美空② 冷め
拓海はコートを着ると、急いで美空を追いかけようとした。しかし、道の先を見ても彼女の姿はすでに消えていた。ほんの1分ほどの間に、拓海の世界から彼女の実態が失われた。
拓海は店の前で途方もない虚無感に襲われて立ち尽くす。追いかければまだ見つかるかもしれない、とは思いつつも半ば絶望していた。
こうしている間にも、視界に映らない美空との距離は着実に離れていく。
彼女を救えなかった悲しみが拓海の心の中で増幅していく。破裂寸前の悲しみは、涙という形で溢れ出した。彼は地面に店の前にある電柱の傍に座り込み、アスファルトを水滴で濡らす。
周りには誰もいない。月と星と殺風景が拓海を包み込んだことで、彼は本心で泣くことができた。涙が枯れ果てるまで泣き続けた。
頬に滴った涙が蒸発して、顔がほのかに冷たくなると、拓海も冷静さを取り戻す。そして1つの聞きたかった疑問を再びよぎらせる。
美空はなぜ成人式に来たのか?
彼女は積年の憎しみを吐けるだけ吐いた。拓海に会って恨みを伝えることこそが彼女の目的。すなわち、美空も拓海に会いたかったはずだった。
彼女は拓海とあって自身の辛い思い出を辿って、思いを曝け出した。彼女の吐露に、拓海も知らなかったことが多々あった。
拓海は、記憶の陰に隠された出来事を紡ぎ出すと次第に感じるようになる。
(一緒に美空との思い出を辿りたい)
美空との思い出を作った場所、彼女の痕跡を思い出せる場所、拓海には1つだけ思い当たる節があった。
拓海は静かに立ち上がると、振り返って自宅の方面まで走る。家の前に来ると、そのまま北の公園に向かって走った。夜風が前方から遮るのもお構いなしに、腕を必死に振り上げて突き進む。
(もしかしたら美空もいるかもしれない。美空がずっと素振りの練習をしていた公園、僕とも1度だけ行った公園、僕はおろか美空自身すらも忘れている思い出が残っているはず。僕は図書館に行く途中、ずっと見てきたんだ。美空はソフトボールが大好きだっただろ。美空が一生懸命に打ちこんだ日々を、美空の手が忘れるはずないだろ)
美空の絶縁宣言で、2人の終着点が遠のくのなら、今度はそれより速く拓海が追い付くだけ。
美空と向き合う。良いことも悪いことも全て受け止める。そうすることで初めて和解の『わ』の字を語る資格ができると拓海は考えた。
がむしゃらに走り続けると、目的の公園には着いた。相変わらずやたらと広い公園で、拓海も夜に訪れるのは初めてだ。
園内は広いのに外灯は5つしかなく、木や遊具の陰はもはや闇であり、かろうじて星の光で周りの気配を把握できる程度であった。
拓海はフェンスの周りに沿って歩き、内の様子を慎重に窺う。そして暗がりを凝視していると、遠くの鉄棒に手をかける1人の姿が見えた。目が暗闇に慣れると、輪郭が徐々に浮かび上がっていく。
セーターを着た髪の長い人間、後ろのベンチには丸められたコート。
美空で間違いなかった。
拓海は遠くから美空が懸垂をする様を眺める。彼女の動きは手慣れたもので、中学生のときの不格好な懸垂とは違い、体幹も真っすぐで腕の曲げも美しかった。
懸垂を20回したところで、美空は鉄棒から手を離した。手の擦れを確認しているところに拓海は背後からゆっくりと近寄る。
「美空!」
彼女の体は一瞬ピクッと動いた。
「……来たのね」
「うん。中学校のときのことを思い出したくて、つい来ちゃった。なんか、美空ならここに行
くのかなとも思ったよ」
「来ないでと言ったのに……」
「ごめんね。僕もしつこいよね。あははははっ……」
「いいよ、別に。私だってちょっと言い過ぎた……」
美空は振り返らず、自分の手を見つめている。拓海の冗談めかした空気にも流されずに。
拓海は立ち尽くしている。その様子を感じ取った美空は、彼を見かねて、
「まだ立っているの?」
「いや、何か座るのもどうかなと」
「いいよ、ベンチに座って。私のコートに触らないでね」
「そうか、お言葉に甘えてそうさせてもらうよ」
美空は両手を擦り合わせると、懸垂をするわけでもなく、ただぶら下がった。その様子を拓海は座って優しそうな目で見守った。
美空は腕を伸ばして静止すると、突如として拓海に語り掛ける。
「私ってさ、我儘だよね」
「そんなことはなくない?」
彼女の背中に向けて即答した。
「拓海君との思い出を改めて振り返ったんだけど、私って拓海君に勉強の質問ばかりしていたなと思ってさ。少しは自分で考えろって話だよね」
美空の自虐的な言い方、そこに拓海に対する怒りはなかった。拓海も優しく宥めるように返す。
「別に教えることは嫌いじゃなかったよ」
「私の我儘はそれだけじゃないよ。1回だけ2人で遊んだときも私が無理を言って誘ったし、その上ソフトボールの練習まで付き合せちゃった。さっきもそうだよね。私が店を紹介しておいて一方的に怒鳴って立ち去ってしまった。何というか、こんな自己中人間、いじめられて当然だったのかもね。何年経とうが変わっていないもの」
「そんなことないよ。たしかに、僕は昔……、美空の積極的な姿勢がちょっぴり苦手ではあったよ。1回2人で遊んだときも、正直……楽しくはなかった気がする」
「やっぱりね……」
「でもそれが美空の良さじゃん。僕みたいに受け身で過ごしてきた人間とは違う。能動的に行動してきたじゃん」
拓海は話していて声に熱が籠り始めるのに対し、美空は未だに冷たい返しだった。
「聞こえだけは良いけど、実態はただしつこい人間が1人生まれただけじゃない」
「それは違う。対応を間違えてきたのは僕だ。全ては、僕が未熟だったから……」
美空は、へぇー、と言うと、手を離して鉄棒に凭れ掛かった。そして、いなすように、
「自分を悲観的に見積もるのが好きなのね」
「別にそれはお互い様でしょ」
拓海は、はははっ、と乾いた笑いを起こした。拓海は美空を見つめるだけで、美空は未だに拓海と目を合わせることはなく、どのような表情を浮かべているのかもわからなかった。
拓海は後悔を交えながら少しばかり白けた空気を建て直す。
「何で僕は大人しかったんだろう。大人しくて良かったことなんて今まであったように思えない」
「私はそういう拓海君も良かったと思うけどね」
拓海は、美空の性格が小学校と中学校で変化しているのを思い出した。小学校では、おっとりとしていながらも無邪気な一面だってあったが、中学校に上がると次第に控えめになっていき、誰とでも気さくに話していた小学校時代とは打って変わっていた。
「ねぇ。美空は他の男子や女子とも喋っていたでしょ。何で最終的に僕ばかり喋るようになったの?」
美空は少し考え込むと、
「他の人たちと喋っていたのはせいぜい6年生の最初までだよね。拓海君には端から興味はあったけど、そんなにたくさんは話していなかったと思う」
「そうだったね」
「だって、大人しい拓海君に近づこうとする人は多分いないだろうと思っていたからね。ただ大人しいだけでそれ以上個性があるようには思えないし、頭がいいのも雰囲気だけだと思っていた」
「そりゃまた失礼な」
「でも拓海君が雰囲気通り成績が良いとわかったら、何故だか危機感を持っちゃったんだ。拓海君が誰かに取られるかもって」
「そんなモテ人間みたいなことはないよ。実際、中高でも彼女はできなかった。美空のことを引きずっちゃって、恋愛をしたいとは……思えなかったんだ」
拓海の言葉尻は次第にすぼんでいく。しんみりとした空気に、美空も少し言葉を詰まらせたが、拓海の恋愛観に自分が干渉してしまったことを一顧だにせず、話を紡いだ。
「6年生のときの成績はうっすらとしか覚えていないけど、たしか中学1年の成績はテストでクラス1位を取っていた気がする。そうよね?」
「合っているよ。そんなもの、もはや過去の栄光だけど」
「かっこよかったな、拓海君が他の人を差し置いて良い点数を取っていたの。思い返すと本当に私って、拓海君に憧れていたんだな」
「そのときは本当に真面目さしか取り柄がなかったからね。まぁ、今もではあるけど」
「そうなんだ。ねぇ、拓海君は今何しているの?」
突然、美空は気が変わり、思い出に耽るのをやめた。彼女の関心の矛先が変わろうとも、体は拓海に背を向けたままであった。それでも、今の自分に興味を示してくれることが嬉しかった拓海は、美空と和やかに言葉を交わし合った。
「僕は大学生だよ。上京しているから普段は一人暮らしをしている」
「へぇ、分野は何系?」
ここで美空が拓海の方を振り返った。拓海に隠し続けていた美空の陽気な笑みは、拓海の背後にある月明かりに照らされて、ようやく露わになった。ほんのりと青白くも艶っぽい顔に、拓海は見とれそうになった。そんな拓海に美空は催促をかける。
「ねぇ。大学で何を学んでいるの?」
「あっ、ああ、薬学部だよ。おかしな話だよね美空1人救えない自分が薬学を学んで薬を世に届けようだなんて」
「別におかしくないよ。拓海君、昔から生き物の図鑑ばかり読んでいたし、生命関係に興味を持ってそうだったから、割とイメージ通りだよ。勉強できる拓海君なら大学でしっかりと学問を修められるよ」
美空は、今日1番の励ましをしながら、コートを持って拓海の隣に座る。やはり公園に来るとかつての記憶が想起されるのか、2人の話しも弾み、いつの間にか雰囲気も朗らかになっていく。
次回が最終回です!
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三峰勾洋
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