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1 もう一人の姫巫女

「リィナ!!」

 ヴォルフの声がかすかに届く。

「ヴォルフ!」

 リィナは必死で彼を求めた。

 目の前でヴォルフが暴行されている。殴られ、蹴られ、なのにヴォルフは抵抗一つ出来ずになされるがままだった。

 袋だたき状態になったヴォルフに、リィナは「私はいいから戦って」と絶叫する。

 彼一人ならたとえ相手が十人いようと、対抗できるはずなのだ。神殿からの追っ手を一人でなぎ払っていた彼ならば、こんな風に一方的にやられるはずがないのだ。

 自分がつかまらなければ、自分がここにいなければこんな事には……!!

 全ては、自分が招いたことだった。何もかも。あの時、ヴォルフに甘えて、彼の手を頼ったばかりに。

「ヴォルフ!!」

 お願いだから、もう私はいいから……!!

 リィナの叫ぶ目の前で、ヴォルフが腹部を殴られ、ごふっと血を吐いた。

「いやぁぁぁぁ!!」

 目に映った物が信じられなかった。

 リィナを激しい恐怖と後悔が襲う。

 自分さえいなければ……!!

 この場にいる自身を責めたその時だった。いつか二人を時の迷路に迷い込ませた力が再び目覚めるのを感じた。

 感覚が確かにあるのに、ダメだと思うのに、その力が働こうとするのを止められなかった。

「ヴォルフ!」

 リィナは叫んだ。

「私、きっと……必ず、必ず帰ってきます!! だから、今は逃げて……!」

 目の前のヴォルフの姿がゆるやかに遠ざかるような薄れるような感覚がリィナを襲う。駆け寄ってくるヴォルフの伸ばされた手はリィナに届かない。

「リィナ!! グレンタールだ!! グレンタールで待っている!!」

 ヴォルフの叫びがどこか曖昧に、けれど確かにリィナの耳に届く。

「グレンタールで……!!」

 リィナは叫びながら肯いたが、そのまま、世界から彼の姿は消えた。


「ヴォルフ!!」


 彼に手を伸ばして必死に叫んだ。

 バサリと音がして、寝台から飛び起きたリィナは、自分がさっきまで寝ていたことに気付く。

 目の前に伸ばされた自分の手が映るのを、去来する虚しさと共に見つめる。

 伸ばした手が、ぽとりと音を立ててシーツの上に落ちた。

 飛び起きた体は汗が滲んでいる。ぼやける目の前に、自分が泣いていることに気付いた。

 また、あの時の夢だ。

 ヴォルフに手が届かず、一人時を渡った。あの時の。

 リィナは声を殺して泣く。

 一緒にいると誓い合ったのに。

 ヴォルフ、会いたい……。

 彼の夢を見た日は、とても幸せで、とても辛い。


 時渡りをして、そして、今の時代に来て、早二年が過ぎようとしていた。

 ヴォルフに出会って、共に時渡りをし、そして時渡りによって引き離されるまでの間は、わずか二年足らず。

 ヴォルフと過ごした時間より長い時間を、この時代で過ごしたことになる。

 なのに二年たって尚、彼を忘れられない。思う気持ちは今も尚、褪せることなくリィナを焦がす。

 コンコンとドアを叩く音がして、リィナは涙の跡を消そうと慌てて目をこする。

「はい」

「リィナ、起きていまして?」

 落ち着いた張りのある女性の声がして、リィナは肩の力を抜いた。入ってきたのは彼女とあまり年の変わらない妙齢の女性だ。

「おはよう、シャルロッテ。今日も早いのね」

 にこりと笑ったリィナを見て、その女性はつかつかと歩み寄ると、リィナの頬を少し乱暴に触れた。

「目が真っ赤になっていますわ」

「……しゃるろっれ、いらい……」

 両頬をつぶされて、痛いと訴えるリィナを、シャルロッテと呼ばれた女性はフンと鼻で笑う。

「稀代の時渡りの姫巫女のくせに、いつまでもこの時代に留まっているからですわ」

 冷たく言い放ったかと思うと、リィナの頬を包み込んでいた手が、ふわっと髪を撫でるように触れる。

「最近、神官達が、私達を引き離そうと画策していますわ。しかも今回はかなり本格的です。さっさと力を使えるようにおなりなさいませ」

 シャルロッテと呼ばれた女性は、少し厳しい表情で、声を潜めてリィナの視線をとらえる。声も言葉も厳しく、ずいぶんとリィナに雑な扱いをしているが、それでも動きの一つ一つ、声の出し方に至るまで気品があり、高貴な育ちと一目で分かる。

 そしてリィナに対する好意もまたにじみ出ていた。

 この時代に来ても何とか前を見て頑張っていけるのは、彼女がいるからだ。

 そう思えるほどに共に過ごしてきた二年間があり、シャルロッテ同様、リィナにもまた、彼女に対する気安さがある。

 リィナは口をとがらせると、「使えるものなら、今頃ここにはいないもの」と拗ねてみせた。

 夢見の悪い日は、ちょっと誰かに甘えたくなる。

 が、リィナのその物言いに、かちんと来たらしいのはシャルロッテだ。

「どの口がそんな事を言っていますの?! 甘ったれたことを言ってないで、朝餉をいただいたら、修行にさっさと出ますわよ!」

 リィナは肩をすくめて「はいっ」と笑って誤魔化す。

 リィナの甘えを許してくれ、けれどちゃんといなしてくれるのが彼女だ。腕を引いたシャルロッテに、リィナはようやく体を寝台から下ろした。


 リィナは今、エドヴァルド神殿に身を寄せている。それはリィナが生まれ育った時代でも、ヴォルフと共に過ごした時代とも違う、他の時代の神殿だった。

 ヴォルフと共に遡ったのが三百年前だとしたら、リィナは今、更にそれを百年以上遡っている事が分かっている。

 シャルロッテもまた、時渡りの力を持つ姫巫女だった。

 時渡りの力を持つ姫巫女が存在する時代に渡ったという事は、ヴォルフと時間が交わることが出来ないほど時を遡ったという事だ。

 ヴォルフがあの時代で仕入れたという情報では、あの時代で既に時渡りの姫巫女がいなくなって百年経っていたというのだから、それ以上過去へと渡ったのは間違いない。

 リィナは二年前、暴行を受けるヴォルフを前に、自分さえいなければと願ってしまった。自分を人質に取られていなければ、ヴォルフがあんな暴行を受けることはなかったのだから。

 おそらくそれが原因で力が暴走し、今ここにいる。

 血を吐いたヴォルフは大丈夫だろうか。命に危険のある傷にはなっていないだろうか。それを何度も心配し、思い煩ったが、けれどそれを知る術はない。なぜなら、この時代にあっては、全て未来の出来事なのだから。


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