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21 三百年祭5

「……なぜです!」

 声を荒らげたヴォルフに、コンラートが静かに答える。

「これから話すことを口外しないこと、それが君に話しをする条件だ」

 見据えてくるコンラートの視線をうけながら肯く。穏やかなそぶりでいるが、彼が侮れない人であることを以前から感じていた。それを先ほどの会話で痛感したばかりだ。その彼が全力で止めるというのだ。リィナが姫巫女となることに、どれだけの意味が隠されているのかと息をのむ。このコンラートでさえ、彼女を助けることを諦めるような事情とは。

 彼が何を言うつもりなのかは分からないが、その言葉を軽く受け止めてはいけない。ヴォルフは気を引き締めて彼を見つめた。

「君は信頼に足る人物だと思っている。なにより娘が信頼している。そしてありがたいことに、君もリィナを気にかけてくれている。だから話すが、一番の理由は君に手を出して欲しくないからだ。他人を巻き込むのは、私も、おそらくあの子も本意ではないからね。あの子の立場は、君の立場だけでなく周りの人間さえも脅かす。深入りしてはいけないよ」

 脅すようにじんわりと笑ったそのコンラートの表情に、ヴォルフは息をのんだ。淡々と話しているように見えるが、脅されているようにすら感じる。

「リィナはね、私とラウラの間に生まれた子ではないのだよ。私と……エドヴァルドにおわす姫巫女との間に生まれた子だ。だから、王家と神殿の思惑が絡む、根の深い問題だ。知っている者は、ほんの一握りだがね、その中でも、私が父親と知る者は私と姫巫女を含め、四人。君を含めて五人か。リィナにも知らせていない。神殿の醜聞だからね、知っているだけで殺されかねないよ」

 とんでもないことを聞かされた、とヴォルフは内心舌を巻く。知らなくても良い事を知らされたようだ。

 にこりと笑ったコンラートの笑顔の意味は「知った以上首を突っ込めば更に死に近づく。だから関わるな」という紛れもない脅しだ。

「それ故にそれを知る一部の者にとっては存在価値も高いという事だ。手出しして欲しくない理由は、そこにある。下手に手を出せば、君自身のみならず領主殿含むご家族にまで累が及ぶ」

 彼がここまで脅しをかけてくるとは思いもしなかった。

 確かにヴォルフの知った内容からすると、ヴォルフが何か行動を起こすだけで、本気で潰しにかかってくるだろう。姫巫女が婚姻関係もなく神官と通じたなどとなると、姫巫女に対する神聖さと神殿への信頼さえも揺らぎかねない。

 ただし、ヴォルフがその情報を知っていると発覚した場合は、である。

 ヴォルフが知ったことを、コンラートが神殿側に伝える気はないだろう。それでも、情報とは持つだけで力となりうる。この場合はヴォルフの枷に。

 ギリッとヴォルフは握りしめる拳に力を入れた。

「私達の問題だ。君が絡めば事態は更にややこしくなる。ヴォルフ殿。君は身を引きなさい」

「しかし……!」

「まだ分からないのか。リィナが望むのなら私達が助ける。しかし、それは私達の犠牲の上に成り立つために、リィナは望むつもりがない。私達はリィナのためならばどんな覚悟も出来ている。だが、あの子が望まぬ以上、私達が犠牲になるのは私達の自己満足だ。私達が犠牲になれば、あの子の心に、育ての親を自分のために死なせたという傷を一生背負わせるのだ。君が動いても同じだ。自分のために無関係な君を巻き込んだなら、あの子は一生悔いるだろう。私達が犠牲になる以上に」

 コンラートが苦しげに、そして初めて怒りをあらわにつぶやいた。

「今は、手放すしかないんだ……!」

 身動きをとれずに苦しんでいるのは、コンラートも同じなのだ。

 ヴォルフは言葉を失う。これほどの人が、ただ訳もなく往生しているはずがなかったのだ。リィナを思うが故に、手を出せずにいる。彼に向けるふさわしい言葉が見つからなかった。

 この人は、自分よりも強い焦燥感に駆られているのだと、ヴォルフはようやく気付く。一見穏やかに落ち着いているように見えるが、決してそれは心の内を表してはいないのだ。

 彼は苦しんでいるのだ。

 何を言えるというのか。彼は誰よりも娘の最善を考えていた。

 ヴォルフにはコンラートの決断が最善とは思えない。けれどたとえコンラートの見据える未来がヴォルフの考えとは違う方向を見ていても、もはやそれを否定することは出来なかった。尊ぶ物が違えば、最善の道も、求めるべき最善の結果も食い違ってくる。

 苦悩するコンラートの、これが最善なのだと理解できた。

 ややあって彼が長い溜息をつき、ふっと肩の力を抜いた。

「……もっと、あの子を、わがままに育てればよかったと、思うよ。自分の事より、人のことを思うような、あんな優しい子に育てなければ良かった……」

 そう言って、コンラートは口をつぐんだ。

「それでも……俺は、そういうリィナが好きですよ」

 ヴォルフはゆっくりと首を横に振った。

 リィナが優しい子に育たなければよかったとは思わない。コンラートに、苦し紛れであっても、そういう言葉は言って欲しくないと感じた。

 コンラートのそう思わずにはいられない気持ちは分かるのだが、それでも、リィナを否定したくなかった。

 リィナらしい、とヴォルフは思ったのだ。

 人より自分を考えろと言いたくなる。そういう彼女だからこそ、願う。誰を踏み台にしても、好きなように生きればいい、と。……けれど、それが出来ない彼女だからこそ好ましく思う気持ちがあるのだ。まっすぐで、一生懸命で、強くて、優しいその性質が愛おしい。

 コンラートがはっとしたようにヴォルフを見た。

 そして切なげに彼が微笑む。

「……そうだな。……困ったことに、私も、なのだよ……」


 かける言葉もなく、二人の間に沈黙が訪れた。

 それでも、ヴォルフは決して諦めたわけではなく、今、自分に何が出来るかを考えていた。

 コンラートは現時点において、何もする気がないらしい。それは理解し、納得した。だからといって、ヴォルフがそれに従わなければならない理由にはならない。コンラートの意図とは反するが、ヴォルフが思う自分の出来る最善の道は、リィナをとりあえず神殿に上がらせないことだと考えていた。

 もし、リィナが神殿に上がるのを止めるとするのなら。

 まずはリィナに上がる意志がないことを明確に、人々に認知させなければならない。それで、ひとまずは神殿の行動の足止めになるはずだ。

 ヴォルフは、コンラートの言うように、「今」を諦めるつもりはなかった。

 そんなヴォルフに気付いてるかのように、コンラートが釘を刺した。

「……ヴォルフ殿。分かっているね? 今話したことは全て忘れなさい。君には関係のないことだ。中途半端な情はリィナを苦しめる。……親としては、君がこうして気にかけてくれたことを、感謝する」

「……俺は……!!」

 諦めるつもりがないと言おうとするヴォルフを、コンラートが遮る。

「……ヴォルフ殿。お立場を考えなさい。君には才覚も力もある。だが、己の力を過信してはいけない。君は若い。それ故に、見えない物もある。なにより一人で立ち向かえるような相手ではないのは君にも分かっているはずだ。よく考えなさい。特に今は。神殿は、……特に、この件を担当しているエンカルトは、全力でリィナを手に入れようとしている。今逆らえば、君の周りだけでなく、神殿におけるリィナ自身の立場も脅かされるんだ」

 ヴォルフは言葉に詰まった。

「いいね?」

 ヴォルフの思惑さえも見越しているのではないかと思うような視線を受けて、ヴォルフは黙ってコンラートに頭を下げた。

 別れを告げると、彼に背を向けてヴォルフは「そこ」へ向かって歩き出した。

 それでも。それでもだ。

 ヴォルフは決意を胸に足を進める。

 俺は、自分に出来ることをする。

 守り方は、一つではない。

 コンラートにはコンラートの考えがあるように、ヴォルフは、己の信じた道を進む覚悟を決めていた。


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