計画
その日、城塞都市バーレンは大変な賑わいを見せていた。
北の地方との境に位置しているアルラト山……一昨日までは、立ち入り禁止になっていた。そのため、商業の流れにおいては著しい妨げとなっていたのだ。何せ、山を迂回するのは大変な手間と時間がかかる。
しかし昨日から、山への立ち入り禁止が解除されたのだ。これで、北の地方との商取引が滞りなく行なえる。バーレンの街は北の地方から来る商人たちとの取り引き、そして彼らの息抜きに落としていく金で活気付いていたのだ。
そして今日は……街中に奇妙な旅芸人のコンビが現れ、噂になっていた。
ムーランが踊っている。男を誘うような、扇情的な振り付けの踊りだ。顔にはきらびやかな仮面を付けている。ただし、目の周りを覆っているだけの小さなものだ。奇妙な衣装を着て、妖艶な笑みを浮かべながら腰をくねらせている……。
その傍らでは、顔を白く塗ったグレイが立っている。ただし今回は、だぶだぶの衣装は着ていない。素肌に毛皮のベストという出で立ちである。トチ狂った観客がムーランに手を出さないように目を配っていた。その足元に置いてある篭には、二枚の銀貨と十枚近い銅貨が入っている。
突然、男たちから歓声が上がった。ムーランが着ている衣装を一枚脱ぎ、放り投げたのだ。踊りを止めることなく、自然な流れで衣装を脱いだのだ。見事な動きであった。
ムーランの肌が、少しずつ露になっていく。そして、見ている男たちは手を叩く……周囲には既に人だかりが出来ていた。
さらに、その光景を苦り切った表情で、遠くから見つめている上級衛兵が一人……。
「おいおい、何なんだよあれは……」
キャラモンは小声で呟くと、観客をかき分けてそっと近づいて行った。ただでさえ、近頃は風紀にうるさいのだ。しかも、今日は特別な日である。下手をすると、奴らをしょっぴく羽目になるかもしれないのだ。
「おいグレイ、何やってんだよ?」
キャラモンはグレイの傍らに立ち、小声で尋ねる。
「何やってるって、商売に決まってるじゃねえか」
小声で返すグレイ。キャラモンの表情が、さらに渋くなる。
「商売って……あのな、ムーランのあの格好はまずいだろ。ただでさえ、近頃は風紀にうるさいんだ。ほどほどにしてくれや……でないと、俺も一応は衛兵なんだし、お前らをしょっぴくことになるぞ」
「ああ、わかったよ。ただな、こっちも生活が苦しいんだ。普通の芸をやってても、誰も見てくれないんだよ、ましてや、お代を払うとなるとさ……あんただって分かるだろ」
言いながら、グレイはそっと手を伸ばす。そしてキャラモンの手に、金貨を一枚握らせた。
すると、キャラモンはニタリと笑い、金貨をポケットに入れる。
「まあ、そういうことじゃあ仕方ねえな……お前らとも、知らない仲じゃない。ここは大目に見てやる。だがな、あんまりやり過ぎるなよ。大きな声じゃ言えないがな、今はお忍びでお偉いさんが滞在してるんだ。そいつらに目を付けられたら、色々まずいんだよ」
「わかってるって……もうじき終わらせるから」
グレイのその言葉を聞くと、キャラモンは訳知り顔でうんうんと頷いて見せ、厳めしい顔でその場を離れて行った。
ムーランは踊り続けた。くるくる回りながら、少しずつ場所を移動して行く。呼吸は乱れていないし、動きもブレていない。
そして、身に付けているものが少しずつ取れていき、肌の露出している部分が増えていく。それに伴い、人だかりもますます大きくなっていった。彼らはムーランの動きに合わせ、徐々に移動していく。
グレイは周囲を見た。今や、群衆とも呼べるほどの人だかりになっている。後ろにいる連中は、何が起きているのか把握していないまま付いて来ているのだろう。
今だ……。
突然、グレイは手を叩いた。すると、ムーランの動きが止まる。そして、羽織っている薄い衣装を脱ぎ、上空に向かい放り投げた。
衣装は宙に舞い、派手な音を立てて爆発する。群衆は一瞬、何が起きたのかと空を見上げた。
その時、グレイが叫ぶ。
「さあ、どうでしょうか皆さん……美女の最後の二枚、いきますかあ!?」
その言葉の直後、紐のような下着を身に付けただけのムーランが、妖艶な笑みを浮かべて男たちを見回し――
次の瞬間、男たちを誘うかのように体をくねらせて見せた。
しんと静まり返る群衆……だが次の瞬間、一斉に騒ぎ出す。
「おおお!」
「ええぞ姉ちゃん!」
「最後の二枚!」
男たちは口々に叫び出す……今にも、暴動を起こしそうな雰囲気だ。
すると、ムーランは軽やかな動きで移動し始めた。そして彼女は、そばにあった大きな宿屋へと入って行く。
その後を追い、さかりのついた犬と化した男たちがなだれ込んで行った……それも一人や二人ではない。数十人単位の男たちが、宿屋に入って行ったのだ。
「何だお前ら!」
宿屋の従業員たちは怒鳴り、男たちを押し戻そうとする。しかし、男たちの勢いは止まらない。宿屋の待合室は、男たちと従業員たちとの乱闘場と化した。
「え、衛兵を呼べ!」
宿屋の主人は怒鳴りつける……この宿屋は本来、身分の高い者がお忍びで用いる場所だ。今日もまた、貴族がお忍びで泊まりに来ていた。
そのため、呼べば衛兵が来るシステムになっている……はずだった。
しかし、衛兵は来なかった。
・・・
「ライカンだ! ライカンが出たぞ!」
野次馬が、屋根の上を指差し叫ぶ。
その指の示す方向には、灰色のライカンがいた……狼と人間を力ずくで合成させたような姿で、人々の前に現れたのだ。
そして、騒いでいる人間たちを嘲るかのように、悠然と移動している。叫び、そして逃げ惑う人間たちを尻目に、ライカンは屋根の上を伝い、バーレンの街を徘徊していた。
バーレンの街に現れたライカンは……言うまでもなく、変身したチャックである。ムーランの合図と同時に、変身した姿で街のど真ん中に現れたのだ。
人間とライカンとの間には、絶対に越えられない境界線が存在する。わかりあうことなど不可能だ……チャックは、ずっとそう思っていた。
ライカンの村から追放された直後、チャックは森の中で若い娘と知り合ったのだ。道に迷っていた娘を連れ、森を抜けようと歩いていた時……。
チャックの鼻が、人間の匂いを嗅ぎとった。数人の男だ。鉄の武器の匂いもする。
しかし、チャックは娘と話しながら、そのまま歩き続けた。人間が相手なら、仮に戦いになったとしても問題ないだろう。
「おい、お前ら……この森は俺たちの領地だ。有り金ぜんぶ置いていけ」
木の陰から、不意に現れた男たち……全員、斧や鉈といった武器を手にしている。
チャックはため息をついた。男たちは全部で四人。全員、ただのならず者だ。自分の敵ではない。ただ、面倒くさかった。
「嫌だね」
四人全員を叩きのめした後、チャックは娘を連れて町に到着した。
そして、チャックは娘のもてなしを受ける。
「チャックさん、ちょっと待ってて……お酒を買って来るから」
そういうと、娘はいそいそと出て行く。
だが、娘は戻って来なかった。代わりに現れたのは、武装した男たちだった。
ならず者との戦いの時、チャックは傷を負った。もっとも、一瞬で治っていたのだが。
しかし、その尋常でない治癒能力を娘に見られていたのだ。
娘は、チャックを化け物だと判断した。町に到着し、チャックを家に招き……外で衛兵を呼んだ。
そして……チャックは衛兵たちと戦い、その半数を殺して逃走した。
人間とは、分かり合えない。
チャックはずっと、そう思っていた。自分はライカンの村から追放され、人間からは忌み嫌われる。そのどちらの世界にも居場所がない異分子なのだ……。
そんな自分が、運命としか言い様のないものに導かれ、この一件に関わってしまった。
そこで、初めて理解し合える人間たちと出会えた。彼らは皆、自分と同じような存在だった……人間の作った共同体から離れ、そして世間の裏街道を生きている。だからこそ、自分のような存在を受け入れるのに抵抗がなかったのだ。
もう、自分は一人ではない。
チャックは、屋根から屋根へと飛び移って行く。下からは、野次馬の悲鳴や罵声などが聞こえてくる。さらには、衛兵たちの鳴らす警笛の音も……だが、さすがに屋根まで上がって来る者はいない。野次馬も衛兵も、下で右往左往するばかりだ。
そんな下での騒ぎを耳にしながら、チャックはのんびりと移動していった。衛兵たちの注意を逸らす……そのためには、ライカンである自分の姿こそがもっとも適任であろう。チャックは悠々と動き回る。
その時、不意に何かが飛んでくる……チャックは反射的に、片手で払い落とした。よく見ると、折れた矢だ。衛兵たちはついに痺れをきらし、飛び道具で仕留める気になったらしい。下では、弓兵らしき者たちが集まってきている。
だが、こんな物ではチャックを仕留めることは不可能だ。傷を負わせることすら出来ない。チャックは放たれる矢を払い落としながら、のんびりと進んでいく……。
その気になれば、下にいる衛兵たちを皆殺しにするのは簡単だ。しかしチャックには、そんなことをする気は最初から無い。今は誰も殺したくはないのだ。自分にとって初めての、人間の友だちの死を見せられたのだから……。
(色んなところに行って、色んなものを見てみたいです)
ふと、セドリックの言葉が甦る。チャックは胸の中で、セドリックに語りかけた。
セドリック……。
俺はお前の分まで、生きるからな。
お前はそっちで、親父さんと仲良くやれ。
俺もいずれは、そっちに逝くからさ……。
チャックは動きを止め、空を見上げた。
そして吠える。
心から離れない悲しみを振り払うために……。
・・・
「キョウジさん! 今ですにゃ!」
ココナの声が響き渡る。
宿屋の庭に潜んでいたキョウジは上を見上げた。ココナが二階の窓を開け、縄ばしごを降ろす。
キョウジは周囲を見回した。自分の存在には、誰も気づいていない。キョウジは素早く縄ばしごを昇る。
そして、宿屋の二階に侵入した。
計画は、今のところ順調に進んでいる。グレイとムーランが観客を煽り、騒ぎを起こした。衛兵たちはチャックが足止めしている。さすがに、街中をライカンが徘徊している……という事態になれば、全力を挙げて阻止せざるを得ない。衛兵たちは今、チャックを捕えるために、全兵力を投入しているはずだ。
あとは、キョウジとココナがホムンクルスをさらうだけである。
一階は、大変な騒ぎになっていた……群衆と宿屋の従業員との間で小競り合いが起きているようだ。
そして二階では、何事が起きたのか知るため、廊下に出てきた者たち……ちょっとした人だかりが出来ている。
その中に、ホムンクルスもいた。
ホムンクルスの顔を確認した瞬間、キョウジは走った。
野次馬と化した人々の中をかき分け、ホムンクルスの元に走る。
そして、彼女の手を掴んだ。
「キョウジ……どうして……」
呆然とした表情で呟くホムンクルス。だが、キョウジは強引に手を引き、野次馬をかき分けて走り出す。後ろでわめくような声が聞こえた。
だが、キョウジは無視した。ホムンクルスの手を引き、入って来た窓のところに着く。
そして言った。
「ココナと一緒に、先に降りろ」
「それは……」
ホムンクルスはうつむき、言い淀んだ。しかし、今度はココナが手を引く。
「早くしてくださいにゃ! みんなで一緒に行くんですにゃ! 今なら、村の人には迷惑かからないですにゃ!」
ココナが叫び、なおもホムンクルスの腕を引く……ホムンクルスは、ちらりとキョウジを見た。
そして、ココナに頷く。
「わかった。行く」
「はいですにゃ!」
嬉しそうに叫び、窓にかかった縄ばしごを降りていくココナ。そしてホムンクルスが後に続いた。
一方キョウジは、ホムンクルスを追って来た者に向き合った。
力任せに振り回される拳をかわし、顎に右ストレートを叩き込む――
一撃で殴り倒し、窓から下を見た。ココナとホムンクルスは、既に中庭に降りている。
ココナが上を向き、叫んだ。
「キョウジさん、いいですにゃ!」
キョウジは頷き、窓枠に足をかける。
次の瞬間、跳躍した――
中庭に飛び降り、着地と同時に素早く転がり受け身をとる。そして起き上がると同時に、ホムンクルスの手を握った。
「行くぞ」
低い声で言うと、なに食わぬ顔で歩きだした。
すると、ようやく状況を把握した男たちが追いかけて来る。ホムンクルスを買った貴族の手下のようだ……。
キョウジは舌打ちした。走って逃げるか、それとも食い止めるか。
だが、その時――
野獣の咆哮が、辺りに響き渡る。
そして灰色の何かが、キョウジたちの前に降り立った。
「チャック……」
呟くキョウジ。ココナとホムンクルスも唖然としている。
だが、チャックはお構い無しだった。さらに吠え、跳躍する――
灰色の人狼はキョウジたちを飛び越え、追っ手たちの前に立ちはだかった。追っ手たちは立ち止まり、めいめいの武器を抜く。
すると、チャックはまたしても吠えた。
そして、キョウジたちを振り返る。
早く行け、とでも言わんばかりに……。
「みんな行くぞ!」
キョウジは、皆に怒鳴った。そして走り出す……ホムンクルスとココナの手を引き、ひたすら走った。その横を、衛兵たちが駆け抜けていく。武装した衛兵たちが次々と集まり、チャックを取り囲んでいった。
そして……衛兵たちが作り出した人混みに紛れ、キョウジたちはその場から姿を消した。
街の外れに停めておいた荷車に、ホムンクルスとココナが乗り込んだ。そして、キョウジがぼろ切れや毛布などをかけ、二人の姿を隠す。
さらに、キョウジもぼろぼろのマントを羽織る。あちこちに染みが付き、汚くなった物だ。
マントのフードをすっぽり被って顔を隠し、キョウジは荷車を引いて歩き出す……端から見れば、得体の知れない乞食にしか見えない。
キョウジは荷車を引き、ゆっくりと進んで行った。今のところ、まだ怪しまれてはいない。あと、もう少しで門に着く。チャックが大立ち回りを演じているお陰で、キョウジのことなど誰も注目していない――
「そこの乞食、ちょっと待てよ」
不意に、横から声をかけられた……キョウジは平静な顔を作り、そちらを向いた。だが、もし気付かれたのならば殺す。
「食い物を恵んでやる。持っていけ。ただし、街を出てから食うんだ。わかったな」
そう言いながら、柔らかい物が入った大きな皮袋を手渡してきた者は……グレイだった。傍らには、だぶだぶの衣装を着たムーランもいる。二人とも切なげな表情で、じっとキョウジを見つめていた。
荷車の中から、鼻をすするような声がかすかに聞こえてきた。キョウジも、何も言えずに下を向く。グレイとムーランは自分たちに食べ物を渡し、別れの挨拶をするために、ここで待っていてくれたのだ……。
「さっさと失せな。バーレンはね、あんたみたいな乞食の居る場所じゃないんだよ。この街には、二度と来るんじゃない……」
ムーランが吐き捨てるように言い放ち、ぷいと横を向く。
そして二人は、立ち去って行った。
キョウジも荷車を引き、歩いて行く。鼻をすするような声を誤魔化すため、わざと大きな音を立てながら去って行った。
両者はその後、一度も振り返ることがなかった。
次回で完結となります。よろしければ、最後までお付き合いください。




