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信頼

 旅の支度を終えたグレイは、ふと空を見上げた。昨日の大雨が嘘のように晴れ渡っている。旅に出るには、ちょうどいい天気だ。ただでさえ今回の旅は厄介なのだから、せめて出だしくらいは順調であって欲しいものだ。

 そう、北の山……及び、その一帯を治めるロクスリー伯爵。そいつを暗殺しに行かなくてはならない。それも、たった二人で。

 楽しい旅には、到底なりそうもない。




 キャラモンの話では、バーレンから街道に沿って北の方に行くと、アルラトという山がある。さほど高くはないが、横に広いため迂回するのは非常に面倒な場所だ。

 そのアルラト山には、セールイという村がある。その存在すら、ほとんど知られていない小さな村だ。 そのセールイ村の人間から、キャラモンは仕事の依頼を受けた。

 アルラト山の持ち主である、ロクスリー伯爵を殺せと……。


「ムーラン、行くぞ」

 ぶっきらぼうな口調で言うと、グレイは荷物を担いだ。そして、石の敷き詰められた道を歩く。このバーレンは、出るのは簡単だ。しかし、入るのは少々やっかいではある。もっともグレイには、通行許可証があったため簡単に入り込めたが。


「そういえばさ……あのウッドって奴、今ごろどうしてるのかねえ……」

 街中を歩いていると、ムーランが不意に話しかけてきた。

「さあな……ただ、あいつもそう簡単に死ぬ男じゃねえよ。今ごろ、どっかで酒でも飲んでるんじゃねえのか」

 グレイの言葉に、ムーランは笑みを浮かべる。

「そうだね……」


 竹細工師のウッド……二人がバーレンに来るきっかけを作った男だ。南の方で、数人のごろつきに襲われていた所を助けたのだ。グレイとムーランは、ごろつき全員を叩きのめした挙げ句に身ぐるみ剥いで追い払った。端から見れば、どちらが賊なのかわからないだろうが……。

 とにかく、結果として二人はウッドを助けた。ウッドはお礼として、バーレンへの入場許可証をくれたのだ。さらに、キャラモンという男のことも教えてくれた。

 表の顔はバーレンの上級衛兵だが、裏の仕事を紹介する手配師の顔も持つ男だと……。



 そして二人は街を出た。ここから先は、約二日間かけて歩くことになる。そしてセールイ村まで行き、キャラモンの書いた紹介状を依頼主である村長に渡す。その後、仕事に取りかかるわけだ。

 仕事が終わるまでの生活の面倒は、村長が見てくれるらしい……もっとも、山奥の小さな村だけに、大したもてなしは期待できないが。

 それでも、グレイとムーランにとってはありがたい話だった。売れない旅芸人の二人にとって、雨露をしのげる場所と食事……その二つがあるだけでも御の字なのだ。


「ねえ……いっそ、そこの村に二人で住まわせてもらおうか……」

 不意に、ムーランがぽつりと呟いた。

 グレイは足を止め、ムーランの顔を見る。白塗りの化粧を落とした顔に、寂しげな笑みが浮かんでいた。

「山奥の村なら、あたしたちは暮らしていけるんじゃないかな……聞いたこともないような村まで、追っ手は来ないだろうし……」

「お前が望むなら、俺は構わない」

 グレイはぶっきらぼうな表情で言葉を返す。

 すると、ムーランが微笑みながら寄り添った。

「ひょっとしたら、あたしたち……普通に暮らせるかもしれないね」


 ムーランはもともと、東方の民族である。しかし故郷の国は討ち滅ぼされ、流浪の旅芸人として生きてきた。ところが、とある街で六人の男たちに襲われ……身を守るため、一族に伝わる魔法を使ったのだ。その結果、二人が死亡し四人が重傷を負った。

 そして、ムーランは賞金首となり……やがて凄腕の賞金稼ぎに捕獲された。

 その判決は、引き回しの後に公開処刑。

 ムーランは見せしめのために街中を全裸で引きずり回され、そして斧で首をはねられることとなった。

 しかし当日、ムーランの姿は牢から消えていた。

 牢屋見回りをしていた衛兵の話によると、王国で最強……と謳われた騎士のモードレッドがムーランを連れ出したのだという。


 モードレッドは、もともと傭兵であった。しかし奇妙な剣術と、なりふり構わぬ戦い方とで数々の手柄を立てた。さらに、火山に棲むレッドドラゴンを退治した功績により、ついには騎士に取り立てられたのだ。平民の出としては、異例の出世である。

 だが、モードレッドはその全てを捨てた。

 騎士の地位も名誉も財産も捨て……モードレッドという名前も捨てた。彼はグレイと名乗り、ムーランと共にあてもない逃亡生活を始めたのだ。


 自分のしたことは、断じて正義ではない。むしろ悪なのだろう。

 だが、グレイはムーランの姿を見てしまったのだ。賞金稼ぎたちに生ける屍のような虚ろな表情で歩かされていた姿を……捕まった直後、さんざん凌辱されたであろうことは容易に想像できた。

 その姿は、あまりにも哀れなものだった……彼女への罰は、それで充分であろう。

 それ以上の罰は、与える必要はないはずだ……少なくとも、グレイはムーランが首を斬られる場面など見たくはなかった。

 そう、善悪などどうでもいい……ただ、グレイ本人がムーランを助けたかっただけだ。


 ・・・


 城塞都市バーレンは、今日も賑わっていた。国の至るところから、商人たちが集まって来ては商いに精を出す。それに伴い、様々な荷物が運ばれて来る。その荷物を運んだり仕分けたりするため、大勢の人夫が雇われていた。

 その中に、チャックの姿もあった。


 チャックは、のんびりと作業をする。人狼の力を発揮すれば、あっさりと終わらせることも可能だが……今は人間社会で生活しているのだ。目立つような振る舞いは慎まなくてはならない。チャックは慎重に、目立たぬよう動いた。


 そして仕事が終わり、賃金を受け取る。穴あきの銀貨一枚と、銅貨が三枚である……安い額だが、今は仕方ない。まずはコツコツ働いて金を貯める。金が貯まったら、商売を始めるとしよう。ゆくゆくは、小さな料理屋でも開きたいものである……チャックの夢は膨らむ。

 だが、その前に腹ごしらえだ。チャックは昨日行った居酒屋『黒猫停』へと向かう。あそこの豚肉の蒸し焼きは美味かった。それに、飼われている黒猫とも遊びたい。何より、顔は可愛いが無愛想な女給が気に入った。

 もっとも、どんなに気に入ったところで……自分とは相入れぬ運命なのではあるが。


「なんだい、あんた……また来たのかい。暇な男だねえ」

 褐色の肌の女給は、憎まれ口でチャックを迎える。チャックは笑った。

「ひでえなあ、姉さん……せっかく姉さんに会いに来たってのにさ」

 そう言いながら、チャックは店内を見回す。客は彼の他に二人いた。どうやら、チャックと同じ日雇い労働者のようだ。

 そして、店の隅からのそのそ歩いて来た黒猫……。

 黒猫は、チャックの足に首を擦り付けていく。チャックが下を向くと、黒猫は仰向けになって見せた。そして肉付きのいい腹をチャックに見せる。チャックは微笑み、手を伸ばして腹を撫で回した。

「何なのよ、あんたは……本当にとんでもない猫たらしだね」

 頭上から聞こえてきた、女給の声……チャックは頭を掻きながら顔を上げる。

「いやあ、こいつ本当に可愛いですね。何て名前ですか――」

 その時、いきなり店の扉が開いた。そして、どやどやと入って来た三人の男たち……みな革の鎧を着ていて、恐ろしく人相が悪い。うち二人は体が大きく筋肉質で、槍や戦斧などといった武骨で実戦的な武器を携えている。一人は小柄で、腰から小剣をぶら下げていた。

 続いて、別の二人が入って来た。黒いローブを着て木の杖を持っている。フードを目深に被っているため顔は見えない。杖は頑丈そうで、宝石のような物が埋め込まれている。どうやら魔術師のようだ。

 そして最後に、もう一人……鎖かたびらを着た冷たい表情の男である。腰からは長剣をぶら下げ、左手には金属製のいかにも頑丈そうな小手を嵌めている。

 どうやら、六人は仲間同士のようだ。鎖かたびらの男がリーダーらしい。

 この、いかにもな一団を見て……チャックは思わず眉を潜めた。見るからに面倒を起こしそうな連中だ。食いつめ者の傭兵か、あるいは冒険者たちか……。

「おい! お客様が来てやったぞ! さっさと来やがれ女給!」

 男の一人が怒鳴る。女給は少し苛ついたような表情になりながらも、一団の方へと歩いて行く。

「いらっしゃい……ご注文は?」

 女給が尋ねると、男たちの一人が下卑た笑いを浮かべた。

「まずはビール……そして女だ!」

 そう言うと同時に、女給の腕を掴む……だが、女給は腕を振り払った。

「女が欲しいなら、よそに行きな。うちはそういう店じゃないんだよ」

 険しい顔で言い放つ女給……すると、男たちの表情が変わった。

「んだと……俺たちを誰だと思ってんだ――」

「あんたらなんか知らないね! いい加減にしないと衛兵を呼ぶよ!」

 女給は怯むことなく怒鳴りつける。だが次の瞬間、男たちが動いた。

「上等だ! 衛兵が来る前に、お前一人くらいどうにでも出来るんだぞ!」

 その声と同時に、女給は後ろから持ち上げられ、テーブルの上に仰向けの状態で落とされる。直後、喉に刃を当てられた……。

「動いたら、喉をかき切るぜ……」

 男の一人が小剣を手に、女給の耳元で言う。そして別の男が女給の服に手をかけ――


「ちょっと止めなよ、おっさんたち」


 その言葉と同時に、飛んできたコップ……それは、女給の喉元に刃を突きつけていた男の頭に命中する。大した痛みはない。それでも、男は血相を変えて立ち上がる。

「何しやがる!」

 わめきながら、声の主を睨みつける……声の主、すなわちチャックを。


 チャックは、男たちを一瞥した。女給を押し倒した三人は大したことない。問題は二人の魔術師と、鎖かたびらの戦士だ……奴らは確実に強い。

 ここは、衛兵が来るまで時間を稼ぐしかない。自分に注意を引き付けさせ、出来ることなら店から遠ざける。そして衛兵が来たら、さっさとずらかる。人狼である自分に、追い付ける者はいないはず。あとは衛兵に丸投げだ。

 しかし――

「お前ら、やめとけ……衛兵を呼ばれたら面倒だ。ほら、こいつで女でも買って来い。俺の奢りだ」

 それまで黙っていた鎖かたびらの男が、男たちに金貨を放る。すると、男たちの表情が一変した。

「そ、そうか……悪いな。じゃあ、行って来るか!」

 三人組は、いそいそと出て行った。一方、魔術師の二人は女給を助け起こす。

「すまないな……あいつら、ちょっとピリピリしてるんだ。なんたって、これからライカンを退治しに行く――」

「ちょっと待ってください……ライカン、ですか? 詳しく教えてくれませんかねえ」

 そう言ったのはチャックだ。にこやかな表情を浮かべてはいるが、内心では動揺していた……。


 ・・・


 山の中の洞窟……キョウジは外を警戒しながら、この先どう動くべきか思案していた。傍らには、幼い少女が眠っている。少女の頭には猫のような耳、腰からは尻尾が生えている。キョウジの知る限り、ネオ・トーキョーにこんな生物はいない。

 そして少女の話は、キョウジの理解を超えていた。




 昨夜、人狼を撃退した後……キョウジは、少女といろんな話をした。もっとも、ここは何処か? お前は何者か? などの質問が中心だったが。

 しかし、少女から聞いた話は……キョウジをさらに混乱させた。

「わたしはケットシーのココナですにゃ。ここはアルラト山ですにゃ……」

 言っていることは全く理解できない。ケットシーとは何者だ? アルラト山など聞いたこともない。キョウジはさらに詳しい話を聞こうとした。だが、ココナは怯えた表情で、

「わ、わかりませんにゃ……」

 と答えるばかりだった。しかも、衰弱しているような様子である。仕方ないので、三人組の持っていたパンや干し肉を食べさせ水を飲ませた。ココナはむさぼるように食べ、飲み……すぐに寝てしまった。


 ココナが寝た後、キョウジは三人組の持ち物を調べてみた。だが、予想通りである。極めて原始的な道具しか持っていないのだ。短剣、火打ち石、保存食、十枚ほどの銀貨や銅貨など。明らかに、ネオ・トーキョーでは博物館でしかお目にかかれない物だ。

 これは認めざるを得ない……自分は、違う世界へと飛んでしまったのだ。




 気がついてみると、既に暗くなっている。途方に暮れている間に、数時間が経過していたのだ。

 キョウジは改めて、外に視線を向けた。三人の死体は、身ぐるみ剥いで離れた場所に放り投げてある。きっと今ごろは、肉食獣の餌となっているだろう。火は絶やさぬようにしなければならない。でないと、次は自分が肉食獣の餌となる。

 いや、自分たちが。

 キョウジは視線を洞窟内に移した。すると、ココナがもぞもぞ動いているのが見える。どうやら目を覚ましたらしい……だが、何か困ったことでもあるのだろうか。

「おい、どうかしたか?」

 キョウジは声をかけた。すると、ココナはおずおずとした様子で立ち上がる。

「あ、あの……おしっこですにゃ……外でして来ますにゃ」

 恥ずかしそうに言うと、ココナは外に出ようとした。しかし、洞窟の入口の所で立ち止まり、恐る恐る外を見回している。

 その時、キョウジは気づいた。

 ココナは外が怖いのだ……人間に捕らえられ、人狼に襲われた恐怖が未だに消えていないのだろう。

「あんまり遠くまで行くな……俺は、お前のそばにいる。何かあったら、大声を出せ。そうすれば、俺はすぐに助けに行く」

 そう言うと、キョウジは立ち上がった。そしてココナのそばに行き、優しく手を握る。ココナはキョウジの顔を見上げると、嬉しそうに頷いた。

「ありがとう……ございますにゃ」




 キョウジは自分の本名を知らない。

 戸籍のない子供として……ネオ・トーキョーの片隅に生まれた。そしてジョウジ・ユウキ博士に引き取られ、殺し屋としての訓練を受けてきたのだ。

 そして成人してからは、組織の手駒として、何人もの人間を殺してきた。キョウジはもともと真面目な性格でもあったし、また育ての親であるユウキ博士への忠誠心も強かった。

 キョウジは組織からの命令を受け、次々と任務をこなしていったが……ある日、任務の最中に交通事故に巻き込まれる。

 そして、右腕を切断したのだ……。




「終わりましたにゃ……」

 ココナの声を聞き、我に返るキョウジ。ココナが上目遣いに、じっと見つめている。

 そして、キョウジの左手を握ってきた。

 ココナの手から、温かいものが伝わって来る……キョウジは奇妙な思いを感じた。幼い頃、ユウキ博士と手を繋いで歩いた時、同じものを感じた。これは信頼だろうか。それとも親愛の情だろうか。

「じゃあ、戻って寝るんだ……」

 キョウジはわざとぶっきらぼうに言うと、ココナの手を引いて洞窟へと戻る。余計なことを考えている暇はないのだ。まずは、この状況を何とかしなくてはならない。あの人狼は言ったのだ……今度会ったら殺す、と。いつまでも、この洞窟には居られない。


「あ、あの……いろいろ……ありがとう……ございますにゃ……」

 洞窟に戻ると、ココナはおずおずとしながら礼を言った。

 キョウジは、ココナを見つめる。ココナの表情には、未だにキョウジへの恐れが残っているが……同時に、キョウジに対する感謝の念も浮かんでいた。

 さらに、信頼も……。

「気にするな。それよりお前、家はどこだ? 両親は――」

「パパとママは……死にましたにゃ……」

 寂しげな表情で即答したココナ……キョウジは、目の前にいる少女をじっと見つめる。何と言葉をかけていいのかわからない。ユウキ博士は、こんな時に何と言えばいいのか教えてくれなかった……。


「この先、お前のことは俺が守る。だから……安心して寝ろ」






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