1.異世界は五分前くらいに創造された
広い空だ。
一面に染まる空色を侵す遮蔽物は一つもない。
無粋な家屋も、コンクリートの塔も、銅の電線も何もない。
飛行機の代わりに、数匹の白い鳥が飛んでいた。
白い鳥は滑空し、遠くの木々に止まっていく。
電柱や電線に止まるのはよく見るが、
大自然の生んだ巨木に止まるのを見るのは初めてだ。
俺は生まれてから今日まで都会で生きてきた。
だから、こんな光景は見たことがない。
体長十メートルは超える白い鳥のような『何か』が、
東京タワーほどの高さを誇る化け物のような『巨木(?)』に止まる光景。
いや、たとえ田舎でもありえないだろう。行ったことはないが知識で知っている。
あんな生物も植物も、常識的に考えてありえない。
現代の日本に、そうそう存在するはずがない。
少なくとも、俺の生きていた生活範囲にはなかった。
要するに――、
「――つまり、俺は?」
「ふふー、もっと喜んでくれてもいいんだよ?
誰にも迷惑をかけることなく慎ましく生きるなんて、
毛ほども価値のない人生から救ってあげたんだよ、私は!」
――俺は異世界に連れてこられたということ。
無駄なモノローグを浮かべていたような気がする。
けれど、簡単に言ってしまえば、ただそれだけの話――、それだけの話なのだ。
とてもわかりやすい。
ちなみに、いま目の前にいる、
俺の胸ほどまでしかない小さな背丈の少女が誘拐実行犯らしい。
銀色の髪に赤い目。
病的なまでに白い肌の上に、すすれたボロの服を着ている。
亡霊のように微かな生気を纏い、その小さな口を歪ませて笑う少女。
少女は得意げに無い胸を張っていた。
余りに不気味な外人少女だったが、俺は特に何も考えず暴力に走る。
理不尽な拉致行為に対し、アイアンクローで応えてやった。
「――ふざけんなこら」
「痛い痛い痛い痛いっ! え、ええ?
なんで? なんで怒ってるの!?」
涙目の少女は、本気で不思議そうに問う。
「当たり前だ。怒らないやつがいるか、馬鹿。
何が、毛ほども価値のない人生から救ってあげた――だ」
「事実を指摘しただけで理不尽な暴力が待ってるなんて、
異世界人さんとのコミュニケーションは難しいね!
けど私は諦めないよっ、人と人はわかりあえるはずなんだから!」
「いいことを言うな。感動した。
ただ、この数十秒の間で、おまえとはわかりあえないということが、
俺にはよーくわかった」
「諦めないで、異世界人さん!
ここには私たちしかいないんだから、仲良くしようよ!
いや、仲良くせざるえないよ!
だって、私以外から異世界人さんはこの世界の情報を得られないんだから!
ふひひっ!」
「私たちしかいない?」
アイアンクローされている体勢のまま、少女は周囲を見ろと、手を広げる。
確かに誰もいない。
晴天の青空の下、白い砂が太陽光を反射する。
俺と少女は海岸にいた。海岸の砂浜の上――たった二人だ。
どこまでも続く海、その地平線まで人工物は何もない。
島すらない――どころか正体不明の海棲生物が泳いでいる。
正直、そこらの船よりも大きい化物だった。ネッシーか。
その逆方向へ目を向ける。
そこには旅番組で見たモンゴル平原のような壮大な原っぱが広がっている。
地平線に、ぽつぽつと深い緑色が見える。おそらく、森が広がっているのだろう。
空に届きそうな巨木が森に混ざっているのを見過ごせはしない。
もちろん、こちらにも人工物は全く見当たらない。
見事な無人だ。
それ以前に、見たことのない奇妙な風景。異常な状況。
少女の説明が本当ならば、ここは――
「――で、ここは異世界。それも無人の魔境。
あっちの平原へ進めば、モンスターがうじゃうじゃいるって?」
「そうだよ! 島流しの上に封印ってコンボ食らっちゃってねー、
一人じゃ寂しいから人を呼んだの!」
「なるほど、おまえの言い分はわかった。
だが、なぜそこで異世界から呼ぶ……?」
「だって異世界から呼ばないと犯罪になるじゃん!!」
「そうか、異世界から呼ぶと犯罪にならないのか……。
そりゃ、異世界から呼ぶよな……。
そうだな、異世界人を代表して、この世界ぶっ潰すわ」
「素敵な野心だね! そのときは私もお手伝いするよ!」
「ははっ、ありがとな。ただ、その場合、まず最初にぶっ殺すのはおまえだ」
「え、ええ? なんで!?」
「そこで疑問を抱けるおまえが普通に怖いわ。
前後の話を考えろよ、俺が一番むかついてんのはおまえしかいねえだろうが」
「えぇ……、私はこんなにも健気に異世界人さんに尽くしてあげてるのに……」
「どこをどう尽くした……。言ってみろ、俺に何をどう尽くした……」
「異世界人さんをゴミためのような世界から救い上げ、
クソみたいにつまらない人生から開放してあげたんだよ!
そして、目の前には心が浄化されそうなほどの美少女っ、
人生初の意味ある会話を私とできるのに料金が発生しないなんて不思議!
私ってば無償の奉仕の似合う女神だね!」
アイアンクローの体勢のままだったので、力を強める。
「痛い痛い痛い痛いっ!」
「勝手に人の世界を馬鹿にすんな。舐めんなよ。
あと人の人生をクソみたいとか言うな。
あと自分を美少女とか女神とかも言わない。
そういうこと言うから、コミュニケーションが円滑に進まないんだぜ?
俺とおまえのコミュニケーション、もう本当ごつごつだからな?」
「わ、わわわかったよ! ごめん! わかったから、ギブ! 痛いのやめて!」
「よーし、少しは丸くなったな。
コミュニケーションは円滑に進めよう。いいな?」
俺は大人気なく、自分より二回りは幼い少女を脅す。
「い、いえっさ!」
「さて……、まずお互いの目的を交換しよう。
お互いが何を望んでいるのか、それでよくわかる」
「目的?」
「俺はいますぐにでも元の世界に帰りたい。
ここがどこで、どんな世界かなんて知ることなく、
おまえと自己紹介もすることなく、この出来事をなかったことにして、日常に戻る。
それが俺のいまの目的だ」
「うん、いいよいいよ。用が済めば、戻してあげる!」
少女はぶらぶらと俺の手にぶらさがったまま、何気なく答える。
「……驚いた。期待してた言葉と違うな。
てっきり、帰す手段はないのかと思った」
俺は心の底から驚き、少女の頭を手放す。
少女は華麗な着地と共に、俺の驚きを逆に驚く。
「え? おんなじ術使えばいいだけじゃん?」
「ん、まあ、そうだな……」
少女の簡単な説明を聞き、釈然としないまま頷く。
少しだけ不満があった。しかし、すぐにそれを飲み込む。
解放されかけていた衝動を抑える。
危ないところだった。
「じゃー、次は私の目的だね!」
「あ、ああ。一応、聞いてやるよ」
「ふひひっ、こういうのはあれだよ。
帰りたくば、私の目的に協力しろってやつなんだよ!」
「うむ。当然の恫喝だな。
で、何を協力するんだ? 一緒に遊べばいいのか?
それとも、ここに小屋でも建てればいいのか?」
少女は一人ぼっちだと言った。
その状況で俺に協力できることは、たかが知れてる。
「『復讐』だよ!」
「復讐? ああ、そういう話の流れか。
まあ俺は、まずおまえに復讐したいんだけどな」
一人ぼっちになったのは「島流し」が原因だ。
その「島流し」を行った相手に、少女は子供心ながら憤慨しているのだ。
ぷりぷりと怒る可愛らしい少女の言い分を、広い心で聞くことにする。
「――この私をこんな僻地に封印したやつらに復讐してやるんだ! とりあえず、私の故郷『ディヴァイア』は滅ぼす! 跡形もなく滅ぼしてやる! ついでに人類の歴史からも抹消してやる! あと『ディヴァイア』なんて国を生んだ罪深い大陸は更地にしてやる! 連帯責任だね! 更地じゃなくて海に沈めようか!! あと、私を迫害した人類は絶滅に追い込んで――……やるのはやめてあげようかな。んー、そうだね。豚以下の扱いで支配するくらいで許してあげよっか? うん、それが丁度良いよ! 家畜として、尊厳も誇りもない状態で子々孫々苦しめば良いんだよ! 未来永劫!! ふひひひひっ!!」
んー、ん? んん?
ただ、ちょっとその言い分が理解できなくて困ってしまった。