夜の風
美空の存在を隣に、今日1番に感じる拓海。彼女に対し面と向かわないことにより、表情を伺う際に否が応でも横を振り返らなければいけない状況を作り出されて、彼の心拍数は徐々に増大し、掌に滝のような汗をかいた。
その不自然さを誤魔化すように拓海は、
「それで美空は何をしているの?」
「私は看護の専門学校に通っている。看護師になりたくて」
「すごい。立派じゃないか。きちんとした志があるのなら、心配はいらないんじゃないかな」
「そんなことはない。私だって心配していることはあるよ。でもね、誰にも救われなかった私だからこそ、救ってほしいと願う人たちの気持ちに寄り添うことができると思うの」
美空は意図せず皮肉っぽく言ってしまったが、拓海は気にも留めず必死に励ました。
「できるよ。美空ならできる。僕より……何倍も」
美空は両手を組んで、うーんっ、と言いながら軽く腕と肩を伸ばした。
「何か冷静になれた気がする。思い返すときは辛かったのに、今は拓海君が受け入れてくれると思うと気持ちが楽になれる」
「そう言ってもらえると僕も来た甲斐があったのかな」
そよ風が2人の静寂を繋ぐように吹いた。
「私ね、実は拓海君に会いたかったの。これまで拓海君を好きだって言えなかったことが心残りだった。恨みを言いたかったのももちろんあるけどね」
「僕だって好きだったよ」
「えっ、そうなの?」
美空は明らかに驚いて感情を高まらせると、顔を90度横に曲げて拓海を見た。
過去の思いの告白、拓海は恥ずかしさで胸がいっぱいになり、まともに美空の顔を見られなかった。
拓海は続ける。メッセージの送り先は美空だが、声の発する先は虚空だった。
「君を傷つけたのに好きだったなんて言う資格無いと思っていたからさ、言うかどうか迷っていたけど、やっぱり僕の気持ちに変わりはなかった。美空がいてくれるだけで僕は内心嬉しかったんだよね」
「今はどうなの?」
「今は……。えーっと」
美空は執拗に拓海を伺っては、表情から探りを入れようとしている。目線を逸らしたままの拓海に目線を合わせようとする。
拓海は一瞬美空と目が合うと、すぐに顔を反対方向に背けて、口元に右手を添えながら黙りこくった。そして美空はのめり込むような姿勢を止めた。
「言いづらいよね。ごめんね変な質問をして」
「2人だけでいると懐かしくなるな。中学生に戻った気分だ」
拓海は恥ずかしさを隠すため、露骨に話を逸らした。それでも美空は優しく会話を繋いでくれた。
「今日会えて本当に良かったと思う。何よりも拓海君が当時の行いを後悔してくれたのが嬉しかった。それを知らなかったら、私はもっと辛さを引きずっていたと思うし。そして一生拓海君と和解できずに終わっていたと思う」
拓海はその言葉を聞いた瞬間、目を見開いて、動揺する心を抑えようと硬直の姿勢を保った。ほんのりと笑みを浮かべると、静かに美空の方へ顔を向ける。美空まであと45度の位置で顔の回転は止めて、残りの45度は瞳を寄せて、うっすらと美空の輪郭を捉える。ぼやけていても彼女が拓海の返事を期待しているのがわかると、彼はそわそわしながら応えた。
「僕も美空の抱えていた悩みが想像以上だったことを知れてよかったよ。もし知らなければ、今でも美空のことを軽く考えていたと思うし、認識はいつまで経っても改められなかった」
拓海は、勇気を振り絞って美空と一直線に目を合わせた。見つめられて不自然なほど瞬きは増え、その様子を美空はくすくすと笑う。
「ふふっ、なんかさ、この雰囲気だと何もかもを許しちゃいそう。さっきまで憎しみだらけだったのに、何故だろう」
美空は自分の胸に手を当てた。心臓の鼓動は未だ強く打ち続けているのに、表情はどこか爽やかだった。
美空はそのまま俯く、対して拓海は空を見上げた。
「別に僕を許さなくても良いよ。7年以上かけて積まれた憎しみなんて、簡単に消えるものじゃない」
「そうね。もしかしたら拓海君の前だから強がっているのかもしれない」
「強がりかぁ」
「私、昔から自分を強く見せようと無理することがあってさ、外見はたくましそうでも、精神はボロボロになっていた。明らかに私の弱さを曝け出したのは拓海君ぐらいじゃないかな」
「あったね。覚えているよ。美空が小動物みたいに縋って来たから優しく宥めたくなったのを」
「そんな風に思っていたの? ひどいなー拓海君。やっぱり和解はなしにしようかなぁ」
拓海は、えー、とわざとらしく落胆する。気が付くと2人は気まずさを余所に目線を合わせることができた。そして美空が、うそうそ冗談冗談、と言うと、2人は笑った。
「拓海君は自分が未熟だと責めていたけど、私だって未熟だったのよ。自分への救いを拓海君にしか求められなかった弱さがあった。私は何年かかけてその弱さをようやく認めることができた」
「僕も言いたいことがある。僕は誰かが弱さを認めることをずるいと考えていたんだ。その時点で偏屈な人間だよね」
自分を嘲笑する拓海、脳裏に浮かべたのは小学校時代の亜季であった。
(唐原を対処できないと告白した菅野亜季、当時こそ彼女を嫌ったが、思えばそれは正しかった)
弱さを認められなければその弱さはますます増大し、やがて自分を蝕む脅威となる。そのことが拓海の胸に刻まれると、拓海は1度深呼吸をした後、美空に訴えかける。
「でも今だから言える。自分の弱さはもっと知らせていいよ。1人で抱え込まなくていいよ。僕は美空の頼みを叶えられるわけなかったのに、1人で抱え込んでしまった。それを美空にも言えなかった。その結果、美空を救えなかったんだ」
拓海は自分の弱さを羅列しただけ、まだ弱さを認められる段階にはないと考えている。
美空は彼に諭されると、ため息をついた。
「ほんと、2人とも弱かったのね。強がりも所詮はハリボテか」
「でも美空は弱さを認めて強くなっているよ。僕から見た主観でしかないけどね」
「そう言ってもらえると嬉しいな。でもやっぱり辛い。心にひびが入ったようで、強固に保てるのかわからない。いつこの痛みが癒えるのかもわからないよ」
美空は再び両手を組んで腕と肩を伸ばす。彼女は平然を装ってはいるが、今も大きな心の傷を負っており、拓海に構わずいい加減にやり過ごそうとしている。
これ以上強がりはしてほしくない。それは彼の友情を超えた美空への思いであった。
「そんなに辛いならさ、君の心の傷を修復させてくれないか?」
美空は腕を伸ばしたまま、顔だけを拓海に向けた。ひどく驚いた顔。彼から出た予想外の言葉。思わず、えっ、と困惑する。
「本当にできるの?」
「できると信じたい。僕もまだまだ弱い人間なんだ。それなら弱いなりに助けられることがあるはずだ。そうじゃないと、僕は……真に強くなることなんてできないよ……」
勇ましく放った言葉も、最後は弱気になってしまった。涙はとうに枯れていた。瞬きも思うようにできず、目は乾いて少し痛む。
拓海の軟な語り掛け、それでも裏にある熱意には絶対的な自信を持っていた。
2人は再び目が合うと、逸れることはなかった。美空の驚きで硬直した顔は、唇を発端として、頬、目元と順に小刻みな震えをみせる。
「絶対だね。絶対できるね? 約束だよ」
「……うん」
拓海の了承。美空は拓海の胸にうずくまり、彼の分まで涙を流した。それは、かつての悲しみに暮れた涙ではない。拓海との新たな一歩を踏み出す嬉し涙である。
拓海は手を美空の背中に回した。2人の体が密着される。その姿を観測しているのは、夜空を彩る無数の星たちだけ。誰にも邪魔はされない。
そして、互いを思う気持ちは何者にも離せなかった。
美空はうずくまった顔を上げる。頬に流れる涙とほんのり垂れた鼻水が、下品なはずの美空をより一層かけがえのない者に仕上げた。
「私の7年、ちゃんと治せるよね?」
「当たり前だ。美空の思い、全て受け止めるよ」
そう応える拓海に迷いはなかった。
本エピソードを持ちまして、当作品は完結です。
読者の皆様、誠にありがとうございました。




