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説得

「何だ、ここは……」

 あたりを見回し、呟くグレイ。

 街道の途中、立ち寄った場所……遠目には、人が住んでいる集落のように見えた。しかし近づいてみると、ボロボロになった掘っ立て小屋の残骸がいくつかあるだけだ。人のいる気配は感じられない。どうやら、住む人を失った廃村のようだ。

「最近、ここいらで飢饉があったらしいからね……そのせいで、小さな村や集落が幾つか潰れたらしいよ。ここも、その一つなんじゃないかな」

 そう言いながら、前を歩いて行くムーランはどこか嬉しそうだった。セールイ村で平和に暮らせるかもしれない……その期待が、彼女の心を弾ませているのだろうか。バーレンでの苛ついていたような雰囲気が、今はすっかり消えている。

 グレイは、初めてムーランと出会った時のことを思い出した。



 虚ろな表情で、冒険者……いや、賞金稼ぎたちに引っ立てられていたムーラン。衣服はといえば、ずだ袋に穴を開けたようなものを頭から被せられていただけだった。

 そして、衆人環視の中……三人の男たちに体をもてあそばれていたのだ。木製の拘束具で首と両手を繋がれ、虚ろな表情で歩くムーラン。そんな彼女に、三人の男が横から下卑た笑みを浮かべながらちょっかいを出している。胸や尻を撫でたり、着ている物を捲り上げたり……屈辱的な仕打ちだ。

 だが、ムーランは反応さえしなかった。虚ろな目で、されるがままになっていたのだ。

 その光景を見た時、グレイは心の底から不快になった。つかつかと男たちに歩みよって行く。

「貴様ら……ここは天下の往来だ。昼間から淫らな真似をするな……」

 男たちを睨みながら、低い声で恫喝するグレイ。すると、男たちの顔色が変わった。

「何なんだてめえは……殺すぞ!」

 一人の大柄な男が唸り、巨大なバトルアックスを振り上げる。威嚇のつもりだろうか……大抵の者は怯ませられるだろう迫力だ。

 しかし、グレイから見れば隙だらけである。男がバトルアックスを振り上げると同時に懐に飛び込み、喉元に小剣を押し当てる。

「俺はトラムニア国の騎士、サー・モードレッドだ。騎士を相手に、この無礼な振る舞い……これは、俺に対する悪意を持った挑発と見なす。ならば、このまま殺してしまっても、俺は罪には問われん。逆に、俺に何かあれば……貴様らは全員、衛兵に捕まり斬首刑に処される。どちらを選ぶのだ?」

 グレイは男たちに対し、低い声で言い放つ。その態度は冷静そのものだ。呼吸一つ乱れていない。

 一方、相手の男たちは憎々しげな表情でグレイを睨んだ……しかし、それ以上は何も出来ない。全員、迷っているのだ。戦うか、それとも引くか……。

 重苦しい沈黙が辺りを支配する。だが、その沈黙はすぐに破られた。

「すまないな……この女は賞金首だ。すぐに引き渡すことにする。こいつらに不埒な真似はさせない。だから……引いてもらえないだろうか」

 落ち着き払った男の声が聞こえてきた。グレイはそちらを見る。

 一人の男が、前に進み出て来た。長身で鎖かたびらを着て、腰から長剣をぶら下げている。その端正な顔には、何か大切なものを諦めてしまったような表情がこびりついていた。

「お前が、こいつらの頭領か……手下の教育くらいきちんとしとけ。ところで、お前の名前は? この女は何をした?」

 そう言いながら、グレイはゆっくりと大柄な男から離れた。大柄な男はバトルアックスを下ろし、グレイを睨む。他の男たちも同様だ。グレイを睨んではいるが、手を出してきそうな気配はない。グレイの言葉に対し、明らかに怯んでいる様子だ。

 ただし、鎖かたびらの男は違っていた……彼は怯みもせず、口を開く。

「俺の名はルーファスだ。この女はムーランて名の魔女だよ。魔法で二人を殺し、四人に重傷を負わせた賞金首さ。これから引き渡すところだ。なあ、見逃してくれよ……あんたみたいな騎士様が、俺たちみたいな賞金稼ぎを相手にするのは名誉なこととは言えないんじゃねえのか?」




 名誉とは何だろう?

 グレイは今もそれを考える。騎士の称号も地位も、さらには本名さえ捨てた……斬首刑に処された罪人を救うために。これは名誉ある行動とは言えない。

 だがグレイは、今でも後悔はしていない。もともと騎士の暮らしは、自分には向いていなかったのだ。


 廃村を探索していたグレイとムーラン……だが、グレイは立ち止まった。そしてムーランに囁く。

「誰かいる。俺たちを見てるぞ……」

 そう言うと、さりげなく辺りを見回す。小さな掘っ立て小屋の残骸に、何者かが潜んでいる。グレイでなければ見逃すだろう、小さな違和感……だが、間違いなく何かいる。ここいらに住み着いた野良犬の類いかもしれないが。


 一方、ムーランは真剣な表情で反対側に回り込む……両側から挟み撃ちにしようという狙いだ。

 そしてグレイは、細身の刀剣を抜いて左手に持つ。右手には、投げるためのナイフだ。じりじりと近づいて行った時――


「おいおい、そんな物騒なの収めてくれよ……俺は怪しいかもしれないが、あんたらと揉める気はないんだぜ」


 そう言いながら小屋の残骸から出てきたのは、奇妙な雰囲気の青年だった。長い栗色の髪を後ろで結び、皮の服を着ている。やや小柄な体格で、愛嬌のあるとぼけた顔立ちが特徴的だ。

「お前……何者だ?」

 グレイが尋ねると、青年は笑みを浮かべる。

「名乗るほどのもんじゃないんだけど、名前はチャック。ただの旅の者だよ」


 ・・・


 目の前にいるのは、頬に刀傷のある厳つい男。目付きが鋭く、意志の強そうな顔立ちをしている。背はやや高く筋肉の量も多いが、同時にしなやかさをも感じさせる体つきだ。相当、修羅場を潜っている匂いがする。右手に投げナイフ、左手には細身の刀剣……何とも物騒な組み合わせだ。

 後ろには、奇妙な雰囲気の女。吟遊詩人の語る物語に登場する死神のように、灰色のマントに身を包み、フードで顔を覆っている。匂いから察するに、東方の民族のようだ。さらに、魔法の使い手に特有の匂いもする。

 いずれにしても、敵には廻したくない……この二人なら、下手な山賊の集団よりは確実に強いだろう。まずは、こちらに敵意がないことを示さなくては――

 その時、チャックの頭に閃くものがあった。


「あんたら、バーレンにいた旅芸人だろ? 顔を白く塗ってた……なあ?」


 その言葉を聞いた瞬間、二人の動きが止まった。明らかに動揺している。そう、二人の匂いに覚えがあったのだ。チャックはさらにたたみかける。

「なあ……俺はあんたらと争う気はない。先を急いでるんで、もう行っていいかな? アルラト山を探検しなきゃならないんだ」

「アルラト山、だと……何の用があるんだ?」

 語気を荒げ、尋ねる男……チャックは両手を前に出し、笑みを浮かべた。

「まあ、色々あってさ……山の中に知り合いがいる、かもしれないんだよ。悪いが失礼するぜ」

 そう言いながら、チャックはなだめるように両手を挙げる。そして少しずつ動いた。二人から間合いを離すため、ジリジリと横に動いていく。すると――

「待ちな! 動くんじゃないよ!」

 女の鋭い声……チャックはヘラヘラ笑いながら、そちらにも手を振った。

「ま、まあまあ……俺なんか殺しても何にもなりませんよ。逆さに振っても、何も出ませんし――」

「あんた……人間じゃないね!」

 吠える女……すると、男の表情も変わった。

「ムーラン! どういうことだ!」

 男が怒鳴り、そしてジリジリと間合いを詰めてきた……チャックは舌打ちし、低い姿勢で構える。出来ることなら、人間とは戦いたくない。

 しかし、殺らなければ殺られるのだ。この二人は強い。自分が変身したとしても、苦戦は免れないだろう……。


「グレイ! こいつライカンだ!」

 ムーランと呼ばれた女は男に怒鳴った。と同時に、奇妙な呪文の詠唱を始めたが――

「待てムーラン……お前、チャックとか言ったな。お前は、ライカンで間違いないんだな?」

 先ほどグレイと呼ばれていた男が、鋭い表情で聞いてきた。どうやら、男の方は話し合いに応じる気がありそうだ。チャックは仕方なく頷いた。

「バレちゃしょうがねえ……そう、ライカンだよ」

「そうか……チャック、お前に聞きたいことがある。この先のアルラト山で、ライカンが目撃されたという噂を聞いた。それはお前のことか?」

「いいや、俺じゃねえよ。俺もその噂を聞いて、本当かどうか確かめに行くところさ。なあ、グレイさん……ここは休戦といこうよ。俺はアルラト山のライカンを見つけるのが目的だ。あんたらには、別の目的があるんだろ?」

 チャックは先ほどまでとは違う、静かな口調で言った。今ここで争ったところで、どちらも得はしないのだ。ならば、何とか戦いを避ける方向に持っていく……。

 そう、チャックと他のライカンとの大きな違いは……つまらないプライドに振り回された挙げ句、愚かな行動をとったりしない点である。ほとんどのライカンは、人間を含む他の種族たちをバカにしている。話し合いなどには応じようとしない。そんな暇があったら、片手で捻り潰す……それがライカンだ。結果、多くの人間が、ライカンを敵と見なしている。

 だが、チャックは違う。チャックは、つまらない喧嘩はしない。殺し合うくらいなら逃げる。戦うのは……逃げることが出来ず、命に関わる時だけだ。

 今もチャックは、二人との殺し合いを避けるため……懸命に説得しようとしていた。


 一触即発の空気が、その場を支配している……しかし、不意にグレイが苦笑した。

「お前、おかしな奴だな……わかったよ。さっさと行け」

「待ちなよグレイ! ライカンを信用するのかい? こいつは隙を見せたら、襲いかかって来るよ!」

 ムーランが叫んだが、グレイはお構い無しといった様子で武器を降ろす。

「ムーラン、俺はこいつからは殺気を感じない。そもそも……俺たちを殺す気なら、とっくの昔に襲いかかって来たはずだ。だいたい……こんな惚けた奴、放っといても何もしやしないだろうさ」

 グレイの言葉を聞いたムーランは、不満そうな顔をしながらも立ち止まった。

 一方、チャックはホッと胸を撫で下ろす……どうやら、戦いは避けられたらしい。しかし、ライカンであることを見抜かれたのは初めてだ。チャックはヘラヘラ笑いながら、後ずさりしていく。

「じゃあ、失礼させてもらうぜ……ただ、あんたらも気を付けな。どうも、この先には妙な匂いがプンプンしてるぜ」


 ・・・


「ココナ……この辺りに村はあるのか?」

 キョウジが尋ねると、ココナは首を振った。

「わからないですにゃ。この辺りには、人間は住んでいないみたいですにゃ」

「そうか……わかったよ。ありがとうな」

 そう言うと、キョウジはその場に座りこんだ。いずれは、きちんと探索してみるとしよう。そして人の住んでいる場所を見つけたら、そこにココナを預ける。

「キョウジさん……人間の村に、何か御用があるのですにゃ?」

 不意に、ココナが聞いてきた。キョウジが答えようとして顔を向けると、ココナは不安そうな表情で、こちらを見ている。

「ああ……いつまでも山の中にいるわけにもいかないからな」

「そうですにゃ……」

 ココナは浮かない表情をしている。キョウジは引っかかるものを感じた。先ほどまでの楽しそうな表情が消えているのだ。

「おいココナ、どうかしたのか?」

 キョウジが尋ねると、ココナはためらうような素振りを見せたが……おずおずと口を開く。

「キョウジさんは……ココナを……誰かに売るのですかにゃ?」

「おい、何を言ってるんだよ。俺は、お前を売ったりはしない」

「では、村で何をするのですにゃ? 人間は怖いですにゃ……人間は嫌いですにゃ……だから、人間のいっぱいいる村には、行きたくないですにゃ……」

 ココナはうつむきながら、ためらいがちに言う……キョウジは複雑な思いを押し殺し、彼女に微笑んでみせた。

「ココナ……俺も一応、人間だ。俺のことも嫌いなのか?」

「にゃにゃ!? 嫌いじゃないですにゃ!」

 慌てた様子で叫ぶココナ……キョウジは手を伸ばし、ココナの頭を撫でた。ココナは今、何歳なのだろうか。今までは、山の中に一人で暮らしていたようだが、まだ幼い少女なのだ。不安なことも多いのだろう。

 まして、人間に罠にかけられ、縛られて見知らぬ場所に連れて来られてしまったのだ。しかも、その後は人狼に襲われた……今は何も信じられない気分なのであろう。

 キョウジのこと以外は。

「ココナ、人間にも色々いる。善い人間も、悪い人間もいるんだ。それに、俺が村に行くのは、帰る道を知りたいからだ。お前がどうしても嫌なら、お前は村の外で待っていればいい。俺は一人で行って来るから――」

「だ、大丈夫ですにゃ……ココナも、キョウジさんと一緒に村に行きますにゃ」

 不安そうな表情で、ココナは言葉を返す。人狼がうろついているかもしれない場所で、一人になりたくないのだろう。

 キョウジは心に痛みを感じた。自分は、この世界の住人ではない……元の世界に帰らなくてはならないのだ。そこにはココナは連れて行けない。もし連れて行ったら、彼女は確実に不幸になる。キョウジのいた世界には、存在していない生物なのだから。

 だから、この先……優しそうな人間に出会えたなら、ココナを託す。いざとなれば、ココナを置き去りにしてでも元の世界に帰る。

 自分は、ユウキ博士の仇をとらなくてはならないのだから。


 キョウジはポケットに手を入れ、小さなコンパス《方位磁針》を取り出した。ユウキ博士の研究所から逃げ出す時、とっさに掴み取ってきた物だ。

 そのコンパスを、使えるかどうか確かめる。考えてみれば、今までは考えなしに歩き回っていた。出来ることなら、この周辺の地図を作っておきたい。だが、今は紙もペンもないのだ。頭の中で、大まかな地図を作るしかないだろう。

「何をやってますにゃ?」

 不意に、ココナが興味津々といった表情で聞いてきた。キョウジはコンパスを見せ、説明しようとしたが――

「にゃにゃ!? 凄く綺麗ですにゃ! これは、あほうの道具ですかにゃ?」

 コンパスを指差し、瞳を輝かせながら叫ぶココナ……キョウジは戸惑った。いきなり何を言い出すのだろう。

「あほう? あほうとは何だ?」

「にゃ? キョウジさんは、あほうを知らないのですかにゃ? キョウジさんは、あほう使いかと思ってましたにゃ……」

 意味不明なことを言いながらも、ココナの目はコンパスを見つめている。

 その時、キョウジはようやく気づいた……あほうとは、魔法のことではないだろうか。

「ココナ、それは魔法使いのことか? 不思議な力で、敵を蛙に変えたりするような……」

「それですにゃ。あほう使いは凄いですにゃ。空を飛んだり、火を吹いたり出来ますにゃ」

 そう言いながらも、ココナの視線はコンパスに釘付けだ……キョウジは苦笑した。

「これ、欲しいのか?」

「にゃにゃ!? いいのですかにゃ!?」

「ああ。欲しいなら、お前にやるよ」

 そう言いながら、キョウジはコンパスを手渡した。

「にゃにゃ! ありがとうございますにゃ!」

 ココナは叫びながら、コンパスをあちこちに向ける……キョウジは、その様子を微笑みながら眺めた。ネオ・トーキョーにいる子供なら、コンパスくらいでこんな反応はしないだろう。

 もっとも、コンパスを渡したのは……ココナに対する負い目が一番大きな理由だが。どこか大きな村にでも到着したら、ココナをそこの人間に預ける。最悪の場合、村に置き去りにするつもりだ。


 ココナには悪いが、俺にはやることがある。

 村で平和に暮らせ、ココナ。

 しかし、魔法使いがいるのか……。

 魔法使いなら、ネオ・トーキョーに戻る方法を知っているかもしれんな。






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