第2話 運命の日、10月27日
訓練を終え、フランスのパ・ド・カレーに到着したジョン・ロナルドは、ひとまずイギリス海外派遣軍の後方補給廠のあったエタープルに送られる。そこでランカシャー・フュージリアーズ連隊第11大隊の通信士官としての配属が決まった彼は、アラスの戦いで消耗した同部隊の再編を待つ間、思索にふける時間を過ごすこととなる。この頃再び例の世界の夢を見るようになっていた彼は、前に夢を見ていた時にはなかった闇、影のようなものがその世界を覆っていることに気づく。ある宝物をめぐり光と闇の勢力が争い、光の側が圧されているのだ。その世界の戦いの行く末が気になった彼だが、部隊の再編が終わり、アミアン近郊にて部下の訓練、監視などに忙しくなって夜に夢をすら見れないほど疲れていた彼はその戦いの行く末も戦争から帰った後にまとめようと決意した。
1916年7月、ソンムへと到着したランカシャー・フュージリアーズ連隊第11大隊はブーザンコート後方の陣地に位置し、ドイツ側への攻撃に参加し始める。
ここで当時の(第1次世界大戦の)状況について説明すると、1914年7月に始まった戦争は既に2年間続いており、当初は1914年のクリスマスまでには帰れると考えていた兵士たち、そして後方の市民たちも戦争に嫌気がさし始めていた。大規模な塹壕戦、そして次々に投入される新兵器によって当初連合国側への援軍として大陸に派遣されたジョン・フレンチ元帥指揮下のイギリス大陸派遣軍の、職業軍人からなる部隊は消耗・壊滅しており、当時徴兵制を採っておらず規模が独仏等に比べて小さかったイギリス陸軍は崩壊の危機に瀕した。それを打破するために一般からの志願が熱心に呼びかけられ、キッチナー陸軍と称される志願兵の大部隊が編成され大陸に送られた。彼らは学校・職場・村単位で志願してきており、士気は高かったものの装備・訓練の不足と保守的な軍上層部の無策による突撃命令で多くが戦場に命を散らせることとなる。トジョン・ロナルドが志願・任官したのもその頃であった。
彼が配属されたランカシャー・フュージリアーズ連隊は元々は第20歩兵連隊と呼ばれており、その名の通りランカシャー地方を根拠地としていた。フュージリアーとは擲弾兵のことで、イギリスにおいては功績のあった連隊に称号として与えらえていた。彼がイギリス本国において訓練を受けていた第13大隊もこの連隊の一部で、第13大隊などを除いた連隊の大半は西部戦線に投入される前は激しい戦いとして有名なガリポリの戦いに投入されていた。このため彼が配属されるまでの間連隊はしばらくの再編成期間を必要としたのである。ソンムの戦い当時には第25師団74旅団の指揮下におかれていた。ランカシャー・フュージリアーズ連隊は我々の世界においてはその後、1960年代のイギリス陸軍の連隊再編の際にロイヤル・フュージリアーズ連隊に統合、第4大隊となって今に至る。
そして運命の日、1916年10月27日、ランカシャー・フュージリアーズ連隊第11大隊はドイツ軍レジーナ塹壕への突撃を開始する。朝から調子の悪かった彼はしかしもう少し戦えるとして、この突撃には参加することにする。本来は外れるはずだったドイツ軍側から放たれた砲弾はしかし、夜の扉の向こうからの介入で、ジョン・ロナルドと彼のいた大隊に直撃、彼らを一掃する。
死の間際、多くの情景が彼の頭の中を走馬灯のように巡る。過去、未来、地球上の彼が知っている場所、彼の知らない場所、夢の中に出てきた世界。そして彼はようやく気付く。
「ああ、やはり、私は正しかったのだな。そして同時に間違っていた。主は確かに存在された、中つ国を作られたのはやはり主だったのだ。しかし中つ国はこことは違う世界ではない、この世界の遙か過去だったのだ…私は中つ国を……」
ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン 1892年1月3日 - 1916年10月27日 死因:戦死
というわけで死んだのはファンタジーの大家、トールキンさんでした。現代のファンタジーに大きな影響を与えているトールキンさんが死んでしまった後、歴史はどんな風に変化するのでしょうか。また、トールキンさんが夢に見ていた中つ国は本当に地球の過去なのでしょうか… [続く]