成人式② 邂逅
過去の記憶の想起が終わり、拓海は現在へと視点を戻した。
美空と過ごした僅かな日々、美空が去ってからの日々、あの時の感触は今でも彼の体に染みついている。
拓海は恥ずかしさと後悔で胸が押し潰されそうになり、その動悸を抑えるのに成人式の時間を使い果たした。
式典は、中学校の先生が簡単な挨拶をすると、閉会となった。会場内は少々ざわつき、慌てて場外へ出る者、周りの流れに流されないように席でゆったりと座っている者が半々ほどであった。
拓海は必死に周りに目線を張り巡らせてはいたが、ふと数列前に美空の後ろ姿を見つけると、彼女だけを見つめ続けていた。
しばらくして美空が立ち上がっても、拓海は視線を誰もいない席に固定したまま一切変えることはなかった。拓海は美空に気付かれたくなく、仮に彼女が気付いたとしても自分は気づいていない振りをしたがっていた。
(こんな狭い場内よりも、外の広いところで僕の気持ちを明かしたい)
拓海は平静を装った。
拓海の横に紺色の振袖が靡く。彼の膝に置いていた手の甲に布が触れる。
彼は一瞬布の冷たさを知覚すると、同時に美空に認識されているのでは、と考えて心臓の鼓動が早くなった。
しかし幸いにも拓海は彼女に話しかけられなかった。追加で2分ほどその場に座り、彼女への思いをまとめる。
式が始まる前は念入りに考えていたのに、いざ式が終わって美空と話せるかもと思うと、予め話そうとしたことは全て崩れて、雑に考えを修復しなければならなかった。
拓海は立ち上がると、椅子の下に置いたリュックを背負い、会場の後ろへ向かう。出入口は非常に込み合っており、1分につき5メートルほどしか進めていない。先に退出に向かっている美空はギリギリ会場内に残っており、拓海も背を伸ばせば彼女の位置を認識できた。
さらに5分が経過すると、無事に市民会館を出ることができた。拓海の前にいた人は、外の空気を吸った途端に走り出して、別の人の元へ向かう。
市民会館の前の道は写真を撮る人たちだらけで、辺り一帯を見渡せばスーツか振袖を着ている人しかいなかった。
そんな人の群れの中で鈴木美空の姿を見つけられるのか。
拓海は不安になると、顔を前に出して目をすぼめる。細い視界で注意深く周りを見ると、何人もの重なりの奥、微かに紺色と花柄の派手な金色が見えた。華美な振袖のおかげで美空を逃すことはなかった。
拓海は人をかき分けるように美空を追いかける。彼女は草履を履いているため歩きは遅く、また、軽く走るだけですぐに追いつける距離にいた。
走りながらヨレヨレになるネクタイを整える。崩れる身だしなみだけは最低限整えた。
美空は誰とも話すことはなく歩き続けた。気が付くと拓海は眼前5メートルの位置に美空を捕らえていた。
このまま声をかければ美空を引き留められる。拓海の積年の思いが放たれようとしている。
拓海は立ち尽くしたまま、自分の拳を握り締めた。
美空に話せば和解をさせてもらえるのか。それとも絶縁されてしまうのか。
浮かび上がる2つの未来、岐路に立たされた拓海は、高まる心臓を押し殺して、唾を一杯飲み込む。
「美空‼」
今度こそ彼女の名を発した。途端に周りの雑音が静寂に変わったような感覚が拓海を襲う。
美空は静かに振り返った。拓海は7年ぶりに彼女の正面からの顔をはっきりと見ると、お互いに目を合わせた。彼女の顔は、幼さが僅かに残ってはいるが、相変わらず可憐で化粧が栄えていた。
しかしその目はどこか虚ろであり、表情は嬉しそうではなかった。
訪れる無言の間。美空は喋らない。拓海も考えをまとめたはずなのに、彼女を前にして頭の中のノートは真っ白にコーティングされた。
拓海はその場を濁すように、言葉をなんとか捻りだす。
「……久しぶりだね」
「そうだね。久しぶり」
拓海はまず目の前の女性が美空であることに安心した。自分のことを覚えていることも安心した。返事もしてくれた。
でも顔に笑みは浮かべなかった。美空が浮かべていないのに自分が浮かべられるわけなかった。
再び訪れる無言の間。美空の瞳には、拓海に対する憎悪の灯が微かに残っていた。その灯を鎮めようと、拓海は慎重に言葉を探す。
「……その、ごめんね」
「何が?」
美空は低くどもるような声で表情1つ変えなかった。
誰の目からも明らかな拓海の動揺。
美空は彼が何のことを伝えたいのか、それをわかっているはずである。かつて拓海が発した美空に対する陰口、それを彼女ははっきりと聴いているのだから。
それは美空の負の記憶、思い出さない方が良いに決まっている。だからその話を広げたくなく、とぼけて知らないフリをしているのだろう。
拓海はそう考えた。
しかし美空を目の前にして、拓海は彼女の精神の傷口を広げずにはいられなかった。
「中学校のときのことで、どうしても謝りたくて。いや、本当は当時謝るべきなのだろうけど、僕が未熟だったばかりに」
拓海の言葉は揺らいだ。
そして美空も目線を合わせなくなっていた。彼女は足のつま先を進行方向に向けており、このまま放っておくと黙って行ってしまいそうだった。
拓海は深く頭を下げて謝る。そこに躊躇はなかった。
「ごめんなさい。僕が唐原を止められないばかりに、美空……さんに辛い思いをさせてしまい、挙句の果てに、美空さんの悪評を垂れるようなことを言ってしまい……、申し訳ありません」
拓海は精一杯声を絞り出した。話していて徐々に他人行儀になる。当然謝罪の場で、過去のように対等で仲の良い関係を持ち出せるわけもなかった。
周りは雑音まみれで、拓海と美空のやりとりなど誰も気にしている様子はなかった。
美空は蔑むような目で拓海を見下ろす。
「そう。そんなこともあったね」
拓海は思わず顔を上げた。美空のドライな返事、彼女は過去のことを気にしていない素振りを見せた。
素っ気なさ過ぎる反応に拓海は困惑した。また強がっているだけでは、と思った。もっと反感して怒るか、素直に謝罪を受け入れてくれるかのどちらかだと勝手に思っていた。
(僕は何のためにこの7年間を過ごしてきたんだ? 僕が悔やみ続けた日々は無駄になったのか?)
ずっとしたかった謝罪、それがむなしいほどあっさり終わってしまった。拓海は後悔しないために美空に会ったのに、結局後悔は拭えなかった。
拓海の心の中の、美空と紡いだ記憶だけがぽっかりと穴が開き、自我が吸い込まれそうになる。
冬の冷たい風を受けているとは思えないほど、拓海の額には滝のように汗が流れた。彼は自分の左手を見つめると、掌も汗が止まらず、ネクタイを握って布地に汗を吸い込ませる。
そんな拓海の動悸を感じ取ったのか、美空は少しの労いを与えるように、
「そういえば今日、同窓会やるよね? 行くの?」
初めて彼女の方から話しかけた。拓海は少しばかり落ち着きを取り戻し、
「僕は行くよ。美空さんは?」
「私は行かない。誘われてはいたけど断った」
「……そうなのか」
やはり今後美空とは話せないのかも。そう思うと拓海は内心で悲しんだ。
「どうしたの? 他に話はあるの?」
「いや、ええっとー……」
拓海は困惑するが、最後に美空を逃さないように、ねえ、と声をかけると、
「今度別の機会にさ、話をさせてくれないかな?」
何故その言葉を言ったのか? 拓海は本能的に彼女を繋ぎとめたがっているのだろう。
過去の拓海なら恥ずかしくて誘うことなどできない。
しかし今は、恥ずかしさよりも、謝罪に対する明確な美空の答えを欲しがっていた。それが和解であれ絶縁であれ、拓海は納得する。彼はひたすらに納得したかった。軽くあしらわれた結果の絶縁にも満たない答えを、彼は嫌がった。
考える時間は長かった。その末、美空は一言。
「……いいよ」
拓海は受け入れてくれたことに安堵の念を募らせると、美空に悟られないように、ほっと一息ついた。
「じゃあ、都合のいい日を教えてほしい」
「明日はダメかな? 夕方の6時ぐらいとか」
返事はやけに早かった。
「明日、いいよ明日で」
拓海は明後日東京に戻るため、明日はお互いにとって1番都合がいい日である。
美空は袖からスマホを取り出し、徐に地図アプリを開いた。
「ここはどうかな?」
美空が提示したのは『富田』という小さな居酒屋。スマホ画面に映されていたのは、拓海たちの小中学校の通学路の途中、T字路の軸にあたる位置であった。拓海が美空の家へ行く途中に曲がるときに横切るそこ、学生時代に何百回と見てきたはずなのに、拓海は今まで行ったことがなかった。
「いいよ。そこで明日の6時に集合だね」
拓海はこれ以上その場で話したくはなかった。彼らの周りにいる人たちは気にしていないだろうけど、このまま話を続けていると、大勢がいる中での同調圧力で過去の行いの許しを美空に得ようとすることになる。拓海にとってそれは嫌だった。
美空はスマホを袖にしまうと、覚束ない歩きで市民体育館を後にした。拓海は、彼女が豆粒のように小さくなるまで見送り続けた。
美空は喋っていて明らかに活気がない。それでも拓海は、彼女が生きていてくれたこと、形はどうあれまた会えたことをとりあえず喜んだ。
最終章に入りました。残り4話です!
最後まで応援よろしくお願いいたします!
気に入っていただけましたら、ブックマーク、ポイント、感想、SNSでの拡散等もよろしくお願いいたします!
三峰勾洋
X:@mitsu_kooyoo




