1 新しい生活
「リィナ、ちょうどよかった!」
家に帰る途中、声を掛けてきたのは細工師の少年だ。
「デニス」
リィナが手を振ると、彼は笑ってそれに答えた。黒い髪に茶色い瞳、色の濃い異国の血が混じっていると分かる顔立ちは、年の割に少し幼く見え、にこりと笑うと更にかわいらしく見える。
「この中に使えそうなのあったら使って?」
少年が差し出した布の袋を受け取ると、リィナは中身を自分の手のひらにざらざらと出した。中に入っていたのは半貴石や飾り石を加工した物で、リィナの手のひらは、小さな色とりどりの輝きがキラキラしている。
「わ、今日は鮮やかな色の物が結構あるのね、嬉しい。あれ? もしかして、この大きいのは、そっちで使えるんじゃないの?」
リィナは粒の大きい水晶を手のひらの上でころんと転がす。
デニスは細工師と言ってもまだ見習いの域を出ていない。時折商品を作らせてもらえる程度なのだ。そして作ったものの商品にならない物や、端材の練習品をこうしてリィナに分けてくれる。
「大きいけど、そのままじゃ商品にはならない練習用だよ。磨いて穴は開けといたから、リィナが使ってよ」
少年とリィナが出会ったのは、エドヴァルドでの生活が落ち着きかけた頃だった。ヴォルフからもらったリィナの髪飾りを見て少年が声を掛けてきたのだ。見たことのない細工に興味を引かれたらしい。髪飾りの出所について詳しいことは分からないとしか答えることが出来なかったのだが、それ以来、髪飾りを見せて欲しいと何度か声を掛けられる内に、年が近いこともあって、すぐに仲良くなった。デニスに異国の血が混ざっていてエドヴァルドになじみきれずにいることも、異邦人の感覚が抜けないリィナと通じ合う何かがあったのかもしれない。
そうした交流の末、今ではリィナの作る刺繍材料の仕入れ先になっている。
「持ち合わせが今ないけど、今度でいい?」
「うん、手があいたときで良いから、いつでも来てね」
リィナがエドヴァルドで暮らし始めて、早一年が過ぎようとしていた。長屋暮らしにも慣れてきて、ようやくこの時代の生活習慣もつかめてきた、といったところか。
長屋は人の入れ替わりが多いとはいえ、長期滞在目的の商人や旅人達がほとんどで、リィナ達の無知さなどはあまり奇異には映ることなく、むしろ長屋の者同士の交流でずいぶんと助けられた。
中でも、リィナが一番助かったのが、彼女が出来る仕事が見つかったことである。元々は人との交流が好きなリィナが、世間話として近所の商人の子供と話をしていただけだった。
その話の流れで偶然に質の良い糸を比較的安価で取り扱っていることを知ったのがきっかけとなった。安く手に入ったお礼に子供の服に刺繍をして返したところ、この腕なら売れるよ、と卸先まで紹介してもらい、とんとん拍子に仕事を得ることに至ったのだ。
そして、知り合ったばかりの細工師の少年と話す内に、刺繍に飾り石を編み込むことを試してみたところ、評判もよく、売り上げも格段に上がり、それなりの収入を得られるようになった。
戸惑いながら必死で過ごしていた毎日は、日が経つにつれ、当たり前の日常へと落ち着いてきた。
細工師の少年と別れ、リィナは家に帰る足を急がせる。
穏やかな生活が続いていた。
リィナはくるりと辺りを見渡すと、日常になった景色に、何ともいえない感慨を覚える。脳裏をよぎるのはここに来るまでの道のりだった。
望みもしない力によって神殿から逃げる事になった、発端の日から今まで。ヴォルフを巻き込み、三百年を超えるであろう時渡りをした。生まれ育った村はここに存在すらせず、帰るところを失い、今となっては、距離も時代も遠く離れたエドヴァルドで生活をしている。
落ち着いたとはいえ、ふと我に返ると、何度考えても違和感のような複雑な気持ちが込み上げてくる。
それでも知る人のいない時代は辛く思うこともあるが、見知った人に会えなくなることは覚悟を決めて村を出たのだ。絶対に追われることがないと分かっているだけ、安心して暮らしていられる。
それだけで十分だと、リィナは自身に言い聞かせまっすぐに家へと帰った。
帰り着いて扉を開けると、リィナはそこに一つの大きな人影を見つける。
「おかえり」
しっかりとした体躯の男が振り返ってリィナを迎え入れる。整っているが男臭い精悍な顔立ちがリィナの姿を認めて、からかうように、にやりと笑う。
「ヴォルフ!」
リィナは誰よりも信頼するその人の姿に胸を弾ませた。
「早かったですね!」
ヴォルフが手招きするのに笑顔で答えると、リィナは彼の傍に駆け寄った。夜勤明けの彼を迎えたくて、急いで帰ってきたのに、どうやら彼の方が早かったらしい。
リィナはヴォルフの前に立つと、その顔を真っ直ぐに見上げる。
「おかえりなさい」
生活はたくさん変わってしまった。けれどヴォルフがいる。
だから、大丈夫。
リィナにとってそれが何よりも大切なことだった。
見上げるリィナに、ヴォルフの手が伸ばされてくる。リィナは彼が何をするのか分かってしまい肩をすくめた。
また……。
リィナはきゅっと顔をしかめてヴォルフをにらむように見上げる。
ヴォルフの事は好きだけれど、相変わらずリィナを子ども扱いしてはからかってくるのは未だに納得が行かない。
「昨日からちびすけの顔を見てないからな。どうだ、変わりはないか?」
そう言って彼がぐりぐりと頭を撫でるのを、「子ども扱いしないで下さい」と反抗しながら受け止める。
むっとしてつい背伸びをしたくなるのは、ヴォルフがいつまでも子ども扱いするのがいけないとリィナは思う。
「髪がぐしゃぐしゃになります」
そう言ってヴォルフの手から逃れようとするリィナを、ヴォルフが余計におもしろがって追いかけてくる。
認めてもらいたくて頑張るのだが、時にはそれが空回りして、余計に子ども扱いされる事も少なくない。
「おちびちゃんの髪は、撫でつければすぐになおるじゃないか」
笑いながら髪を梳いてくる手つきは、大きくて無骨な手に似合わないほどに優しい。
「あんまり一緒にいられないが、何かあったらすぐに言えよ」
ぽんぽんと頭を叩く手は、リィナの頭を包み込めるんじゃないかと思うほど大きく感じる。見上げると、そこにはいつものヴォルフの笑顔がある。
嬉しい想いと、幸せな想いと、何ともいえない切なさで、胸がきゅっと苦しくなる。
「大丈夫です。それより、ヴォルフは寝てないのでしょう? すぐ休んでください。あ! それとも、ご飯はまだですか?」
「ああ、食事は取ってきたし、これから寝るさ。おちびちゃんの顔も見たしな。おやすみ」
そんなリィナの強がりを、ヴォルフが軽く受け流し、やはり子ども扱いをして、あっさりと自分の部屋へと消えていった。
相変わらず、私は庇護する対象なのだろうと、リィナは少し切なくその背中を見送った。
ヴォルフは、いつでもリィナの前では笑顔だ。それはずっとだ。嬉しい反面、無理をさせているのではないかと不安になる。自分が頼りないからヴォルフは安らげないのではないかと、時折そう思えてならない。
彼の隣を歩ける人になりたいのに、なかなかそううまくはいかない。傍にいればいるほど好きになるのに、好きになればなるほどに、彼が遠くなる。ヴォルフに大切にされている、守られていると感じるほどに、彼を縛り付けていることを考えてしまう。




