14 神殿の思惑4
これ以上エンカルトとラウラを対峙させたくないと感じたリィナは、とっさに叫んだ。
「だから何ですか。悪いのはお母さんじゃないでしょう! 必要になるなら手放さなければよかったんです。今更口を出してきて、お父さんとお母さんを非難する方がおかしいじゃないですか! 神殿なんて知りません! 私には関係ありません! 姫巫女様なんて知りません。私はリィナ・アレントです。あなたの言うことが本当なら、私は父と母から、神殿が望んだように神殿とは関係なく育てられました。褒められこそすれ、父と母がそんな扱いをされるいわれはないはずです! 私は姫巫女になど、なる気はありません! どうしてお父さんとお母さんに、こんな仕打ちをするんですか!」
リィナの手が、堅く握られ、ぶるぶると震えていた。興奮と恐怖とで体の震えが止められないのだ。
肩で息をしながら言い切ったリィナを見据えると、エンカルトはふっと微笑んだ。
「なるほど、しっかりしたお嬢さんだ。確かに、こんな言葉に惑わされる子より、賢いお嬢さんの方が私としては好ましい。いくら御しやすくても、愚かな子の相手は煩わしいですからね。手間がどれだけかかろうと賢い子が良い。私が主として仰ぎ、仕えるのにふさわしい子が。さすがコンラート殿の娘、といったところでしょうか。それともラウラ殿の躾の賜物とでも?」
エンカルトは、コンラートを見据えた。
「リィナ殿はもっと感情豊かなようですが……。穏やかで御しやすそうに見えて意外にしたたかな、どこかあの頃のあなたを彷彿とさせます。もっとも最後に愚かな選択をするところがあなたの甘さでしたが……リィナ殿は、どうなのでしょう?」
エンカルトは楽しげに、わざと言って聞かせるように、ゆっくりと三人に向けて言葉を操る。そして兵士達に合図をした。
それを受けて兵士達がラウラとコンラートを、刃だけでなく今度は体の動きそのものを拘束する。
「リィナ殿。神殿にはね、姫巫女をたぶらかし我が物にしようとする人間の一人や二人、処刑するぐらいの力はあるのですよ。今すぐ、あなたの前で、この犯罪者二人を処刑いたしましょうか」
「な……!」
リィナは恐怖と怒りにこわばった。
「お父さんとお母さんに何かしたら、私は、絶対に姫巫女になんかなりません!」
叫んだリィナに、エンカルトがにっこりと微笑む。
「もちろんです。ですから、あなた様の意志で来ていただきましょう。無理矢理来ていただいても、あなたは姫巫女にはならないでしょう。ですからお選び下さい。自らの意志で姫巫女となり、あなたをお育てした義両親としての人生をこのお二人に歩ませるか。それとも神殿を拒否し、あなた一人生き残り、あなたのために義両親が死ぬのを今見るのか」
エンカルトが、一層優しくリィナに語りかける。
その時、その言葉を打ち消すような声が響く。
「リィナ!」
響いた母の声に目を向けると、彼女は冷静な表情できっぱりと言い切った。
「私たちのために自分が犠牲になろうとしないで。私は、あなたを幸せにするために育てたの。私たちの犠牲にするためじゃないの。リィナ! あなたの望む道を歩きなさい」
母親の叫びにリィナは顔を上げる。
「行かなくていい。すぐに処刑などされることはない。その間になんとでもなる」
父親の目が、リィナの瞳をとらえていった。
リィナは息をのんで二人を見た。なんとかなると言うその言葉が信じられたのならよかった。けれどリィナはこのエンカルトという男の本気を恐ろしいほど感じていた。ラウラとコンラートがそれを感じていないはずはない。
コンラートの言葉を信じたかった。けれど、リィナは感じ取ってしまう、ラウラとコンラートの中にある覚悟を。
二人は今、この瞬間、娘に向ける言葉を命をかけて言っている。
自身らの命の危険を前に、血もつながっていない娘のことを何よりも考える両親の姿に、リィナはこみ上げる涙をこらえながら奥歯を噛み締めた。
「お父さん、お母さん……!」
自分の自由と引き替えにするには、あまりにも尊い物だった。
エンカルトが、リィナに寄り添うようにして囁いた。
優しく、……優しく。
「アレント夫妻は、神殿からの信頼も厚い者たちです。だからこそ、あなたをまかされた。あなたにとっても、いい父、いい母であったことでしょう。見れば分かります。彼らは、あなたが二人を見捨てようとも、決してあなたを恨まないでしょう。あなたのために死ねるのなら、むしろ本望でしょう。血のつながりもないあなたを、実の娘以上に心から愛しておられるようだ。その彼らを……見捨てますか?」
優しい、優しい声がリィナを脅迫し、追い詰める。
「彼らを処刑するのは、本当に残念なのですよ。私ども神殿にとっても。彼らは非常に有能な神殿の守人でもある。あなたさえ、自らの意志で来て下されば、これからも彼らは神殿から優遇され続けるでしょう」
「エンカルト、娘にいらぬ事を吹き込むな!」
コンラートがこらえきれぬ怒りを滲ませながらエンカルトを睨み付けると、彼はコンラートに向かって、穏やかな笑顔で、嬲るように言った。
「だからあなたは甘いというのです。こんな役目を受けなければ、今頃神殿の中枢で手腕を振るっていられたでありましょうに。しかしあなたは今、グレンタールのただの守人。愚かにも権力よりも大切な物があると言ったあなたは、権力に屈するしかないのです。先を見越せと私に教えたのはあなたでしたのに。神殿よりも己の感情を優先した報いです。あなたのことは非常に尊敬していただけに残念です。……ですが、それもリィナ殿次第。この方の能力はすばらしい。養父として再び中央に返り咲き、あなたと共に手腕が震えるよう、お待ちしておりますよ」
「エンカルト!」
コンラートがついに怒鳴った。けれど、その怒鳴り声の威力を全てかき消すような、小さな、小さな声が響いた。
「……行きます」
全員の目がその声の主に注がれる。
エンカルトの口元が満足そうに弧を描いた。
「私は、姫巫女になります」
「リィナ!!」
父母は叫んだ。
リィナは父母を見て、弱く、弱く、微笑んだ。それがリィナに出来る、精一杯だった。