選択
全てが終わった後、グレイたちはしばらくの間、セールイ村に滞在することとなった。キョウジとココナ、さらにはチャックも一緒である。この五人組は、村で奇妙な共同生活をしていたのだ。
グレイとムーランは、ホムンクルスを連れ戻す任務を金貨百枚で請け負った。キョウジとココナ、そしてチャックというライカンの協力もあり、無事に助け出すことに成功した。もっとも、結果として大騒動になり、伯爵は死んでしまったが……。
無事にホムンクルスを連れ帰った一行。しかし、今のセールイ村には金はなかった。ホムンクルスを貴族に引き渡すことにより、初めて村に金が出来るのだ。それまでは皆、客として村に滞在することとなった。
そして明日、ホムンクルスを引き取りに貴族の使いが村を訪れるのだ……。
「あの二人、可哀想だね……」
外で遊ぶキョウジとココナを見ながら、ムーランがぽつりと呟いた。二人は、またしても格闘ごっこをしている。ココナが可愛い叫び声を上げながら、キョウジに組み付いていく。だが、キョウジはそれをがっちりと受け止めた。
「にゃにゃにゃにゃあ!」
ココナは叫びながら、キョウジを押し出そうとする……しかし、キョウジは相変わらず容赦がない。あっさりと倒してしまった。ココナはごろんと転がる。
だが、すぐに立ち上がった。
そして叫ぶ。
「いきますにゃ!」
「まったく……キョウジの奴、手加減くらいすればいいのに……」
ムーランは呆れたような口調で言った。しかし、当のココナはとても楽しそうな表情である。ただ転がされるだけの格闘ごっこが、よほど気に入ったらしい……。
「ずいぶんと楽しそうじゃねえか。あいつらの何が可哀想なんだ?」
グレイが尋ねると、ムーランの口元が歪んだ。
「ホムンクルス、さ。あの二人は毎晩、ホムンクルスと会ってる……三人で、楽しそうに話してるんだよ。でも、明日になれば会えなくなるんだろ? 変態貴族に、ホムンクルスは売られちまうんだろ?」
「仕方ないだろうが……あのホムンクルスが売れなきゃ、俺たちはタダ働きなんだぜ。金貨百枚を、みすみす逃せない」
「でもさ――」
「それにだ、ホムンクルスが売れなきゃ、ここの村人たちの生活は成り立たねえよ。仕方ねえのさ。むしろ俺としては、キョウジのバカがトチ狂った真似しねえかどうか不安だよ」
「そうだね……あんたみたいに、ホムンクルス連れて逃げるかもしれないね」
そう言うと、ムーランは再び外の二人に視線を戻した。
「にゃにゃ!」
可愛らしい叫び声を上げながら、果敢に挑んで行くココナ……グレイは扉を開け、外に出ていった。あの二人の姿は、あまりにも眩しい。
キョウジは明日、ホムンクルスと離ればなれになる……そして自分とムーランもまた、キョウジやココナとは別の道を行かねばならない。
そういえば、チャックの奴は何処に行った?
グレイは、ふと村の中を見回してみる。だが、チャックの姿はない。
「グレイさん、どうしなさったのだ?」
不意に声をかけてきた者、それは村長だった。かなりの高齢と思われるが、背筋は真っ直ぐだ。歩き方もしっかりしている。
ひょっとしたら、この男もホムンクルスなのではないだろうか……というバカな考えが、グレイの頭を掠めた。
「いや、別に……そういえば、あんたに聞きたいことがあったんだよ」
「聞きたいこと? いったい何だ?」
怪訝そうな顔で、聞き返す村長。だが、グレイは遊んでいる二人を手で指し示した。
「ここは騒がしい。ちょっと向こうまで来てくれ」
そう言うと、グレイは歩いていく。村長はその後に続いた。
やがて、門のそばまで来た。グレイはそこで腰を下ろす。
そして口を開いた。
「なあ村長さん、俺にはどうしても分からないんだが……あのホムンクルス、どうせ、どっかの貴族に売るんだろ?」
「そうだ」
そう言うと、村長もグレイのそばに腰を下ろした。向こうから、かすかにココナの可愛らしい叫び声が聞こえてくる。
「だったら……伯爵に売っても同じだったんじゃねえか? なのに、何で伯爵に売らなかったんだ? あの伯爵なら、金は幾らでも出したと思うぜ。あるいは……ホムンクルスの製造方法を部分的にでも教えるとかさ」
「……」
グレイの問いに対し、村長は黙ったまま下を向いていた。
しかし、すぐに顔を上げる。
「このセールイ村の、伝統なのだ……ホムンクルスを創り、王都に住む貴族に売る。ただし、誰にでも売るわけではない。売る相手も、きちんと決められているのだ。製造法については、誰にも教えるわけにはいかない。たとえ部分的にでも、外の人間には教えるわけにはいかない」
「なるほどな……じゃあ、もう一つだけ。その村の伝統とやらを守るために、死ななくても良かったかもしれない人たちが死んだ。そのことを、あんたはどう思う?」
「では、逆に聞こう。我らにどうしろと言うのだ? 我らは、この村で生き……そして、この村で死ぬ。村の伝統に従う以外、生きる術を知らん。我らが生き長らえてきたのも、伝統に従っていればこそだ……あんたらに分かってもらおうとは思わない」
「なるほどな……ま、俺にはあんたを責める資格はないよ」
それだけ言うと、グレイは立ち上がる。彼は、このセールイ村がつくづく嫌になってきた。古い伝統と因習に支配された、典型的な共同体……セールイ村は恐らく、この先も続いていくのだろう。
ロバート・ロクスリー伯爵と息子のセドリックは死んだ。その城は、今や廃墟と化していることだろう。あれから城には行っていないので、どのような状況になっているのかは知らないが……いずれは、国王が動くことになる。このアルラト山は、どこかの貴族が管理することとなる。そして伯爵は、呪われし怪物として歴史に名を刻むこととなる。
それでも、セールイ村の人々は生き方を変えることは無いのだろう………。
・・・
「セドリック、ほら……こいつは山猫だぞ。もっと可愛い仔猫を連れて来てやりたかったけどな……こんな可愛げのない奴しか、この辺りにはいないんだよ」
そう言いながら、チャックは隣にいる山猫の頭を撫でた。山猫は喉をゴロゴロ鳴らしながら、チャックのそばに丸くなって座っている。安心しきった様子だ。チャックは微笑み、背中を撫でた。
今、チャックがいるのは小高い丘に出た。緑に覆われた草原は美しく、時おり吹く風が心地よい。そして地面には、短剣と長剣が突き刺さっている。
そこには、セドリックとロクスリー伯爵が眠っているのだ。
「セドリック……お前、旅に出たがってたよなあ。ここなら、あちこち見えるだろ。動物たちもいる。寂しくないんじゃないか」
チャックは、墓に向かい語りかける。
その時、山猫の表情が変わった。起き上がり、低く唸りながら毛を逆立てる……。
チャックがそちらを見ると、山犬の群れがいた。こちらをじっと見ているが、近寄ろうとはしない。
「大丈夫だ……安心しろ。ここでは、俺が手出しはさせないから」
そう言いながら、チャックは山猫の背中を撫でた。すると、山猫の顔つきが変わっていく……だが、それでも警戒心は解いていないらしい。油断なく、山犬を睨んでいる。
チャックは立ち上がり、山猫を抱き上げた。そして山犬たちに語りかける。
「お前ら……ここは俺の友だちが眠る場所だ。ここでの争いは許さねえ。大人しく失せろ」
もちろん、山犬たちにその言葉は通じない。だが、チャックの意思は通じた。山犬の群れは向きを変え、走り去って行く。
チャックは去って行く群れを、羨ましそうに眺めていた。自分も昔は、ああやって仲間たちと共に野山を駆け巡っていたのだ。
そしてチャックは、この山で起きた一連の出来事を振り返った。思えば……奇妙な偶然が重なり、この一件に首を突っ込んでしまったのだ。そして気がついてみると、殺されたライカンの仇を討つ羽目になっていた。
だが、チャックはそんなことを望んではいなかったのだ。彼が望んでいたもの、それはセドリックに平穏で楽しい余生を過ごさせることだった。
しかし、結局こうなってしまった……。
未だにチャックは考えてしまう。自分が違う行動をとっていれば、セドリックは助かったのかもしれなない。
そう、セドリックに狼憑きを発症させられていれば……と。気づかれぬよう変身し、そっと噛みついていれば……セドリックはその時の傷により死んだかもしれない。
しかし、狼憑きを発症して助かったかもしれないのだ。
その時、腕の中の山猫が動いた。もぞもぞしたかと思うと、ぴょんと飛び降りる。そして振り返りもせずに、森の中へと走って行ってしまった。
「何だ……お前もいなくなっちまうのかよ」
寂しげに呟くチャック。そう、自分は一人だ。ライカンの村から追放され、人間に混じって生きている。だが、自分がライカンだと知れば、確実に離れていくことだろう。
いや、離れていくだけではすまない。狩り立てられることとなる。下手をすれば、自分の人相書きがあちこちに撒かれることにもなりかねない。
もっとも、グレイとムーラン、そしてキョウジとココナは自分の正体を知りながらも、受け入れてくれたのだが。
セールイ村での、皆との共同生活は本当に楽しかった。
しかし、それももうじき終わってしまう。
これから、どうしようか……。
セールイ村には、いつまでも居られるわけではないのだ。グレイとムーランはいったんバーレンに戻るらしい。キョウジはココナを一緒に、しばらく旅をするつもりだと言っている。
そして自分は……。
その時チャックの鼻が、近づいてくる者の匂いを感知した。思わず苦笑する……この匂いは、自分の知り合いのものだ。
「にゃにゃ? チャックさん、こんな所で何してますにゃ?」
声と共に現れた者、それはココナだった。尻尾をぴんと立て、いかにも楽しそうな表情でチャックを見上げる。
「ちょっと、な……お前こそ何しに来たんだよ?」
「遊びに来ましたにゃ。キョウジさんも、もうすぐ来ますにゃよ」
そう言って、ニコニコするココナ……だが次の瞬間、その表情が変わった。天真爛漫な彼女には珍しい、真剣な顔つきになる。
「そうですにゃ……チャックさんに、お願いしようと思っていたことがありましたにゃ」
「お願いだあ? 何だよ、改まっちゃって……俺に出来ることなら、大抵のことはするぜ。さあ、言ってみな」
そう言って、微笑むチャック。すると、ココナは何かを言いかけた。
しかし、躊躇うような素振りをみせる。いつもの、明るくて朗らかなココナらしからぬ仕草だ。チャックは首を傾げた。
「一体どうしたってんだよ、ココナ……俺に出来ることなら、大抵のことはやるぜ。遠慮しないで言ってみろ」
「にゃにゃにゃ……」
それでも、ココナはうつむいていた。
ややあって、意を決したような表情で語り始める。
「お願い……したいことが……あるのですにゃ……」
・・・
「私は明日、貴族の元に行く……あなたと会うのも、今日が最後だ」
そう言うと、ホムンクルスはキョウジを見つめる……その瞳は、あまりにも悲しげだった。
夜のセールイ村、キョウジは外で地べたに座っていた。傍らにはホムンクルスがいる。二人は毎晩、こうして会っていたのだ。僅かな時間ではあったが、他愛ない話をする……キョウジにとって、何物にも換えがたい幸せな一時だった。
だが、それも今日で終わりだ。ホムンクルスは明日、王都に住む貴族の元に行くのだから。
そして、貴族専用の奴隷として仕えることとなる。
キョウジは胸の痛みを感じ、視線を逸らした。こんな気持ちは、生まれて初めてだ。どう対処していいのか、全くわからない。しかも、今日に限ってココナもいないのだ。いつもなら「にゃにゃ!」などと言いながら、ホムンクルスにじゃれついて行くのだが……今夜は何故か来なかった。
ユウキ博士……俺はどうしたらいいんですか?
キョウジは、心の中でユウキ博士に語りかけた。どうすればいいのか、よく分からない。
ホムンクルスに会えなくなる……それは、とても悲しいことだ。
「私はこの先、あなたと会えなくなる……それはとても悲しいことだ。出来ることなら、あなたと一緒にいたい……だが、それは無理なのだ」
ホムンクルスは、悲しげな表情で呟いた。
その言葉を聞いたキョウジは、もう我慢できなくなった。やにわにホムンクルスの手を掴む。
そして、立ち上がった。
「俺やココナと、一緒に行こう……一緒に、ここから逃げるんだ!」
キョウジは声を震わせながら、真剣な表情で言葉を発した。
だが、ホムンクルスは首を振る。
「私もそうしたい……だが、それは出来ない」
「何故だ!」
キョウジは語気鋭く迫る……しかし、ホムンクルスの濡れた瞳に見つめられ、思わず怯んだ。
「私があなたと一緒に行ってしまったら……この村の人たちが困るのだ。この村には、お金が必要……私が貴族に仕えなければ、村の人たちの生活が成り立たない。私がこの世に存在できるのは、村の人たちのお陰なのだ……村の人たちを、辛い目に遭わせたくない……」
「……」
ホムンクルスの言葉は、身を切られるような悲しみに満ちていた。キョウジは何も言えず、黙って下を向く。
そして思った。ホムンクルスは、自分と全く同じなのだ……自分は街の片隅で組織の人間に拾われ、ユウキ博士に育てられた。成長してからは、組織の人間の命ずる任務のために、何人もの人間を殺してきた。
自分は結局、組織によって創られたホムンクルスのようなものだ。
そして目の前にいるホムンクルスも、村の人間によって創られ、育てられた。明日には、村のために貴族に売られていく。
ホムンクルスは自分に出会わなければ、何も感じないまま貴族の元に行っていたはずなのだ。彼女にとって、それが人生の全てなのだから。
だが、ホムンクルスは自分と出会ってしまった。
もし自分がこの世界に来た直後、棺桶の蓋を開けなかったら……。
「私のことより、あなたの話を聞かせてくれ。あなたは今まで、どんな場所にいたのだ?」
突然のホムンクルスの問いに、キョウジは一瞬迷った。
だが、語り始める。
「俺は、こことは違う世界から来たんだ」
「違う世界?」
「ああ、違う世界だ……」
そう言った後、キョウジは語り出した。
自分の居た世界の話を……。
「それは凄いな……遠くにいる人間と会話が出来るのか?」
「ああ、そうさ。他にも、高速で移動できる乗り物もある。水も、わざわざ汲みに行く必要がないんだ。食べ物も、この世界とは比較的にならないくらい美味しい。夜だって、松明が無くても明るい」
そう、ネオ・トーキョーは……こと生活という面においては、この世界とは比較にならないくらい恵まれていた。実際、キョウジもこの世界の不便さにだけは、まだ慣れることが出来ない。
しかし……。
「キョウジ、私にはわからない。あなたは何故、こちらの世界に来たのだ?」
ホムンクルスの質問に対し、キョウジは首を横に振った。
「俺にはわからない……ひょっとしたら、神の為せる業かもしれない」
「神?」
「そうさ……俺はあんたを助けるために、神によってこの世界に送り込まれたのかもしれない」
そう言って、キョウジは笑う。彼にとって、人生で初めての冗談……だったのだが、ホムンクルスはにこりともしなかった。
むしろ、顔色はさらに暗くなった。
「神、か。だとしたら、その神とやらは本当に非情だな。私とあなたを、わざわざ出会わせ……挙げ句、このような形で離れなくてはならないような運命にしたのだから」
そう言って、ホムンクルスは笑みを浮かべる。
それは、とても悲しそうな笑顔だった……キョウジは胸が潰れそうな思いを感じながら、そっと目を逸らす。
そして、星空を見上げた……ホムンクルスには任務がある。セールイ村のために、貴族に仕えるという任務が。
自分にも、任務がある。元の世界に帰り、ユウキ博士の仇を討つという任務が……。
「キョウジさん、どうするのですにゃ?」
宿代わりの家に戻ったキョウジを迎えたのは、ココナの言葉だった。彼女は自分の帰りをじっと待っていたらしい。
いや、ココナだけではなかった。グレイ、ムーラン、チャック……全員が起きていた。明かりを灯し、じっとキョウジを見つめている。
「どうもこうもない……明日、俺たちも村を出る。お前の住めるような場所を探す――」
「ホムンクルスさんのことは、いいのですにゃ?」
真面目な顔で尋ねるココナ……キョウジは顔を歪めた。
「あいつには、あいつの仕事がある。仕方ないだろうが」
「キョウジさんは、あほうですにゃ」
ココナの声からは、怒りが感じられる……キョウジは面食らい、戸惑いながら言葉を返した。
「ココナ……あほうじゃなくて魔法だ。それに、俺は魔法使いじゃない」
「わかってますにゃ! キョウジさんは、本物のあほうですにゃ!」
突然、立ち上がるココナ……そしてキョウジを睨み怒鳴りつけた。
唖然とするキョウジ。だが、ココナは止まらない。
「ホムンクルスさんが可哀想ですにゃ! このままだと、人間に売られてしまいますにゃ!」
「仕方ないだろうが……あいつを売らなきゃ、この村の連中は生活できないんだよ……もう夜なんだ。寝ようぜ」
キョウジは無理に笑顔を作り、ココナをなだめようとした。
すると、今度はムーランが口を開く。
「一つ言っておくよ。あんた、棺桶を開けたと言ってたね……その時、ホムンクルスは間違いなく目覚めてなかった。でも、あんたが開けちまったせいで、ホムンクルスは不完全な状態で目覚めたんだよ……つまり、あのホムンクルスは不良品なのさ。あんたのせいでね」
ムーランの静かな声。
キョウジは何も言えず、目を逸らしてうつむいた。確かに、自分には責任がある。ホムンクルスを苦しませているのは自分だ……しかし、ホムンクルスをさらうことは出来ない。
その時、今度はグレイが口を開いた。
「なあ、難しく考えることじゃねえ……要は、お前がどうしたいか、だ。お前は一体、どうしたいんだ? 決めるのはお前だ」




