魔術師の追憶
魔術師はいつだって時計を持っている。それも普通の時計ではなく、針の止まった壊れた時計。それを大事に胸に抱えて、彼は今日も人間を眺める。
時ヶ峰の街には昔から、化物がいるやら神様がいるやらおかしな噂が溢れていた。それも時間が経つごとに徐々に風化して、いつしか人間の記憶の中から姿を消した。しかし実際に化物はいる。天使も悪魔も大神だっている。更に言えば魔術師だって化物だ。他の化物が生まれるずっと前からこの場所に、舞台に上がり続けていた一人の立役者だ。
そんな彼は人間が嫌いだ。
自分が何によって出来上がっているのかを知らずに、我が物顔で生きている人間。醜く争う浅ましい人間。脆くて壊れやすい人間。兎に角、彼は人間が嫌いだ。
今日だって何処かの誰かが、悩んでは泣き、助けを求めずに塞ぎ込んでいる。
それを見るたびに彼は思うのだ。
あぁ、どうしても人間は自分の考えを形にするのが難しいのだと。助けを求める事が格段に下手なのだと。
かくいう彼は、偉大なる魔女のように心が読めるわけではない。寧ろ人間の心理なんて全く知らないとさえ言える。
いつか時計台の精霊が彼に言った言葉がある。
人間は貴方が思っている以上に素敵な生き物なのだと。
これに対して彼は、お前がそう誤認しているだけで人間は浅ましい生き物だ。気に食わないことがあれば、それを全て無かった事にする。自分の考えを他者に押し付けるか、一人で閉じ籠るだけだ。そう答えた。
無理もない話だ。何故なら彼は、ずっと人間の悪行しか見てきていないのだから。見ていない事柄はどれだけ強く説かれようが所詮はただの絵空事だ。
小馬鹿に、というよりも完全に否定している彼を見て、精霊は続けた。
貴方は知らないだけ。確かに人間の中にはそう言う人もいるわ。でもね、考えを他人に押し付けるのも、それに閉じ籠るのも、そこには必ず相手を思う気持ちがあるのよ。相手をこれ以上に心配させたくないから、迷惑をかけたくないから、人間はそうするの。
彼は言う。
相手を思うから自分が壊れる事になるのだろう。壊れる事は迷惑ではないのか。仮に壊れるぐらいなら、そう宣言してから壊れた方が良いのではないか。どうして遠回しに言うのだ。ハッキリと直接に言った方が相手にも伝わるだろう。
決して支離滅裂ではない、理に敵った彼の言葉に精霊は微笑みながら返すのだ。
それが出来ないから人間は良いんじゃない。私達のように、何もかもを一人で解決できなくて、周りの事を考えてしまっている。遠回しで、比喩を使って、相手を思って敢えてそう言うのよ。それがどれだけ素敵な事か貴方には分かるかしら。人間は確かに脆くて壊れやすいわ。でもその代わり、誰かがきっと助けに来てくれるの。壊れた所を補ってくれるの。そうやって今まで人間は生きてきたのだから。
理解も賛同も出来ないが、言い返せない彼は押し黙る。そして負けを認めるようにして、溜息混じりにこういった。
人間とは何とも面倒な生き物なのだな。
精霊は先程以上に、柔らかな笑みを浮かべる。
えぇそうよ。人間はとっても面倒で、とっても情の深い素敵な生き物なの。
その言葉を思い返して、彼は再び世界を見る。
完全を追い求めたかと思えば不完全を愛す。平穏や普通を望むもそうならず。彼から見れば充分に助けが必要に見えるものの、一人で抱え込んで悩み、同じように壊れていく。誰かを助けようと奮起するも、待つべきか行動して良いか分からない。運命を呪い、信仰にすがり、無慈悲に昇る朝日を妬む。
あぁ、なるほど。確かにあの精霊の言う通りだ。
人間とは何とも面倒で不器用で、とても情が深い。だからこそ時に空回りして、ぶつかって、罵って、泣いて、喚いて、塞いで、抱え込む。不器用になりに遠回りして、相手を事を心配しているのか。
彼は今でも時計を持っている。針の動かない壊れた時計を。
これを使って一度、世界をリセットしようとして、人間に止められたことを今の人間は知らない。
全てが終わり、人間に対する見解を覆したわけではない。今だって彼は人間が、あの精霊のように好きなわけではない。
それでも、自暴自棄になって泣いている人間に、戸惑いながらも手を差し出す人間を見て今は思うのだ。
どうやら多少は、人間という生き物も捨てた者じゃないなと。