小学6年生⑧ 歪んでゆく帰路
拓海は、ハーハーと息を切らして下駄箱につくと、教員の目が逸れたのを確認し、早急に靴を履き替える。下駄箱は全部上履きに変わり、改めて拓海以外が校舎に残っていないことを確認した。
校舎の扉を開け、小走りで校門へ向かう。
校舎を抜けてすぐのこと、校門の前にいる何者かが、西日に照らされて影を出しているのが確認できた。校門までは直線距離にして20メートルある。
(一体誰だ? ひょっとして、待ち伏せされているのか?)
拓海は、校門の前の人物を妄想しては訝しんだ。そして正面だけを向き続けて、誰がいようとも気が付かないふりをしようとした。いつも以上に真っすぐに帰ろうとした。
拓海の家は、校門を出て右に曲がった先にあるが、今日だけは道路を渡ろうとした。一歩ずつ影に近づくが影は全く変化を見せない。
影の大きさから、待ち伏せしている者は、自分と同程度の身長であることは彼自身感じていた。ただその者に対する好ましい印象は持ち合わせていない。今日の言動を振り返れば。
拓海は校門から出た。タイミングを合わせるように、門の陰から男が現れて、やぁ、と言った。振り向かないと決めていたのに、思わず声の方向、影の人物の方向を見てしまった。
そこにいたのは唐原であった。待ち構えていた拓海が来たのが嬉しかったのか、唐原は笑みを浮かべるが、拓海は顔をしかめた。
「お前、まだ帰ってなかったのかよ」
唐原もランドセルを背負ったままであった。
「あぁ、ちょっと話したいことがあるから」
「僕に?」
「うん、鈴木のことでね。菅野もいないから、俺的には1番都合良い時間だよ」
やはりそうか、と話す内容は拓海の中で予想はついていた。3人でいたときの恨みの積もったような喋り、亜季が加わったときの復讐に燃えていそうな喋りから、美空に対する悪口や悪評に近しいものであることは十分に察しがついた。
「それであの人に何があるの?」
「あのさー、鈴木とは関わらない方が良いぞ」
「どうして?」
「鈴木、お前に対してすげえ馴れ馴れしく接しているけどさ、他の男子にも同じような態度をとっていたぜ。他のやつらが見たら気持ち悪いぐらいにな」
唐原は嬉々として伝えたが、拓海は眉一つ動かさず、具体性に欠ける話を右から左へ流そうとした。それでも唐原の話は続き、
「あいつはクラスの人気な男にすり寄っては肩を突いたりしていた。勉強が分からないからって言って近づいたりもした。近づき方があまりにも大胆だから、男子たちも少し苦手なタイプだって言っていた。だからお前も気をつけろ」
拓海には、気をつけろという言葉の意味が分からなかった。唐原の必死に説得しようとする熱意とは対照的に、拓海の心は冷めきっていた。
「別に何も問題はなくないか?」
素朴な質問に唐原は感情的になり、
「問題あるだろ。自分の知らないところで勝手に彼女面されるなんて。ただ男に媚びを売っているだけのくせに。その男子の人気に縋ってリーダー面しているんだぜ」
「別に話しかけに来ることは良いと思うけどな」
「お前が仮にあいつのことを好きなら良いのかもな。でもさ、好きでもないのにガツガツ来るんだぞ。しつこくないか?」
「……さぁ」
唐原の言い分は難癖になっていることに彼自身気が付いておらず、美空の気に障る言動とそれに対する自分の気持ちを拓海と共有したいだけであった。
隠そうともしない美空への嫌悪に、拓海は強く反論するわけでもない。ただ興味を持ちたくなかった。
遠くの信号が青く光る。校門前で立ち止まっているが、車の通りが止まない。車が拓海を過ぎるたびに、道路の塵や砂埃が舞い上げられ、静寂の中に、アスファルトとタイヤが擦れる音がむさ苦しく響いた。
「ねぇ、どうなの? それとも鈴木のこと好きなのか?」
「いや、別に好きではないけどさ……」
1台の軽トラックが横断歩道手前で止まると、拓海は運転手に軽く会釈をして渡り、唐原もそれについて行った。歩道を渡り右に向いたところで、流石にしつこいと思った拓海は意を決した。
「何でついて来るの? やめて……」
体は唐原より前に出し、顔を斜め後ろに向けて軽く目を細めた。決して逆上するように言い方にはしなかった。
それでも、拓海が暗に示した拒絶の意を唐原は汲み取らず、むしろようやく話を続けられるとさえ思うようになっていた。
「俺この道を左に行くからさ。駅の方面。多分、お前と反対方向なはずだ」
「合っているよ。僕の家は駅と反対方向だからさ。じゃあね」
「待ってくれよ」
唐原は、これが最後、と言って拓海の手を掴んで止めた。拓海はすぐに手を振りほどく。しつこさを感じながらも、なお話を聞き、
「俺は鈴木をおすすめしない、付き合ったりしても良いことはないと思うぞ」
「だから言っただろ。僕は別に好きではないし、付き合いたいなんて思っていない。そもそも彼女が欲しいとかも思っていないから。今彼女なんか作ってもしょうがないでしょ。それと、もう美空の話はやめてくれ。お前は美空が嫌いなのか」
「うん、嫌いだよ」
一瞬2人の間に静寂が訪れた。その雰囲気に、カラスの鳴き声だけが割って入られる。
カァーと4回鳴いたとき、拓海は手をピクリと動かした。ぼやけていた輪郭がくっきりと唐原を形成し、同時に思考を整理する。
唐原は何の悪びれる素振りもなかった。むしろその素振りを誇ってすらいた。
「別に嫌いであってもいいだろ」
拓海にだって嫌いな人間はいる。しかし当人の前で直接公言できるほどの勇気はない。何よりもそれを好しとする常識を知らなかった。
「それはそうだけど。悪口なんて本人の前では言わないだろ普通」
「いや、気持ち悪いあいつが悪いじゃん。あいつがいるのが不快なんだよ」
拓海は、唐原の歪みのない気持ちの吐露に困惑して、時が止まったように立ち尽くした。
「早く消えてくれねーかな、って正直思っているよ」
「それはどうなんだよ。言いすぎじゃないか」
拓海は、賛同するでも叱るでもない曖昧な返事をしながらも、声はどこか震えていた。強く言い返すことはできない。呼吸をするのを忘れかけるほどに手汗が流れて、ズボンでその汗を拭う。
「まぁともかく、あいつには気を付けた方が良いぞ」
「もっと具体的に何に気をつければ……」
「それじゃあ、バイバイ」
唐原は手を振り、拓海と反対方向に向かった。おいっ、と拓海は語気を荒らげたが、唐原は一瞥することもなく、拓海の視界から徐々に小さくなっていった。
拓海も後ろを振り返ることなく真っすぐに歩いて行く。時間だけはひたすらに過ぎ去っていた。
午後4時。青空と夕日のグラデーションが空を彩る帰り道にて。
――ただ男に媚びを売っているだけのくせに。その男子の人気に縋ってリーダー面しているんだぜ
唐原が必死こいて呟いた言葉が拓海の中で木霊する。
別に好きである事が悪いことであるとは思っていないが、唐原との会話で美空に対する印象が変わり始めている。同時に、唐原に誑かされている可能性も考えていた。
小学校入学以降初めてクラスが一緒になったため、彼女の過去の言動など拓海が知る由もなく、全て唐原の口から語られた証拠もない話の詰め合わせでしかない。
拓海は、右手の甲を下唇に当てて俯きながら、美空の言動を思い起こした。脳のリソースは思慮を巡らせるのに使い、歩くペースを落とす。
(仮に美空がリーダー面するために男子と絡むのなら、なぜ僕のような積極的な関わりを持とうとしない人間と絡むのだろう?)
拓海には、美空が他人の威を借るだけの人間には見えなかった。人を選んでいるにしろ、仲良くしたいという想いが第一にあると考えていた。
(馴れ馴れしいから気をつけろとは何だ? そもそも馴れ馴れしくしていたら、それは恋愛と同じなのか?)
クラスの他の男子と比べて、絡みが積極的であることは認知しつつも、しつこさには繋がらなかった。恋愛的な意味で好きではないが、つるむことが嫌いなわけでもなかった。
唐原が美空を嫌う理由に一貫した論理が1つだけあるとするなら、それは嫉妬であった。
クラスで人気の男子と接点を持てない唐原が、女子だからという理由で男子との接点を持てている美空に腹を立てている。それ以外は単に朧げな嫌悪感といったものであり、拓海はその感情を理解できなかった。
それでも、唐原が美空の態度を不快に思っている、この事実が異性との接し方という1つの価値観を歪めつつあった。
恋愛は小学生の自分には必要ない。時間と労力を無駄にするだけ。
それこそが性に目覚め切れていない無垢な拓海の思慮であり、美空との関係を恋愛に結びつけようとする考えは理解できなかった。理解できないからこそ、唐原の考えが着々と拓海の精神領域を侵犯していく。
時間が経てば経つほど、美空の笑顔が唐原の憎い顔に上書きされていくのが頭を悩ませる。
それは拓海の感覚にも違和感を与えた。いつも歩いている歩道がどこまでも続いて抜け出せない道であると感じた。
歩道を歩いていると、道路の挟んだ向こう側に小さな居酒屋があり、そこを軸に道路はT字になっている。真っ直ぐ行けば拓海の自宅に着くが、拓海はふと視線を右に向けて道路との垂直方向、T字路の先を見つめた。
そこには、学校の通学帽を被り、ランドセルを背負う少女の歩き姿があった。小柄な体型で両手を肩掛けに当て、脇を開いている。そわそわしい後ろ姿が美空であることは、拓海もすぐさま判別できた。
声をかけるか否か悩むが、その間にも着実に距離は遠ざかる。
やがて拓海は、声をかけるタイミングも後ろを追いかける勇気も失った。美空の左半分が西日に当てられる。輪郭はぼやけて、視界に入り込む情報が不確かなものとなる。幽かに見せたその姿は彼方に行ってしまった。
結局のところ拓海は、美空を助けられるほどの具体的な案を出せなかった。それどころか唐原をきっぱりと否定することさえできずに逃げられた。
唐原の論理が破綻しているのは明らかだったのに、その場で怖気づいてしまい指摘することも、皮肉めいたことも言えず、両手の拳を握り締めながら悔しがった。
それでもどこか美空の事を軽く考えている拓海はいた。
無限に長いと思っていた道にも終わりが見える。
拓海は家に帰ると、自分の部屋で雑に荷物を置き、すぐにベッドに体を横たわらせる。
1日の汗が染みついたままの服を着替えることも、本を読むことも、他のやるべきことの何もかもを投げ出して眠りについた。そうすることでしか唐原へのやるせない気持ちを紛らわせる手段はなかった。
いつも読んでいただきありがとうございます。
明日から朝6時に投稿しようと思います。
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三峰勾洋
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