! とんだ愚問ではないか! おいおい、我をそんなに笑わせたいのかお前は! 勿論、全部だ。お前に対する何もかもが嘘だ。欺瞞だよ」
「嘘だ……」
魔王の言葉がライラの内に、深く、冷たく沈み込んでいく。
悲しい。悲しかった。
胸が痛い。今朝の痛みとは比較にならない痛み。
彼女の心はこの一瞬、死んでいた。悲しみの許容量が、彼女のそれを上回っていたから。しかし、そんな彼女の心は次の瞬間には活動を再開した。
悲しみは、憎悪と憤怒へと変換。
怒りという、強いエネルギーのみが彼女の心を満たしていく!
ドガァ!
ライラと魔王が座っていたテラスが吹き飛び、ただの木片と化した。周囲の美しい花も、それに巻き込まれて粉みじんになる。
怒りだ。ライラの怒りが内に秘められた膨大な魔力に反応し、爆発したのだ。
テラスはなくなり、彼女の周囲は更地になったが魔王はその爆発程度ではダメージはないらしい、涼しい顔をしている。
「ガハハハハッ。流石の魔力ではないか、ライラ」
ライラは俯いていた顔を上げる。
そして、魔王を正面から睨みつけた。全霊の怒りを込めて。
その瞳の端には、涙が貯まっている。
「起きろ! オンリーブラッド! 主たる我は汝にこの生命を、魂をかけて誓う!『私は魔王アルタイルを絶対に殺す!』。誓いを遂行するため、我に全ての力を捧げろ!」
彼女の腰の魔剣――オンリーブラッドが赤く輝く。
その光は、マナウルフの時の比ではない。強く、はち切れんばかりに輝いている。
ライラは誓った。
決して破る事の出来ない誓いを。目の前のこの魔王を殺すために。
「さあ来い! ライラ! その誓いを果たしてみせろ!」
魔王も構える。無手ではない。腰にさしていた巨大な剣を両手で握りしめている。
場は一触即発の空気である――と思われたが。
「いや、まだだ。決闘は夜だ」
「何?」
ライラが剣を鞘に納める。納めはしたが、その双眸には殺意を滾らせていた。
「分かりきったことを言わせるな。決闘は夜にやると昔から決まっている。我々魔物は夜にこそ、その最大の力を発揮することができるからな。決闘はお互いが最良の状態で行うべきだろう」
「……」
魔王は黙る。
(なんだその顔は。今知ったばかりという顔は! 常識だ! そうやってまだふざけるつもりか!)
怒りで剣を抜きそうになるのを、ライラは必死で自制した。
本音を言えば、今すぐにでも殺してやりたいが古くからある魔物の伝統を無視するわけにはいかない。それも、魔王との決闘であれば尚の事だった。
「……。私はそばの森で待っている。夜になったら絶対に来い。直ぐに殺してやる。来なくても、私からお前を殺しにいくからな!」
それだけ言えば、もう用はない。
すぐにこの場を、魔王の側を離れなければ彼女には自制がききそうもなかった。
全力で跳躍し、森を目指す。
「殺す。絶対に殺す!」
少しでも怒りを発散させるために、ライラは吠えた。