とある物語のプロローグ
願いは異質で。
叶わないものを追い求め。
それでもこの掌に掴みたいから、必死になって探し続ける。
願いが叶う、その道を。
何をやっているんだろうと自嘲する。
「――お兄様。またこんなところに。アレスが探し回ってますわよ」
降ってきた声は幼い少女の、精一杯背伸びをした声。
目の上に乗せていた腕をどかせば、頬を膨らませた少女と目が合った。
大きな、澄んだ翠色の瞳。やわらかな癖のある金色の髪。頬を赤く染め、きゅっと眉を吊り上げて怒った顔をしている。私の妹。
屋敷から離れたこの大木の下で横になっていた私を、探しに来てくれたのだろう。手を伸ばし、膨れた頬を掴む。
ぷしゅ、と空気が抜けて彼女はきりりと私を睨んだ。
「お兄様。遊んでないで、早く屋敷に戻ってください」
「……リリア。そんなに怒っては可愛い顔が台無しだよ」
「誰がその台無しな顔にしたと思ってるんですか。……っ。お兄様!」
一向に機嫌を直さないリリアに、私は彼女の頬から手を離し腕をつかんだ。そのまま引き寄せる。覗き込むようにこちらを見ていた彼女はあっさりとバランスを崩し、私は倒れてくる彼女を受け止めた。
すとん、と降ってきたリリアを抱きしめ、体制を変える。ごろんと横を向いて、彼女から手を離す。
「草が服につきますわ」
芝生に横たえられ、リリアは文句を言った。
少し前まではこうしてよく二人で寝っ転がっていたのに。きっと意識するようになったのだ。女の子として、レディとして。それはこうして態度や言葉遣いに表れる。
「少しだけだよ。ここのところ、リリアは婚約者様にかかりきりだろう? 私は寂しいんだ」
「まぁ。そんなこと言ってお兄様だってシェーラ様には手を尽くすでしょう。同じ事ですわ」
「おや。リリアも寂しがってくれていたのか」
「誰もそんなこと言ってません」
「そうかそうか。寂しかったか」
「お兄様!」
言い合いながら、リリアは起き上がろうとはしなかった。仰向けに寝そべり、さらさらと揺れる大木の木の葉をじっと見ている。私はそんな彼女を横向きになったまま眺めた。
しばし風の音に、鳥の声に、木の葉のざわめきに耳を傾ける。
それらの音に混じるように、けれどはっきりとひとつの声が私の耳に滑り込んだ。
「――……呼ばれていますわね、お兄様」
その声はリリアにも聞こえていたらしい。ぽつり、と彼女は言った。
「そのようだね。これはアレスかな」
「ですわね。彼が必死になって探すから、わたしもお手伝いしたんですもの」
お兄様に捉まってしまいましたけれど。彼女の小さな呟きは嘘と事実が半分半分といったところで。私は小さく笑った。
「たまには兄妹水入らずってのも悪くはないだろう?」
「お兄様はそのたまに、が多すぎるんですわ」
「そうかな」
「そうです。ですからシェーラ様もよくお怒りになるんですわ」
「ええどうしてそこでシェーラが出てくるんだ……」
私の出した情けない声に呆れた顔を見せ、リリアは上半身を起こした。髪に草がついていたので取ってやる。
「あら、ありがとうございます。お兄様は鈍感なくせにこういう細かい所はよく見てますわね」
「そうかな。私は物事に対して、鋭い方だと思っているよ」
取り上げた草を風に飛ばしながら、苦笑して言う。
鈍感だったなら、どれだけよかっただろう。気が付かないふりというのも、案外嘘をついているようで心苦しい所がある。
「人の感情に対してはそうでもないようですわよ」
「……そうか。リリアが言うならそうなのかな」
「ええ。信じて下さいませ。それでシェーラ様をもっと気に掛けるといいのですわ」
ふん、と鼻息荒くも言ったリリアは立ち上がり、スカートをはたくと私に手を差し出した。ためらいなく、私はその手を取る。
「行きましょう、お兄様。アレスの声が枯れないうちに」
「しょうがないな。それが我が妹の願いならば」
『いきて』
そう、それが貴女の願いならば。私はそれを全うし、そして貴女も救ってみせる。
「ところでお兄様。あんなところで、なにをなさってたんですの?」
「うん? 昼寝だよ。いい木陰だったろう?」
「それなら庭の木の下でも、よろしかったのではなくて?」
「庭だとアレスがすぐに飛んでくるじゃないか。あそこならゆっくりできるからね」
兄妹ふたり揃ってのんびりと屋敷に向かって歩く。
門をくぐる前、ちらりと背後を見るとあの大木が小さく見えた。
「それにあそこは」
『いきて。いきてください。道連れにはしたくないですわ』
頭の中に、響く少女の声。かすれた、濡れた、毅然とした。隣を歩く、彼女によくにている声だ。
「あそこは、なんですの?」
「うん。思い出の場所だからね」
「そうですか。お兄様がそこまで大事に思う、思い出が作れるご友人がいらしたとは……あとで紹介してくださいませ」
「リリア。残念。もうその人いないんだよ」
「近くにお住まいというわけではないのですね? 王都に行けば会えるかしら」
はぐらかすように言えば、リリアは真剣に考えだした。本人は気づいていないだろうけど、リリアは真面目に悩みだすと唇が少し突き出る。今も門に手をかけたまま、ちょっと唇を突き出して、考えている。かわいい。
リリアはかわいい。彼女の婚約者であるルイスもちゃんとリリアに惚れていることを私は知っていた。ルイスは見ていてわかりやすいのだ。すぐに顔を赤くし、そわそわと視線を彷徨わす。
「――あああネヴェ様!」
考え続けるリリアを見ていると、門の向こう、屋敷から駆けてくるひとりの青年が大声を出した。
その声に、リリアが顔を上げ言う。
「あら、アレス。お兄様、見つかりましたわよ」
「リリア様、ありがとうございます! ネヴェ様どちらにいらしてたんですかー探しましたよ。リリア様の手も煩わせてしまいましたし」
門を開きながら、彼は辟易した声で文句を言いどうぞ、と手でふたりを促した。
「何の用があったんだ?」
「何の用って……お忘れですか、午後からこちらに派遣されていた騎士団の方がご挨拶に」
「ああ。父に頼まれていたな、そういえば」
「そういえば、ではないですよ!」
「お兄様。公務はしっかりなさいませ」
ふたりの呆れたような怒った表情に、私は苦笑いをしてみせた。このあと、騎士団の奴らとはどうしてか剣での勝負にもつれ込むことがわかっている。剣は苦手だ。やりたくないがこれ以上の引き伸ばしも難しそうだ。
「しょうがないな。いってくるよ」
「当たり前ですわ」
『当たり前でしょう。望んで手に入れているのですもの。大事にしないといけませんわ』
うん。そうなのだ。
私は望んでここにいるから。貴女をもう一度、手に入れるため。
もう一度。銀色の砂時計を逆さにひっくり返し、同じ時間をもう一度。
「いってらっしゃいませ、お兄様。あとでお菓子でも差し入れに行きますわ」
「ありがとう、リリア。アレス、行こうか」
ふわりと笑んだリリアに私も笑みを返し、アレスに合図する。
滑り落ちる砂は一定を保ち続け、残りの時間は減り続ける。
もう二度はないと知っているから。今度こそ、手に入れよう。
私の最愛の貴女。
題名通り、これはとある物語のプロローグ。続きはありません。
……続きが読みたかったら、書いてくれていいのですよ?
ということで主人公の名前くらいは明かしておきます(
私→Nevaeh ネヴェア
他の人の名前までは考えてません。愛称なのか本名なのかご想像にお任せです。