聖女は竜と笑う
彼女は常に表情を崩さなかった。
人々はその人らしからぬ様子を見て、神聖だの神々しいだのと思っているようだった。
「聖女様は何があろうとその静かなる御心で我らを導いてくださるのだ」
などと、特に信心が強い者たちは言っていた。
しかし私は知っていた。
彼女は表情に出ないのでも神聖故に揺らがないのではなく、そもそも彼ら「人」に興味がないだけだということを。
その町には近隣の町を含めて多くの人間から神聖視される「聖女」がいた。
この世界には一角獣や飛竜などの獣を越えた生き物や半端に人に近い化け物、精霊、神霊、生き物ですらないモノなど、様々な「獣でなく虫でもなく植物でもない人外の者」が存在する。
それらは人の住むこの世界に在りながらも、人からは基本的に見ることもできない。
たまたま波長が合ってしまった者がそれらを視て伝承や伝説として語られる程度の関わりしか本来はない。
しかし、ごくごく稀に例外としてそれらを見るからに力を持った者がいる。
彼女はその力を持っていた。
さらに例外中の例外である彼女は視るだけでなく、触れることも言葉を理解し交わすことも、強制的に干渉することさえできた。
理解を越えた人外の存在に触れることができる、それが彼女が「聖女」と呼ばれた理由だ。
人々は言う。
「神の使いだ」
「聖なる力を授かりし聖女様さ」
「あの方は天の声を聞くことができるんだよ」
「聖女様がいる限り邪悪な精霊も怖くないね」
彼女の力は強くとても強く、彼女が力を使うと本来は見えない普通の人間にもそれらが見えてしまうほどだった。
だからこそ人々は彼女の力を信じ、信奉した。
彼女は幼い頃より人とは違う人として扱われた。
それはある意味で、我らと同じ「人ではないモノ」としての扱いであるのかもしれなかった。
彼女は一日に一度、教会とかいう場所で人々の前に姿を見せて拝まれてるのが普段の仕事らしい。
人々が拝み、ありがたがり、敬い、様々な声を捧げるが、彼女はそのどれにも眉一つ動かさずただ受ける。受け流す。
今日もその仕事を終えた彼女はこの森にやってきた。
付近の町では聖なる森として人の立ち入りが禁じられている森だ。もちろん「聖女」である彼女は例外だが。
『ダルク』
「デュラクル!」
歩いてきた彼女は私の姿を見ると駆け寄り、そのまま抱きついてきた。
「巨大な体、強い顎と鋭い牙と爪、あらゆるものを弾く鱗、広げれば体よりも大きな翼、それを動かす強靭な筋肉と強力な魔力。いつも素敵ね、デュラクル」
彼女が丁寧に言ってくれたように、人よりも強い体を持つ私は竜である。もしくは人の伝説ではドラゴンとも呼ばれる。
『今日の仕事は終わったのか、ダルク』
「ええ。仕事といっても退屈な人たちの声を聞いてるだけだけれど」
彼女の何倍もある私の体に抱きついて頬擦りしながら彼女はつまならさそうに言う。
『彼らには君が救いなんだよ』
「どうでもいいわ」
彼女は人に対して全くと言っていいほど興味を示さない。
表情が変わるのは私の前だけかもしれない。
「あっ」
私は彼女に抱きつかれたまま魔法で姿を変える。人の男の姿だ。
「もう、どうして変えちゃうの。そのままでいいのに」
『元の姿のままでは私が少し力を入れて動くだけで柔らかい君の体は壊れてしまうだろう』
私は苦笑しながら彼女の頭を撫でる。
彼女はどういうわけか、人から見れば恐ろしくもあるだろう竜としての私を好むらしい。
『こうやって触れることもこの姿だからこそ簡単にできるのだろう?』
「もうデュラクル……別にいいけれど」
彼女は不満そうではあるが、私は彼女に簡単に触れられるこの姿を気に入っている。
『そういえば、君も随分と大きくなった』
「あら、だって私はもう十六よ?」
あの町では十五で成人だったか。
『そうか、成人おめでとう』
「ふふっ。それ一年以上前の話じゃない、相変わらずデュラクルってちょっとずれてるのね」
そんなところも大好きだけれど。と彼女は笑う。
数百年、下手をすれば数千年を生きる竜の種族にとっては人の一生など流れた気もしないほどの時間だ。
彼女と出会ってからは彼女という基準があるために数年単位での感覚も馴染んではきているが、そもそも生きる長さが違う。
私と彼女では生きている時間が圧倒的に違うのだ。
『少し前まで君は小さな子どもだったはずなのにな』
「あなたからすれば、まだまだ子どもではあるかもしれないわね。でも一応人の世界では大人として扱われるのよ」
『まあ私からすれば人なんてすべて子どものようなものだよ』
しかし、子どもであろうと大人であろうと、重要なのは個の存在だ。
彼女は子どもの頃から私に新しい景色を見せてくれる。
『人の子が育つのを見ていると、私でも人の時間感覚がわかるような錯覚に陥る時があるよ』
絶対にわかるない感覚ではあるのだろうが。
「人と竜なんて、違うかもしれないけど同じよ」
これは彼女がよく言うことだ。
「重要なのは個人がどんな存在か、よ。それで言えば少なくとも私が見てきた人間はつまらない退屈な人ばかり」
個を重要視するその価値観だけは私が彼女と最初から共有できるものだった。
「人じゃないものも色々いるし、私は見てきたけど、それも人よりはましなくらい。興味をそそられるものなんて他にはなかったわ」
そして彼女はいつも最後にこう言う。
「だけどデュラクルだけは別。あなたはとても素敵よ、大好き」
私もだよ、ダルク。
ある日。町の外から人間がやってきて教会へ駆け込んできた。
竜の目はその気になれば山向こうまでをも見通す。
その日私はちょうど彼女が「仕事」中である教会を見ていた。
「せ、聖女様、どうか我が町をお救いください!」
教会に駆け込んで来たのは山一つと荒野を越えた先の町の者だった。
話によるとその町では近くの荒野に住む「化け物」に贄を捧げていたそうだが、ある日突然その化け物が町を襲ったらしい。
その化け物は町や村を手当たり次第に襲い、人を殺し、徹底的に潰しているという。
普段から人に視えていたというならば、その化け物は純粋な我ら人の世界に在らざるモノではなく、人と交わった結果生まれた「混ざりモノ」だろう。
人ではどうにもならないだろうが、彼女ならば苦戦もすまい。
「ということだから、面倒だけれど行ってくるわ。お仕事だから仕方ないものね」
『君に言うことでもないだろうが、気を付けて行くように』
「ええ。しばらくあなたに会えないのが残念でならないわ。さっさと終えて帰ってくるから待っていてね」
『私も残念だよ。この森で待っているさ』
ああ、ダルクの言う通り、私もしばらく会えないというのは確かに残念でならない。
しかし所詮は人の時間における「しばらく」だ。
彼女がいないなら少し居眠りでもしていればすぐに時間は経ち、彼女帰ってくるだろう。
竜の時間は人よりも長い。
きっとあっという間だ。
そして彼女はすぐに馬車の準備をすると化け物が暴れているという地方へと向かった。
私はダルクがいなければ町の様子を見ても仕方ないので、森の奥に引っ込んだまま眠ることにした。
一眠りした頃には帰ってきた彼女がいつものように抱きついてきて目が覚めるだろう。
いや、彼女からすればそれなりに長い時間だろうから、いつもより熱烈になるかもしれない。
驚いて彼女を潰してしまわないように心積もりをしておかなければ。
そして私は一時の眠りについた。
私の予想は外れ、目が覚めた時には彼女の抱擁はなかった。
思ったよりも眠りが浅かったらしい。
まだ彼女は帰ってきていないのだろう。
こうしてみると、竜の自分にとっては大した時間ではないといっても彼女を待ちわびているようだ。
気を紛らせるために、久しぶりに飛んでみようか。
そして、私は己の考えが間違っていたことを知った。
森から上空へと飛び立ち私が目にしたものは悉く滅ぼされた町の様子だった。
建物はすべて原型をとどめているものはなかった。
彼女がいつも人々から崇められていた教会がその装飾が瓦礫の中から覗いていることで、かろうじてそこに建物があったことがわかった。
それがなければ別の場所かと思うほどに町は徹底的に滅ぼされていた。
そう、その様子は破壊されたなどという生易しいものではなく、滅ぼされたということが相応しかった。
『ダルク。ダルクはどこだ』
瓦礫の中には元は町の住人であったであろう白骨が転がっていた。
その様子からして、この町が滅んでからかなりの時間が経っているようだった。
私の考えは間違っていた。
考えていたよりも長く私は眠っていたし、彼女は帰ってきてもいない。
そしてそれほどの時間が経っているにも関わらず彼女が帰っていないということは彼女に何かあったのだ。
私は彼女を探すために空を翔けた。
そして私は再び己の間違いを知る。
滅ぼされていたのは町ではなく、世界だった。
あの町だけではなく、空から見る町のすべてが滅ぼされていた。
生きた人間は一人も見えず、残った町はひとつもなかった。
ここに至って私は事の真相に思い当たった。
滅ぼされた町の跡から私たちと同じ人外の魔法の匂いがするのだ。
そしてその魔法にはなぜか人の匂いが混ざっていた。
つまり、彼女が止めに行った「混ざりモノ」の仕業だろう。
彼女なら苦戦しないだろうという考えも間違っていたわけだ。
彼女が止められていれば世界はこんな有様にはなっていなかったはずだ。
私の考えは、間違っていた。
いくつもの地方を飛び回ってひとつ気づいたことがある。
滅ぼされているのは人間の町や建築物などで、人の手が入っていない自然は全くと言っていいほど荒らされていなかった。
人間だけが徹底的に滅ぼされていた。その文化とともに。
しかしそんなこともどうでもよかった。
彼女がいない、それだけが今の私にとっての重要事項だった。
およそ人が何年をもかけなければ行けないだろうほどの遠方まで飛んだあと、私は森へと戻ってきた。
この世界にはもはや人間はいないだろう。
彼女も。
町の側に降りたあと、ゆっくりと歩いて森へと入っていく。
ダルクがいつも駆けてきた道だ。
そして私は見つけた。
彼女が、そこにいた。
一本の大木の根元に蔦や根に絡まれて、彼女の体が横たわっていた。
他の人間は形が窺えても完全に骨になっていたが、彼女の遺体はまだその肉を纏っていた。
常人とは比べ物にならない力が肉体の劣化を防いだのだろうか、それとも意地か。
彼女のことだ、私に醜い骨の姿をさらしたくないなどと思ったのかもしれない。
それが彼女のものであれば、どんな姿であろうと醜いだなどと私が思わないことはわかっているくせに。
安らかに眠っているかのような彼女の腕に、自分で刻んだのであろう文字が残されていた。
「デュラクル、世界のすべてよりもあなただけを愛している」
ああ、私もだ。
おやすみ、ダルク。




