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時渡りの姫巫女  作者: 真麻一花
2幕

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63/91

14 選択3

 酔えない体を引きずりつつ家に戻ると、家の中からわずかな灯りが漏れていることに気付いた。

 心臓がどくりと跳ねる。

 まさかと思い扉を開けると、テーブルに突っ伏して眠っている愛しい少女の姿が目に飛び込んできた。

「……おちびちゃん?」

 何故こんな所に、という思いと、家を抜け出したのが知られてしまったという動揺に頭が混乱する。酔っていないつもりでも、思考力は相応に低下しているようだった。

 目をさます様子のない彼女の元へ歩み寄り、そっとその頬に触れる。

 触れてから気付く。

 逃れることばかりに囚われて、彼女に触れたのが久しぶりだったという事に。つややかな金糸の髪に触れれば、記憶の通りに、さらさらと指先をくすぐる。

 彼女が眠っているのを良い事に、跪き、彼女の髪を一房手に取ると、そっと口づける。

 愛しくて、この腕の中に閉じ込めてしまいたくて、けれども今にもすり抜けて消えてしまいそうで、やりきれない苦しさが胸を突く。

「……リィナ」

 寝顔を見れば、愛しさがただ込み上げた。

 薄暗い中で見る彼女の顔は、闇にとけて曖昧で、わずかに浮かび上がる白い顔がひどく儚くも見える。

 俺の姫巫女。俺がここにいる、全ての意義。

 少女を見つめるヴォルフの指先から、一房の髪がさらさらとこぼれ落ちる。

 指先から失われて行く彼女の欠片。

 いつか、こんな風に、彼女も自分の腕の中からこぼれ落ちていくのかもしれないと思えた。

 嫌だと思った。まるでだだをこねる子どものように感情が理性を凌駕する。

 どうしてこの愛しい存在を失えよう。どうして彼女を手放せよう。彼女こそが、ヴォルフの生きる意味だというのに。

 頬をなぞり柔らかさを確かめれば、そこがしっとりと濡れていることに気付く。

 涙……?

 指先でそっと目元をぬぐえば、少女がわずかに身じろいだ。

「ヴォルフ様、……ていかないで」

 彼女の眉間にわずかに皺が寄り、消えるような呟きが漏れる。起きたのかと思えば、彼女は目を閉じたままテーブルに載せた腕の中へと、隠すように顔を埋めた。

 夢うつつに呟かれた言葉がヴォルフの胸に突き刺さった。

 はっきりとした言葉ではなかったが「置いていかないで」と、そう聞こえた。

 俺は、何をしていたんだ。

 彼女はたかだか一度や二度抜け出したのを気付いただけでこんな風にここで待つような直情的な性格ではない。気になって聞くつもりなら、ヴォルフが帰らないことを気にしながらも、朝を待ってから問いかけてくるだろう。夜にこうして待っているというそれだけで、よほど思うところがあったと判断できる。

 そして置いていかないでと言うことは、彼女は、ヴォルフに置いて行かれると思い込んでいるということだ。

 ヴォルフの行動の何かが、彼女にそこまで思わせていたのだ。

 もしかしたら、最近のヴォルフの動揺にも気付いているのかもしれない。

 酔いから醒めたように、ヴォルフは思い当たることを次から次へと考えを巡らせる。

 腐っている間に、彼女は一人耐えながら傷ついていたのだ。

 そういう子だと知っていた。辛いときでも、それを表に出すことなく笑ってなんでもないフリをしてしまう。それがリィナだ。

 何故、大丈夫だと思い込んでいた。

 ずっと、笑っていたからか?

 彼女は辛くても笑顔で乗り切るような所がある。そうと知っていたのに、自分の事にばかり囚われて全く気付かなかった。

 どれだけ不安な気持ちを飲み込んできたのだろう。

「……君は、いつから俺が夜家にいないことを、気付いていた……?」

 眠る顔に、静かに問いかける。

「俺は、どれだけ君を傷つけた? 不安に、させた?」

 髪を撫でると、彼女の体がびくりと震え、直後、眠っていた体が跳ね上がるように動いた。小さなその体を起こした彼女は、状況が把握できないように周りを見渡して、それから隣に跪くヴォルフを見つけた。

「ヴォルフさまっ」

 まるで逃げるかのように、その体が後ずさる。床と擦れる椅子の脚の音が室内に響いた。

「……ただいま。心配を、かけたみたいだな」

 寝起きの驚いたリィナの顔は、今にも泣き出してしまいそうで、ヴォルフの胸は軋む。 こんな顔をさせないために、自分は存在しているはずだった。けれど、今、彼女にこんな悲しげな顔をさせているのは彼自身だった。

「もう、どこにも行かない。君のそばにいる」

「……そば、に?」

 よく分かっていないような様子で、リィナが繰り返す。

 ヴォルフは肯くと目の前に立ち尽くす彼女の手を取った。触れた瞬間小さな手が怯えるように震え、彼女は首を横に振る。

「でも、ヴォルフ様は……」

 悲しげに顔を歪ませて彼女が手を引こうとするのを、ヴォルフは逃さぬようにしっかりと包み込み、手を取り跪いたまま彼女の瞳に、正面から向き合った。

 久しぶりに見つめる彼女の瞳は躊躇いと戸惑いに揺れている。小さな明かりがひとつ灯るだけの薄暗い部屋の中では、その瞳の色は分からない。けれどヴォルフの目には美しい翡翠の色に見えた。

「君に、伝えなければいけないことがある」

 捕まえた小さな手の甲に口付ければ、身じろいでその体が逃れようと後ろに下がろうとする。

「……逃げないでくれ」

 懇願するヴォルフにリィナが躊躇いながら首をかしげた。

「ヴォルフ、さま?」

 かすれた声が震えながら彼の名を呼ぶ。

「リィナ」

 焦がれる想いを込めて彼女の名を呼べば、彼女の体はびくりと震える。

「俺は、ずっと悩んでいた。君を閉じ込めて良いはずがないと。……だが、無理なんだ。君を失えるはずがない」

 ヴォルフの中で、これまでの躊躇いが払拭されていた。わずかでも、彼女が求めてくれるのなら。

 それだけで。

 この少女に禍根を持たせたくないと、全てをゆだねようとしていた。彼女にこそ決断する権利があると。自らの意志で進むことが大切だと。

 それは、ヴォルフにとって真理であった。しかし同時にヴォルフ自身にも覚悟がなかった。自ら彼女の人生を決めることで彼女の苦しみを背負うことから逃げていた。悔いのない道を歩もうとしすぎていた。

 リィナの心根を思えば、彼女が選ぶ道などいくつもなかったのに。分かっていたのに逃げていた。

 いつか彼女が苦しむのなら、その責を彼女自身に負わせることはない。俺が背負えばいい。悔やむときが来るのなら、俺を憎めばいい。同情と罪悪感で君をつなぎ止める俺を恨めばいい。君の選択肢を奪う代わりに、全て受け止める、だから……。

 彼女の涙に、ヴォルフの覚悟が形をなして決まってゆく。

 ヴォルフは握る手に、わずかに力を込めた。

「例え君が俺の元から離れたいと言っても、手放す気はない。例え君が泣いても、帰さない。君に恨まれようとも、それでも俺は、君にそばにいて欲しい。リィナ、頼む。どこにも行かないでくれ」


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