15 思い
そこからは、砂を噛むような生活が待っていた。
あのときの覚悟とは裏腹にリィナは家へと戻っていた。今度の三百年祭で舞を奉納しなければならないからだ。その後に姫巫女として上がることを約束させられた。
そして代わりに両親が共に神殿に拘留されている。早い話が人質だ。彼らを押さえていればリィナが逃げることはないという判断が下されたのだろう。そして村に戻ったリィナには監視が付いた。
半月先に行われる三百年祭の警備などと、もっともらしい理由で、グレンタール中に兵士が配備された。ただ、一人のために。
兵士の姿は強迫観念となってリィナの心に影を落とす。
そして三百年祭の忙しさから、リィナの両親は帰ってこられないことになっている。
何もかもが神殿の思い通りに進んでいた。
リィナは姫巫女として迎え入れられることを口外せぬように口止めされた。誰に言うことも出来ない。仮に言ったところでどうにもならない。誰にもリィナを助けられる力のある者などいないのだから。どんなに受け入れがたくても、どんなにあがこうとも、リィナにはこの状況を打破する為の力もなければ、知恵もない。
どうしようもなく、ただ最後の日に向かって生活をしている、そんな絶望がリィナの胸を浸食してゆく。両親の身は安全だと言うが、それでも不安が襲ってきてたまらなく心配になる。
誰に相談することも出来ずに、自分一人の胸に納めるのは、十五歳の少女には荷が重かった。
何も受け入れたくなくて、昼間は出来るだけ何も考えないように、感じないように心がけた。時折襲ってくる不安は、深く息を吐いて、体を自分自身の腕で抱きしめながら、去りゆくのを待った。
誰かと一緒にいたかった。不安で、恐怖と孤独に飲まれそうで。全てが自分の思いから外れた場所で起こり、ただそれに流される日々。何が自分の身に起きているのか、理解できていないような感覚の中にいた。
一人でいると、ただ「なぜ」という思いに囚われるのだ。
姫巫女とは、コルネアに生きる少女にとって、王女やお姫様に並ぶあこがれの存在だった。何かが違えばもっと喜べたかもしれないと、何とか前向きに受け止めようともした。
けれど、どうしても無理だった。どう考えても分不相応だった。修行で自分に力があるなどと感じたこともない。巫女にさえなれるはずがないのだ。ましてや姫巫女などと。とはいえそんな自信のなさだけなら、あのときの輝きを支えにがんばれたかもしれない。けれど、これは強制であり脅迫の末の決断なのだ。期待や夢と言った良い感情を持つだけの余地がリィナの中に残っていなかった。元々、神殿の仕事にはあまりあこがれがなかった。ラウラやコンラートの教育の成果かもしれなかったが、それ以上に人と触れあうのが好きなリィナには、神殿の生活はとてもあこがれるような物ではなかったのだ。そこへ来て神殿に対する不信感がリィナの中を占めている。
今ではリィナにとって、姫巫女になると言うことは、エンカルトと呼ばれた恐ろしい神官の印象と直結していた。
そんな中で、仕事の時間と舞の練習の時間がリィナのよりどころだった。そこにいる間は忘れられた。アヴェルタがいた、ラーニャがいた、ヴォルフが共にいてリィナに笑顔を運んでくれた。
からかってくるヴォルフにすがるような気持ちで、そこに居場所を求めた。神殿から帰って以降は、毎日がヴォルフとの舞を合わせる練習となり、必然的にリィナとヴォルフが共に過ごす時間が増えた。両親が帰ってこないリィナを気遣ってくれるヴォルフにすがった。
笑顔で何でもないフリをしながら、けれど少しでも長くヴォルフといたかった。
そして家に帰って一人になると、昼間こらえていた涙があふれた。
「お父さん、お母さん」
呼んでも返事は返ってこない。神殿で本当にちゃんと生活させてもらえているのか。恐かった。
恐怖に飲まれそうになったら、ヴォルフを思い浮かべた。
姫巫女を守ってくれる剣士。
それは舞台の上だけのことだ。分かっていても舞の間は愛おしむように大切にされ、そして舞台から降りてもいろいろと気遣ってくれるその存在は、思い出すだけで救われた。
「ヴォルフ様、ヴォルフ様……」
小さくつぶやく。その声は、儚く闇へと溶けてゆく。
ヴォルフ様……。
リィナは心の中で、かみしめるようにその名を呼んだ。
舞台の上だけの、私の剣士。