中学1年生⑪ 美空の幻想
年が明けて1月5日となった。この日は新年1回目の部活動であり、それはどの部活動も同じであった。勿論ソフトボール部も。
拓海は休憩中ベンチに座り、ソフトボール部の練習を眺めていた。いつもは、ぼーっと眺めているのに、この日は顔を思いっきり前に出し、瞬きができないほど目を見開いてみていた。それほど注視しても美空の姿はどこにもなかった。
拓海は心のどこかで美空が来てくれることを願った。たまたま体調不良になっただけで練習に来る意思はあってほしかった。
もしこのまま部活動にすら来なくなったら、自分が責めたてたことが原因で部活動をやめることになったら、彼女に合わせる顔がなくなってしまう。
しかし次の日も、その次の日も、さらに次の日も、美空が現れることはなかった。
日曜日の午後、図書館に本を返しに行く拓海だが、道中の公園をふと眺めると幼稚園児たちが鬼ごっこをしていた。しかし木の傍で素振りをする美空の姿はどこにもない。
途端に不安に襲われる。目的の図書館からは逸れるが、1度公園に立ち寄って全体を見回した。しかしどこを見ても美空の気配はなかった。
翌週の日曜日もこの公園を訪れた。同様に彼女の気配はない。
そこで拓海は察した。美空がソフトボールをやめてしまったということを。
新学期が始まっても美空は当然学校には来なかった。心臓の鼓動がうるさすぎて、先生の話など耳に入っても通り過ぎてしまう。
苦痛に歪んだ表情を浮かべる拓海は、教室の斜め前の席に目を向けると、美空に対する自責の念に襲われるとともに、あの場でどうすることもできなかった自分の未熟さを悔やんだ。
美空はとうとうどこにも姿を見せなくなった。拓海は彼女の家を知ってはいるが、謝りに行く勇気が持てないでいる。
美空の最後の頼みの綱であったのにも関わらず、拓海は美空の希望を美空の目の前で一方的に断ち切ってしまった。
なぜあんなことを言ってしまったのか?
何度振り返ってもそこに行きつく結論は、唐原にいじられたくない一心であった。唐原に対して楯突くためなら何を言っても良いとさえ思っていたし、悪いことではないと考えていた。
しかし唐原に対する強がりは自分の弱さを出しただけ。自分を守りたいだけの悪意の無い悪事が美空を精神の崖から突き落とした。
結局、彼は美空を救えなかった。
教室で一人俯く拓海、彼の元に唐原が駆け寄る。
「どうした? 鈴木がいないことがそんなに悲しいか?」
「……うーん、何というか、席が1個だけ開いているのって違和感があるんだよね」
「そうかい。別にそんなの気にしなくていいだろ。俺はあいつが目障りだったからどうでもいいけどな」
美空のいじめに加担した2人。拓海は後悔で胸が押し潰されそうになっているのに対し、唐原はむしろ清々しい顔を浮かべた。
「ちょっと前に俺の筆箱が紛失したときがあっただろ。あれ本当は俺が自分で鈴木の机に入れたんだ」
さらっと言った告白、拓海は唐原を侮蔑するような顔で見た。
「……おいっ、ちょっと待ってくれよ。それじゃあ、あの事件はお前の自作自演だってことか?」
拓海は立ち上がって唐原と目線を合わせ、ゆっくりと言葉を紡ぐが、込み上げる怒りは表情に漏れ出していた。唐原は問いかけに悪びれる様子もなく、
「そうだよ。今だから言うけど、鈴木の机に勝手に筆箱を入れてあいつに盗まれた体にする。そうすれば俺が鈴木を罵倒して反論されても、鈴木が盗んだことを咎めればいい。鈴木自身はやっていないことを知っているが、他のやつらは鈴木が盗んだと思い込んでいるからな。周りの圧力であいつを一方的に追い込める。そうなるはずだったんだけどな。何故かわからないが、あの日筆箱を返しに来たのは拓海だった。しかも教室に落ちていたとか言って。鈴木がわざと落としたのかな、とは考えたが、ひょっとしてお前に返すよう頼んだのでは、とも思ったよ」
「おい、何やっているんだよ。お前の身勝手な行動のせいで美空は傷つけられたんだぞ。それなのに何も反省はないのかよ……」
今すぐにでも腹の底から怒りたく、拳を握り締めた。しかし、クラスには他の生徒もいる。ここでキレ散らかすと自分も侮蔑の対象にされてしまう。そのことが拓海にとって嫌で、静かにしか怒れないでいる。
思い返してみると、唐原が筆箱を紛失させた翌日に美空は不登校になった。
美空は拓海の見えないところで唐原の悪質ないじめに遭い、それを拓海にすら告げずに内に閉じ込めていたのだろう。だけどあの日、クラス全体を巻き込んで悪者にしようとした唐原にとうとう耐えられなくなった。
拓海はそう考えた。
唐原の裏表のない悪意に満ちた性格のせいで、美空の表面的な仕草や態度からしか彼女の精神を察せず、内に抑え込んだ本質的な悩みは隠されてしまった。
繊細だと思っていた美空は、実は強い。
そんなものは幻想である。正しくは、強く見せかけていただけで拓海を頼らないと精神的に辛かった、ということである。
美空のたくましさはハリボテのようであった。今まで辛うじて唐原の猛攻に耐えてきたハリボテだが、彼女の精神に言葉で止めを刺したのは、紛れもなく拓海であった。
美空のいじめに関して、拓海は唐原が全ての元凶であると念頭に置きつつも、自分も唐原と同罪だ、と考えている。小学6年生の頃から存在していた、いや、下手すればそれ以前から存在していたはずの美空へのいじめに対して、見ない振りをしてきた自分を、このときはっきりと恥じた。
葛藤を繰り返しながら立っていると、気が付けば授業が始まる1分前になり、唐原は自分の席に戻っていた。
この日はサッカー部の練習がなく、帰りのホームルームが終わると、唐原は拓海に詰め寄られる前にすぐさま帰宅した。
そのことに拓海はやるせない気持ちになる。
家に帰ると、拓海は自分の部屋の枕に顔を押し付けた。真っ暗な視界から美空の幻影に何度も苛まれる。
――いつか遊ぼうよ!
――これからよろしくね!
ふと想起される美空の満面の笑みで発した言葉は、拓海の懺悔の念によって濾過されると、もう遊ぶ気はないのね、もう関わらないで、と彼を卑下するような言葉に変えられた。
それこそが美空の今の本心だと勝手に思っている。
ソフトボール部の練習に来なくなったのは、裏切り者となった拓海の姿を見たくないからで、公園で練習をしなくなったのは、拓海と一緒に訪れた記憶が忌々しくなり思い出したくないからであろう。
(僕のせいで、美空はソフトボールに打ちこめなくなった。嫌なことを忘れるためにやっていたソフトボールも、今や嫌な事を思い出してしまう行為になってしまった……)
元々サッカーの練習を雑にこなしていた拓海、美空のことを考えると、自分にはサッカーを行う資格がないのでは、という思いが強くなっていった。
サッカー部に入らなければ、大掃除の日がなければ、唐原と話さなければ、後悔混じりの仮定は止めどなく浮かび上がった。
拓海は勢いよく枕から顔を上げると、自分の頬を叩いた。頭に血が上りそうになるのを抑えて、自分自身を無理矢理にでも冷静にさせると、リビングルームに行き学校に電話をした。
「もしもし。1年1組、サッカー部の宮浦です……」
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三峰勾洋
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