羊飼いの少年と狼の怪物
村外れの丘の上にある、小さな牧場には、羊飼いの少年が住んでいた。
少年はもともと、別の村で両親と姉との4人で暮らしていたが、彼の5歳の誕生日の夜、家に恐ろしい狼の怪物が現れて、両親と姉は彼の目の前で喰い殺されてしまった。
3人を貪り終えてから、怪物は少年に言った。
「お前はまだ小さ過ぎて、食べ応えがなさそうだな。…………10年後に食べに来るとしよう」
孤独の身となった少年は、親戚の伯父が独りで営む牧場に引き取られた。
伯父は元軍人で、誰も信じない怪物の存在に怯える少年に、戦い方や恐怖に打ち克つ勇気を教えてくれたが、1年前に重病を患って以来は、めっきり口数も減り、床に臥せっていた。
少年は羊飼いとして働きながら、伯父の看病を続け、そして今日で15歳になった。
その日の夕暮れ。
少年は、丘の上に異形の狼の影を見た。
――――来た。
影は少年を指差し、そして村の方を指し示した。
それは「お前の次には、村の者も喰らってやるぞ」という、怪物の意思表示であった。
少年は決意した。
――――護らねば。
村人や病床の伯父には、怪物に抗う術などない。
あの異形を見れば、手は震え、足は竦み、戦うどころではない。
しかし己はこの日の為に、厳しい鍛錬を重ね、準備をしてきた。
とはいえ ――もし自分が怪物に負けるようなことがあれば、村人は皆殺しにされるだろう。
少年は村人達に、怪物の危機が迫っていることを伝えに、村へ下りた。
「なに? 狼がやって来るだと?」
――――違う。狼のような“怪物”だ。
少年の知らせを聞いた村の男達が集まり、木の棒や、鍬を持ち出してきた。
松明を掲げ、「狼狩りだ!」と鬨の声を上げる。
――――やめろ。敵う相手じゃない。
少年の声は届かない。
已む無く少年は奔り出し、男達よりも先に、丘へと登った。
丘の上では、怪物が嬉々として、舌舐めずりをして待ち構えていた。
少年はナイフで己の腕に傷を付け、滴る血の匂いで、怪物を森へと誘き出す。
森には罠が仕掛けてある。
少年は入念に準備してきた罠を駆使して、この夜は、なんとか怪物を追い払った。
怪物は逃げ去り際に、言った。
「覚えていろ。明日の夜には必ず喰らってやる」
次の日の夕暮れ。
少年は再び、村人達に怪物から逃げるように伝えたが、彼らは聴かなかった。
今度こそと、気勢甚だしく、農用フォークや鎌すら手に取った。
――――彼らを死なせるわけにはいかない。
少年は、傷付いた脚を引き摺りながらも、誰より速く怪物の許へ。
村へと向かう怪物を見つけると、大きな声で揶揄して見せた。
――――子供に負ける怪物め。羊は余程手強いぞ。
怒った怪物は、大きな爪と牙で、少年に襲い掛かる。
少年は腕の肉を裂かれながらも、必死に逃げた。
谷川の吊り橋を渡ると、怪物が追い駆けてきた。
怪物が橋の真ん中まで来たときに、少年は、ナイフで吊り橋の縄を切った。
怪物は川に落ちて、流されていった。
――――怪物がこれで死ぬはずない。
三日目の夕暮れ。
怪我で倒れて、村に運び込まれた少年は、目を覚ますと皆に言った。
――――すぐに逃げろ。怪物がやって来るぞ。
男達は篝火を煌々と焚き、夜を徹して村を見張ったが、ついに怪物はやって来なかった。
朝になって、村人達は少年を叱った。
「お前は三度、同じ嘘を吐いた。もう誰もお前を信じることはないぞ」
その日の夕暮れ。
少年が牧場に帰ると、飼っていた羊達が、一匹残らず消えていた。
――――まさか。
家に駆け込んだ少年は、愕然とした。
赤黒く染まったベッドの上に、伯父の姿は無く、壁には血で文字が書かれていた。
“ ま た 来 る ぞ ”
少年が村に居た三日目の夜、空腹に耐え兼ねた怪物は、伯父と羊達を食べたのだ。
少年が窓から丘を覗くと、遠くから、異形の影が近付いて来るのが見えた。
――――この身体ではもう戦えない。だがせめて。
悟った少年は、家を出ると村に向かって叫んだ。
喉が張り裂けんばかりの大声で。
――――怪物が来るぞ! 狼の姿をした怪物が来るぞ!
村に届いたその声を聞き、村人達は言った。
「狼少年が、また嘘を吐いている」
~おしまい~