16 時渡りの姫巫女2
そういったやりとりはこれまでに何度か行われたが、ヴォルフの態度は一貫していたため、今ではヴォルフに直接結婚をするよう勧める者はいなくなった。が、かといって女性達がヴォルフを放っておくかというと、それはまた別の問題だった。
精力的に陸路の開拓に取り組み、慕われている若き指導者が、逞しく見目も麗しく紳士的ともなると、若い女性達から格好のあこがれの的となるのはさして不思議なことではない。人の流れが多く発展しているとはいっても定住者の少ない片田舎での話なので尚更である。
とはいってもヴォルフがその手のことに興味がないことは知られており、また、女性が放っておかない人気の高さもある。諸々を合わせた結果、そういう意味では近寄りがたいと言われるようになるには時間はかからなかったのだが。
となると必然的に、ヴォルフに言いよるのは自分に自信がある女性ばかりになった。
現在ヴォルフに思いを寄せる村の女性の中で、今一番力が入っているのが、ナネッテであった。年頃の娘の中では村一番だと評判だ。はっきりとした目鼻立ちはかわいらしく、性格を現したような赤毛が印象的な美しい少女だ。明るくて少し直情的だがそのはつらつとした様子に励まされる者も多い。少しずつ開拓されているが厳しいことの方が多い生活が安定していない小さな村では、快活な性格は明るさと華やかさを感じさせるのだ。
ヴォルフはそのナネッテからこっそりと逃げていたのだが、ついに見つかってしまった。
「ヴォルフ、やっと見つけた! ご飯作ったのよ。あなたのために作ったの。良い出来よ。一緒に食べましょう」
そう言ってまとわりついてくるのを、ヴォルフは溜息混じりに軽い調子であしらう。
「俺は子供は相手にしない主義だと言っただろ? 君では物足りないなぁ?」
からかうようなその言葉をナネッテは軽く聞き飛ばすと、「いいからご飯にしましょう」と更に来るように誘いかけてくる。
いつもの事ながらこの直情的なめげなさにヴォルフは溜息をついた。ひとまずは軽く躱そうとはするものの、結局はっきりと断ることになるのだが、未だに諦めない彼女の根性には脱帽する。
「俺を余り困らせないでくれ。君の好意をもっと喜んでくれるヤツの所へ行くんだ。……そうだな、カスパルでも誘ってやれ」
「嫌よ、あんなおっさん」
口をとがらせるナネッテは、他の男から見るとかわいらしく見えるのだろうが、七つも年下となると幼さの方が際だって見える。ナネッテに対して格別な感情を持っていないヴォルフは呆れた様子で返した。
「俺も似たようなもんだろ?」
「ヴォルフは全然違うわ! だって身のこなしも話し方も全然がさつじゃないし、あんな山男とは大違いよ!」
話を聞く様子もない少女に、ヴォルフは静かに溜息をつく。リィナがいなくなってから今まで、それなりに女性からの誘いをうけてきていたが、適当に躱してきたつもりだ。しかしここまで積極的で、しかも遠回しに断っても、直接的に断っても気にされないのでは、どう対処した物かと悩む。
この少女のことは別に嫌いではないし、別れた頃のリィナと同じ年頃だと思うと、かわいらしいとも思う。だが、興味がないのにこう積極的に付きまとわれると、ただ時間を取られるだけとなり、少々煩わしい。
このまま彼女につかまっていてはらちがあかない。
「何度も言っているが俺には女房がいるんでな。俺のために愛を込めて作った食事は、女房からの物だけで十分だ。他の女が俺のために作った食事を食べるわけにはいかないな」
さっさと逃げるに限ると軽い言葉で締めくくり、にやりと笑ってそのまま立ち去ろうとすると、彼女は頬をふくらませてヴォルフの腕にしがみついた。
「女房って、二年も前にいなくなっちゃった人でしょ。そんなに離れてたら今頃忘れて別の人と一緒になってるわよ! だからヴォルフも……」
ヴォルフはその言葉に歩みをぴたりと止めた。
彼女の言葉が、ただの反発心を現した言葉でしかないのは分かっていた。悪意もない、見も知らぬ女性に対するただの嫉妬から来る言葉だ。
ヴォルフはナネッテが縋り付いている腕をするりと抜いてからゆっくりと彼女に向いた。
それまで軽くあしらっていただけのヴォルフだったが、けれど、その言葉を聞いた直後、にこやかな笑顔を浮かべてナネッテを見た。
「そうか」
「そうよ!」
「君は、彼女は心変わりしていると?」
にこやかな問いかけに、ナネッテは大きく肯いた。
ヴォルフの様子が変わったことに、やっと自分の言葉が届いたのだとおもった。今までにないにこやかな笑顔がその証拠だ。
と、浮かれた様子のナネッテに、ヴォルフは笑顔を貼り付けたまま、やんわりと言葉を返す。
「君は好いた男がいても、二年もすれば忘れて他の男を作ることが出来るのか。羨ましいことだな。だったら、君も、二年もすれば俺のことなど忘れられるだろう。よかった、安心したよ。じゃあな」
にこやかにもかかわらず怖くなるような冷ややかさを含んだ笑顔を向けられ、ナネッテは返す言葉を失った。そのまま彼の背を見送りながら、やり方を間違えたことにようやく気付いたが、もう遅かった。彼の背中は、強くナネッテを拒絶していた。
冗談で済ましてくれないほど彼を怒らせてしまったのだと、ナネッテは、しょんぼりと肩を落とした。
ヴォルフは彼女に背を向けてから、今までを思い返す。
「慰めてあげるわ」から「一度だけで良いの」までいろいろな誘いはあったが、先ほどのようなリィナを否定する言葉をかけられたことは今までない。
声をかけてきた女性が年齢的にもヴォルフと近かったり、リィナを失った直後のヴォルフを知っていたりと、それなりの気遣いがあった為か、そういった反応はあり得なかった。
けれど、ナネッテのように外から入ってくる人が増えていく度に、これに近いことが増えていくのかもしれない。目立ちやすい立場とはいえ、いらぬところで難儀が多いと溜息をついた。
次の予定に向ける足の歩みは苛立ちを現したかのように自然と早くなる。
「ヴォルフ!」
振り返ると普段はリュッカに身を置いている青年がヴォルフを追いかけてきていた。
「着いたか」
ヴォルフは歩みを止め、彼が駆け寄ってくるのを待った。
グレンタールに時渡りの神殿を建てたいという話が神殿側から申し込まれたのは数日前の事だった。今日、グレンタールで会合がもたれることになっているのだ。
とうとうこの時が来た。着実に、ヴォルフの知る未来に沿って時代が動こうとしているのだと実感する。
グレンタールはエドヴァルドに次ぐ大きな神殿が建つ場所だ。神殿を建てるというのなら、現在は国よりも陸路の開拓に力を入れている組合の力が必要になる。
「せいぜい高く買ってもらおうじゃないか」
ヴォルフがにやりと笑うと、呼びに来た青年も楽しげに笑う。
「お前の言う通りになってきてるじゃないか。しかし、神殿がこの段階で声をかけてくるとは思わなかったな」
「そうだな。思ったより早かった。先読みの巫女がこの陸路は使えるとでも宣託したんじゃないのか?」
「宣託か。そういえば、どうやらすごい巫女が現れたって言ってたぞ。もう何年も出ていない時渡りの姫巫女だってさ。そいつが神殿建てるって言ったらしいって噂だ」
「ほぅ?」
ヴォルフは少し驚いた様子で相づちを打つ。
伝説の姫巫女も剣士も都合よく後付けされた話なのだろうと、あてにすることをやめていたヴォルフは、本当にいたのかと現れた時渡りの姫巫女の話に興味を示した。
「じゃあ、その姫巫女の宣託か。この段階で神殿が関わって、神殿を建てるとなると、道の拡張もだいぶ進められそうだな」
頷くヴォルフを、青年が肘で小突く。
「うまい事交渉しろよ」
「まかせろ」
二人はにやっと笑みを交わし使者の元へ向かった。
使者との会合の後、間もなくして、姫巫女がグレンタールを訪れるという知らせが届いた。
神殿も何もないこんな山の中の集落に、姫巫女が何をしに来るのだといろんな憶測が飛び交った。
先日の会合では、神殿の使者がずいぶんと異国の商人達を侮っているのが見て取れた。こんな片田舎に神殿を建ててやろうというのだから感謝しろ、金も出せ、と言うのである。
確かに神殿がたてば、あらゆるところで有利に働く。しかしそれを丸呑みにする必要も全くない。早い段階でこの話に乗りたいのは神殿も同じ筈だ。
田舎の異人相手と足元を見る態度が気に入らなかったヴォルフは、それをやんわりと、しかし辛辣に拒絶した。
これから発達する陸路とグレンタールの権利は莫大な価値があり、しかし神殿にはこれからいろいろ融通をきかせてもらわなければいけないため、最大限の譲歩をしましょう、と切り出してから、その最大限の譲歩を提示した。「まだ開墾してない部分のグレンタールを使用し開拓する権利を差し上げます」と。つまり、土地に手を出すことは了解するが開墾も建設も後は自分たちで作れ、という事である。「もちろん物資の流通にあたり、できる限りの融通はきかせられます」当然有償であるが。
神殿側との交渉は思った以上に難航した。神殿側の考えが保守的で、今回の交渉に対して神殿側は積極的な態度ではなかったのだ。どうやら神殿の総意でグレンタール神殿建設が行われる、というわけではないようだった。
そのやりとりで決裂こそしなかった物の、次回に話が持ち越された所での、姫巫女の訪問である。決裂しなかったのは、姫巫女の意向が強かったのでは、という見方が有力だ。
という事は姫巫女自ら交渉でもしに来るというのか。
ずいぶんな力の入れようである。
神殿に対して余り良い感情を持っていないヴォルフだが、姫巫女というと、多少なり興味はわく。何しろ今度来るという姫巫女は、グレンタールを起こしたと謳われた伝説の姫巫女という事になるのだ。
となると、その姫巫女は金色の髪に緑の瞳。
それは伝説の姫巫女が纏う色だ。けれどヴォルフが思い浮かべるのは愛しい唯一人の女性だ。リィナと同じ色を持つと言い伝えられてきたその姫巫女の顔を拝むという事には非常に興味がそそられる。
俺の姫巫女には劣るだろうがな。
心の中で呟いて笑う。
彼にとって姫巫女という存在はリィナである。ヴォルフにとって唯一人の守るべき姫巫女だ。
彼の最愛の存在は、未だ帰ってこない。




