小学6年生② 5月 席替え
クラスは日が経つにつれて盛り上がりを見せた。
授業が始まると、拓海は前の席で先生の視線を気にすることなく黙々とノートを取った。美空が視線を左斜め前に逸らすと、そんな拓海の姿があった。美空に度々見られていることなど知る由もなく、美空が拓海を見ていることも彼女自身しか知らない。
拓海からすれば、鈴木美空という女はクラスの一員である以上の関わりがなく、それ以上の関係を持ちたいという願望も特になかった。
最低限の人間と最低限の接点を持つことに努める。登校して、授業を聞いて、ノートをとって、本を読んで下校する。毎日が同じ習慣の繰り返しであり、日常という小川に逆らってゆくこともせず、流されるまま。激しい出来事の無さは正にせせらぎであった。
拓海は、クラスでは大人しくて勉強ができる人、という大まかなキャラクターで知られるようになった。そのおかげで、彼は積極的に絡みに行かなくても、他の児童から勉強を教えてもらうという口実で頻繁に喋るようになり、クラスで浮いた存在にはならなかった。むしろ頼られる側であった。
積極的に絡みに行く人といえば、光太郎しかいない。
しかし休み時間に斜め右後ろを振り向くと、美空が後ろの席の光太郎と頻繁に駄弁っている。拓海の目には、振り返る美空の右横顔が繊細でかわいらしく見えた。
光太郎に話しかけようにも、二人が作る会話の輪に踏み入りづらさを感じていた。それほど傍から見れば、光太郎と美空の関係は友達として良好であり、光太郎の対話力の高さを拓海は羨んだ。
5月の上旬。皆がクラスに溶け込み始めた頃、男子も女子も幾人のグループでまとまりだして、休み時間には活気が溢れていた。
そんな最中、担任教師の計らいで、席替えが行われることになった。皆は大いに喜び、中には奇声を発する者もいた。席の決め方は、帰りのホームルームで退出する者からくじを引き、出た番号をあらかじめ席に指定した番号と照らし合わせる方式であった。
先生がくじ引き開始の合図を出すと、我先にと児童が詰め寄ってくじを引きに行くため、拓海には立ち入る隙が無かった。
のんびりと本を読んで時間を潰す間に、くじは残り一枚となり、拓海は自分で席を得る機会を失った。そのことに悔やむこともなく、むしろ結果が勝手に決まったことに内心喜んでいた。
翌日の朝。教室の前に張り出された座席表に従がって皆が席を移動する。拓海は右の最前列の席であった。黒板と教師とドアを眺めることに特化された席を拓海は、視界に余計な人間が入り込まない席と捉えた。
そんな拓海の左隣の席に座ったのは美空であった。拓海の隣に座るや否や、嬉々として振り向き、
「やっほー、拓海君よろしくね」
「あっ、どうも。よろしくね鈴木さん」
「どうも、って何よ。それと私のことは美空って呼んでほしいってこの前言ったじゃん」
「あぁ、そうだったね。ごめんね……、美空」
「いいよ。大丈夫だよ」
拓海は堅苦しく美空は朗らかに挨拶を交わした。
美空は正面に向き直すと、頬を赤らめて心臓の鼓動を確かめるように右手を胸に添えた。拓海も心臓の鼓動を早まらせた。
普段から女子の名前は『さん』付け、または名字の呼び捨てで呼ぶ拓海にとって、名前の呼び捨てというのには違和感があった。拓海は男同士での名前の呼び捨てならともかく、男女でそれを言い合うのは兄弟に近しい関係に限ると勝手に考え、女子に対する不義理な態度と思われないか心配していた。
美空は関係性の手綱を強く引っ張っている。拓海も消極的にその手綱を引っ張っている。女子との距離感が狂いだす、拓海は心の歯車が掛け違えるのを感じた。
彼は我に返り、美空の顔を一瞬見ると、目が合わさった途端に目線を下げた。縮こまった態度が隠す隙もなく露わになり、不審な動きとみなされているのではないか、と思い込みが激しくなる。口の中に唾液が溢れ出しているにも関わらず、困惑で硬直してしまい、上手く飲み込めない。咄嗟にランドセルから算数の教科書を取り出し、徐に開いたページの問題を頭の中で考え出す。美空はそんな彼を不思議そうに眺めた。
女子に話しかけられただけで、目を合わせただけで緊張し、反射的に女子を阻害しようとする。それが拓海の弱さであった。
ふと後ろを振り返った。美空を見てしまわないように首を右に回転させる。目に入ったのは、自分に近い体格と左右の刈り上げられた髪型をもつ唐原賀久であった。唐原は、拓海と目が合うなり口角を釣り上げると、両肘を机について顔を乗り出した。
「宮浦だな、よろしく。拓海って呼んだ方がいいか?」
「呼び方はどっちでもいい。よろしく」
「じゃあよろしくな、拓海。わからないところがあればお前に訊くと思うし、ノートとかも写させてもらうつもりでいる。というか写させてくれよ。頼むぞ」
それを望む目は、拓海に寄生して甘い蜜の所有権を強奪しようとする目であった。他人からいいように使われることなど承知はしていたが、唐原の開き直ったような態度には拓海も眉根を寄せた。
「少しは自分でも考えないと、勉強する意味がなくなるぞ」
と唐原に釘を刺すが、彼は気にするような仕草を見せず、
「別に授業さえ乗り切れれば十分なんだよ。勉強ばかりするよりももっと遊びたいし」
と当然のことのようにそう言った。
拓海と唐原が同じクラスになるのは小学一年生以来で、実質的に初めて同じクラスになる。その間にも趣味や性格は大きく変遷していき、二人ともサッカーを習うようになった。別のサッカーチームに所属してはいるが、その事はお互い知っていたようで、
「田崎と倉石は同じサッカーチームにいるんだけど、学校だと全然相手にしてくれないからさ」
その言葉を、教室の後ろ端にいる田崎と倉石にまじまじと聞こえるほど大きな声で言った。
二人は教室の右前に視線を向けて睨んだ。拓海は不意に二人と目線があった。唐原は二人に睨まれていることなど知らず、拓海に意気揚々と話した。朝の眠気が覚めきらない中で押し寄せたのは、車一つ走らない秘境にデコトラが駆け付けたような喧しさであった。
途中、拓海は話を一切聞かなかったが、終わりかけに唐原が、
「そんなわけでよろしくな」
と言ったため、素っ気なく、よろしく、と返事をして前に視線を向き直した。
朝のホームルームまでには全員が席の移動を終え、拓海の左後ろの席には、菅野亜季が座ることとなった。彼女は美術教室に通っていて、何度も絵画でコンクールの入賞するほど絵の才は優れていた。黒縁の眼鏡をかけて、髪の毛をゴムで一つの塊にまとめているおっとりとした見た目とは裏腹に、非常に気が強く、拓海は関わるのが苦手な部類に入れていた。だから班活動以外で亜季と拓海が関わることは皆無に等しかった。
席の移動により、教室全体が作る模様が変わりだし、拓海の平坦な日常にも、鈴木美空という一輪のつぼみがポツンと添えられた。
拓海は美空に、過去のクラスメイトの比じゃないほど質問をされた。
算数の授業中、美空が単位の計算問題に躓いていると、隣の席に話しかけ、
「今日、私が指されそうなの、この問題なんだけど。難しいから教えてほしい」
拓海はすぐに彼女のノートに書き込み正解までの道しるべを記す。それを基に美空は考えた。
社会の授業中、美空に奈良時代の出来事の穴埋めプリントについて質問されると、空白になっている箇所の答えを教えてあげた。拓海の答えはすべて正しく、美空は彼の知識に絶対的な信頼を置いていた。
先生に指名された問題も、拓海を頼りにして答えれば間違えることはない。答えて正解する度に安堵の表情を浮かべていたが、何回も拓海を頼るうちに、正解することが当たり前となり、安堵の表情も浮かべなくなった。
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三峰勾洋
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