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5 新しい生活5

「あの、お姉さん?」

 堂々と自身を誇示する女性を前に、リィナは躊躇いながら口を挟んだ。

「ヴォルフは寝不足なので今夜は寝ないといけないんです。そういうお話はヴォルフが元気なときにお願いします」

 申し訳なさそうに言ったリィナに、ヴォルフの方が顔をしかめた。

「おい、何か嫌な言い方をするな。俺は元気だ」

 そう言ってから、ひとつ咳払いをすると、彼は身を正す。

「ついでに誤解するなよ。隊の連中に付き合ってメシを食いに行くことはあるが、俺はそのまま帰っているからな」

 非常に納得が行かない様子で断言するのを聞いて、リィナが溜息混じりに首を横に振る。

「どこが元気なんですか。私が買い物をしている最中、眠くてふらふらしていた人が。説得力はありません」

 リィナの半ば呆れたような言葉に、珍しくヴォルフが身を乗り出して抗議してきた。

「……! 気付いていたのにあんなに買い物に時間を取っていたのか?!」

 その言葉にリィナがむっとした様子で言い返す。

「気付いていたから急いで買い物を済ませたんですっ」

「急いで、あの時間なのか……?」

 不可解と言わんばかりのヴォルフの言葉に、リィナはおもむろにそばにいる女性へと目を向けた。

「おねえさん!」

 リィナは立ち上がって女性の目を正面から見据えた。

「久しぶりに行った大きなお店で久しぶりに気に入った生地を決めるのに四半刻はかなり急いでますよね?!」

「え、そ、そうね……?」

「ほら!」

 訳が分からない風の女性の返答に、リィナが胸を張った。

「生地だぞ? 好きな色を選ぶだけじゃないか」

 呆れた様子のヴォルフに、リィナは更に激高したように語り出した。

「そういう問題ではないんです! より似合う色合いとか、手触りとか、珍しい生地があったら、代金との兼ね合いを考えて、より納得のいく物を見つけないといけないんです! そうですよね、お姉さん!」

「確かに、そこの所は買い物する上で悩むところだわ」

 うんうんとうなずく女性に、リィナが胸を張って「ほら!」と、勝ち誇ったようにヴォルフを見た。

「ちなみに、これが今日の成果です! この色合い、生地の風合い、そしてこの大きさでなんと代金は……」

 リィナが購入した生地を広げて女性に説明する。理解者を得たと言わんばかりに生き生きとしていた。

「……あなた、買い物上手ね」

 うーんと唸って思わず答えた女性は、ヴォルフの呆れたような視線に、はっと我に返って、乗りだしていた身を元に戻した。

「でも、そんな色合いを好むようじゃ、あまりにも幼くない?」

 気を取り直すと女性は幾分苦しげな様子で嘲るように言い、あらためて誘うようにヴォルフをちらりと見る。一方リィナはしゅんとして女性を眺めた。そして少し照れくさそうに笑うと、

「やっぱりそうですよね……。私も、お姉さんのようにもっと大人っぽい色合いの服が似合えばいいのですが、やっぱり、ちょっと似合わないとみんなに言われて。お姉さんのように大人っぽくて色気のある方には憧れます」

 満面の笑顔を向けられた女性は、ややあって、こめかみ辺りをおさえて溜息をついた。

「……また来るわ」

 唐突なその言葉に、リィナが不思議そうに首をかしげた。

「そうですか? あの、では、また、服の話でもご一緒に……」

「けっこうよ」

 女性はリィナの言葉を遮るように答えると、背をむけかけて、そしてその間際に視線の合ったリィナが少し気落ちしているのを見る。彼女はわずかに逡巡してから言葉を続けた。

「……機会があれば、また、ね」

「はい、ぜひ!」

 間髪を置かないリィナの気持ちよい返事に、女性は苦く笑って去っていった。

 それを見送ったヴォルフが、小さな声でぼそりと呟いた。

「おちびちゃん、すごすぎないか……?」

「え? 何がですか?」

「いや、何でもない。俺の可愛いおちびちゃんはすごいなと思ったんだ」

 ヴォルフの答えにもならない返事に、リィナが困ったように笑う

「……やっぱり、話を無理矢理に逸らしすぎましたか? でも、突然話を変えたのに、ちゃんと聞いてくれる方で良かったです。いい方ですね」

 肩をすくめて、恥ずかしそうに笑うリィナに、「ちびちゃんらしくていいんじゃないか?」とヴォルフが笑う。

 その後は何事もなかったように食事を終えて、二人で月明かりを頼りに家路についた。

 帰り着いて寝支度を調え、リィナはヴォルフとおやすみの挨拶をすると、互いの寝室へと入っていく。

 そこまでは普段通りの、いつもと変わりない一日の終わりであった。


 けれどリィナはベッドの上で、シーツをたぐり寄せながら頭までかぶり、身を小さく屈めていた。

 苦しい。

 締め付けられるような胸の痛みをこらえて、リィナは心の中で呟いた。

 ヴォルフに対して親しげに話しかけてきたあの女性。ヴォルフの態度は決して好意的ではなかったが、顔見知りであるらしい。自分の知らないところで、彼はいろんな人と出会っているのだと、リィナは思い知らされた。

 そんな事は当たり前で、けれど何度か出会った人たちとの会話では、自分のいない間の彼の生活が垣間見れて、嬉しいと素直に感じられた。

 でも今夜、ヴォルフと隣に並んで遜色のない女性の存在に、ひどく動揺していた。グレンタールにいた頃だって同じだったはずなのに。ラーニャがいて、そしてヴォルフのそばにたむろう女性達は数多くいたのだ。何度もそういう姿を見てきていたのに。

「誤解だ」と彼は言った。おそらくそうなのだろう。彼は親しい女性に対してああいう態度を取る人ではない。何より、そういうところに食事以上の事で出入りしていたら、いつもあんなに早く帰ってこられるはずがない。

 分かっている。それでも。

 胸が苦しい。

 ヴォルフ様、いやです。他の女の人と一緒にいたら、いやです。

 リィナは心の中で呟いた。決して、本人には言えない、言う権利など無いのだと分かっているから、心の中だけで、他の女性の所に行かないで、とただ祈っていた。


 翌朝の目覚めは、意外にすっきりしていて、うんと、リィナは背を伸ばした。

 大体にして、寝てしまうと気分はそれなりに切り替わる。くよくよ悩んでもしかたがないのだ。

 何より、ヴォルフはリィナのそばにいるし、当たり前にここに帰ってきている。おそらく特別な女性は居ない。何も心配することはない。不安に思う気持ちが消えたわけではないが、そこにこだわっても良いことなどないのだ。

 明け方の薄暗い家の中はしんと静かだ。ヴォルフはきっと日が高く上がるまで起きないだろう。

 リィナは火をおこし、朝食のための小麦粉をこね、朝食の準備に取りかかった。

 リィナの想像通り、ヴォルフが起きてきたのは日が高くなってからとなった。

 珍しく一日家にいるヴォルフと共に過ごす時間はゆったりと流れていく。リィナはそばで時折難しい顔をしながら刺繍を続ける。

 昼を過ぎた辺りにはリィナが世話になっている店主の息子のラウスがやってきて、ヴォルフに体術を教えろと言う。なにやら男同士のやりとりがあるらしく、ヴォルフは断れない様子だ。

 とはいえ、体を動かすのが元々好きなヴォルフは、楽しげにラウスを相手に指導している。ラウスも店を預かる手前、荒事にも対応できるようになりたいのだという。リィナはそれを視界の端に写し、ラウスの叫び声を聞きながら刺繍を進めた。

 穏やかに過ぎた一日だった。

 リィナの不安な気持ちは確かに薄れ、このままの日常が続くと信じられる気がした。

 翌日からのヴォルフの勤務は日中の仕事となる。ヴォルフは夜にリィナが一人になることを嫌い、夜勤の時は普段以上に心配するのだが、日中の勤務となると、だいぶ気が楽なようである。ヴォルフは大抵仕事以外であまり家を空けることはない。リィナが大丈夫だというのに、とにかくリィナの安全を優先するのだ。

 リィナの父であるコンラートがちょうどそうであったのだが、あれは相当に珍しいのだという噂は聞いている。大体にして、女が群れるように、男も群れる。若いときはとくにだ。

 けれどヴォルフにその様子がない。情報を集めるためにそれなりに付き合いをしているようなのだが、仕事の時間外での交流は少ないらしい。けれど、ヴォルフの存在感がそうさせるのか、彼の元に人は集まる。どこででも彼は慕われていた。

 そんなヴォルフが、珍しく仕事から帰ってきた夕方、リィナを置いて一人で出かけるという。

 仕事の話だというので、リィナはごく当たり前に送り出し、そう遅くなることなくヴォルフは帰ってきた。ぽんぽんと頭を撫でる仕草も、からかう言動も、優しいまなざしも、何一つ変わりはなかった。少なくともそう見えたし、リィナが何かを疑問に思うようなことはなかった。


 数日後、夜中にヴォルフが家を抜け出して出ていったときも何か仕事があったのだろうか、という程度にしか思わなかった。





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