王子様が訪ねてきてたけど私は平穏に暮らしていたかった
『お姫様は呪われてるらしいけど私は早く家に帰りたい』と『弟が訪ねてきたけど私は居留守を使いたい』の続編です。
私は今、猛烈な既視感を味わっている。
『兄上兄上兄上! どうかここをお開けください!』
ドン、ドン、ドン、規則的に叩かれる扉。
私もユアンも“兄”ではないので必然的に扉の外側から呼ばれているのはアレンに決まっている。
だというのに当のアレンは知らないフリで朝食を食べていた。
「……アレン?」
「何でしょうか、セリア様。あ、今日もセリア様の作った朝食は美味しいです」
「…………ありがとう」
考えた。
ここで扉を開けて外にいる“王子様”を招き入れるべきなのか、それとも知らないフリをするべきなのか。
一瞬だけ考えて、私は後者を選んだ。
『兄上、その解呪士がいるからですか? 狂い毒のユアンの姉だというじゃないですか、危険です!』
……ユアン、何とも恥ずかしい二つ名を付けられているわよ。
すっかり我が家に居着いているユアンが眠っている寝室を遠い眼差しで見つめる。
──と、アレンがフォークを持って立ち上がった。
「セリア様、ちょっと掃除しに行ってきますね」
「まだ食事中でしょう?」
「そうですね。でもいくら弟とはいえセリア様を独占する害虫ですから。害虫は仕留めないと……増える、前に」
ちらり、玄関を見たアレンはにやりと口の端を吊り上げて──。
「アレン?」
「いくら私でも王子を仕留めたりはしませんよ。ええ、誰かと勘違いされているようですからその勘違いを正すくらいです」
「勘違いを正すのにフォークもスプーンも必要ないと思うのだけど」
明らかに危害を加える気じゃないの。
「では仕方ないですね、包丁を」
「それはもっと駄目よ」
『兄上、お話があるんです!』
切羽詰まったような声に、嫌な予感がする。
例えば、国の一大事だとか……ああ、もう、知らないフリするつもりだったのに、気になって仕方がない。
「アレン、可哀想だから話くらいは真面目に聞いてあげたらどうかしら、軍隊が来たら面倒くさいわ」
『父上の……髪が……っ!!』
…………髪?
あれ、考えていたよりも深刻な話ではないのかもしれない。
外からは啜り泣くような声が聞こえてきた。
「わかりました。すぐに話をつけてきます」
アレンは結局何も持たずに外へ出て行った。
扉を開けた瞬間にこちらに倒れ込んできた“王子様”の頭を片手で押し戻したのは見なかったことにする。
「ねえさん、そとが、うるさい」
そうこうしている内にユアンが寝室から出てきた。
ユアンは眠そうに目を擦りながらふらふらと私に近寄ってくる。
「おはよう、ユアン……っユアン、寝惚けてるでしょ」
「おはようねえさん……ねぼけてない……」
ユアンはそう言いながらもぎゅうぎゅうと私を抱き締めてくる。
ちょっと苦しい。
「苦しい苦しい」
「……ねえさん……だいすき」
こんなに朝に弱かっただろうか。
固まる空気をぶち壊したのは、外から聞こえてきた声だった。
『私は帰るつもりはない、そう言っているんだよクリス』
『兄上、もしや脅されているのですか!? 弱味を握られ、従わねば殺すと……?』
ユアンが私から離れる。
何となく空気が冷たくなった気がする。
「姉さん、ちょっと散歩してくる。…………僕、一番嫌いなんだ、姉さんを悪く言う奴……蹂躙したくなる」
「ちょ、ちょっとユアン?」
「大丈夫、死体も残らない強力な毒を使うから」
艶然と微笑む彼に“狂い毒のユアン”と呼ばれる片鱗を見た。
私の知らない顔だ。
「って駄目よ、駄目。そんなことをしたらこの国にいられなくなってしまうわ」
「別にいいよ。国なんて、僕は姉さんとだったら、どこでもいいから」
まるで、それが当たり前かのようにユアンは言った。
そして、懐から布を取り出して──私の鼻と口を覆った。
「む、うぐっ」
「大丈夫、目が覚めたら違う国だから……今度こそ邪魔者のいない所で僕と二人きりで暮らそう? 姉さん」
強烈な眠気が私を襲う。
こうして私は弟によって、裏口から拉致されたのである。面倒くさい。
──この後、王子様が記憶喪失で見つかっただとか、私とユアンがいなくなったことに気付いたアレンが虚ろな瞳で何故か行く先々に先回りしてくるだなんて、そしてユアンが国王に脱毛薬を送り付けたりしていたなんて、私は知らなかった。
「恋に障害はつきものですよね……でも、決して逃がさない。貴女も、私を選んでくれますよね、セリア様?」