小学6年生③ 5月 ある日
ある日の休み時間。美空は拓海に質問しようと算数の教科書を取り出し、わからなかった問題を指した。そこに後ろの席の唐原が、教科書を持って割り込んできた。
「なぁ、この面積の計算問題を教えてくれよ。いいだろ?」
座っている拓海に対し、唐原は立ったまま威圧的に見下して教えを頼んだ。
「まぁいいけど」
と拓海はその場を濁して、教科書を受け取った。
自分の机に振り返る途中、不意に見えた美空の横顔はどこか悲しげであった。
拓海は教科書を見るや否や、すぐに図形に補助線を引き、唐原に見せる。図形を鉛筆で指して、必要な計算式のヒントだけを教える。唐原がその説明に納得すると、最後まで解くことなく、
「もう俺大丈夫だわ」
と言った。唐原は、拓海が助け舟を出したに過ぎないのに、すべてを知った気になっていた。そして自分でひらめいたかのように誇った顔をしたままトイレに行った。
拓海は改めて美空に話しかける。
「ごめんね、違う問題をやっちゃって」
「いいや、大丈夫だよ。私の方が勝手に訊いてきたわけだし……。私が勉強できないのが悪いんだと思う」
「そんなことないよ。別にわからないところをわからないままにしないのは大事だし、質問したければ僕を頼ったって良いから。自分の弱点は克服しないと」
その言葉に後押しされた美空は、鉛筆の後ろを顎に当てながら教科書を見せた。その独特な仕草は、美空の動揺のサインであると思われた。
拓海は鉛筆の延長線上に印刷された問題を見る。
「これさっき唐原に教えた問題と同じだよ」
「そうだったの? 何か二度手間になってごめん」
美空は申し訳なさそうに俯いたが、拓海はそんな素振りを気にする様子もなく、唐原に教えたのと同様に図形に補助線を引いて計算のヒントを与えた。美空はそれを基にノートに計算をし、結果を拓海の答えと照らし合わせる。
「僕も同じ答えになった。合っていると思うよ」
「よかったァ。今日もありがとうね」
今日の美空は、普段以上に艶然と微笑んでいた。
二人が正面を向き直すと、美空の表情も少し曇りだす。すると、彼女はノートに視線を合わせたまま独り言のように、
「拓海君は凄いね」
と言った。
大雑把な褒め方に、拓海は一瞬困惑した。彼が左を見ても、黙々と作業をする美空の姿のみ、自分だけがお告げを聞いたのではないかと錯覚するほどであった。
美空は次に言いたい言葉を、声に出すことはなく、口を動かして自分の脳内に反芻しているようであった。
「何が凄いの?」
拓海は、大層な返信を期待せず、集中する美空にその言葉を挿しこむ。美空はなおも視線を拓海と合わせようとせず、
「拓海君、唐原を特に嫌がることもなく話せているでしょ?」
後ろを振り返り、唐原がトイレから戻ってきていないのを確認して話の続きを聞いた。
「それが凄いなって。私は唐原にあまりいい思い出がないから……」
「まぁ、嫌じゃないけれども……。だからといって、自分から積極的に話したいとは思わないよ」
「積極的じゃないにしても、拓海君が話してくれるのは個人的に助かっているの」
話していて拓海は、唐原が質問に割り込んだときの悲しげな美空と今の美空を重ね合わせた。唐原という傘の下で彼女の心情は曇りだす。
美空は拓海の反応を伺わず、
「おかげで私は唐原と話さずに済んでいる。それが有難いことなの」
拓海が思い返すと、確かに美空と唐原はほとんど喋っていないことに気付く。自分にも光太郎にも他の男子にも、誰とでも分け隔てなく接していける美空でも仲良くなれない人間がいることに少し驚いた。
「そんなにあいつが苦手なの?」
「うん。拓海君は向こうから話しかけられても軽く流せるほどには対応できているでしょ。私は対応が下手だから、唐原に言い詰められたら何も言い返せなくなっちゃうの。さっきの質問しようとして割り込んできたときも、順番を守って、なんて言い返せなかったし」
拓海は黙って美空を見つめた。彼女と唐原の過去に何があったかを拓海は知らないが、これ以上話を広げると彼女の心の傷に苦い思い出が擦り込まれることを察した。
拓海が教室の外を覗き込むと、唐原が教室に戻ってくる途中であり、その歩く姿を美空もチラッと見た。
「私は唐原が苦手なんだ……」
最後にボソッと言い残して、それ以上は話さなかった。
何も知らない唐原が戻って来た。拓海は何も聞かなかったように振舞う。
(美空は唐原と関わりたくはないから僕に積極的に質問をしているのだろう)
拓海はそう考えた。拓海と話せば、二人の会話に周りが気付いて他の者から、もっとも唐原から話しかけられることはなくなるのだから。
それなのに唐原は二人の会話の輪を潜って美空を外へ出し、新しい環を強引に形成した。そんな彼と話せる拓海を美空は不思議がったし、拓海もなぜ彼と波長がずれないのかが不思議でしょうがなかった。拓海は、端から波長なんてずれているけどお互いそのことに気が付いていない、ということで無理にでも納得していた。
美空と唐原は同じ環内で繋がれない。そのことが美空の暗雲立ち込める表情からもわかった。
拓海が最も恐れたのはグループワークである。班で集まって否が応でも協力しなければならない状況で、二人が、特に唐原が協力すると思われてはいなかった。
班員は拓海、唐原、美空、亜季の4人である。気の強い亜季がいるとはいえ、唐原を牽制できるのか?
拓海には一抹の不安がよぎった。
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三峰勾洋
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