16 選択5
一方、ヴォルフは言い募るリィナを見ながら彼女が何を言っているのかしばらく意味が分からずにいた。
酔いは醒めているように感じていたが、まだ酒が残っているせいか。
愛していると言っているのに、そばにいて欲しいと言っているのに、私の事はもう良いですと言われても意味が分からない。いっそ嫌いだから出て行けといわれた方がまだ分かる。
君は何を言っているんだ?
そう問いかけそうになって、気付く。
これは、彼女がずっと背負い続けてきた感情なのではないか、と。
ずっと、彼女は負い目を感じながらここで生活してきた。当のヴォルフはリィナが一人でこの時代に来るぐらいなら、守ることが出来る現状の方がずっと良いと思っていたために、良かったと思いこそすれ、それを恨んだことなど一度もない。リィナが責任を感じているのはうすうす気付いていたが、彼女はそれを表には出さないし、こちらが気にしていなければそれなりに薄れていくだろうと思っていた。
そして通常なら、負い目にしろ感謝にしろ、生活が安定すればそれが当然となり、次第に薄れていくものだ。
けれどリィナにすると、忘れるにはまだ早いぐらいの時間しか経っていなかったのかもしれない。それとも今回のヴォルフの行動で不安の種が疼いたか。
ともあれ、ヴォルフは以前からうすうす感じていたリィナの不安定さの元をようやく目の当たりにしたのだ。
彼女は今まであまりにも負の感情を見せなさすぎた。三百年以上の時を渡るというこの異常な状態に陥っているにもかかわらず。ようやくそれを表に出したのだ。
その事に気付き、ヴォルフは今を逃してはならないと考えた。
ようやく、リィナが今まで溜め込んでいた心の内をさらけ出しているのだ。一人強くあろうと、弱さを見せずに来た彼女が、ようやく不安をさらけ出しているのだ。
彼女をこんな風にした責任の一端は、ヴォルフにもあった。自身を責める彼女に「笑っていろ」と言った。気に病むなと言いたいだけだったその言葉は、彼女を笑顔でいなければと追い詰めてしまっていたのだから。それでなくても自身の中に全てを抱え込んでしまう少女だ。この時を逃してはならなかった。
「君は、どうして俺が君を迷惑に感じると思っているんだ」
ヴォルフの問いかけに、リィナは喉を引きつらせながら、何とか答える。
「だって、もう、私の顔も、見たくない、ん、です、よね?」
言葉にするのも苦しかった。
リィナは、目も合わしてもらえ無かったことや、さりげなく避けられ、夜には家を空けるヴォルフの姿を思い出していた。
それに対しヴォルフはリィナのその言葉に、そんな事を言った覚えはないと叫びそうになるのをこらえていた。
「逆だ。俺はこれから先も君にそばにいて欲しかった、だから君を失うかもしれない情報を伝えたくなかった。……君に、合わせる顔がなかっただけだ」
「でも、私は、いつも迷惑ばかりかけて……」
苦しげに言い募るリィナに、ヴォルフは首を横に振ってみせた。
「それも逆だ。君はもっと人を頼っていい。リィナ、一人で何もかもを背負おうとするな。自分一人で何とかしようとするな。もっと俺を頼れ。……頼ってくれ、頼む。君一人で苦しむな、一人でたえるな」
ヴォルフが苦しげに呟くのを、彼女は怯えるように首を振って否定する。
「だって、私はいつもヴォルフ様に助けてもらってばかりで、迷惑を掛けてばかりで、頼ってばかりで、私なんか居ない方が……」
続けようとするのをヴォルフが遮った。
「当たり前だ。リィナが俺に頼るのは当たり前だろう」
頑なにヴォルフを拒もうとするリィナに、わずかながら彼は苛立ちを覚え、自然と声が厳しさを帯びた。
けれどリィナもまた、いつもそうやって甘やかすばかりで一人で背負ってしまうヴォルフに焦りのような苛立ちを覚えていた。
「当たり前なんかじゃないです!」
とっさに彼女はそう叫んでいた。
頼って当たり前なんてない。
彼女はずっと思っていた。頼ればその分、ヴォルフが背負うことになるのだ。強いからなんて言い訳にならない。自分の事は自分で背負うべきなのだ。
二人の相容れない感情は、互いに睨み付けるように見つめ合い、ぶつかった。
「うぬぼれるな」
ヴォルフが唸るようにつぶやく。それは怒鳴られるよりも苦しくリィナの胸を刺した。リィナは今までこんな風にヴォルフに怒りを向けられたことがなかった。
「だって……」
間違ったことは言ってないのに、気持ちは確かなのに言葉が出てこなかった。ヴォルフの厳しい声が、悲しかった。
「一人で何もかも出来るわけがないんだ。出来るわけがないことを一人で成そうとするから手に合わなくなる」
「分かってます……!」
そんな事、彼に言われるまでもなく分かっている。私のできる事なんてたかがしれている。出来ないことばかりでいつも迷惑を掛けて……。
そんなリィナの考えを遮るようにヴォルフが先ほどと変わらぬ厳しい口調で答える。
「分かってない。君は、全く分かってない」
腹立たしいとでも言うような様子に、リィナは唇を噛み締めた。
「分かってます……っ、私が頼りないことぐらい、ヴォルフ様に頼るしかないぐらい、役に立たないことぐらい」
苦しく吐き出したリィナをじっと見つめて、それから彼は深い息を吐いた。
「ほら見ろ、分かってないじゃないか」
その声がどこか悲しそうに聞こえたリィナははっとして顔を上げる。
「俺がいつ、君を頼りないと言った。役に立たないなんて言った。君は自分の役割を多く見積もりすぎているから、役に立たないなんて言う勘違いをするんだ。俺は一度だって君を迷惑だなんて思ったことはない」
「それでも、いつも私は頼るばっかりで……」
「リィナ、違うんだ。俺が言いたいのはそういう事じゃない。……そういう事じゃないんだ」
ヴォルフが以前はいつもそうしていたようにリィナの頭に手を伸ばした。けれどその無骨な指先はさらりと髪を撫でただけですぐに下ろされる。
「人は万能じゃない。したいこと、出来たらいいこと、出来るはずのこと……考えれば手に届くことは山のようにあるが、それら全てを完璧にこなすことは出来ないんだ。実際に手を伸ばしてできる事なんて言うのは、ほんのわずかな物だ。それが当たり前なんだ。なのに君は、全てを「自分は出来るはずだった」「自分がするべきだ」と、背負おうとする。誰であろうと出来るはずがないことを、君は自分自身に課して、自分が出来なかったことを責めている」
ヴォルフの言葉の意味は分かる。けれど、リィナの胸には「でも」という感情の方が強かった。
「出来るはずがないんだ。君は、まずそこを知るべきだ。受け入れるべきなんだ。一人で背負おうとしてくれるな。もう少し、俺を頼ってくれ。君のささやかな願いで潰れそうなほど、俺は頼りないか? 君がわずかに望んだぐらいで俺は君を見捨てるような男に見えるのか?」
リィナは、必死で首を横に振る。そんな事は思っていない。けれど、頼ってしまえば、必ず負担は増える。それを背負える人だからこそ、背負ってしまう人だからこそ、これ以上負担を掛けたくないのだ。
「君が、俺を心配してくれているのは分かっている。だがな、君が背負おうとしているいろんな物は、君一人だけの物じゃないんだ。誰もが一人では生きてゆけない。誰もが誰かに助けられて、守られて、支えられて生きているんだ。何故君は、その当たり前のことを、悔やみ、恥じ、己の弱さと責める。受けるべき物を受けて、ただそれだけのことを、何故君は自分は人に甘えているなどと、自らを断罪する。君が思うほどに君は甘えてなどいない。もっと俺に甘えて良いんだ」
「だって」
「なんだ」
「だって、いつも私ばかりが甘えています。いつも、いつもヴォルフ様ばかりが、私の為に、背負う必要のない苦労を背負っています。困ったときにそれを解決していくのはいつもヴォルフ様です。グレンタールを出たときから全てヴォルフ様が何もかもを考えて、手配してくれて、私が背負うべき物をヴォルフ様ばかりが背負って。ヴォルフ様はいつも、私の為に自分の物を捨てています。私はヴォルフ様に与えてもらうばかりです。何一つヴォルフ様に与えられないのに、私ばっかりいつも甘えて」
ヴォルフが苦しげに首を振った。
「それは俺が望んだことだ。君に頼まれてしたことですらない。俺が望んで得たんだ、君を守る、その、立場を」
「そんなの、得た物じゃありません……!!」
「それは君が決める事じゃない、俺が決めることだ。欲しい物が手に入って、迷惑だとか重荷だとか思うわけがないだろう」
リィナはヴォルフの言葉を受け取れなかった。リィナを慰めるための言葉にしか聞こえないのだ。




