小学6年生⑤ 調理中
次週の木曜日。
冷蔵を要する材料は、朝のうちに家庭科室の冷蔵庫にしまわれた。
昼食は皆、軽く済ませる。拓海は、コンビニで買ってきてもらったレタスサンドを2つ、炭水化物は薄いパン生地が主で、腹は五分にも満たされなかった。だからこそご飯と味噌汁で埋め合わせるつもりでいる。
教室の掃除を終えて昼休みになると、拓海は美空に呼びかけられた。
「お米の準備に行こう! エプロンは持った? あと材料も」
「わかめは持っているよ。乾燥したものだから常温でも腐らないし。お米も袋に入れてある。美空の大根は家庭科室の冷蔵庫に入れた?」
「もちろん。そうじゃないと腐っちゃうからね」
2人が荷物を抱えていると、後ろから亜季が忙しなく、
「わたしも少ししたら家庭科室に行く。それと唐原の持ってきたお米を美空ちゃんよろしく」
「はーい。それじゃあ亜季ちゃんは後でね」
拓海と美空は、1階の家庭科室へ向かった。校舎の端、6年3組の教室と反対側にあるそこは、図書室の真下に位置しており、行くには一度図書室の前に来てから階段を降りる必要がある。
廊下には児童が溢れんばかりに集まっていたが、2人は強引に人混みをかき分けて行った。図書館の前に着いたときには児童の流れもなくなった。
ゆっくりと階段を降りる2人。その間の沈黙を塞ぐように美空は話を振った。
「拓海君は料理できるの?」
「料理はできない。僕は大の苦手。それでも米の炊き方ぐらいは練習したよ。本だって読んで実際にやってみたし」
「本当に本が好きだね。常に勉強のこととかで頭使っているけど、楽しそうにしているよね」
「昔から興味のあることは色々と手を出してきたし、自分が知識を得ているときが幸せ……、幸せって言うと大げさかもしれないけど、おもしろいんだよね」
「へぇー、じゃあ調理も手伝ってほしいな。亜季ちゃんに頼りすぎるのも良くないと思うし」
「その前に自分でできるところを増やす方が大事なんじゃないかな? でも、どうしても無理だと思ったら僕を頼ってもらって構わないから」
「そうだよね……。まずは自分でやってみる。頑張らないと」
1階まで下りて家庭科室に入ると、左手前のホワイトボードに班員の座る位置が書かれており、拓海たちの班はホワイトボードの真正面であった。
既に他の班は支度に手を付けていて、水道で米を研いでいた。
2人は急いで荷物を台の引き出しに仕舞い、エプロンとマスク、三角巾を着用し、爪の間にまで石鹸の泡を染み込ませるほど念入りに手を洗った。
先に洗い終わった美空が、家庭科室の壁に面した棚からボウルや菜箸が入った調理器具セットを持ってきた。
拓海は炊飯器の釜を取り出し、中に全員分の米を入れた。米を研いでもいいか、と美空に訊くと、いいよ、と返しがきた。
美空の目元は笑っていた。ニヤついた顔もマスクで隠せるため、彼女は堂々と拓海を見た。
釜に水を入れる直前、そのことに気が付いた拓海は、せっかくだし美空にいい所を見せたいとむしろ自分に自信をつけた。
米粒が軽く浸るほどの水を釜に入れたら手を握り、すぐに三回かき回す。釜を持ち上げて、縁に右手を添える。左手で釜を優しく持ち上げて、慎重に水を捨てる。流出した米粒は右手人差し指と中指の間から出た数粒だけで、思いの外手際よく行えたことに彼自身驚いた。二度目、三度目と同様にやるにつれ、米のぬかも大方取れていき、捨てた水の白い濁りも少なくなった。再び水を入れると、釜を炊飯器にセットして放置した。
拓海の手にはぬかのヌメリが残ったため手を洗っていると、横で見ていただけの美空は彼を労った。
「お疲れ様。やっぱり練習しただけあって上手いね」
「そうでもないよ」
と何も考えずに返す。
二人はマスクを取り、肩を伸ばして休む。拓海が座ると、美空は台を挟んだ反対側に座った。
しばらくすると亜季がやって来た。身支度を整えて手を洗うと、美空の隣に座った。
「お米ありがとう。助かったよ」
「別にあれぐらいどうってことないよ」
拓海はそう言うが、美空は嬉しそうに、まるで自分がやったことのように、
「拓海君、すごい手際よくて手先が器用でびっくりしたよ」
些細なことを過剰に褒めるものだから、拓海は美空に煽られているのではと思わず感じたが、亜季は手懐けるように、それはよかった、と言った。
授業開始まで残り1分を切った頃、亜季がノートを取り出すと、立ち上がって台の周辺を見回した。そして流しを覗き込むように見た。
「拓海君、わかめって準備した?」
その言葉を聞いた拓海は、台の引き出しから乾燥わかめを取り出すと、ああそうだ、と慌ててボウルに水を入れて、わかめを水に戻した。
正にそのタイミングで家庭科室に唐原が来た。ぜーぜー、と息を荒げて、必死に走ってきたことが誰の目からでも明らかである彼は、拓海の隣の椅子に座る。遅刻寸前であることを反省することもなく堂々としていた。
そんな唐原の行いをもはや誰も追及しなくなったことで、彼の自堕落さに拍車をかけることとなる。
チャイムが鳴ると、担任の先生がホワイトボード前に立って、実習の流れを説明した。
説明を終えると調理に入っていくが、どの班も米を炊く作業は炊飯器のスイッチを入れるだけで終わるため、味噌汁の調理が主だった。亜季は炊飯器のスイッチを入れると、班員に役割分担を指示する。
「まず唐原と拓海君が出汁を取って。その間にわたしと美空ちゃんで材料を切る。とは言っても豆腐と大根だから大して切るものもないけどね」
美空はその役割を待ち構えていたように、
「大根は家で皮を剥いたよ。だからあとは薄く切るだけで終わる」
「助かるよ。ありがとう」
美空は、家庭科室の冷蔵庫から大根と袋詰めの豆腐を取りに行った。
包丁は家庭科室前の台で先生が管理している。亜季は先生のいる台に行き、布巾に包丁の刃を包んで持ってきた。慎重に持ったまま水道水で軽く刃を洗うと、まな板に置いた。
室内を広く動き回る2人を見て唐原は、拓海に共感を求めるように訊いた。
「なぁ、出汁をとるって面倒だし退屈じゃね? お前はやりたいのか?」
「何も調理に関わって来なかったのに今更何を言っているんだよ。別に僕はやっても構わないよ」
「いや少しはさ、包丁を使わせてほしいなって思っているんだけど……」
「じゃあ自分は包丁を使えるの?」
「無理」
「でしょうね」
雑多な話をする間にも時間は過ぎていく。
唐原はまず身支度を整えた。拓海は、小さめのボウルを持って立ち上がり、先生から煮干しを受け取りに行こうとする。
「唐原は鍋に水を入れてくれ」
唐原は首を傾げて、内心に抱える面倒な気持ちを態度に表しながら鍋を取り出した。
拓海が煮干しを取ってくると、ガスコンロには水が半分ほど入った鍋が置かれていた。
「水はこれぐらいでいいか?」
「多分大丈夫だろうね。ありがとう」
次に2人は煮干しに爪を引っ掛けて、頭とわたを取り除く作業に入る。
「こんなチマチマしたことをするの?」
露骨に嫌がる唐原、拓海は冷静に諭した。
「ちゃんと教科書を読んでいないのか? 出汁の作り方はあったぞ」
「読んではきたよ。だけどさ、粉末の出汁とかあるわけだし、手間をかける必要は無くないか?」
「別に楽をしたければ家でやればいいんだよ。家庭科の授業である以上、出汁の取らせ方を学ばせないと日本の食文化を継承できないかもしれないじゃん」
「なんか話が壮大になって来たし。クソー、早く終わらねえかな、調理実習」
愚痴をこぼしている間に、拓海は全ての煮干しの下処理を終えた。唐原は、依然として拓海に頼りっぱなしで、
「この後はどうするの?」
「水に入れて10分間放置。本当は30分が良いらしいけど、時間の関係上短縮するって先生が言っていた」
予習をしない唐原に呆れてものが言えなくなりそうだった。
処理した煮干しは鍋に入れた。
しばらくの空き時間、2人は亜季と美空の調理を椅子に座り眺めていた。
美空のモルモットのように小さな左手は、大根を抑えて右手でゆっくりと包丁を刺していく。切り口を下にして、十字を入れるように四等分にした後、6ミリほどの厚さで切った。
美空が包丁を使い終わる頃、亜季が袋から取り出した豆腐を左の掌に載せた。右手で包丁を持ち、手を傷つけないよう慎重に、まず縦に四等分、次いで横に四等分、小さな直方体を作るように切った。
2人とも包丁の扱いに長けていることに、拓海と唐原は驚いた。唐原は、拓海の耳元でヒソヒソとささやくように、
「鈴木のやつ、結構上手くねえか?」
「わかる。料理できないです、っていう雰囲気だったのに普通に上手い。パッと見、僕より手際が良い」
切った材料は、それぞれ別のボウルに入れられた。
しばらくして、拓海はガスの元栓が開いているのを確認すると、コンロのつまみを直角に振り切って強火にした。
水の外側がプツプツと小さな泡を立てて、極めて薄い湯気を上げる。
沸騰するのに時間がかかるのを見て拓海が亜季に相談をする。
「ねぇ。これ、煮干しと一緒に大根も茹でていいかな? 時間短縮になると思うけど」
亜季は迷うことなく、
「そうしよう。とっとと終わらせよう」
と言った。計画的に見えて細かい箇所はいい加減であることに若干驚くも、亜季に後押しされて、拓海も戸惑うことなく大根も鍋に入れて煮た。
いつも読んでいただきありがとうございます。
次回は出来上がった味噌汁とお米を食べます。
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三峰勾洋
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