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主食はビーフウエリントン

文春「図書館の文庫本貸出禁止」発言に思う

 文藝春秋社の社長が全国図書館大会で、図書館は文庫本の貸し出しを禁止すべきだと主張しました。

 文庫本は安価なので読者は図書館で借りるのでなく、本屋で買うべきだ、そうでないと出版社の経営を圧迫する、というものです。

 出版不況の一因として、読者が本を買わず、図書館で無料で借りてしまうということがあるのでしょうか。


 マスコミのインタビュー記事で文春の社長は盛んに文化の保護を主張していました。これは私の解釈ですが、文春は出版不況で経営が厳しいが、文化または文学の保護のために存続させるべき、という意味だと思います。

 自社の延命のためだけにこんなことを言ってるのではない、ということを証明するためか、ライバル社の新潮社も引き合いに出して、文芸プロパーの大手老舗出版社がつぶれたら、日本から良質の文学は衰退する、というようなことを文春の社長は述べていました。


 私が気になったのは、自分たち専門家が評価した小説だけがいい小説で、一般大衆が勝手に何がいい小説かを決めてはならない、という思想を文春の社長が持っていたことです。



1. 80年代『ぴあ』がもたらしたサブカルチャー文化


 かつて『ぴあ』という雑誌がありました。各種イベントを掲載した情報誌で、インターネットの普及という時代の流れの中で必要性が低くなり、2011年に休刊しました。

 しかしながら80年代のバブル時代、『ぴあ』は社会とサブカルチャーの関わりを大きく変化させた媒体として、評論家から注目された画期的な雑誌だったのです。

 『ぴあ』はプロ、アマチュア問わず、編集部に申し込めばイベント情報を自由に無料で掲載させてもらえました。帝国劇場の演劇と、学生の演劇部の芝居が同一の雑誌に掲載されました。

 ところで『ぴあ』が発行部数を伸ばすと、ライバル出版社が似たような情報誌を立ち上げました。こちらは専門家を雇って、映画、演劇、コンサートなどのうち、素人が主催するものは排して、良質のものだけを厳選した情報誌でした。ところが発行部数で『ぴあ』に大きく後塵を拝し、結局、すぐ廃刊に追い込まれました。

 『ぴあ』が勝利した原因は、何がいいイベントかを専門家でなく、一般大衆自ら選べる自由さだったのです。

 『ぴあ』の普及により、サブカルチャーは専門家でなく、一般大衆が自由に評価していいものという風潮ができ、インターネットの普及でそれがさらに加速されました。


 このような『ぴあ』から発した流れからすると、文学や小説の評価も、権威が上から目線で強引に押し付けるべきものでない、と思うのです。



2. 出版業界の再販制度は悪しき既得権の温床


 日本の出版業界を語る上で再販制度を無視することはできません。私は出版不況の大きな原因の一つがこの再販制度だと信じて疑いません。

 図書館で文庫本貸し出しを禁止する前に、まず再販制を見直すことが先決ではないでしょうか。


 再販制度とは、本を売る本屋さんが自由に本の売価を決められるのでなく、出版社が書籍や雑誌、ムックの価格を決め、新刊本の場合、全国の本屋は一律でその価格で売らなくてはならない、という規制です。これは日本独自のものです。

 日本の出版業界、新聞社はこぞって再販制をほめたたえます。彼らの主張によれば、再販制がなくなると本が安値で買いたたかれ、中小零細出版社がつぶれてしまう、とのことです。

 確かに再販制をなくすとつぶれる中小出版社もあるでしょう。ですが逆に躍進する中小出版社や新たに業界に参入してくるベンチャー企業もあるでしょう。

 一方、大手出版社、大手新聞社、大手取次はどうでしょう。特に大手取次は再販制が廃止されると既得権を失い、組織の大きな再編を迫られることが少なくないと思われます。

 つまり再販制は、中小零細の出版社を守るというより、実は業界大手の既得権を不当に守るという側面が大きいのです。

 消費者にとっても再販制が廃止された方が本や雑誌を安く入手できるようになります。

 

 大昔からある再販制擁護論に、再販制をなくすと真面目な本は淘汰され、本屋はポルノ雑誌であふれるようになる、という意見があります。アダルトビデオのおかげでエロ本が淘汰される時代、今どきこんなことを唱える人は再販制擁護論者の中でも少数派でしょう。

 離島など僻地に住んでいる人は再販制がなくなると新聞の購読料が高くなる、という意見がありますが、だったら新聞は購読せず、ネットでニュースを見ればいいのです。多くの離島でブロードバンドはすでに開通しています。



3.サブカルチャーも『神の見えざる手』


 経済学者アダム・スミスは『神の見えざる手』という概念を提唱しました。

 経済活動は行政が不必要に干渉するのはよくなく、自然の流れに任せておけば、景気や物価、雇用など、各種経済指標は、自動的にうまく調節されるという思想です。

 私はサブカルチャーについても『神の見えざる手』があると思います(ここでは便宜的に文学全体もサブカルチャーに含まれるとします)。

 

 かつて江戸時代、浮世絵というサブカルチャーがありました。

 今日、浮世絵を(当時の木版画印刷技術を使って)、そのままの形で復活すべき、という人はいないでしょう(現代テクノロジーを使う浮世絵カルチャーは除きます)。

 時代とともにサブカルチャーは変化していきます。

 既得権者が行政に働きかけ、時代の流れを不当に止めているのはよくありません。


 図書館が文庫貸し出しを禁止すべきかどうかは、私にはわかりません。そもそも青空文庫がある時代、図書館という”箱物”の建設自体が私には時代遅れに思えます。もちろん既存の出版業界も然り。

 重要なことは既得権者や行政でなく、サブカルチャーの一切を『神の見えざる手』にゆだねることです。そうすれば文学や小説は、今後とも消滅することなく、新しい形態になっていくような気がします。

 ただそれが、文春の社長が納得いく文学や小説なのかは保証のかぎりではありませんが。


        (了)



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― 新着の感想 ―
[良い点] 気になっていたテーマでした。 こういう見方もあるんだなと思いました。 [気になる点] >自分たち専門家が評価した小説だけがいい小説で、一般大衆が勝手に何がいい小説かを決めてはならない、とい…
[良い点] いいエッセイでした。読んでいて納得です。 なんで図書館に噛みついてブックオフには言わないのかなと思った。影響で言えば古本の方か大きい気がします。 本というのには、中には万分の一で名作があり…
[一言] >自分たち専門家が評価した小説だけがいい小説で、一般大衆が勝手に何がいい小説かを決めてはならない、という思想を文春の社長が持っていたことです。  商業文学の始まりは、ある資本家がチョイスし…
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