小学6年生④ 5月 調理実習計画
不安の種がばら撒かれたのは突然だった。
毎週木曜日の5時限目、教科は家庭科。昼ご飯が食べ終わった後の胃が活発な時間に、食に関する授業を行っている。満腹な体に食べ物の画像が適応できず、午後のポカポカ陽気との相乗効果で居眠りをしてしまう人も多い。
5月下旬。この日の授業の始めに先生は言った。
「来週は班で調理実習をします。お昼ご飯を食べた後に行うので、弁当は軽めにしてください」
その言葉にクラス中は歓喜の声を上げた。途端にクラスでは、何を作りたいかという話題が引っ切り無しに湧き上がるが、先生はクラスを制止させて、
「今回の調理実習では、ご飯を炊いて味噌汁を作ってもらいます。出汁は煮干しを僕の方で用意します。味噌汁は好きな具材を入れていいので、みんなで考えてください」
言い渡された課題は酷く質素なものであった。しかし実習においてはもっとも単純に作れて、かつ昼ご飯の後でお腹の一部が満たされている状態でも胃に優しいのはこの献立であった。
その意図がわかると各班はまとまって話し合い、材料を持ってくる分担と調理の役割分担を決め始めた。
そんな班活動を素直に喜べないのは美空であった。
――来週は調理実習をします
先生がそう発した途端、顔の筋肉が硬くなり、クラスの雰囲気が和気あいあいとなっても、表情は変わらなかった。まるで蝋人形のように黒板の端の一点を凝視している。彼女は気まずくなっている。それを感じて拓海も気まずくなる。唐原は他人任せで話を盛り上げようとしない。
先陣を切ったのは亜季であった。彼女は家庭科用のノートの端に表を書き込むなり、
「とりあえず味噌汁に使いたい材料を決めようよ」
亜季は目線で合図をする。
美空が後ろに振り向き亜季のノートを凝視した。
「私、あまり料理ができる方じゃないけど……大丈夫か心配だな」
美空のか細い声に亜季は意欲的ではない声で、
「わたしは休日に結構料理しているし、まぁ平気平気」
「じゃあ亜季ちゃんに頼るよ」
「頼られるのか。頑張らないとなぁ」
拓海は椅子を亜季の机に寄せて2人の会話に近づいた。唐原は顔を左に向けるだけで会話に加わろうとはせずに惚けていた。右肘を机に立てて、掌に自分の顔を載せて、薄めを閉じかける。
残りの3人は、唐原を無視して、各々が味噌汁に入れたい具材をあげていこうとする。亜季が言いかけた直前、拓海が遮るように確認した。
「今更だけど、菅野さんが班のリーダーをやってくれるの?」
「うん、やろうかな。だって他にやりたい人はいないでしょ?」
「確かにいないな。僕にはできる気がしない」
拓海は亜季に指示できる自信がないため彼女に任せたがっていた。美空も、
「亜季ちゃんはリーダーに向いているよ」
と励ました。
「別にわたしは嫌じゃないからやるよ」
亜季は隣の席の唐原を睨むなり、
「唐原だってやりたくないでしょ?」
「うん……、やりたくないし全部やってほしい」
唐原は眠い目を擦ってそう応えた。亜季は、始めから3人しかいないかのように振舞って、材料決めを続けた。
「それじゃあ、味噌汁に入れたいものを何か言って。一応、1人につき1品で。どうぞ拓海君」
投げやり気味な振られ方にも動じず、
「僕はわかめの味噌汁が飲みたいかな。茹でる時間もそこまでいらないし楽だと思う」
「オッケー」
亜季はノートの端にメモを取った。
「よし、次は美空ちゃん」
「私はそうだな……、大根とかどうかな?」
「いいんじゃないかな。栄養を考えると少しは野菜が欲しいし」
「良かった。大根なら私が持ってくるよ。使う分だけでいいよね?」
「うん。5センチ分ぐらいあれば十分だと思うよ」
「わかった」
「次は亜季ちゃんだよ」
「わたしは豆腐が食べたい。それも木綿豆腐。1丁持ってくるよ。とりあえず、わかめと大根と豆腐を入れる。これでいいかな?」
拓海と美空は深く考えずに了承したが、唐原は文句を垂れた。
「そもそもさ、俺を放っておいて話を進めないでくれよ」
「そんなの知らないよ」
亜季は話の間を置かず、冷静に返した。
「酷くないかな? 別に眠いのは仕方がないことだし、こんな時間に授業をやる学校側も酷いと思うよ」
「言い訳は終わり? 他に言いたいことがあるなら話は聞くけど」
「言いたいことならあるよ。わかめと豆腐は切るのも茹でるのも手間がかからないからわかるよ。だけど大根って何だよ? 茹でるのも時間かかるし、もう少し簡単なものにしておけよ」
唐原の矛先は美空に切り替わり、拓海は、美空が牙をむかれている瞬間を初めて目撃した。美空はしょんぼりとして、目線で亜季に助けを求める。亜季はため息をついて、
「なら、最初から話し合いに加わってよ。まともに考えるつもりがないなら無視するよ」
亜季、拓海、美空の3人は動揺する唐原を見た。彼と3人との間の溝は少しずつ深くなっていく。
「それで、唐原は他に何か入れたい具材はあるの」
亜季はさらに唐原を言い詰めた。
「いや……、特にはない」
「文句を言うくらいならちゃんと代わりの案を言って」
「……」
「材料はさっきの3つでいい?」
「……いいよそれで」
唐原は不貞腐れて嫌々ながら了承した。
彼の態度が美空の心に後味の悪い沈殿を残したことは明白であった。
大人しい拓海は、大人しさ故に唐原の利己的な情緒に屈していたかもしれない。
亜季の精神に聳え立つ太い芯は、唐原の獰猛さでへし折れることはなかった。むしろ彼を抑え込んでいた。拓海は、唐原を自分と重ね合わせては詰め寄られる自分を不意に想像し、亜季の気丈さに一種の尊敬の念すら抱いた。
亜季は、一瞬で状況を切り替えて、話し合いを続ける。拓海は、やる気だけは一丁前に出して会話の輪から外れないように、また、唐原と同程度の人間であると思われないように身を乗り出した。亜季から不自然さを察する眼差しを向けられはしたが、それもほんの一瞬であった。
次の議題は、誰が材料を持って来るかである。しかしこの議題は呆気なく終わった。米は2人で1合ずつ、すなわち1人半合持って来ることになった。
みそ汁の具材は各自が希望したもの、拓海は乾燥したわかめ、美空は輪切りの大根、亜季は木綿豆腐を1丁、何も提案しなかった唐原は味噌を持って来ることになった。
「意外とすぐに終わったね。2人はこれでいいかな?」
拓海と美空は、うん、と応えた。
「あんたはどうなの? これでいい?」
亜季は唐原を軽くあしらい、彼の不服を諸ともしなかった。彼は教室の壁を延々と眺めながら、消極的に、いいよ、とボソボソした声で言った。
授業終わり、亜季は分担表を先生に見せて、正式に了承を得た。
鉛を括りつけられたような重い空気が、授業終了のチャイムとともに一気に換気される。
拓海は、自分が嫌味を言われなくてよかった、と思うと精神が安らいだ。
美空は両手を頬に当てた。手を離すと、全てを忘れたような澄んだ表情を見せた。
亜季は机に肘を置き、その上に顔を置いて目を細めた。その目には苛立ちが刻み込まれていた。
帰りのホームルームが終わると、拓海は校舎の三階端、6年3組の教室とは反対側に設置されている図書室へ向かった。壁一面に広がる本棚や学習机が視界いっぱいに広がるそこも、放課後となればひっそりと静まりかえる。
拓海は家庭本が収められている本棚へ行き、小学生向けのレシピ本を数冊手に取った。家庭科の教科書よりも詳しく米の炊き方が書かれており、それを下校時刻ギリギリまで読み漁った。閉室時刻になると読んでいた本を借りた。
来週の調理実習、何としてでも成功させて他のどの班よりも早く終わらせたかった、という強い意志が彼の中にはあった。
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三峰勾洋
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