九話 我とボードゲームしない? 前編
夕食を魔王と食べ終え、ライラは元の客室に戻ってきていた。戻ってきても特にすることはない。ベッドに寝転がって先ほどまでの魔王との夕食を思い出す。
(美味しかった)
カレーはとても美味しかった。魔王の言うように、自分で作ったからかもしれない。
いままでライラは食事に気を払っていなかった。ただ強くなることのみを追求していた彼女にとって、食事とはただ生命を繋ぐためにしなくてはいけない、ただの面倒な義務でしかなかったのだ。だから基本的には肉を焼いて食べていただけだった。そんなライラにはカレーでなくても美味しいに違いない。
(剣を振るだけでは限界がある、か)
次に考えるのは剣の事だ。そもそも、普段からして脳内のほぼ全てが鍛錬で埋まっているのがライラである。チラとでも他に思考がいく方が珍しい。
魔王が最初に料理をすると聞いた時、ライラは馬鹿らしいとしか思わなかった。しかし魔王の言うように、彼女は最近伸び悩んでいたのだ。強くなる為なら、どんなことでもする覚悟がライラにはある。それが料理だと言うなら、迷わずライラは料理をする。
(それに、楽しかった……かも)
魔王とした料理。それは新たな発見に溢れていた。具材を刻む感触、カレーを煮込んでいる間の匂い、完成はまだかと焦れる心。
それになんだか懐かしくもあった。父がアルタイルに殺された日から、戦士長バルギウスと別れてしまい、それからはひたすら自力で自分を鍛えてきた。師事する人物はいない。どの人物も彼女より弱かったからだ。
だから他人からモノを教わるというのが懐かしかった。魔王はその風貌に似合わず、優しく丁寧に聞けばなんでも教えてくれたのだ。
(ハッ! 私は何を考えているのだ!?)
魔王との料理を楽しんでいた自分にようやく気づき、ライラはブンブンと首を振る。楽しんではいけないのだ。魔王は殺すべき敵。剣を鈍らせないように、殺意で研ぎ澄ます必要がある。
コンコン。不意に扉が二度叩かれる。
「リーシャか? ノックは不要だと言っただろ」
しかし扉を通して聞こえてくる声は、ライラの予想に反するものだった。
「我だ。入ってもいいか?」
(ま、魔王か!?)
丁度魔王の事を考えていた彼女は急の来訪に少なからず動揺した。慌てて身を起こす。返答は少し考えたがダメだと言う訳にもいかず、ライラは入室を許可した。
「失礼する。夕食振りだな」
そう言って入ってきた魔王の手には見慣れない箱が握られていた。それを見るライラの視線に気づき、魔王はニヤリと口の端を持ち上げる。
「これが気になるか?」
「ああ。それは一体なんだ?」
ライラは素直に問う。彼女は生来、素直なのだ。
「ふふふ。まぁ待て。恐らく口で言っても分からんだろうからな」
魔王は床に腰を下ろし、箱を開けて中のモノを取り出す。ライラはその中を見ても、魔王の言うように、それが何だか分からない。魔王はその中身を一つずつ、床に広げていく。
何やら色々と書き込まれた木製の大きな円盤が一つ。小さな木札の束。サイコロ。それと小さな木片。木片は良く見ると人のように見えなくもない。
それで全てのようだ。全部見ても、やっぱりライラには分からない。彼女は視線で魔王を問いただした。
「やっぱり知らなかったか。これは人生ゲーム。これも人間界から取り寄せた。最近人間界で流行っているボードゲームなのだ」
人生ゲーム。頭の中で反芻してみても、それが何だか分からない。
「そのぼーどげーむとはなんなのだ?」
「そこからか。ボードゲームとは、非電源式のゲーム。と言っても分からんよな。うーむ。つまり娯楽の一種だ。遊びだな」
娯楽。ライラには縁の無い言葉である。普段の彼女なら完全に興味を失い、下らんと言い放つだろう。しかし先ほど魔王に言われたことが尾を引いている。知らない事から、強くなる発見があるかも知れなかった。
だから、やりたいと思う。しかしそこでライラは困った。自分は殆ど遊んだことがない。どう遊べばよいのだろうか。
「そう、か。……しかし私はできないな。そもそも遊んだことがない。多分、私とやってもつまらないぞ」
素直に思ったことを言う。そしてバンパイアの集落での事を思い出していた。ライラは戦力としてはとても重宝され頼りにされていたが、それだけだった。尊敬され、敬われたが、それだけだった。ライラは集落の行事や祭りに呼ばれることは無かった。それより以前、魔王の娘としてこの城で暮らしていた時も同じ。彼女に求められるのは強さだけだった。外敵から集落を守る強さだ。
「うむ。なら我が一から教えよう。何、難しいルールはない。直ぐに楽しめるようになる」
それでも魔王は当然のように頷き、教えるという。
「……面倒ではないのか? 他の者とやったほうが楽しいぞ。私とでは、つまらないぞ」
「我はライラとやりに来たのだ。つべこべ言うな。さ、早くやるぞ。ほら、これがライラの駒だ」
再度確認するが、魔王は帰ろうとはしない。
(私と……か)
ライラは胸の内に知らない感情を見つける。溢れてくるそれは、嫌ではない。寧ろ心地良いような気さえした。それでもライラはその感情に蓋をすることにする。この感情が溢れてしまえば、弱くなる。そう直感が叫んでいたのだ。
「強引なやつだ。分かった。やるよ、教えてくれ」
仏頂面で駒を受け取りそう言うと、魔王は少しだけ嬉しそうに笑う。その笑顔を見ると、蓋をしたばかりの感情がまた暴れだす。今度はさっきよりも入念に、蓋をする。
「いいか? まずはここのマス。スタート地点から始まる。それでサイコロを振るんだ。っと、三か。そしたら自分の駒を三個動かす」
魔王はライラの変化に全く気付く様子がない。楽しそうにゲーム板だけを見ていた。魔王は実演しながら説明するようだ、駒を進めていく。
「で、ストップ。この止まるマスが肝心なのだ。えーと……、『山賊の襲撃! マイナス三万デリー』だと! いきなりついてないなぁ」
そして魔王はマイナス一と書かれた木札を三枚、手元に引き寄せた。
「これで我のターンは終わりだ。さ、今度はライラの番だぞ」
言われてライラは固まる。まだよくわからない。一体それに何の意味があるのか? しかし、まずサイコロを振る事は分かった。とりあえずサイコロを振る。
コロコロ。目は五。魔王がやっていたように、自分の駒を進める。一、二、三、四、五。ここでストップだ。
「えーと……。『友達ができた。次のターンは二回サイコロを振る』か」
「おお! 中々いいじゃないか」
反応の鈍いライラと対照的に、魔王ははしゃいだ。
「こんな感じで交互にサイコロを振って駒を進めていくんだ。最終的に、先にゴールした方が勝ちだ」
「……なんで私の出目によろこんだんだ? 私が良い目をだすのは魔王には良くないだろ?」
「いや、まだ序盤だし。そうカリカリしても楽しめないからな」
「そういうものか……」
ライラには分からない。勝つためではないなら、これはどこを楽しむ遊びなのだろうか?しかし分からないままにも、ゲームは進んでいく。
このゲームの最初の関門、職業選択ゾーンに入った。サイコロの出目によって職業が選べるのだ。気に入らなければ振り直しもできるが、一回だけ。振り直した結果、出目が悪化する可能性もある。
ここでいい職業に付けばゲームを優位に進められるので大事なゾーンだ。
奴隷、農民、商人、貴族、王族、冒険者。この順に一から六までの出目が対応している。基本的には出目が大きい方が強いが、冒険者だけは別だ。冒険者は給料すらもサイコロの出目で決まる。最大なら王族を超えるが、最小なら奴隷以下というギャンブルな職なのだ。
ここに最初に辿り着いたのは魔王だった。サイコロの出目は――四。貴族だ。
「うむ……。よし、貴族でいくぞ。振り直して悪化するのは勘弁なのでな」
次のターンにライラもたどり着く。出目は――一。奴隷だった。
「うお、ついてないなぁライラ」
「……このどれいというのは何なのだ?」
ここまでに魔王からゲームの説明は受けているので、この奴隷がゲーム上で不利な事はライラも理解している。しかし、そもそも奴隷という存在を彼女は知らない。それどころか、貴族も知らない。魔界には奴隷や貴族はいない。そういった身分制度は無いのだ。ただただ、強い者が支配する世界なのである。
「被支配階級……。厳密には我も良く知らないが、人間であって人間としては扱われない存在だ」
その質問に、魔王は少し困ったように答える。
「人間であって人間ではない? よくわからん」
「奴隷には普通は人間が持っている自由は無い。毎日を命令通りに働くしかないんだ。非道な扱いを受けても、それを受け入れるしかない」
魔王の言うことを聞き、ライラは首をかしげる。
「奴隷は弱いのか? 弱いヤツはそう扱われても仕方ない」
そう、魔界ではライラの言う通りだった。弱者は強者の命令に従うしかない。それが嫌なら、戦うしかないのだ。
「弱くない奴隷もいるだろうな……」
「なんだそれは。なら戦えばいい。闘争に勝てば、周りも認めてくれるはずだ」
「そういう問題ではないんだ。社会的、経済的に弱いと人間界では大変なのだ」
魔王は諭すようにライラに言うが、魔界の慣習にどっぷりつかり切っているライラにはそれは理解しがたいことだった。魔界ではペトラルカの様な平和主義、リーシャの様な柔軟な思考は変人扱い。ライラのような思考が常識なのである。かなり極端な部類ではあるが。ライラは強すぎるのだ。精神的にも、肉体的にも。
その強さゆえに、ライラは魔物の集落内でも孤立していた。いや、彼女の場合は孤高と表現するべきだろう。
「強ければ、金も、部下も着いてくる。魔王は変なことを言う。まぁいい。どれいは嫌だな。私は振り直そう」
出目は――六。今度は冒険者だ。
「ぬ。冒険者か。羨ましいぞ」
「……ぼうけんしゃか」
ライラは今度も言葉の意味が分からない。魔界には冒険者は存在しないのだ。しかし何度も何度も魔王に質問するのに、ライラは流石に引け目を感じてきていた。自分の無知が少し恥ずかしくなってくる。
そんなライラの様子を魔王は察した。
「冒険者は魔界にはいないからな。知らないのも無理はない。魔獣の退治や、荒事を専門に扱う集団のことだ」
「魔獣の退治と荒事? そんなの、魔界では子供でもやっているぞ」
人間界の何倍も魔獣が発生する魔界では、全員が武力を持たないと生きていく事は出来ない。それ故に、子供でも弱い魔獣位なら戦えるのだ。
「人間界では魔界ほど魔獣は出てこないからな。専門に少数いればいいのだ。魔界と違って、殆どの人間は魔獣と戦うことはないし、戦う力はない」
「じゃあ人間は雑魚ばかりということか。やはりお父様が言っていた通り、大陸の半分を支配するには相応しくない種族だな」
ライラは心底人間を見下していた。このように大抵の魔物は人間を下等生物と考え、逆に人間は魔物を野蛮な下等生物とみなす。これがこの世界の不和の根源なのだ。
「人間を甘く見るな。この冒険者の中には強者もいる。何より人間には魔界には無い、文明がある」
「文明?」
「力のない人間でも扱える武器、とかな。それにさっき食べたカレーも文明の力の一つだ。カレー美味かったであろう? あとこのゲームもそうだな」
ライラは考え込む。確かに魔物ではあんな美味い食べ物を作ろうという発想はないだろう。それにこんな複雑なゲームは魔界にはない。
(カレー。ゲーム。どっちも悪いモノではない)
ライラは今のところ、ルールや目的があやふやながらも、少しずつ人生ゲームを楽しみだしていた。サイコロを振るときに、理由はわからないがワクワクするのだ。
「人間か。私にはよくわからん」
だから、人間を完全に見下すのはとりあえず辞めた。見るべきところも確かにある。
「フフ、これから分かっていけば良い。それではゲームを再開しよう」
夜はまだ長い。
真っ赤な戦士と魔王の人生ゲームは、続く。