私の婚約者は、義妹を優先する男だそうです
思いついてしまったので、つい。
先に謝っておきます。色々ごめんなさい……。
伯爵令嬢レベッカの婚約者は、同じく伯爵家の跡取り、ダニエルだ。
幼い頃に婚約を結んで以来、それなりに仲睦まじく過ごしてきたと思う。幼馴染と言ってもいいだろう。
ところが、二人が十七歳になった今。
この関係には、微妙な暗雲が垂れこめていた……。
「あら! 今日も一人でランチですか? やだー! かわいそー!!」
レベッカが学園のカフェテラスでキッシュをいただいていると、耳に障る甲高い声が投げかけられた。
顔を上げれば見知った少女が立っている。
丈を短くした制服。
ふわふわした髪を子供っぽくツインテールにして、あざとい上目遣い。
だが、唇の片方をクッと上げた表情に底意地の悪さが隠しきれていない。
彼女は最近ダニエルの義妹となった少女、ミミである。
「……ええ。ダニエルとはクラスも一緒だし、どうせ放課後も会うでしょう。お昼くらいは一人の時間を過ごしたくって」
レベッカは真正面から当てこすりを迎撃したが、相手はまったく堪えたふうもなく、キャハハと笑った。
「それじゃ、お義兄さまはミミを待っててくれているのね! わかるわ、こんな地味な人見ながらご飯食べてもおいしくないもん〜。早く会いに行ってあげなくちゃ、ミミも楽しみ! さようなら、寂しいおばさん!」
言いたいことだけを投げつけて、さっとそこを去ってしまう。
いやお前も一人じゃないかとか、そういうツッコミもしたかったのだが、弾丸トークの前にはまるで隙がなかった。
はあ。レベッカはため息をついた。
天気がいいからとお昼をカフェテラスにしたのは、失敗だったかもしれない。
ミミの甲高い笑い声のせいで、すっかり人目を引いている。
「何今の……」
「仕方ないわよ。だってあの方は……」
「……あぁ。あれが例の……」
聞こえていますよ、ギャラリーの皆さん。
「じゃあ彼女が噂の、『義妹を大事にする男に放置された婚約者』なんだね」
……ああもう。
ダニエルの父が後妻を迎えたのは、数ヶ月前のことだった。
男爵家の出であるという、そのお義母さまはおとなしい人で、何の問題もなかった。
ところが、とんだコブがついてきたのである。
レベッカたちのひとつ下で十六歳。そう紹介されたが、まったく年齢相応の振る舞いを身につけていない少女に、ずっと驚かされるばかりだ。
どこから出しているかわからない耳障りな声に、マナーから外れた服装。
適正な距離を無視したダニエルへのまとわりつき。
あれはもう珍獣だ、珍獣。
しかしそれだけなら、レベッカが嫁入りしたら然るべきところに片付けさせてもらおう──というくらいで、済んだ話だったのだが。
「(なんでこんなことに……いや、原因はわかってるのだわ。ダニエルの馬鹿)」
レベッカはぎりりと奥歯を噛み締めて、手元のナプキンを力強く握りしめた。
周囲の学生たちの痛々しいものを見るような視線が鬱陶しい。
この怒り、晴らさでおくべきか。
思い知らせてやる。レベッカは決心した。
放課後。レベッカはダニエルを自宅に呼びつけた。
いつもは他にも用のあるレベッカが、ダニエルの家に寄ることになっている。
ルーティンを崩されたダニエルは、不審がりながらも素直にやってきた。
「話があります」
我ながら絶対零度の声が出た。
ダニエルは怯みながらも、ぎこちない笑みを浮かべた。
「うん、なんだろう?」
なんだろうじゃありませんわよこの馬鹿。
「あなたについて口さがない噂が立ってることはご存知ですわね? ミミさんとどうのこうのっていう」
「……ああ、あれか」
さすがに自分が噂になっていることくらいは把握していたようだ。
まだギリギリセーフだろうか。いや、この事態を招いている時点でギルティなのだけど。
「根も葉もない噂だってことぐらい、レベッカならわかってるだろ? そんなに気にしなくても……」
「黙らっしゃい」
レベッカは手にしていた扇をパチンと閉じた。
「根はありませんが葉はあるでしょう。あなたが招いた事態ですわよ」
「……え? それは、どういう……?」
「この一ヶ月、二言目にはミィがああだこうだ、心配だのそばについててやらなきゃだの友達に言いふらしてたのはあなたじゃありませんの」
「えっ? いやそれは今全然関係ないじゃないか」
「……本当に、関係ないと、お思いですの?」
一言一言、重々しくアクセントを置いて言い含めてやれば、徐々に理解したようだ。
ダニエルの顔は、すーっと白くなっていく。
「…………嘘だろ!? まさかそれで!? いやでもそれは違うってわかるよな君なら!?」
「果たして世間様はわかってくださるでしょうかねぇ」
レベッカは扇を開いて口元を隠し、わざとらしくダニエルから目を逸らした。
「えええええ、なんでだよ……」
「なんでと申しますなら。他ならぬミミさんがおわかりでいらっしゃらなかったことが原因かしらねえ……」
「うわあああ……」
もはやダニエルは頭を抱えていた。どうやら、一応後悔しているらしい。
しかし、この程度で容赦できるほどレベッカの怒りは軽くない。名誉も軽くない。
「おわかりですわね? わたくしと、我が伯爵家が今どれだけミミさんと勘違いした野次馬の皆さんに、こけにされているか」
「うん……」
「かくなる上は、お仕置きさせていただきます」
「……念の為聞くけど、それは誰に? 俺?」
「2:8であなたとミミさんですかしらね」
「……俺が二割なら、まぁいいか……いやよくはないけど。ないけど……謹んでお受けいたします……」
レベッカのお仕置きが容赦ないと察しているダニエルは半分涙目だ。
うふふ、とレベッカは笑った。
翌日。伯爵家以上の子女だけが立ち入れる学園のサロンで、レベッカはダニエルと並んで座っていた。
四人がけのテーブルの同じ方に二人で座る、俗に言うバカップル座りである。
この時点でダニエルの笑顔は引きつっていたが、逃げる様子はないので及第点としよう。
伯爵家と養子縁組をしていないミミが入ってこられないサロンでのいちゃいちゃ。
もちろん、そんなことがお仕置きに当たるわけがない。
本番はここからである。
ん、んと咳払いしたダニエルが口を開いた。
「ミィにプレゼントをあげようと思うんだ!」
発した声はサロンで喋るにしては若干大きめだった。周囲の少年少女は高位貴族ばかりなので、あからさまに顔を向けることはなかったが、耳目をひくことに成功した雰囲気があってレベッカはにんまりする。
「まあ。またプレゼントですの?」
「ああ。君にも一緒に選んでほしいと思うんだけど、どうかな?」
周囲がそわっとした。
噂の婚約者に、義妹へのプレゼントを選ばせるなんて正気か? というそわつきである。
よしよし。
「よろしくってよ。彼女には私もお世話になってますし」
「お世話なんて、水臭いな。ミィと君はもう、家族みたいなもんだろ?」
「……まあ、そうですわね。私の方もいろいろといただきましたし、お返しを選んでさしあげるにやぶさかではございませんわ」
「へえ、何をもらったんだい? 妬けちゃうな」
「そうですわね、直近ですと庭のカエルだったかしら」
カチャーン。
気の弱いご令嬢がカトラリーを落とした音が、静まり返ったサロンに響いた。
「ああ、そうなんだよな。それがミィの愛情表現なんだよ」
何事もないかのような台詞を返すダニエルの顔は紅潮し、うっすら汗をかいている。
まだまだ。これくらいで許してやるものか。
「ええ。さすがに黒い虫を渡されそうになったときはわたくしも悲鳴を上げてしまいましたが……、あれが彼女なりの精一杯の気持ちなんですものね。存じてますわ」
「……あ、ああ。そういう愛情深いところがかわいいんだ」
サロンはざわつきはじめた。喧騒に負けないようにレベッカは話を続ける。
「愛が多い子ですものね」
「……そ、そうなんだよな。そのせいかたくさんの男に追いかけ回されたりもして大変だったけど……」
「いやだ、男だなんて。そんな言い方はいけませんわよ」
にっこり笑ってレベッカはダニエルをたしなめるふりをする。ほらほら、お続けなさい。
「うん、そうだな。……まあ、それも子を産めないように処置したらぴたりとやんだし……」
「……そうね。本来は自然のままにしてあげるのがいいのでしょうけど、自分では管理できないのですから、仕方ありませんわね」
沈痛そうな顔を作ってみせる。周囲からはひっと息を呑んだような音が聞こえた。
「うん……」
ダニエルはそこで言い淀んだ。本当に続けるの? と目が言っている。
こちらも目で圧を返す。やるって言ったでしょ。
「……自分で管理できないって言えば、ミィは最近、粗相をしちゃってさ……」
さすがに声を潜めているダニエルであるが、それがかえって深刻さを添えていた。
さーっと、サロンの温度が下がった気配がする。
「……まぁ……」
レベッカはさも同情しているかのような声を作った。衆人環視のもとでおばさん呼ばわりされた恨みはここで晴らすのだ。
「……しかたありませんわね。もうおばあちゃんのようなものですもの」
ふう、とダニエルは憂いのこもった息をついた。
実際は、ようやく終われるという安堵の息だ。
「……ミィ自身が恥ずかしいみたいで、さ。やらかしてしまった日は一日中落ち込んでるんだ」
「……まあ。あの子にもそんな、恥の感情があるのね……」
そう締めると、ひそめた眉の下からもういいわよとダニエルに合図を送ってやる。
……婚約者は完全に涙目だった。
周囲の少年少女たちは、さり気なくこちらから視線を逸らしていた……。
ミィ。それはダニエルが幼少の頃、亡くなった母親にプレゼントされた猫の名前である。
事の発端は一ヶ月前、この愛猫が体調を崩したことにあった。
彼女ときょうだいのように育っているダニエルはもちろん、長い付き合いのレベッカだってたいへん気をもんだ。
だから、ダニエルが友人との誘いを断るときに、「心配だ、そばについててやらなきゃ」と口にしたこと自体は責めるつもりはない。
……問題は、それを聞きつけたミミがどういった思考回路でか盛大な勘違いをしたことと。
その勘違いが、噂となって走ってしまったこと。
それをダニエル本人が察知できず、延焼を防げなかったことにあった。
サロンのやりとりが功を奏して、学園にはセンセーションが走るだろう。
ダニエル自身の名誉のためには、いずれ頃合いを見て、実は猫の話であると塗り替える必要はあるが。
ついでにその際、今回の台本には盛り込めなかった、彼女の愛くるしさや気高さを存分に語って広めることとして。
さしあたって今日にでも、ミミが腹を立てて怒鳴り込んでくることは容易に想像がつく。
その時には、ダニエルや元気になったミィと並んで、二人と一匹のいちゃいちゃを、ぞんぶんに見せつけてやるつもりのレベッカだった。




