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小学6年生⑦ 軋轢

調理実習が終わって教室に戻ってきたところから。

「鈴木、しつこい」


 唐原は、鋭い目つきで美空に言った。拓海は、それを笑いながら、


「おいおいやめておけ。言い方考えろよ」


と軽くあしらうが、唐原の棘を含むような言い方は止まず、


「いやいやしつこいものはしつこいじゃん。俺の目の前で見せつけてくるなよ。うるさい」


 唐原は拓海をも睨んだ。眼光は、美空から向けられるそれとは違い、弱者を貪るような目、はっきりとした侮蔑の意が孕んであった。その威圧に拓海は、緩んだ頬の筋肉を硬直させる。


「あんまり馴れ馴れしくいると気持ちが悪い」


「お前さぁ」

 拓海は、呆れたように唐原を諭そうとする。


 美空は、今にも拓海に縋りつきそうな目で怖気づいた。


「拓海君。いいよ、私が悪いんだからさ。唐原の気持ちも考えてあげられなかったんだし。本当にごめんね」


 美空は、謝罪の矛先を唐原に向けるも、目は拓海の方だけを見つめ続けた。決して唐原とは合わせなかった。


 美空と唐原の心の溝を埋めていたセメントも、隙間だらけで使い物にならず、関係性はあまりにも脆かった。


(グループワークの1、2回じゃ到底修復できない、いや、今後修復の余地すら残されていないのかもしれない)


 拓海はそう思った。


 軋轢が刻々と生じていく最中、廊下からは、上履きのカサカサとした音が響いた。そのことに気が付かない唐原は、なおも強気に蔑み続ける。拓海が美空を見ると、彼女の潤んだ瞳が充血しそうになっていた。


 教室の惨事を廊下でチラリと見た亜季は、教室に入るや否や唐原にガンを飛ばして、彼の元に駆け寄った。


「唐原、あんたバカじゃないの? そんなに人をいじめて楽しいか?」


 亜季は興奮で頬が紅潮した。唐原は眉を曇らせて、


「お前は邪魔すんなよ。これは鈴木が悪いんだから、お前には関係ない」


「関係なくはないよ。あんたの文句はずっと美空ちゃんばかりだった。そんなに美空ちゃんが気に入らないの?」


「気に入らないよ。菅野、どいてくれ」


「何でよ? あんたがわたしをどかしてみればいいじゃん。殴ってでも、あんたの得意なように蹴ってでもいいからさ」


 亜季の自分が傷を被る覚悟に、流石の唐原も委縮をした。彼は呆れた物言いで、チッ、と舌打ちをしながら教室を出て行った。亜季にも美空にも振り返ることはなかった。


 亜季は美空に寄り添うため、唐原に本気でキレた。そのことに拓海は、女子に頼ってばかりで、自ら唐原に立ち向かえなかった不甲斐無さを感じた。


 唐原がいなくなったことに安心したのか、美空は椅子に座った。机に両肘をつき、両手を組みながら、その手の甲に顔を置いている。視線は拓海や亜季に合わせるでもなく、教室の左隅に合わせていた。


 亜季は、逃げ出す唐原を最後まで目で追った後、美空の背中をさすって宥めた。


「大丈夫だった?」


「……うん。ありがとう、亜季ちゃん。ごめんね、私、亜季ちゃんに頼ってばかりで」


「いいよ別に。わたしだってあいつに対する不満はあったもの。さっき発散できてスッキリしたところだよ」


 亜季の頬からは汗が垂れて、内に秘めたストレスが熱気と共に一気に吐き出された。


「ちょっとだけ、トイレに行かせて」


 亜季は、そう言って用を足しに行ったが、美空に見られていないときの表情は酷く引き攣っていた。そして猫背になりながら、右手を自分の心臓に当てて鼓動を確認していた。


 拓海も心臓の鼓動を一発一発強く感じ、美空へかける言葉を探している。


 美空は窓まで届きそうなほど大きくため息をつく。


「ねぇ……、拓海君」


 会話は美空から再び始まった。どうした、と何事もなかったかのように装って返事をする。


「拓海君は大丈夫? 私がいたばかりにこうなっちゃって」


「別に美空は悪くないじゃん。悪いのは全部唐原だよ」


「それはそうだけど……、唐原は私に対するあたりが前からきつくてさ。ちょっと前に、あいつが苦手みたいなことを言ったけど、何で苦手なのかをもっと具体的に伝えられれば良かったなって思って……」


「いやいや、そんなに気を使う必要はないよ。さっきの事なんか忘れようよ」


「……うん、そうだね」


 慰めはどうにも無責任であった。忘れようと言って忘れられるほど人間は都合よくできていないことは、拓海も美空もわかっていた。


 美空は、2人の和やかな雰囲気を壊した負い目を抱え込んでしまい、次の行動に移せないでいる。拓海はとりあえず、そわそわと教室の電気をつけた。教室は明るくなろうとも、2人の心は暗いままであった。


 しばらくすると、クラスの他の児童も教室に戻り、男子数人と共に唐原も何食わぬ顔で来た。


 人数が増えるにつれ、教室内は賑やかになり、美空の心に垂らされた墨汁も希釈され、一様に灰色に染められた。


 駄弁っている雑音に誤魔化されたのか、美空のしょんぼりとした顔は、少しずつ瞼が開きだし、拓海とも顔を合わせることはできるようになった。


 しかし後ろの席には唐原がいる。依然として話す雰囲気には持ち込めなかった。


 クラスの皆が集まると帰りのホームルームとなった。担任の先生は、話を手短に済ませると、すぐさま下校になった。


 拓海は、唐原の重圧からかお腹を下し、しばらくトイレの個室に籠った。


 教室に戻ると隣の席には荷物一つ置かれていなかった。その席を見つめていると、唐原が勧誘するように話しかけてくる。


「鈴木は帰ったぞ。もっとも、お前は関わらなくて正解だと思うけどな」


「別に正解も何もないでしょ。今日は特別忙しいだけだろ」


 唐原は続けて話していたが、拓海はそれらの一切を無視したため、そのうち話に飽きだして教室を出て行った。


 いつもなら決まって拓海に、バイバイ、と言って帰る彼女が、今日は黙って帰ってしまった。


 その事実は、拓海を外面的には強がらせるとともに、心の器に悲しみの泥を堆積させる。


 拓海は図書室に行くと、先週借りた本の返却をした。返却が終わると、しばらく図鑑を何冊か手にとって、机に積み重ねて読んでいった。20人は座れる机には拓海1人だけであり、数人はいた下級生や司書の先生からは不思議な目で見られていた。



 気が付けば2時間が経過した。実習で食べたご飯の消化が佳境を迎えて眠気に襲われる頃、図書室は閉室の時刻となり、児童の完全下校時刻も着々と迫っていた。


 拓海は図書室を後にして教室に戻った。教室は机と椅子だけが気持ち悪いほど規則正しく並んでいて、空っぽという形容の仕方が一番適する小さな箱であった。


 拓海は教室に残る最後の児童。机の中の教材をランドセルに詰めて帰る準備をしていると、廊下でカタカタと靴音が響く。それは上履きのような柔らかい布の音ではなく、硬い樹脂の音であった。


 廊下を歩く初老で小太りな男性教員は、その存在感だけで空気をピリつかせる。顔もはっきりと見えて学年主任の先生であることがわかると、拓海は慌てた。学年主任は、教室の中にいる拓海に気付いて見ると、


「おいっ、早く帰りなさい」


 と冷静に帰宅を促した。決して怒鳴るわけではなかったが、その冗談めかす素振りも一切なく雰囲気には、拓海も冷や汗をかいた。


「はっ、はい。ごめんなさい、すぐ帰ります」


 と言うとすぐさまランドセルを背負い、教室を駆け出した。学年主任にさようならと挨拶をすると、相手も低く唸るような声でさようならと返し、一心不乱に下駄箱へ向かう様子を最後まで見守っていた。

いつも読んでいただきありがとうございます。

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三峰勾洋

X:@mitsu_kooyoo

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