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10 変化5

 夜に家を抜け出したヴォルフは何をしているのかとリィナは考えを巡らせる。

 あの時会った彼女と一緒に過ごしているのだろうか。それとも他の誰かと。そうだとしても不思議はなかった。リィナがこの時代でヴォルフの存在に救いを求めたように、ヴォルフがこの地で誰かに救いを求めたところで、何故責められようか。彼は幸せになるべき人なのだ。いつまでもリィナに構って彼の人生を棒に振って良いはずがない。

 私が、ヴォルフ様の未来を壊した。なのに、今もまだ私の存在がヴォルフ様の生活の邪魔をしている。

 手間のかかる赤の他人を抱えて、自分の事を後回しに、ただリィナの事を一番に考えて。

 それが疎ましくならないはずがなかったのに。

 分かっていたことだ。

 でも、とリィナは叫びたくなる。

 ヴォルフ様、傍にいて。どこにも行かないで。他の人を選ばないで。私を見捨てないで。妹でいいから、私だけのヴォルフ様でいて。

 理性とは裏腹に、感情は正反対のことを求める。

 すきなの。ヴォルフ様。だいすきなの。何でもするから、頑張るから、他に何も望まないから、だからそばにいて。

 でもそれを口にすることは出来ない。許されるはずがない。

 溢れそうな感情は嗚咽になって漏れて行く。

 リィナは胸の中で荒れ狂う感情を必死に抑えようとした。認めたくない醜い感情が渦巻いているように思えた。

 心の中はぐちゃぐちゃで、ヴォルフを求める感情と同じだけ、私なんか見捨てて良いから彼の幸せを考えなければと思う。そばにいてと思う気持ちと同じだけ、何よりも彼自身のために生きて欲しいと願う。自分だけのヴォルフでいて欲しい気持ちと同じだけ彼を自由にしてあげなければと思う。何が自分の気持ちなのかさえ分からなかった。

 混乱する感情の中、それでもリィナはヴォルフに救いを求めた。

 そばにいて、そしたら、がんばれるから。

 でも、彼はいない。夜はどこに行っているのかも知らない。彼のそばに誰かいるのだろうか。自分などよりずっとふさわしい人が。彼を支える誰かが。

 ヴォルフのそばに女性が近づくのがいやだった。リィナはいつかの女性と出会ってから、ヴォルフが他の女性を選ぶことを恐れていた。ヴォルフが見知らぬ女性達と時間を持っているのかと思うと、悲しくて苦しくて胸が軋んだ。ヴォルフの自由だと理性は言うのに、そんな事しないでと心が悲鳴を上げた。

 ヴォルフが、あまりにも優しいから、知らず自分は勘違いしていたのだと、リィナは嗚咽をこらえながら思った。ヴォルフは一生、自分の傍にいてくれるのだと、無意識に思い込んでいた。このまま何も変わらなくてもいいから、優しいままのヴォルフが、ずっと傍にいてくれると何の躊躇いもなく信じていた。申し訳ないと思いながらも、自分はそれを当たり前に甘受していたのだ。

 今まで彼がそばにいてくれたのは当たり前ではなかった。それを彼が女性にすり寄られていることで気付いてしまった。彼には彼の人生があるのだと。そんな当たり前のことに気付かされた。共にある未来を想像して良いはずがなかった。

 リィナがヴォルフを愛したように、ヴォルフも愛する女性をいつか見つけるだろう、結婚をして、子供を作るだろう。そうしたときに、いつまでもリィナが荷物としてそばにいて良いはずがないのだ。自分は彼の伴侶として隣に立てるはずがないのだから。何も返せないから。自分のためにここまでしてくれる彼に、恩返しの一つも出来ずにいる。そんなリィナが行かないでと、他の女性を選ばないでなどと言えるはずがなかった。

 リィナは自分を罵った。

 なのに、私は。

 なおもヴォルフを求める胸が苦しい。

 何も言う権利など無いのに。

 離れていかないでと願いながら、いつかヴォルフがたった一人の誰かを選ぶ日に怯えながら、今一緒にいられる幸運に縋り付きながら、ヴォルフに、何の心配もかけさせないように、笑い続けなければいけないのだ。

 考えて、ぶるりと震える。

 帰りたい。

 とっさに思った。

 グレンタールに、元の時代に、戻りたかった。両親の元に帰りたかった。優しい村のみんなの居るあの場所に戻りたかった。あの温かさが恋しかった。

 分かってる、ヴォルフをこの時代に巻き込んでおいて、元の時代に帰りたいだなんて寂しがる権利なんか、私にはない。

 けれど本当はずっと寂しかった。不安だった。この世のどこを探しても、隣にいるヴォルフ以外、大切な人が誰もいないということが。帰りたいと思っていた。会えなくても、同じ世界で居られるだけで、まだ幸せだと思えたから。

 でも、それは言ってはいけない事だった、考える事さえ許されないとリィナは思った。それを思うことは自分の不運を嘆くだけではすまないのだから。不運なのはリィナではない、ヴォルフである。少なくともリィナはそう思っていた。そのヴォルフが笑ってくれるのに、帰りたいなんて思って良いはずがなかった。これで良いじゃないかというヴォルフに、肯くほか無かった。だから、その思いは全て隠して、今まで考えないようにしていた。

 でも、今まではそれでも良かった。それで全く問題なかった。

 ヴォルフがいたから。ヴォルフが笑いかけてくれるから。郷愁に蓋を閉めて、ヴォルフのそばにいられる幸運だけで今を生きていけることに、何一つ不満がなかった。リィナはそれで納得していた。

 ヴォルフさえそばにいてくれるのなら、なんだって受け入れられるのに。なのに、それはいつまでも甘受していい物では無くなってしまった。

 私は、ヴォルフ様に心配をかけないように、笑っていなくちゃいけない。これ以上ヴォルフ様に迷惑なんか、かけちゃいけない。傍にいてくれるだけで、私の事をこんなにも心配してくれているだけで、十分すぎるぐらいなのだから。それ以上の負担をヴォルフ様に背負わせたらいけない。

 リィナは必死に自分に言い聞かせた。

 けれど、思い出すのは、ヴォルフが親しげに女性と話す姿だった。きっと他にもヴォルフが女性と出会うことは多々あるだろう。例え体の関係はなくとも、他にもたくさん彼に思いを寄せる女性が居たとしても不思議はない。彼は人を惹きつける。そして、自分などより、もっとふさわしい女性がいたとしても、それもまた不思議ではない。その出会いの中でヴォルフの選ぶ女性がいたとしても。

 帰りたい。元の時代に、帰りたい。もう逃げ出してしまいたい。ヴォルフ様が他の女の人と一緒にいるのなんか見たくない。いつか私の傍にいてくれなくなる未来なんかいらない。私にはヴォルフ様しかいないのに、ヴォルフ様が他の人を選んだらどうしよう。私には止める権利なんて無い。嫌だなんて言える権利はない。だって、私はもう既に、ヴォルフ様の未来を奪ってしまっている。これ以上ヴォルフ様の未来を奪うことは出来ない。私には、ヴォルフ様に何かを求める権利なんて、これっぽっちもない。

 もう、やだ。ヴォルフ様、怖い。怖い。助けて。置いていかないで。私を見捨てないで。ひとりにしないで。

 求める権利などないと思う反面、心はなおもヴォルフの優しさに縋り付く。

 大丈夫、ヴォルフ様は、私を見捨てたりなんかしない。

 心の中で何度目かのその言葉を唱えて、けれどそれさえも苦しくて声を殺して泣き続けた。


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